第4章 姫の告白
 一同は車に乗り込み、森の中を走らせていた。少し日が傾き始めている。
 ブラッドは、剣を地に還し、再び身軽になったエスに声をかける。
「お前が魔法使えるなんて、初めて知ったよ」
「魔法ってわけじゃないわよ。あの剣はマザーからもらったものなの。組織の武器倉庫にはいろんなのが揃ってて、その人に合ったものなら好きな武器を使えるのよ。最初はあの剣、あたしには大き過ぎるって言われたけど、持ってみて驚くほど相性バッチリだったの。何でできてるのかは知らないけど、ああ見えて凄く軽いのよ。しかも持ち運ばなくていいから荷物も嵩張らないし」
「お前の実績のカラクリはあの剣にあったのか。一緒に仕事する機会がなきゃ見れなかったな」
「それだけじゃないわよ」エスが身を乗り出して。「あたしには有能な仲間がいるでしょ」
 それを聞いて、ブラッドは先ほどのカイルの表情を思い出し、不快感が蘇った。だがそのことには触れたくなく、何も言わない。
 ブラッドの気も知らず、ココナが笑顔になる。
「あたしも?」
「当たり前じゃない。今回だってあんたが依頼者を守ってくれたから、あたしは思い切って戦えるのよ。感謝してるわ」
 ココナは照れたように頬を染めた。シェルも改めて感謝の意を表す。
「私からもお礼を言います。怖かったけど、みなさんの力にはとても感激しました。心強いです」
「それも当然」エスは目を細めて。「冒険屋のトップがこれだけ揃ってるのよ。あんたは見合った報奨金さえ出せば、後は泣こうが喚こうが好きにしていればいいの」
 ブラッドが肩越しにエスを睨む。
「エス。またそういう言い方を」
「どんな言い方しても同じでしょ」
 エスはつんと顔を逸らした。
 

 そんな会話が続く中、夜は更けていった。まだオーラドールの森は抜けない。何時間も車で揺られ続けた一同の体にも疲れが出始めていた。慣れないシェルは何度も転寝をしている。
「今日はこの辺で休むか」
 ブラッドが車を止める。
「野宿かあ」エスが凝った肩を鳴らしながら。「仕方ないか」
 そしてドアを開け、隣でウトウトしていたシェルに声をかける。
「お姫さま、文句言わないでね。一生に一度くらい野宿を経験しても罰は当たらないわよ」
「も、文句だなんて……私はみなさんに従います」
 ブラッド、カイル、ココナもそれぞれにドアを開けて外に出る。シェルも後に続き、ドアを閉めながら暗くなった森を見回した。不安そうな彼女にココナが声をかける。
「あたしがテントを張ってあげるからね。王宮のベッドほど快適じゃないけど、横になって眠れるよ」
 言い終わると同時にココナは両手を広げる。目を閉じ、呪文を呟く。すると、目の前の木々が何本か揺れ出し、ちかちかと光が灯った。驚くシェルの目の前で、光の中から所狭しと白いテントが姿を現した。
「凄えな」ブラッドも驚いている。「でもこんな真っ白じゃ、テントにしては目立つんじゃないか」
「これも守護の結界が張ってあるの。低級な妖魔なら近づけないし、危険があったら起こしてくれる」
 いつもごろ寝で済ましてきたブラッドは、これも女性ならではの気遣いかと感心した。
「でも」エスが冷たく言い放つ。「あんたは車よ」
「えっ。また仲間外れかよ」
「当たり前でしょ。こんな狭いテントで女の子に囲まれて眠れるとでも思ってるの。図々しい」
「俺だって体が痛いんだ。ずっと運転してたし」
「一人なら車の中でも横になれるでしょ。嫌なら地面で寝るのね」
「何なら」カイルが冷やかしてくる。「俺が添い寝してやろうか?」
「いらねえよ」ブラッドは歯を剥きだして。「お前みたいな筋肉質と寝たって疲れなんか取れるか。一人がマシだ」
 そこに、エスが更に追い討ちをかける。
