StarElevation
1




 終業の鐘が鳴った。
 同時に、ティオ・メイの一角にある大きな講堂がざわつき始める。
 ここには二週間に一度、有難い説教を聞きに様々な魔法使いたちが、世界中から集まってくる。魔法使いを目指す者、まだ見習いの魔法使い、マジック・アカデミーの教員や生徒など、出席する人数も顔触れも毎回変わるが、ほとんどはメイの魔法軍に所属する者が大半を占めていた。
 教壇と向かい合い、室内に入りきれるだけの長机と椅子が並んでいる。必ず埋まるとは限らないが、多いときは席に座れず、立ち見の客までいるときもある。特に、有名な魔法使いによる講義のときは、魔道に携わらない者までが顔を出す。受講は無料だった。勉強熱心な魔法使いたちは時間さえあればできるだけ足を運ぶように努めている。

 今日の講師は、ティオ・メイ魔法軍総監督サイネラの一番弟子リュークだった。予想はされていたが、講堂は満席だった。
 その中で、背もたれに寄りかかり、一息ついている者がいる。マルシオだ。彼の銀の長髪は目立つ。色を染めたほうがいいかもしれないと考えたこともあったが、彼は五十年近く前にアカデミーを主席で卒業している。名を聞けば、その世界に精通した者なら知らないことはなかった。今更隠す必要もない。
 それだけでなく、「魔薬戦争」に一線で加担した一人としても有名だ。有名、と言っても、世界中に知れているわけでもなかったのだが。それは本人の望むところだった。あまり深く追求されることを嫌い、変に「勇者」の異名など欲しくなかったし、むしろそんなものは迷惑でしか思えなかったのだった。
 それに、と思う。改めて自分が魔法使いとして未熟であると、日を追う毎に自覚するしかなかった。
 クライセン帰還後、騒ぎは収まり、生活が落ち着いた頃、マルシオは改めて彼に正式に弟子入りを志願した。もちろん、クライセンが素直に受け入れるはずもなく、ここまで漕ぎ着けるのにかなりの労力を費やした。肉体ではなく、精神的な方であるが。今でも楽しいことなんかほとんどない。
 自分と同じ立場だったはずのティシラは、すっかり魔法とその精神を忘れ、今ではくだらない呪(まじな)いでいたずらをしては周囲を困らせる始末だ。彼女の少々度を越した悪ふざけの皺寄せは、だいたいマルシオに回ってくる。いくら文句を言ってもティシラが聞くはずもなく、そんな迷惑を背負いながら「四代目魔法王の弟子」として忙しい毎日を送っていた。
 弟子入りもそう簡単ではなかったが、衝撃はその後に訪れた。
 師弟関係が確立した途端、師となったクライセンは厳しい一言を発した。
「お前は魔法使いには向いていない」
 と。根拠はあった。師曰く。
「魔法は体で感じ、自然の理を操作するもの。天使は、その存在だけで限りなく自然に近い。天使であるお前が魔法を使おうとすると、体で感じるのではなく、頭で考えようとしてしまう。ただ方程式に当てはめ、計算だけで自然界を左右しようなんてことは、正直あってはならないことだ。しかもお前は、なまじ力がある。自分の能力を過信し、下手に魔法を行えばとんでもないことになる可能性が高い。お前が苦手分野や分不相応な魔法に挑戦したがらない腰抜けでよかったと、心から思うよ」
 それはただの悪口じゃないのか、とマルシオは思うが、口出しする間も与えずにクライセンは続ける。
「つまり、お前の意識では大きな魔法を使おうとすればするほどズレが生じやすくなるということだ。入り口は僅か数ミリのズレでも、目標地点が遠ければ遠いとき、出口とはとんでもない方向に向かうことになるんだ。そんなことをすれば、救いようのない、次元を超えた天災が起きる。持った魔力と属性を合致させた力なら、逆に人間が及ばないほどの奇跡を起こすことができるが、多種の力を混合させるには、天使という生態は足枷にしかなりえない」
 それだけで、マルシオは数日落ち込んだ。今まで、それなりにあった自信が見事に崩壊してしまったのだ。天使というだけで、それだけの負担があるのなら、いっそアカデミーに入学するときに教えて欲しかったと落胆した。
 悩み、行き詰った末、クライセンの言葉の意味を考えた。
 向いていないならなぜ弟子として認めたのか。その教えを説くためだけの、いつもの大仰な彼流の意地悪なのか。いや、まさか。マルシオは考え方を変える。そんなことで、今の今まで一切弟子を取らなかったクライセンがその名を与えるはずがない。彼が何を考えているかなど、誰にも理解できないこと。自分なりに解釈するしかない。
 更に数日考えたマルシオが出した答えは、こうだった。
 正式に弟子となった以上、彼の下で堂々と魔法を学んでいいということだ。それに、師弟の間には、否めない「責任」が生じる。自分がなにか下手を打ったとしても、師である彼が責任を取ってくれる。だからと言って、ティシラのように起こる結果も、周りの迷惑も考えずに好き勝手やろうという気にはなれないが、つまり向いていようがいまいが「魔法」を学べる環境を手に入れたということだと、そう結果を出した。
 マルシオは改めてクライセンに教えを請うた。厳しかろうが辛かろうが、彼の言葉は間違っていない。むしろ天使と魔法の関わりについてそこまで熟知した魔法使いなど、他にはいない。だからこそ、自分を受け入れてくれたに違いないと、マルシオは覚悟を決めた。

