Blood



 ジョルセンとナローゼという国がある。この二つの国は対立関係にあり、その争いはもう百年以上も続いている。ジョルセンは大国カストラの傘下にある国であり、ナローゼも同じ領土内に位置する。だがナローゼは風土の違いから独立を望み、カストラの下につくことを拒否し続けてきた。カストラは、ナローゼを説得するようにジョルセンに命じた。だがナローゼが簡単に頷くはずもなく、そうして時を重ねるうちに、次第に二つの国はお互いを「敵」と呼び始めた。


 ブラッドとチビは向かい合い、目を見て話をした。
「今回の仕事の依頼主は、ジョルセンの都市ローピアの領主であるアルベルト・オートレイという人物だ。ジョルセンとナローゼは今や一触即発の状態にある。カストラの命令が下ればいつでも戦争が起きるだろう。あくまで最終手段でしかないのだが、その最終手段が勃発しようとしているのが現実だ。まともに戦えばジョルセンの勝利は目に見えている。バックにカストラがついていれば当然のことだ。ナローゼもそのことを自覚している。それでも屈しようとせず、奴らは追い詰められた動物のように背を丸めて牙を剥いた。そして、ナローゼは恐ろしい兵器を作り出した。そのことを、ある冒険屋が突き止めた」
 チビはブラッドを見つめたままじっとしていた。きっとあまり理解できないと思う。だが、それでもいいとブラッドは続けた。
「ジョルセンがデスナイトに依頼し、草としてナローゼに冒険屋を送りこんだことで兵器の存在が認識された。入手した情報は一度組織に持ち帰られた。ナローゼも警戒している。安易にどうこうするわけにはいかない。そこで任務は切り替えられた。情報を『盗む』から『運ぶ』へ。それまでにナローゼに嗅ぎ付けられる可能性がないわけではない。その情報の行く末により、戦争という大事が左右されるという、とても重要な任務だ」
 そこでチビは少し目線を落とした。口を尖らせて、呟く。
「……それが、お前に何の関係があるんだよ」膝の上で拳を握りながら。「だって、お前は、誕生日プレゼントを届けるだけって言ったじゃないか。その戦争だかなんだかの話を、どうして今聞かせるんだ?」
 ブラッドは冷静に続けた。
「その『情報を届ける』という仕事が、僕の任務だからだよ」
 チビは小さく震えている。今はただ、何がどうなっているのかさえ整理できないでいる。だが、いい話ではないことだけは分かる。ふっと顔を上げる。
「じゃあ、嘘だったのか?」
 ブラッドは表情を変えずに、彼の切実な目を見つめ返した。チビの質問に答えられないわけではない。再び口を開く。
「嘘じゃないよ」その口調は厳しくも、優しくもなかった。「この仕事には二つの内容があったんだ。君に説明した、人形を届けるというのは通常任務という、殺しの絡まない仕事だった。だけど、『あること』が起きたとき、特殊任務というとても難しい内容に切り替わった。そして、それが、今だ」
「難しい内容?」
 そこでブラッドは腰を上げ、人形の袋を持って戻った。またチビの隣に腰掛け、袋を開ける。中から出てきたものは、やはりただのウサギの人形だった。リーガランスというブランドもので、造りも精密で首からは綺麗な宝石のついたネックレスをつけていた。女の子が好きそうなデザインだった。
「これは令嬢、アルベルトの娘へのプレゼント」
 言った後、ブラッドは人形を持ち替え、人形の丸い尻尾の付け根を爪で傷つけ、そこに指を差し込む。チビが眉を寄せて見入っていると、ブラッドはそこから何かを取り出した。指でつまめる程度の小さな四角い鉄だった。
「草が入手した情報は、このチップというマイクロデータに収められている。本当に僕が届けたかったのは、これだよ」
 チビはブラッドが差し出した小さなチップに、無意識に手を伸ばしていた。その指先は震えていた。恐る恐る手に取るが、チビにはただの鉄の欠片にしか見えない。
「これに、何が入っているんだ?」
 ブラッドは何から答えようか考えた。だが、相手がチビなら隠す必要もない。それに、もう彼には十分に隠してきた。せめて本当のことを伝えよう。例え、理解できなかったとしても。
「大量破戒兵器の設計図」
 チビは、また知らない言葉が出てきたと思った。