「じゃあ、ついでに見張りもよろしく」
「はあ? お前ら、人をこき使うのもいい加減にしろよ」
「大して役に立ってないじゃない。大体、正式に仕事を受けたのはあたしとあんたなのよ。ココナは私の連れ。勝手に甘えないで」
「……分かったよ。後で交代しろよ。俺だって人間だ。寝ずの番は無理だ」
 渋々了解するブラッドにエスは軽く手を振りながら。
「はいはい。おやすみ」
 と、テントに向かう。ココナも後に続き、カイルもブラッドに背を向ける。ブラッドは面白くなさそうに車に戻って行った。シェルはそんな彼の背中に声をかける。
「ブラッド」
 一同が足を止め、シェルに注目する。シェルは小さな声で。
「あの……少しだけ、お話をしたいのですが……」
 ブラッドは慣れない展開に、目を丸くする。
「……いいけど」
 背後で、エスが眉を寄せる。
「ちょっと、夜更かしなんかしたら明日に響くでしょ。勝手な行動はやめてよ」
「は、はい……ご迷惑はおかけしませんので」
 エスはシェルを睨みつけて、それ以上は何も言わずにテントの中に姿を消した。その後にココナとカイルも続き、中ですぐに布団を広げ出した。エスは不機嫌そうに、ぐちゃぐちゃのままの布団の中に潜り込む。カイルとココナは顔を見合わせて、小さくため息をつく。一通り布団を並べた後、ココナがエスに近寄る。
「ねえ」声を潜めて。「いいの?」
「……何が」
 エスは布団に潜ったまま応える。
「ブラッド、シェルに取られちゃうかもよ」
「関係ないわよ」
「そっか……おやすみ」
 ココナは微笑んで、エスの隣に横になる。カイルも黙ったまま、二人に背を向けて体を倒した。
「でもね!」
 静かになったかと思うと、エスは思い出したように布団の中から大声を出した。カイルとココナは目を見開いた。
「もしシェルの悲鳴が聞こえたら、すぐに戦闘態勢を取るのよ」
「…………」
「依頼主を守るのはあたしたちの仕事なんだから、当然のことでしょ」
 顔は見せないが、エスが感情的になっているのが可笑しいほど分かる。彼女の台詞は、まるで自分に言い聞かせているようにしか思えない。それに、「あたしたち」と言っているが、直接依頼を受けているのはエスだけのはず。個人的な感情ではないことを、必死に主張しようとしているのだろう。だが二人は返事もせずに、黙って瞼を落とした。


 一時間ほど、エスは眠れないまま体を動かしていた。まだシェルは戻ってこない。悲鳴も聞こえない。じっとしないエスの隣にいるココナも落ち着けなかったが、寝たふりをしている。
 エスはふっと昨夜のことを思い出して目を開いた。
(……そう言えば、シェル、やたらブラッドのこと聞いてきてた)
 嫌な予感が募る。冷静に考えてみれば、ブラッドをよく知る自分からすれば、彼は下品でお調子者だし、能天気で軽い男だ。だが、冒険屋としての腕は悪くないし、実力はそれなりに数字に出ている。それに、と思う。ブラッドは立派な成人男性であり、背も高く、ルックスに問題はない。エスが彼と出会ったのは二年前だが、今までに女性関係がなかったとは思えない。女好きだし、結構優しいし。シェルに関しては、きっと今まで外にも出たことがなく、恋愛と言える恋愛なんかしたことないに違いない。そんな箱入りのお姫さまが、冒険屋と言う鍛えた男を「こんな人、初めて」だと、夢を見てもおかしくない。
エスの妄想が膨らんでいく。
