第1章 二人の冒険屋
世界一治安の悪いと言われる町ヴァレルは、相変わらず治安が悪かった。無理もない。ここは、金さえ出せばなんでも言うことを聞く「冒険屋」という野蛮で下品な人種が好んで集まる場所なのだから。
だがこの世界、今の時代に冒険屋は必要不可欠な存在であった。依頼の内容とそれに伴う報奨金は様々であり、迷子の猫探しから戦場への人員派遣まで、彼らを好こうが嫌おうが「便利」であることには間違いなかったのだ。
冒険屋本人たちは、世間でなんと言われようと自らを卑下することはなかった。「冒険屋」とは誰でもできることではなかった。それを名乗るには、冒険屋を管理する組織に属し、最低条件をクリアする必要があった。世に出てからも腕を磨き、功績を重ねていくことでランクや報奨金も上がっていくというシステムの下、誰もが上を目指して日々精進せざるを得ない世界だった。その結果、個々の努力と才能を最大限にまで活かすことができ、それに相応しい報酬を確実に手にすることができるのである。ゆえにこの仕事には能力の有無、それに伴う高いプライドも必要不可欠なものなのである。冒険屋として活躍している者、そして、冒険屋としてしか生きられない者は、この仕事に誇りを持ち、命を懸けて取り組んでいると言っても過言ではなかった。
冒険屋を雇うには二つの方法があった。ひとつは冒険屋を育て、管理している組織から、もうひとつは「紹介屋」という、個人で冒険屋を斡旋している店で依頼し、紹介してもらう方法だった。前者は政府や業者など、立場のある者からの依頼が多い。後者と比較すると基本金額も固定されており、手続きも堅苦しく面倒な部分がある。その反面、紹介屋は依頼者の内容や事情を考慮され、金額も臨機応変に対応してくれる、個人でも手軽に相談しやすい場所であった。組織では断られる仕事も請け負ってくれることもよくある。しかし、その場合は発生する報奨金は組織のそれよりも法外となることも、よくあった。
組織と紹介屋は仕事を奪い合うようなことはしなかった。二つは共存し、常に社会や人員の情報を交換しており、自分のところに適さない依頼は請けてくれるところに話を回す。そうすることによって、ほとんどの依頼は順調に叶えられてきたのだった。
ヴァレルには紹介屋の中でも一番有能と言われる、銀狼の獣人ランが経営する店がある。店の名は「ロード」。冒険屋の斡旋のほかに、食事もできる居酒屋も兼ねている。今日もロードは繁盛している。当然だが、客のほとんどは「冒険屋」と呼ばれる者ばかりだった。
客の中には新人もいれば、常連もいる。常連の中でも常連の青年、ブラッドがいつものように店主のランと会話を弾ませている。
「本当か」
ブラッドは声を潜めた。
「いい話だろ」
ランの低い声はあまり通らない。体は大きく、全身が青味掛かった銀色の毛で覆われている。その上からラフなスタンドカラーのシャツ、ジーンズにホールブーツ。身長は二メートルをゆうに超えており、ブラッドもチビではないのだが彼といると小さく見える。
世の中には四つん這いで言葉も解さず、理性も知性もない動物もたくさん存在するが、獣人はまた別の生物に属していた。その生態や生活は人間とほとんど変わらず、腕力や体力が有り余る獣人たちは好戦的な性格の者が多い。人間より洞察力も鋭く、動きも俊敏な彼らは進んで冒険屋に志願する者が多かった。
と言っても、ランは冒険屋ではない。彼の過去を知る者、語る者は少なく謎は多いがこの店で培ってきた信頼は厚かった。
ランはカウンター越しで、グラスを磨きながらブラッドを見下ろしている。
ブラッドは身を乗り出す。洒落っ気のない黒い短髪を揺らし、それと同じ色の瞳を輝かせている。
「カストラ国って言えば、かなり大国じゃねえか。そのお姫様が仕事の依頼を?」
「ああ」
「なんで俺にそんないい話を?」
ランが片耳だけを下げて。
「疑っているのか」
ブラッドは慌てて首を振る。
「とんでもない。でも……さ、アレだ。いつもの癖だよ。気にするな」
ランは微笑んだまま目を伏せた。付き合いは長い。ブラッドが何を言わんとしているのか理解しているし、彼もランが気分を損ねたわけではないと、表情から読み取れていた。ランは再びブラッドに目線を移し。
「お前を信頼してるからだ。何度言わせる」
それを聞いて、ブラッドは子供のように笑う。
「どうする? 話を聞いてみるか?」
「当たり前じゃねえか。いつだ? その姫さまには会えるのか?」
「取り敢えず、落ち着け」