「つまり、核だ。ナローゼは独自でそれを研究、開発し、カストラがジョルセンにゴーサインを出したときの対策として、地下で実験を行っていたんだ。データに入っているものはその事実と実験結果。そして開発者、責任者、それに関わる者の名簿とデータだ」
 チビは俯いたままチップを見つめていた。もちろん、何のことだか分からない。
「でもさ……こんな小さなもの、適当に届けてよかったんじゃないのか。こんな面倒臭いこと、なんでだよ」
 ブラッドは冷静に答える。

「情報を持ち帰った草は、数日後に殺された」
「……え?」
「盗み出されたことはすぐに悟られたんだ。関与していたのがデスナイトだということも。そこでナローゼは急遽ルチルスターに、情報を奪い返すように依頼をした」
 ルチルスターとはデスナイトに次ぐ大手の冒険屋組織だった。チビもその存在くらいは孤児院で教えられた。必ずしも敵であるわけではない。時には仕事が被り、共同作業をすることもある。それでも、冒険屋組織のトップに君臨するデスナイトに対抗できるのは、辛うじてルチルであると聞いている。それでも総合的な実力は及ばないが、こうして依頼主の対立の立場にある者が嗾けてくることがよくあり、自然とデスナイトとルチルスターは敵対しやすい関係だった。
「ルチルはまず、情報がどこに行ったのかを探していた。そして、見つけた」
 ブラッドははっきりとは言わなかった。チビは考えずとも勘付く。敵が探していた情報とは、今、自分の手の上に乗っている小さな鉄のことだ。つまり、ブラッドという冒険屋の元にあるそれを見つけたということだった。そして、それを奪いに向かっているということ。
「どうやって突き止めたのかは分からない。僕は上司といろんな可能性に対し、いろんな対策を立てていた。一番いいのは、僕が敵に気づかれずに、無事に依頼主にチップを届けること。それで済めば、通常任務としてすべてが丸く収まっていたんだけどね。だけどそう上手くはいかなかったってわけ。ブラウニーの伝言を受け取った時点で、僕の仕事は特殊任務に切り替わった」
 チビはまだ動かないままだった。じっと見つめる手のひらには汗が滲み始めた。

「これに関与しているのは僕だけじゃない。追跡専門の冒険屋も加担し、ナローゼやルチルの動きを探っていた。そして、事はよくない方向へ進み、その事実がここに伝えられたってこと」
 二人の間に、今までにない緊張感が張り詰めた。ブラッドは少し体の力を抜き、続ける。
「何か聞きたいことはある?」
 チビの手が微かに揺れた。唇だけを動かして、声を漏らす。
「……どうして、お前がそんな難しい仕事を受けたんだよ」
 チビからすればもっともな質問だと、ブラッドは目を伏せた。
「組織が、僕が適任だと判断したからだよ」
「だって、お前、下っ端なんだろ。そんな、どこかの国とか、戦争とか、凄く危険でヤバい仕事なんじゃないのか。そんなの、下っ端にできるわけないじゃないか」
「うん……と、言いたいところだけど、君は何を基準にして下っ端かそうじゃないかを判断する?」
「どういう意味だ」
「だから、そうだね。例えば、一番稼ぐ冒険屋が強いと思うとか、倒した妖魔の数が多いほうが上だとか」
「……よく分からないけど、強くてかっこよくて……やっぱり、お前が前に言ってた稼ぎってやつなのかな」
 ブラッドは薄目のまま、軽く微笑んだ。
「だとしたら、下っ端とは言えない。現在、僕はサクラの次に稼いでる冒険屋だから」
 チビは自分の中にあった不安は次第に形になり、現実になろうとしていることに気づき始めていた。
「デスナイトでは、ここ数年はサクラ含む三人のトップ争いの状態が続いている。少し前にサクラが大きな仕事を遂行したばかりだから、今は彼が躍り出ているだけのこと。そして、この仕事を成功させれば、その三人の中の一人である僕が、ダントツでトップになる」
 ブラッドは微笑んでいたが、決して歓喜や期待の笑みではなかった。悲哀、空虚、そして自らを卑下する哀れみのそれだった。
「この仕事はひとつの国の運命を左右し、長く続いた民族争いの結末を担うほどのものだ。その報酬は当然、並の金額じゃないからね」
 チビは顔を上げた。一緒にいた彼が組織の実力者であったことを喜んではいなかった。嬉しくなんかあるはずがない。悲しい。急にブラッドが遠い存在に感じてしまったからだ。ブラッドは彼のその気持ちを感じ取り、胸が痛んだ。だが、表情は変えなかった。