 それから数ヶ月が経った。しかし、特に大きな進展はなかった。いつものように生活の雑用に追われ、魔法の勉強といえば、屋敷の奥にある大きな書庫の本をとにかく読めと言われただけだった。マルシオは言われた通りに、暇さえあればとにかく本を読んだ。最初は、一体何をどれから読めばいいのだと不満だらけだったが、その靄はすぐに晴れた。そこにあった書物のほとんどは、一般の図書館には決してない、高等な魔道のすべてが書き綴られているものだったのだ。
 後で分かったことだが、そこにあるものはサンディルが魔法戦争後に、なんらかの形でランドールの歴史と文化を残そうと、誰に読んでもらいたいわけでもないままに書き続けたものだったのだ。その量は計り知れなかったが、五千年という時間をかけて、偉大なる賢者が書き続けてきたものだとすれば納得がいく。そして、そのひとつひとつを手に取り、吸収していくことがマルシオには身に余る光栄に感じられた。
 だが、ここにあるものはあくまで「知識」に過ぎない。扱うにはそれに伴った力と経験が必要だ。時間はいくらでもある。マルシオは学び続けた。真面目な彼に皮肉を浴びせるクライセンと、何かとちょっかいを出してくるティシラの精神的攻撃と戦いながら、偉大なる魔法使いへの道を歩み始めていた。

 そんな中、マルシオがティオ・メイ魔道機関の無料講義会に参加し始めたのはまだ最近のことだった。クルマリムの町人の話から、その存在を知ったマルシオは早速、クライセンに許可をもらって講義に参加した。最初ティシラも興味本位でついてきたのだが、その日は最悪だった。静かに説教を聴いている一同の中で、退屈だとぼやいたかと思うと、周囲にいたずらを始め、マルシオが強く怒ると、拗ねて机に伏して堂々と眠ってしまったのだ。当然、目立った。笑う者、睨む者に注目され、マルシオは大恥をかかされてしまった。
 ティシラには二度とついてくるなと釘を刺したものの、そのとき講堂にいた者に未だに指を指されることもある。弁解したいが、その場所も機会もない。そのうち忘れてくれるだろうと、マルシオは必死で気にしないふりをした。
 マルシオが講義に参加しようと思ったのは、人間の感覚に近づくためであった。もちろん、位のある魔法使いの話は深みがあり、役に立つ。だが、それ以上に人間の心理を知るために、今の環境の中では一番近い場所だと思った。
 今までは魔法使いを自分と同じ目線で見ていたが、それを変えてみるといろんなものが見えた。人間の魔法に対する心、天使や魔族への見解。後者に関しては、当人であるマルシオからすると間違った知識も見受けられるが、そこは否定せずに今の時代の人間の認識として受け取った。上から見るのではなく、隣に並んで会話を聞くという姿勢をとるだけで、マルシオは視野が広がったことを体で感じることができた。同時に、「体で感じる」という感覚を「これだ」と学習することができたのだ。
 マルシオにとって大事な勉強だった。講義に通ってまだ数回、相変わらず友達はできないが、相変わらず欲しいと思っていなかった。完全に拒絶しているわけではない。ティオ・メイの敷地内であるここでは、少し知人もいる。だがその顔ぶれは誰もが一目置くサイネラやダラフィンであったり、今は魔道機関の神官の立場である、メイの女王ライザであったり、時々自分に会うために講堂に紛れ込んでくる、ギリギリの変装をした国王陛下トレシオールだったりと、あまり表立っては会話し辛い者ばかりだった。マルシオは、他にも人に言えない秘密を抱え込んでいる。立場は名もない魔法使いだったが、同じ位置にいる若いそれらと、何の隔たりもなく会話するのは無理だと思っていたのだ。

