05




 夕方、いつもより少し早めにランはロードに来ていた。
 まだ従業員は来ない。明かりも点けずに一人でカウンターに腰掛け、ぼんやりしながらビールを飲んでいた。考えることがたくさんあった。ありすぎて、何から考えればいいのかさえ分からずにいた。
 面倒くさい、と思う。ただ、ギグさえいなくなってくれればずっと楽になることだけは分かっていた。殺してやりたい。そうだ、死なないなら殺せばいいのだ。簡単なこと。
 ランはふっと顔を上げた。背中で何かを感じる。席を立ち、カウンターの中に置いてある銃を持ち出した。足音を潜め、素早く店の木戸に背中を付け、銃を構える。耳を澄ます。神経を集中させる。
 戸の向こうから殺気が押し寄せていた。
 ギグがいる。
 ギグも戸に背を付け、武器を持ち、そして笑っている。ランは感情を消し、敵の呼吸を読んだ。
「よう」ギグの小声はランの耳に届く。「相変わらず苦労してるな」
 ランは何よりも不快な声を聞いて気分が悪くなるが、表情を変えない。
「おかげさまでな」
 攻撃してくる気配はないが、ギグは押し潰さんばかりの殺気を放っていた。
「そう緊張するな」それでもギグの口調は軽い。「愛する息子を殺そうなんて思ってないよ。それに、お前も、俺を殺せない……そうだろう? 仲良くしようぜ」
 何を考えている。ランは今までになく気を張り詰めた。一体ギグは何がしたいんだ。
「ああ、そうだ。お前の可愛い嫁さん」
「!」
「いい女を見つけたな。最高級ブランドの、金髪碧眼の上品な子猫ちゃん。美人で恥じらいがあって、性格もいい。お前にはもったいない」
 なぜ知っている? いつ、どこで……。
「いや、お前だからこそ手に入れることができた珠玉の、人形。やはりお前の人を不幸にする才能は天才的だな。父親として鼻が高いよ」
 ランの呼吸が乱れる。必死でそれを隠した。
「あの娘に本気で惚れているのなら心から応援してやるが、そうでないなら、無駄な抵抗はもうやめることだ」
「……言ってる意味が理解できないな」
「親の言うことは素直に聞いたほうがいいぞ。どうせ、俺へのあてつけなんだろ? そんなことしても無駄だし、それにこれじゃあ彼女が可哀想じゃないか」
「お前の言うことなんか、聞きたくない」
「お前は分かっているはずだ。なぜお前が俺を殺せないのか。なぜ、ジルが死んだのか。そして、なぜお前が死なないのか――」
 鼓動が少し早まった。
「運命だからだ。すべて神のシナリオ通りに事は進んでいるんだよ。その中で、お前だけが必死に足掻いて抵抗しているだけのこと」
 そこで、ギグはこみ上げる笑いを堪えた。
「まあ、ジルのことは、俺のミスだったがな。まさか通りすがりに撒いた種があんなに立派に育つとは思わなかった」
 ランは牙を剥きだす。
「……貴様」
「計算外だった。だから、ジルは死んだんだよ。仕方のないことだ。お前が殺したんじゃない。神がお前の手を借りて仕事をしただけだ。気に病むことはない」
 ランの銃を持つ手に力が入った。もうこれ以上ギグの戯言など聞きたくなかった。
 何が運命だ。そんなものに翻弄されるのはまっぴらだ。だからここで、自分の代で下らない柵を終わらせたいと思った。それが自分の役目だと、そう思いたかった。
「撃っても無駄だ。俺は死なない。いつか死ぬだろうが、少なくともお前には殺されないよ。神が守ってくれる」
「だったら、その神ごと殺すまで」
「それはいい案だ。頑張れ。お前ならできるかもしれない」
 ランはもう我慢ならなかった。今すぐ、ここで殺してやる。
「俺は早く死にたいんだ」
 その意外な言葉に、ランの殺意が削がれた。
「もうだいぶ体も衰えた。別に長生きなんかしたくない。だが、死ねないんだよ。誰も俺を殺してくれない」
 ランは黙った。これは本音だ。こんなことを言うギグは初めてだった。