 シェルは美人だ。清楚だし優しいしか弱いし上品だし……エスはつくづく自分が傲慢で乱暴な女だと自覚するしかなく、今度はそう思わせるシェルに対して苛立つ。だがそれを振り払い、考えを戻す。そうだ、問題はブラッドだ。あのシェルに好意を持たれて理性を保てるはずがない。でもそうだと決まったわけではない。でも、と繰り返し、仕事の話なら二人きりになる必要なんてないはず。何よりも、冷静に考えるとなぜシェルがブラッドまでを選んだのか理由が分からない。エスだけで十分なはずだし、ランの言うとおり身の安全を考えた上、自分だけで足りないのならマザーから追加すればいいではないか。
(でも、まさかそんなの……)
 とうとうエスは体を起こした。二人の様子を伺う。動かない。寝てるはずもないのだが、エスはそっと布団から出て、こっそりとテントの外を覗く。
「どうした」
 エスの体がびくりと揺れる。振り向くとカイルが音も立てずに上半身を起こしていた。エスは必至で平静を装う。
「あ、あの、く、車の中に忘れ物をしたから……」
「ふうん」
 白々しい空気が流れる。エスは引きつった顔を背けて、外に出て行った。布団の中でココナがため息をつく。
 エスはテントの外で胸を撫で下ろした。バレバレなのは承知だが、それより気になることがある。抜き足で近くの木の陰に隠れ、車の様子を探る。暗くてよく見えない。静かだが、二人の声は聞こえなかった。
(……一体何やってんのよ)
 もう少し車に近づく。車の中に人影が見えた。ドキン、と胸が締め付けられる。二つの影はどうしても寄り添っているようにしか見えない。影が重なって見えるだけだと自分に言い聞かせながら、それでも確認しないと気が済まなかった。歩を進める。
「…………!」
 予想は外れた。いや、悪い方が的中した。
 二人は車内で抱き合っている。見間違いではない。シェルが幸せそうな顔をブラッドの胸に埋めているではないか。
 エスは足が震え、紅潮する。すぐに目を逸らし、テントに駆け戻って行った。再び、乱暴に布団の中に潜り込む。まだ起きていたカイルは冷静に。
「忘れ物はあったのか」
 エスは答えない。ココナも疲れた体を起こし、カイルと顔を見合わせる。再び、深くため息をついた。


 それから三十分もしないうちに、シェルがそっとテントに入ってきた。
「遅くなってしまって、申し訳ありません」
 いつもと同じで落ち着いており、特に変わった様子はなかった。
 まだ眠れずにいたココナが「こっち」と誘導しながら場所を空ける。カイルも、何も言わずに体を端に寄せた。エスは、ぴくりとも動かずに顔も上げない。シェルはテント内に流れる重苦しい空気の理由も分からないまま、恐る恐るカイルとココナの間に横になる。体力のないシェルは、気まずい雰囲気を気にしながらもすぐ眠りについてしまった。


 更に三時間ほど経ったころ、ブラッドは車から降り、眠気覚ましに辺りを見回っていた。冷たい空気の中、大きな欠伸が出る。背後に人の気配を感じた。振り向くと、エスが暗闇から姿を現す。
「ああ、交代の時間か?」
 エスは返事もせずに無表情だった。ブラッドは、彼女が冷たいのはいつものことだと気にしない。
「そろそろ体力の限界だったんだ。悪いが、後は頼むな」
 エスの肩を叩いて、車に向かった。また大きな欠伸が出る。
 ブラッドは張り詰めていた緊張の糸を解く、解こうとした。だが、背後から突きつけられる殺気で、解くことは許されなかった。素早く振り返る。すると、そこには恐ろしい顔をして銃を向けるエスがいた。
「な、何のつもりだよ!」
 ブラッドにはまったく理由が分からない。エスの目が据わっている。腰を引き、後ずさる。
「ブラッド、あんたがここまで最低の下種野郎だとは思ってなかったわ」
「ど、どうしたんだよ」
「気安く呼ばないで。あんたのこと、冒険屋としての実力だけは認めてたのに。がっかりよ」
「だから、何の話だよ。説明しろ」
「自分の胸に聞きなさい!」