「いや、それより、姫さまは美人か?」
ランはため息をつく。ブラッドの不謹慎な発言はいつものこととは言え、毎回呆れる。
ブラッドは思いも寄らない幸運が舞い込んできたと、緩む表情を抑えられなかった。
「仕事一筋だった俺にも、やっと華やかな未来が開けてきたってわけだな。ラン、お前のおかげだよ。俺はいい友人を持ったと、心の底から思うよ」
「気が早い」
ブラッドは素早く笑顔を歪ませる。
「なんでだよ。俺だってお前を信頼してるんだぞ」
「俺が信頼してるのは、お前だけじゃない」
「な……」
ランのその言葉にブラッドは嫌な予感がした。それはタイミングよく的中する。固まるブラッドの肩に柔らかいものが押し付けられた。
「はあい、ブラッド」
彼女は猫撫で声と、自慢の「美乳」でブラッドの神経を刺激してくる。
「ご機嫌ね。何の話?」
それの持ち主をブラッドはよく知っている。彼女の顔を確認して、大声を上げた。
「エス! またお前か!」
エスと呼ばれた少女は慣れた様子でブラッドの隣に腰掛ける。決して地味ではない、ピンクに染めた長い髪はいつもいい匂いがする。ぱっちりとした緑の瞳はどこか野性的で力がある。決して触れることを許してくれない細いウエストや短いスカートから伸びる長い足は、目の保養にはなるが体に悪い。エスはカウンターに肘をつきながらランにウインクする。
「ラン。いい仕事ない?」
「ちょっと待てよ。この話は俺が先に……!」
ブラッドは慌てて言葉を飲んだが、遅かった。
「どの話?」
エスは聞き逃さず、細めた目がきらりと光った、ように見えた。口が滑ってしまったとブラッドは頭を抱える。
「エスは相変わらず運がいいな。いい話だ。今ブラッドに頼もうかと思っていたんだが……」
「ラン」ブラッドが口を挟む。「そりゃないだろ」
「まだ決めてない。お前は何でも早とちりする。悪い癖だぞ」
確かに、と思うが、ブラッドはこの状況に納得がいかない。エスを横目で睨みながら。
「エス、なんでお前はいつもそうなんだ」
「なあに? いつも可愛いって?」
「ああ、そうだよ」ブラッドは完全に拗ねる。「可愛いしスタイルいいし……いい胸してるくせに細っこくて……それだけ俺の好みでありながら、なんで殺し屋なんかやってるんだ。しかも、ランクAだと? 出来すぎだろ」
「あたしがいい女なのは自覚してるけど、殺し屋ってのはいい加減にやめて。『マザー』は立派な冒険屋の組織よ。傭兵なんて、国に尻尾振ってる犬に言われたくないわ」
「傭兵じゃない。犬でもない。『デスナイト』こそが最も良心的な冒険屋の集まりなんだよ」
「バカバカしい」
「なあ、マザーなんて、あんな胡散臭い色物組織なんか抜けて、早く俺と結婚してくれよ」
「あんたが出世したらって言ったでしょ」エスはわざと甘えた声を出す。「あんたの為に処女を守りながらずっと待ってるんだから」
だが、ブラッドは疑わしい目で彼女を睨む。
「……嘘つけ」
ランがエスの前にサービスのオレンジジュースを運んでくる。二人のやり取りはいつものことらしく、ランは口出ししない。
「さて、お二人さん」だが、仕事の話は別だ。「いちゃつくのは程々に」
エスとブラッドは同時にランを見つめる。
「あまりお姫さまを待たせるのは、失礼だぞ」
なぜランがこの場で話を進めようとしないのか、珍しいことだったが、今はまだ理由は聞かない。二人も真面目な顔になる。
夜も更け、三日月がくっきりと闇夜に縁取られていた。ランの指示通り、エスとブラッドは指定されたビルの一室に来ていた。ビルと言ってもあまり大きくない、廃墟と化した建物だった。誰かが生活しているようには思えないが、裸の電球に明かりが灯る。電気は通っているようだ。ビルの周辺にも人の気配はなかった。何かを隠すには都合のいい場所である。
エスとブラッドが到着し、いつものように口論する間もなくしてランが姿を現した。彼の顔を見るなり、いきなりブラッドが不満を垂れる。
「ラン、どういうつもりだよ」
「何がだ?」
「どうして俺とエスと両方呼ぶんだよ。まさか商売敵の俺たちに手を組めなんて言い出さないだろうな」
「気に入らないなら、降りてもいいんだぞ」
「いや、それは……と、とにかく、依頼内容を」
「そうだ。まずは話を聞け。コネがなきゃ、今のでお前はハネられてる。少しは学習しろ」
ブラッドは口を尖らせた。隣でエスが「バカ」と呟く。
「こっちだ」
ランは二人に背を向けて、隣の部屋へ続く戸に手を掛けた。開けると、そこも明かりがついていた。室内には塗装の剥げた白い壁以外何もない。