 ギグは何を伝えようとしているのだろう。もう少しだけ、話を聞くことにした。
「どうしてかは、分かっている……お前だよ、お前が、まだ役目を果たしてないからだ。サイバードは代々男の家系だ。それはヴァーレルの代から続いている。サイバードの血が色濃い、鋭い牙と爪を持ったオスしか生まれない。それが意味するものは、戦うことを義務付けられているということだ。かと言って、滅ぶこともできない。なぜだか分かるか?」
 ランの顔が陰る。分かる、が、答えない。
「竜の加護があるからだ」ギグはそこでまた笑った。「ああ、竜と言えば、姫と一緒にいたピンクのお譲ちゃん」
 ランの耳が微かに揺れる。やはり、シェルのことだけを調べたというわけではないようだ。ここ数日の間に二人を見たということだ。
「あれが竜の『入れ物』か」ギグのニヤつく顔が想像できる。「いいね。あの美少女コンビ。できれば両方に挟まれたいが、俺はどっちかというとあの気の強い派手な方が好みだ。ああいうのを服従させたときの快感は、なにものにも代え難い至福。男冥利に尽きる瞬間だ」
「……黙れ。貴様の性癖なんざクソ以下だ。耳が腐る」
「いや、悪かった」ギグは笑いながら、話を戻す。「そうだ、竜だったな、お前、興味あるか?」
 ない、わけではない。だが、できることならすべてが夢であったと、そう誰かに言って欲しかった。ギグは続ける。
「確かに、鬱陶しい伝説だ。今となっては、それを抱えて苦悩しているのは俺らだけなんだからな。だが、竜の加護があるからこそ冒険屋は、この世界は成り立っている。ただ、それを知る者はもう数が少ない。今更すべてをひっくり返すことはできない。下手すりゃ世界が滅ぶ可能性だってある……そこで、質問」
 少しずつ日が落ち、次第に従業員が出勤する時間が迫ってきた。できれば人が来る前に追い払いたい。ランはそう思いながら、耳を傾ける。
「どうする?」
 なんだ、その質問は。ランは答えに困る。
「まだ、逆らうつもりでいるのか? 逃げても無駄なことはもう分かっているはずだ。逃げたところでジルのように惨めな死に方をし、業は受け継がれ、誰かが不幸になる。そうだな、今のところルトが一番危険だな」
「……何だと」
「まあ、ルトは保険だ。ジルは跡取りを残したからこそ死ねたんだ。お前も楽になりたければさっさとガキでも作って立派な殺し屋に育てることだな。そうすれば後はそのガキが受け継いでくれる」
「貴様のようなクズに指図される謂れはない」
「そう、それが問題なんだ。お前が反抗的な限り、俺は死ねないんだよ」
「俺に従順になって欲しければ一生に一度くらい父親らしいところを見せてみろ」
「は。よく言う。お前は俺を父親として認めているじゃないか」
 戯言を、と苛立つが、ギグは口答えを許さなかった。
「まったく、あれはさすがの俺も泣けたよ。自分が勝手に弟を殺しておいて……なぜジルをこの世に送り込んだのかと、俺を責めたてたっけな」
「……黙れ」
「なぜ、自分を作ったのか。自分など生まれてこなければよかったのだと、お前は涙を流した」
 ギグはからかうように、哀れんだ声を出す。
「父親として、あれほど悲しい言葉はない。だが、なぜだろうなあ。ジルを殺すくらいなら、いっそ俺を殺せばいいのに……なんでお前はできなかったんだろうな」
 ランは一瞬、息を止めた。
 殺さなかったのではない、殺せなかったのだ。分かっている。だが、その理由は明白ではなかった。ずっと考えていた。何度も頭の中でギグを撃った。そのたびに行き場を失う自分がいた。ギグを殺した先に、何があるのか、そのビジョンが何も見えずにいたのだった。
「簡単だよ。お前には、俺という唯一の『恐怖』が必要だからだ」
 引き金にかけた指が揺れた。力を入れたのではない。震えだった。