「……で、でも」チビの声は震えていた。「なんだよ、それ。お前、表だって言ったよな。でも、そうだったら、おかしいじゃないか。サクラは裏なんだろ? なんでそいつとお前が同じとこにいるんだよ。お前がそれだけ偉いんだったら、孤児院でも名前が出たはずだよな。お前が何言ってるか、分からないよ」
 そうじゃないと言って欲しかった。チビはどうしても、ブラッドが優しい男だと信じたかった。弱くて、情けなくて、間抜けでもいい。無力でも、自分といつも遊んでくれる友達でいて欲しかった。
 ブラッドは、酷だと分かっていても、本当のことを言おうと決めた。今までの二人の関係を根底から覆す一言を、はっきりと告げる。
「僕は、裏。殺し屋だ」
 チビの目の前が一瞬、真っ暗になった。ブラッドは顔を上げ、チビに鋭い目を向ける。
「僕は今までたくさんの人を殺してきた」すべてを懐かしく感じながら。「最初は、前に話したとおり、小柄でひ弱で一人では何もできない弱者だった。人殺しどころか、銃もまともに撃てないほど貧弱だったんだ。そんな役立たずだった僕を支えてくれていたのがイデルだった。彼は裏のトップクラスで、誰も文句が言えないほど圧倒的な実力を身につけていた。僕はそんな彼の影に隠れ、仕事のことも金銭面でも何かと世話になり続けていた。だが、イデルは事故に遭い、そのバランスは崩れた。怪我をしたのはイデルであり、一番辛いのは彼のはずなのに、僕は生きる手段を失くしたとまで落胆してしまった。そんなとき、彼をバカにする者が現れ始めた。それだけはどうしても我慢できなかった。そこから僕は、自分でも驚くほどに変わっていった。今度は僕が彼を守ってやりたいと思い、ひたすらに強さを求めるようになっていった。自分が何をしているのかさえ判断できないほど盲目になっていった。イデルや、僕を大切に思ってくれている人の忠告も聞けないほどに。気がつくと、僕は人を殺すことに抵抗を感じなくなっていた」
 我に返ったときは、もう遅かった。ブラッドは奪った命の数を重ねることで、組織のトップに上り詰めてしまっていたのだった。
「だけど、見てのとおり、僕は大柄ではない。いくら体を鍛えても限界があり、どう頑張っても僕よりガタイのいい男や獣人の体力には及ばなかった。だけど僕はどうしても負けたくなかった。だから僕は特殊な能力を身につけていった。小柄であるならそれなりの戦い方がある。裏の奴らは大抵、強面の豪傑ばかりだ。その中で僕のような者は稀な存在だった。この外見を利用すれば紛れ、潜むことは簡単だ。黙っていれば目立つこともないし、警戒され難いからね。だからこそ組織から重宝されるようになっていった。見た目とは裏腹な、恐ろしい暗殺術を持った僕を『便利』なものとして扱った。なぜなら僕はただのスパイではなく、腕力ではない戦術を持った、れっきとした戦闘員だからだ。その戦術というのが、爆弾──あの、花火だよ」
 チビはショックを隠しきれない。大好きな花火が殺人道具だったなんて、と思うと辛くて仕方なかった。
「僕は火薬の専門家なんだ。爆弾を自在に操るようになり、たくさんの命をまとめて奪う方法で功績を上げてきた。次第にそれはエスカレートし、ある町を丸ごと、跡形も残らないほど破壊したこともある。殺した人数は数え切れない。罪のない女性も、子供も、無差別に顔色ひとつ変えずに殺してきた」
 チビの顔色が青ざめていく。恐ろしい。が、体が固まって動けなかった。
「そして、今も必要があれば、躊躇わずに僕は人を殺す」
 震えが止まらない。彼の言うことが本当なら、目の前にいるのは、初めて心を許した相手は恐ろしい殺人鬼だったということになる。今まで、それほど長い時間ではなかったが、一緒にいて時々怖いと思うことがあった。その疑問は解消された。最悪の結果として。
 だけどどうしてもブラッドを嫌いにはなれなかった。もしかすると自分はまだ騙されているのかもしれないと思った。チビはもう、何を信じていいのか分からなくなっていた。
 固まったままのチビの手の中から、ブラッドはそっとチップを取り上げた。彼の指が触れた途端、チビの体が揺れた。ブラッドはチップを握り締めた。
「……ほかに、聞いておきたいことはあるか?」