いや、違う。何もないことはなかった。室内の片隅に「花」があった。花ではない。美しい、一人の女性が佇んでいたのだ。
身なりは質素だったが、醸し出す雰囲気から身分の高い、高貴な女性だと読み取れる。白に近い金髪、長いまつ毛と青い瞳。きめ細かい肌は淡く光り、小さい唇は控えめで上品だが、熟した果実のように潤っている。それはまるで、絵に描いたような「お姫さま」だった。エスは驚いて息を飲み、ブラッドはその美しさに見とれる。見とれながら、混乱する。
「……な、どういうことだ」
エスもその珍しいものから目を離せない。
「まさか、カストラの姫? 本物?」
「そうだ」ランは戸を閉めながら。「姫さま直々のご依頼だ」
姫は音も立てずに一歩前に出て、恭しく二人に頭を下げた。
「私はカストラ国の王女、シェルローズ・アンティークと申します」
その透き通る声、柔らかい仕草はヴァレルという町にはあまりにも相応しくなかった。これほど行き届いた、隙のない美しさは映像でしか見たことがない。
ランは二人の背後から姫に向き合い、ブラッドの頭に手を乗せる。
「こっちはデスナイトのブラッド」次にエスを指し。「こっちがマザーのエスラーダ」
と、まるで人形のような扱いで簡単に紹介する。シェルローズは返事の代わりにそれぞれに微笑みを送った。エスとブラッドは彼女を眺めたまま、挨拶を返すことも忘れている。
国や王宮からの極秘の仕事は少なくはなかった。だが、こうして高貴な者が直接ヴァレルに出向くというのは滅多にないことである。ヴァレルは荒くれ者の集まる場所として、同業者以外は近寄りたがらない。それでも金を出せば大抵の仕事は引き受け、人選を間違わなければその望みは叶えられる。ほとんどの依頼者は冒険屋の仕事の内容は知らない。態度は横暴だが、必ずと言っていいほど結果を出してくる。その場にわざわざ顔を出す必要もなく、事は望み通り運ばれる。故に信頼は厚かった。悪い噂は絶えないが、冒険屋は今の時代になくてはならない存在だった。
シェルローズは今にも消え入りそうな声を出す。
「この度は、このような不躾な形でお願いに上がりましたご無礼を……」
「畏まった挨拶は結構。ここに礼儀は無用です。お話を」
「は、はい……」
戸惑いながら、シェルローズはエスとブラッドの顔を交互に見つめた。
「お願いと申しますのは……実は、サンデリオルの竜の鱗を手に入れて欲しいのです」
依頼はそれだけ。今は、それだけで十分だった。二人はしばらく沈黙し、同時に大声を上げる。
「はあ?」
シェルローズはその声に少し体を揺らし、怯えながら。
「む、無謀は承知です。でも、ここでお願いすれば叶うかもしれないと噂を聞きまして……」
最後まで言わせず、エスが眉を寄せて厳しく言い放つ。
「お姫さま。世間知らずも程があるわよ。サンデリオルの竜の鱗? あの何でも願いが叶うって言うヤツ? 生憎と、アレは人の領域じゃないのよ。大体、竜がいるって確証もないってのに」
「わ、分かっています。でも、竜はいます」
「何を根拠に」
「私の国に伝わる古文書に、竜の存在が記されていたのです」
「古文書? 絵本の間違いでしょ。ヴァレルでは空想厳禁よ。覚えときなさい」
「本当なんです」
シェルローズの必死の訴えにエスは黙った。それでもまだ納得いかない顔をしている。
「ラン、どういうことよ。期待してきたのに」
「期待を裏切ったつもりはない。サンデリオルの竜の伝説は冒険屋の夢じゃないか。こんなに大きな仕事はそうそうない」
「…………」
確かに、本当なら大きな仕事だ。これをこなせばランクも報奨金も上がるし、冒険屋として後世に語り継がれるほどのものとなるだろう。だがそれは、本当に竜がいればの話だった。
室内に重い空気が流れた。ランが話を進める。
「まあ、嫌なら無理には頼まない。他の者に話を回すだけだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
エスが慌てる。当然だ。断れば信頼がなくなるし、ランクにも影響が出る。また今の扱いを受けるには、しばらくの間は小さな仕事をこなして再び成績を積まなければいけないのだ。エスに取って、今更それは耐え難い。それでも、と言う言葉が頭から離れない。失敗すれば受ける屈辱はそれ以上のものだからだ。