 エスは近距離で銃の引き金を引く。ブラッドは紙一重で交わし、近くの木に隠れる。
「殺す気か!」
「殺されて当然でしょ」
「だから、何のことだか分かんねえよ」
「バレなきゃ済むとでも思ってるの。依頼主に手ぇ出すなんて、冒険屋の風上にも置けないクソ男が!」
「……な」
「あんたみたいな汚らわしい奴、もう顔も見たくないわ。一緒に仕事なんて、反吐が出る。今すぐここで殺してやる」
「ちょっと待てよ。誤解だ」
「黙れ!」
 ドン、と再びエスは銃を放つ。弾はブラッドの隠れた木を掠る。ブラッドは頭を抱える。が、彼も黙って殺されるわけにはいかない。頭上の枝に掴まり、ひらりと木に登り身を隠す。
「逃げるな!」
 エスがもう一発、ブラッドが登った木の枝を狙って撃つ。手応えがない。エスは舌打ちして、自分も近くの木に飛び上がる。木に背を付け、気配を探りながら銃を構える。
「!」
 エスの頭上から葉の揺れる音がした。反射的に顔を上げたときはもう遅かった。葉や枝の間から、素早くブラッドがエスの目の前に降りてくる。いつの間に、と思う隙にエスの銃が蹴り上げられる。その衝撃でエスは体勢を崩した。ブラッドがエスの腕を掴むが、自分も足場を失い、そのまま落下する。
 同時に地面に叩き付けられるが、二人はすぐ体を起こし、距離を置いて体勢を整える。木の根元にエスの銃が転がった。
「エス」ブラッドは警戒しながら。「いいから話を聞け」
「言い訳なんか聞く耳持たないわ」
「言い訳じゃない。お前、シェルのことを勘違いしてんだろ」
「勘違い?」エスは怒りで顔を歪める。「夜中に車内で抱き合ってるのを見て、他に解釈しようがあるって言うの?」
「…………」
「シェルがあんたに気があったとしても、任務遂行の前に関係を持つなんて反則でしょ。あんただってプロならそのくらいのルールは守りなさいよ」
「だから、落ち着けって……」
「いくらもてないからって、がっつき過ぎだわ。あんたがそんな節操無しだったなんて、見損なったわよ」
 ブラッドは我慢できなくなって怒鳴りつける。
「バカはお前だ! 聞け!」
 一瞬、エスが怯んだ隙にブラッドは彼女の肩を掴む。
「シェルは……っ」
「触るな!」
 ブラッドはエスに力一杯頬を打たれる。女の力とは思えないビンタを食らい、目の前がチカチカする。ここで気を失うわけにはいかない。ブラッドは地に手を着きながら、とにかく早口で続ける。
「シェルは俺のこと、犬だって言ったんだよ!」
 エスは言葉を失った。意味が分からない。ブラッドは涙目で腫れた頬を押さえる。
「シェルんちに俺と同じ名前の犬がいて、凄く可愛がってたから置いてきたことを心配してたんだ。その犬に会いたくて心細くなったからって、俺に少しだけ甘えさせてくれって言われたんだよ」
 エスの動きが止まる。ブラッドは恥を偲んで続けた。
「大体な、ランはお前を推薦したらしいんだけど、シェルが俺を追加したのも、愛犬と同じ名前だから会ってみたかったなんて言われたんだぞ。これでも……シェルには言わなかったけど、傷ついたんだ。しかも全然悪気なく俺の頭撫でてくる女を、襲う気力なんかあるわけないだろ。何なんだよ、どいつもこいつも、踏んだり蹴ったり。俺がいくら打たれ強くたって限界があるんだよ」
 森に静寂が戻る。真っ赤に燃え上がっていた見えない炎が、あっと言う間に消沈していた。エスの顔から険しいものが消えている。きょとんとして、まだ警戒しているブラッドを眺めた。
「な、なんとか言えよ」
 ブラッドが呟くと、エスは思い出したように息を吸った。どうやら、完全な勘違いだったようだ。事情を聞くと、むしろ彼が気の毒にも感じてきた。体の力を抜く。ブラッドもエスから完全に殺気が消えたことを確認して、深くため息をつきながら座り直した。