 ブラッドも、当然辛かった。だが、自分は罪人なのだ。言い訳などできる立場ではない。いくら責められても甘んじて受ける覚悟くらいは持ち合わせている。きっとチビは自分よりも苦しんでいるに違いない。そして、彼を傷つけているのは他ならぬブラッド自身なのだ。許してもらうつもりは毛頭ない。その代わり、責めて欲しいと思った。これでもかと言うほど批難し、罵倒し、その無垢で幼い手で気の済むまで傷つけて、ボロボロになるまで責め立てて欲しかった。
 だが、チビにそんな元気も力もなかった。目を閉じ、歯を食いしばって震えている。まるで涙を我慢しているように見えるが、そうではない。彼は泣けないのだから。怖くても、痛くても、悲しくても。それだけでも不憫だと思うのに、なぜこうして自分と出会わなければいけなかったのだろう。檻の中から連れ出したのが、彼が心を開いた相手がもっと普通の人であれば、あのまま笑い続けていられたかもしれないのに。
 やはり、神は残酷だ。ブラッドはそう思った。
 もうこれ以上は話すことはないのかもしれないと、ブラッドは目を逸らした。ただ、せめてチビをどこか安全な場所までは送りたい。どこが最適か、そんなことを考えようとしたとき、チビが口を開いた。
「……どうして、俺に嘘つかなきゃいけなかったんだよ」
 その質問は、ブラッドには辛いものだった。チビを欺き、裏切っただけでなく、僅かな幸せのために彼を騙したという自分自身を浅ましく感じたからだ。
「はじめから、本当のこと言えばよかったじゃないか」
 知らせずに済むならそうしたかった。
「……君に嫌われるのが、怖かったんだよ」
 そして、チビを守っていくことで少しでも罪滅ぼしができるのなら、なんて甘いことを期待していたことも否定できなかった。
「どっちが本当のお前なんだ?」
「どっちも、本当の僕だよ」
「本当って、どれが本当のことなんだ。全部が嘘じゃないんだよな」
「そうだね……届け日が令嬢の誕生日であることは、本当だよ。そして、その人形を欲しがっていることもね。ただ、誕生日プレゼントというのは、本当の任務のカモフラージュではあった。届け物をする理由があったほうが自然だからね。だけど、もうひとつ嘘があった。当日に父親は帰れないと言ったが、本当はその日、決められた時間に父親であるアルベルトは自宅に戻ることになっている。もちろん、荷物を確実に受け取るためにね」
「……なんだよ。やっぱり、嘘なんじゃないか」
 ブラッドは、もうこの一言しか出てこなかった。
「ごめんね」
 その言葉はチビの心を切り裂いた。もう、どれだけ待っても、ブラッドの話のすべてが「嘘」であると言ってくれないんだということを思い知らされたからだった。受け入れられなくても、これが紛れもない事実。だけど、これだけは確認しておきたかった。怖かった。怖いけど、聞かずにはいられない。
「じゃあ……俺のこと、好きだって言ったのは……?」
 その瞬間、ブラッドの目頭が熱くなった。答えは決まっている。だが、すぐには声が出なかった。その質問に、答えていいものかどうか迷ったのだ。もしかすると、また嘘をついたほうが彼のためなのかもしれない。だけど、それだけはどうしても偽ることができなかった。隠しても無駄だったから。耐えることができずに、ブラッドの目から涙が零れてしまっていたからだ。
「それは、本当だよ」
 嬉しかった。チビは自分が殺人鬼であると知っても、変わらず慕おうとしてくれているのだ。ブラッドは自分が子供のようだと思った。何の責任もなく、感情に任せて、見えない罪で汚れた手でチビを抱きしめた。
「平気で人を殺してきた僕が、こんな幸せ気持ちになるなんて許されないことだと思う。だけど、僕は君が好きだ。君といると本当の意味で優しくなれるし、とても楽しくて幸せだったんだ。誰かを守るって、こういうことなんだってことを知ることができた。僕はずっと間違った道を歩き続けていた。どこかで気づいていたけれど、修復できないままここまで来た。こんなところに、どうして君が迷い込んできてしまったのかは分からないけど、会えてよかったと心から思っている」
 チビは、ブラッドの腕の中で、どうしていいか分からずにじっとしていた。ただ、今の彼が「本当」のブラッドであることは間違いなかった。ブラッドから流れ落ちた涙の雫がチビの頬に当たった。チビはそれを指で触れる。
「……泣いてんのか」
 ブラッドはチビの頭を自分の肩に押し付けた。