「本来のお前は無情で冷酷で、力にしか価値を感じないただの殺人鬼なんだ。だが人である限り、どうしても『心』がある。獣の本能が一番敏感に反応する『恐怖』を確保することで、それを殺戮の歯止めとしているだけのこと。だからお前は俺を殺せないんだ」
 ランの足元に、一粒の雫が落ちた。額から流れた汗だった。
「ラン」
 ギグから放たれる意識の色が変わった。彼も人が来る前にここを立ち去ろうとしているようだ。
「これは警告だ」
 ランは苦しくなり、少し口を開いた。肩が揺れる。
「お前の運命が、あの『姫』を地獄に落とす」
 目を見開く。もうひとつ汗が落ちた。
「戦え。それだけがお前の生まれた理由だ」
 空気が動いた。ギグが木戸から離れた。
「俺は、お前が迷ったときにまた現れる」
 声が遠ざかる。
「忘れるな……」
 完全にギグの気配が消えた。ランは銃を落とし、膝をつく。胸を押さえて深く、何度も呼吸をした。
 気を失いそうだった。目眩がする。
 意識の端で人の気配が近づいてくるのを感じ取った。裏口の戸を開ける音が聞こえた。いつもの聞き慣れた足音だった。従業員が出勤してきたのだと、ランには分かる。
 ランはその場に腰を下ろし、汗を拭った。こんな姿を人に見られるわけにはいかない。今のことはいったん忘れ、立ち上がる。短い時間だったが、極度の緊張で指先が痺れている。ため息をつきながら、何度か拳を握った。
「あ、おはようございます」
 従業員の一人が明るく挨拶をしてきた。店内を見回しながら。
「今日は早いですね。どうしたんですか、明かりも点けないで」
「ああ」ランはにこりともせずに。「ちょっと人と話してた」
「そうですか」従業員は笑顔で。「そういえば、シェルさん、どうしているんでしょう。やっぱり彼女がいないと寂しいですね」
 ランは答えないが、シェルについてコメントしたがらないのはいつものことだった。従業員は気にせずに開店の準備に取り掛かる。
「そうか」ランは聞こえないように呟いた。「もう、戻ってこないかもしれないな」
「え?」顔を上げて。「何か言いました?」
「……いや」
 そこに、また数人の従業員やバイトがなだれ込んでくる。みんな明るい者ばかりだった。空が暗くなるにつれ、ロードは活気に溢れ始めた。



 翌日の昼間に、ランからエスに電話があった。
 ランは、根拠はないが、ギグはもうここから離れたことを伝えた。雇っていた冒険屋たちにも任務終了の合図を送ると、ランとギグの全面対決を期待していた者は、一体なんだったんだとブーイングを起こしていた。

「うん、了解」エスは素っ気無く答える。「じゃあシェルに代わるね」
 ランは返事をしなかった。受話器の向こうで物音が聞こえたあと、ふっと静かになった。シェルがいる。浮かない顔をしているのだろうとランは思う。
「……あの」シェルはか細い声で。「ごめんなさい」
 姿は見えないのに、電話の向こうで彼女が頭を下げていることも想像するに容易かった。
「私、悪いことをしてしまいました……ランのこと、疑って、探って……その……」
 シェルは言葉を失う。やっぱり怒っているのだろうか、嫌われてしまったのではないかなどと、気が気ではなかった。
 ランが口を開く気配を感じて、シェルの心臓が大きく脈を打つ。
「お前が謝ることはない」その声は穏やかだった。「嫌な思いをさせたな。もう終わった。とりあえずは、な」
 怒っているわけではないようだ。よかった、と体の力を抜く。
「もう、戻ってもいいですか?」
 何気なく言ったつもりだったが、ランはすぐには答えなかった。再びシェルは胸を痛めた。
「あ、あの……」
「さっき」ランの口調は変わっていなかった。「とりあえず、と俺は言った」
「え……」
「これからも問題は起きる。確実に。きっと今回以上に辛い思いをさせる。もしかすると……俺はお前を殺してしまうかもしれない」
「……ラン?」