「……ご」エスが漏らすように。「ごめん」
「……分かってくれたか」
 ブラッドは拗ねて顔を背ける。
「ほんとに、ごめん」エスは珍しく素直になった。「このことは……忘れて。見張り、交代するから、もう休んでいいよ」
 ブラッドは口を尖らせてエスを睨む。エスは慌てて作り笑いをする。
「そ、そうよね。あんたがお姫さまに好かれるわけないわよね。なんかシェルが、あんたのこと気にしてたから、まさかって思って。あたしも驚いてさ、早とちりしちゃったみたい。そっか、犬かあ。姫があんたみたいなスケベで下品な男に想いを寄せるなんて、それこそ絵本だわ。でも、アレよね。あんたじゃなかったら襲われてたかもしれないのに、シェルって底なしの世間知らずよね。参っちゃう」
 エスは必死で笑う。どれだけ失礼なことを言っているのか自覚はない。
「とにかく、ブラッドに怪我がなくて、ほんとによかったわ」
 真っ赤に腫れている彼の頬は見ない振りをする。ブラッドは歯を剥きだす。
「笑って誤魔化すな。殺す気だったくせに」
「殺すなんて、あんたとは今、仲間なのよ。そんなことあるわけないじゃないの」
「……よく言う」
「でもさ、あ、あんなの見たら誰だって誤解するでしょ。だって、いい年した男女が深夜に二人っきりでお犬様ごっこしてるなんて、誰が想像できるのよ。あんたとあたしの仲だから理解し合えたけど、もしあたしじゃなかったら、本当に殺されてたかもしれないのよ」
「理解し合えた? 今ので? お前の基準はどこにあるんだ」
 エスは乾いた笑顔で、逃げるように腰を上げる。
「まあ、解決したんだから、そんなに深く追求しないで。ほら、みんなのとこに戻ろうよ。あんたも疲れてるでしょ。早く寝た方がいいわよ」
「ちょっと待て」
 エスは気まずそうに足を止める。ブラッドも立ち上がり、エスに近寄る。
「今のはごめんじゃ済まさない」拳を握り。「お返しを食らえ」
「な、何よ。女の子に暴力振るう気?」
「下手したら殺されてた。それに、俺のことボロクソに貶しやがって。俺にだってプライドはあるんだ。これはけじめだ。心して受け取れ」
「……わ、分かったわよ」
「歯ぁ食いしばれ」
 エスはぎゅっと目を閉じる。どこかで、いくら何でもそんなに強くは殴れないだろうと高を括っていた。でももし強く叩いたらカイルに言いつけてやる、などと短い時間にいろんなことを考えて、覚悟を決める。
 しかし、ブラッドは最初からエスを叩くつもりなどなかった。怯えながら目を閉じている無防備な彼女を見つめ、何かを含んだような笑みを浮かべた。
 そして、両手で彼女の顔を持ち上げ、唇を重ねる。
「…………!」
 軽く触れたあと、すぐに顔を離す。予想外の出来事に、エスは目を見開く。そこには少し照れたようなブラッドの笑顔が、驚くほど近い距離にあった。
「これであいこだ」
 エスは固まったまま、何が起きたのか、状況を把握するのに時間がかかった。
「それに」ブラッドは顔を寄せたまま、にっと笑う。「さっきのはどう見ても嫉妬だよな」
 エスには彼が何を言っているのか分からなかったし、聞いてさえいなかった。じわりとエスの顔が赤くなる。次第に小さく震え出し、泣きそうな顔になる。ブラッドには彼女の不可解な反応の真意が分からず、首を傾げる。
「エス?」
 かと思うと急に、ブラッドを激しく睨みつける。その表情に寒気を感じる間に、ブラッドはエスの殺人パンチを食らう。
「死ね!」
 ブラッドは今度こそ完全に気を失う。森の中で倒れた彼はその場に放置され、夜が明けるまで目を覚まさなかった。
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