「そうだよ。これが、最後になるかもしれないから、寂しいんだよ」
「最後?」
「ルチルの刺客が僕を殺しにやってくる」
「刺客?」
「殺し屋だよ」
「え……」
「予想では十人程度」
「……十人って、そんなにたくさん? 仲間が来てくれるんだろ?」
「いいや。これは僕の仕事だ。数人の刺客に狙われることも計算に入れての人選だ。僕もそれを了解している」
「で、でも、それって、変だろ。お前、殺されるかもしれないじゃないか」
「そうだね。でも、これが『冒険屋』なんだよ……これは戦争でも喧嘩でもない。仕事なんだ。最終目的は荷物を届けること。刺客を返り討ちにすることじゃない。だから助けはこない。そして、僕も必要としていない」
 チビは震えを抑えるためか、それとも、離れたくないという感情からか、ぎゅっとブラッドの服を掴んだ。
「もちろん、負けるつもりはない。だけど、その為に僕はまた人を殺さなければいけないんだ。そうしなければ、僕が殺される。それだけじゃない。このことが戦争の引き金となり、もっと大勢の人に不幸が訪れる」
「……誰が悪いんだ?」
「誰も悪くないよ。仕方のないことなんだ。この世のすべての人が分かり合うことなんかできない。きっと解決することはないのだろうし、したとしてもそれはずっと先の話。少なくともチビが生きてるうちではないほど、ずっとずっと先の話だろうね」
「どうして、みんな仲良くできないんだ」
 チビの呟きに、ブラッドは少し笑った。
「君だって、人と仲良くできないじゃないか」
「……あ、そうか。だから喧嘩するのか」
「でも、僕は君の友達だよ。何があっても、ずっとね」
 チビも同じ気持ちだった。なのに、どうして離れなければいけないのだろう。自分も連れてって欲しい、そう言ってみようか迷っているうちに、ブラッドは涙を拭いながらチビから離れた。
「チビ、君はこれからどうしたいと思ってる? イデルのところに行くか? それとも、孤児院に戻るか?」
 どっちも乗り気はしない。チビの望みは彼と遊んで過ごすことだったのだから。チビが俯いて考えている間に、ブラッドは人形を取り、彼に差し出した。
「すぐに決められないなら、君に仕事を与える」
「仕事?」
「この人形を三日後に、令嬢のところへ届けるんだ」
「え、でも」
「僕の仕事は人形ではなく、チップを届けるに変更になった。だから、もうこれは必要ないんだ。でも、依頼主の娘がこれを欲しがっているのは事実。せっかくだから、君が届けてみないか?」
「……一人で?」
「嫌なら、無理は言わないよ」
 ブラッドは背を丸めてチビの顔を覗きこむ。
「君は冒険屋を嫌っているけど、ただ嫌いだと言わずに、一度経験してみればいい。報酬は出ないけど、失敗したって構わないから気楽に取り組めるだろ。経験してみて、もし気が向いたら孤児院に戻ればいいし、やっぱり嫌だったらイデルに世話になればいい。あそこで働きたくないなら別の場所を探してくれるから。ね、そうしなよ」
 チビは人形を掴んで、しばらく考えた。考える、と言っても、今はブラッドに行って欲しくない、それしかなく、まだ吹っ切ることができないでいた。
「……お前は、どうなるんだ?」
 ブラッドの表情が消える。彼自身も、先のことは分からなかった。任務に失敗する可能性も、もちろんあるのだ。だが、それはチビに伝える必要はない。それに、ブラッドもこの時点で負けることを認めるわけにはいかなかった。
「予定では」優しく、微笑み。「任務を遂行し、また君と花火をして遊ぶつもりだよ」
 チビは、その笑顔の裏にある彼の苦しみを垣間見てしまった。具体的に想像できるわけではなかったが、嫌な予感がして、不安で不安で仕方なくなった。泣けるものなら泣きたかった。チビは体を起こして、今度は自分からブラッドの首に腕を回した。ブラッドもそれに応え、チビの頭を撫でる。
「できれば、君の泣き顔も見たかった」
「……悪かったな」
「でも、君の笑顔はそれ以上の価値がある。だから、君には笑い続けていて欲しい」
「だったら、ちゃんと帰ってくるんだぞ」
 でなければ、笑えない。チビはそう言いたかったのだ。ブラッドには痛いほど伝わった。
「……そうだね」
 再び、ブラッドは涙を流した。絶対に、これが最後でありませんように。目を閉じ、「残酷な神」にそう祈った。