「悪意でではないが、そうせざるを得ない状況があれば、俺はお前に何をするか分からない。俺はそういう男だ。それを理解できるか?」
 彼は、何を言ってるのだろう。シェルは混乱した。やっぱり怒っているのだろうか。どうしよう。どう答えればいいのだろう。戸惑っているシェルの心理を読みながら、ランは遠慮なく続ける。
「今すぐ答えを出す必要はない。考える時間が欲しければ、まだそこに居てもいい。お前の好きなように、行きたいところに行けばいい。お前は、何も悪くない」
 そこで電話は切れる。シェルは固まっていた。エスが首を傾げる。
「どうしたの?」
 シェルはゆっくりと受話器を置いた。
「ねえ、シェル?」
 シェルは呆然として、何もない壁を見つめていた。
 心配するエスをほったらかし、ランに言われてたことを考えていた。

 ランの言葉の意味が、今なら理解できる。あまり関わることがなかったとは言え、ジルはたった一人の血の繋がった兄弟である。本来ならば守るべき弟の幸せを、命を、何もかもをランは奪ってしまったのだ。しかもジルの妻と子供の目の前で、事故ではなく、故意に。これほどに残酷な死が他にあるだろうか。決してシェルの想像など及ばないほどの苦痛なのだろうが、あの映像を思い出すと胸が潰れるほど痛む。
 目の前で愛する人を殺されたカレンは、自分も一緒に死んだほうが楽だと思えるほど辛いに決まっている。
 だが、彼女は生きている。子供のルトを守りながら立派に母親の役目を果たしているのだ。
 なぜ? シェルは、もし自分ならきっと立ち直れないと思う。なのにカレンは気丈に歩き続けているではないか。何が彼女をそうさせるのか――
 おそらく、そこに彼女が惨劇の映ったビデオを持ち続け、仇であるランから金銭を受け取っている理由があるのだと思う。
 ランを恨むこと、彼に罪を償い続けさせることがカレンの心の拠り所となっているのではないだろうか。本当なら、そんなことで許されることではない。だが、カレンはどこかでランを許そうとしているのではないだろうか。
 そんなこと、誰でも簡単にできることではない。ここまでくるのに、カレンは何度もくじけそうになったに違いない。それでも彼女は生きている。
 きっと、きっと……シェルは目を強く閉じた。
 きっと、カレンの苦痛以上に、ランの彼女に対する贖罪は重く、そしてこれからもそれを背負っていくことを誓ったのだと、シェルはそう思った。
 ランの持つ力は計り知れない。彼はその限りを尽くし、カレンが少しでも救われるためならば何も惜しまずに与えてきたのだろう。それは金銭や物質的なものだけではなく、心や情という複雑で繊細なものもすべてを。
 きっと、そうだ。シェルはランを信じると、強く気を持ち直した。確かに彼は残酷なところがある。しかしそれ以上に情が深く、だからこそ生まれ持った運命と戦い続けているのだと思う。ランは誰にも弱味など見せることはないだろう。それでも、彼の苦しみの一部を垣間見てしまったシェルは、もうランを一人になどさせてはいけないと、本能で感じ取ってしまっていた。
 それが思い違いでもいい。自分のような無力な女など何の役にも立たないかもしれない。それに、カレンの言うとおり「危険な男に惹かれてしまっている」だけなのかもしれない。だけど、そうではないかもしれない。まだ自分にはランの元でやることが残っている。自分の思いが本物なのかどうか。それを確認するまでは、まだ逃げない。逃げたくない。
 ランは好きなように、行きたいところに行けばいと言ってくれた。
(……それなら)
 答えは簡単だった。シェルはふっとエスと目を合わせた。
「エス」そして、微笑む。「帰りましょう」
 今すぐ会いたい。顔を見て、もっといろんな話がしたい。シェルはそう思った。<了>




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