紹介屋からにしても、組織からにしても、仕事の割り振りは斡旋する者の能力にかかっていた。依頼内容と扱える人材を把握し、それに見合ったものを交渉に持ちかける。ランからは今までも驚く内容の仕事が与えられたことはあったが、一度も失敗したことはなかった。だから彼の言葉は疑わず、信頼してきた。なのに、と思う。ランがなんのつもりで自分にこんな仕事を回してきたのか理解できなかった。危険度の高い、厄介な仕事なら問題はなかった。だが、これは御伽噺のレベル。もし竜が存在さえしなかったら任務を遂行することは物理的に不可能なのだ。ここにきてお姫さまの夢物語に付き合えと言うのか。気に入らない。エスは唇を歪ませた。
そんな彼女の思いを他所に、ブラッドが呟く。
「……俺、受けるよ」
「本当ですか」
シェルローズが笑顔を灯した。同時に、エスの不快感が更に募る。
「ブラッド、何言ってんの」
「だって、竜はいるんだろ?」
「いるわけないでしょ」
「います」
と、シェルローズが透かさず。エスも黙ってはいない。
「バカみたい。どうせお姫さまに色香に唆されただけでしょ。恥ずかしくないの?」
「何だよ。そもそもお前には関係ないだろ。お前は降りろ。俺は受ける。それでいいじゃないか」
「な、なんですって……」
戸惑うエスに、ブラッドはからかうような笑みを向けた。
「それとも、妬いてんのか? だったら、みっともないのはお前の方だ。素直になれよ」
「殴るわよ!」
「痴話喧嘩はそこまで」ランが止める。「そろそろ答えを聞かせてもらおうか」
エスが舌打ちする。ブラッドはそんな彼女を横目に。
「俺は受ける」
「決まりだな」
「ちょっと待ってよ! 早いもの勝ちなの? そんなの聞いてない」
「エスも受けたいなら受ければいいだろう。どっちにするのか、さっきから聞いてるじゃないか」
「な、何それ」
ブラッドも首を傾げる。
「ラン、どういうことだ。まさか本当に俺とエスに手を組めなんて……」
「そうは言ってない。最終的に選ぶのは──シェルローズだ」
再び、エスとブラッドが同時に声を上げる。
「はあ?」
「何せ依頼主は繊細なお姫さまだ。確かな実力とともに、姫の身の安全も保障する必要がある。エスなら女だ。気が合わなかったとしても、妊娠する心配はない。ブラッドに至っては、とにかく女に弱い。若くていい男なのに、気の毒なほどにな。姫に気がない限りは手も握れない」
「な、な、なんだと……」
図星を突かれてブラッドは真っ赤になる。ランは無視して。
「お前たちが適役だと思ったんだ」
「ラン様のご配慮には大変感謝しております」
シェルローズは俯く。が、構わずにエスとブラッドは猛反発する。
「それだけ金を貰ったんだろ! ラン、お前一体幾ら積まれたんだよ」
「そんなことより、姫の身の安全って、どういうことよ。まさかこの女もついてくるってこと?」
「申し訳ございません。本人がその場にいないと願いは叶わないのです。ご迷惑は承知です。だけど、私も非力ながら努力は致します。だから、どうか……」
「……で、あんたの願い事って、何?」
「エス」ランが素早く遮る。「それは契約が成立してからだ」
エスは深く息を吐いた。これ以上揉めても時間の無駄だと思った。答えを出さなければいけない。何もなければ、今回ばかりは断っていたかもしれない。だけど、ブラッドが受けると言ってしまった以上、断れば自動的に彼に仕事を譲ることになる。それだけは嫌だった。そうなると、答えはひとつ。
「……分かったわよ。受ける」
シェルローズは再び微笑んだ。
「てめえ、汚えぞ」
エスの態度の変化にブラッドは睨み付けるが、エスはそんな彼から素知らぬ顔で目を逸らした。ランも微笑み、シェルローズに。
「では、姫。お好きな方をお選びください」
シェルローズは、エスとブラッドの顔を数回、交互に見つめた。そして、まるで最初から決めていたように静かに答える。
「お二方に、お願いしたいと思います」
二人は固まった。何もかもが非常識だった。いや、元々ヴァレルに常識など存在しないのだ。ここ数年、順調に仕事をこなしてきた二人はそのことをすっかり忘れてしまっていたことを後悔する。しばらく考える。おそらく同じことを考えていた。エスが先に声を出す。
「……ラン」怒りを堪えて。「最初からそのつもりだったんでしょ」
ランは答えない。「紹介屋」の仕事は終わった。ここから先は「冒険屋」に引き継がれる。満足げなランの代わりに、シェルローズが二人に近寄る。
「エスラーダ様、ブラッド様。どうぞ、よろしくお願い致します」
旅の出発は明日の朝となった。
もう後戻りはできない。