 講堂内の人が少し減ってきたところで、マルシオは荷物を片付けて席を立つ。誰とも目を合わせないまま、講堂を後にし、またトールが待ち伏せしていないか警戒しながら中庭に出る。天気は穏やかだった。自然と無防備になる。
 マルシオはこの中庭が好きだった。講義に来たときは、帰りに一度は立ち寄る。人工庭園とはいえ、たくさんの緑に囲まれ、数多の魔法使いによる魔力を受けて、木々がきらきらと光って見える。
 昔は、もうパライアスには正当な魔法はなくなったと思っていた。だが、今となってはそれにこだわる必要はないと思うようになっていた。もちろんランドールの魔法は、アンミールのものよりずっと高等かつ神聖である。だが、元々ランドールとアンミールの魔力は種類が違う。アンミールがランドールの魔法を使うには、かなりの苦労が必要だ。むしろ、それこそ向いていないと言っても過言ではない。
 ウェンドーラの屋敷の書物を読んで知ったことではあるが、瞬間的に移動する魔法、つまりアンミールで言う「依送の法」も、実は他に簡単な方法があったのだ。マルシオはそのことをクライセンに尋ねた。この方法を教えれば、アンミールは喜ぶだろうし、魔法ももっと発展すると。簡単に広める必要はないが、せめてアカデミーに伝えればこれから役に立つに違いないと、目を輝かせて語った。だがクライセンはそんな彼を一瞥した。どうやらまた自分の発言が愚かしいことであると悟るが、理由を知りたかった。クライセンは素直には語らない。どうしても知りたかったマルシオは、師をいろんな手段で問い詰めた。やっと重い口を開いたクライセンは、こう言った。
「そんなことはラムウェンドも、アカデミーを管理する者なら誰でも知ってる。教える必要がないから教えてないだけだ」
 その意味は、すぐに分かった。アンミールの魔力では扱いきれないからだ。マルシオはつくづく自分の薄学さ、軽薄さを思い知った。確かに、教えられなくても考えれば分かることじゃないか、と自分を責めて、また落ち込んだ。
 その代わりに、マルシオは簡単に移動ができるその術を身につけることができた。天使とランドールの魔力の種類が同じだということを知り、試してみるとすぐに感覚を掴めたのだ。ただし、調子に乗って一回であまり遠くへ行かないこと、人に見られないこと、先を見通すことを怠らないこと、焦っているときは使わないようにとクライセンからきつく言われた。その言いつけを守りながら、本当は一週間もかかるティオ・メイまでを、マルシオは一時間もかけずに行き来できるようになった。
 そんなことを繰り返しているうちに、ランドールとアンミールの違いを学ぶことができた。今だから分かるが、アンミールはランドールの真似をすることはできないし、する必要もないのだと思った。アンミールの人々も長い歴史を経ながら、言葉ではなく、そのことを体で感じて進化していっているのだ。
 そう思うと、アンミールの手で作られた、誰の真似でもないこの緑の箱庭がひとつの芸術にすら見えてくる。人間は強い。この世界に根を下ろすと決めた一人の天使は、その言葉を心のなかで何度も繰り返してきた。

 緑が放つ木漏れ日に見とれている彼に、誰かが声をかけてきた。
「あの……」
 最初は呼ばれているのが自分だと、すぐには気が付かなかった。声の主は、もう一度、少し大きな声で同じ言葉を繰り返す。
 マルシオはやっと振り向いた。そこには、魔法軍の制服を着た見慣れない少年が笑顔を向けていた。見た目はマルシオと同じ比に見える。揃った茶色の短い髪に、丸縁の眼鏡が知的で大人しい印象を与える。マルシオは誰だろうと思いつつ、何か用でもあるのかと軽く頭を下げてみる。少年は更に白い歯を見せて微笑む。
「初めまして。僕はカームと言います」
 少年カームは、握手を求めて手を差し出す。名乗られても、マルシオは彼が何者なのか分からない。とりあえず、戸惑いながら握手を返し、すぐに手を離した。
「突然、失礼しました」カームは笑顔を絶やさずに続ける。「講義に参加され始めたのは、最近ですよね。その綺麗な銀髪に目を引かれて、つい気になっていまして、それからというもの講義に出るたびにあなたの姿を探すようになってしまったんです。それで、よろしかったらお話させていただきたいと思って、声をかけさせていただきました」
 マルシオはカームの言葉を素直に受け入れられなかった。彼の態度にも笑顔にもまったく悪意はないのだが、こんなふうに真正面から話しかけられたのは初めてだったのだから。今までに、何度か隣に居合わせた者に声をかけられたことはあったが、愛想のないマルシオの態度に、大体はそれ以上踏み込んでこない。それは今も例外ではなかった。ここまで好意的に接近してきたカームに対し、にこりとも、返事もしない。だがカームは気にしなかった。
「よろしかったら、お名前をお聞きしてよろしいでしょうか」
 警戒しつつ、マルシオは小声でポツリと呟く。
「……マルシオ、だけど」
 すると、途端にカームは笑顔を更に輝かせ、一歩前に出る。
「マルシオさんとおっしゃるのですね。いい名前ですね。どうか、僕のことはカームとお呼びください。申し遅れましたが、僕は魔法軍所属、サイネラ様の七番弟子をさせていただいている者です」
「えっ」マルシオはやっと自然な声を出す。「サイネラ様の?」
 そんなに若いのに、と意外な気持ちとともに、カームへの興味を持った。
「はい」カームは少し恥ずかしそうに。「こう見えてもう年齢は百を超えております。いつも子供に見られてしまいますし、僕のような未熟者がと、批判されることもありますが、サイネラ様はそんな僕に自信を持つようにと諭してくださいます。とても有難いことです」
 マルシオは、その言葉にいろんな感想を持った。まず百歳、と言われても、自分はもう九百を超え、もうすぐ千年を迎えようとしている。自分よりずっと年下じゃないかという気持ちが、彼への警戒を解いていく。
 そして、彼の実力がどんなものなのか知るところではないが、印象としては確かに頼りなさそうに見える。正直、魔法使いで百という年齢は若い方だ。それなのに、と思う。サイネラに選ばれたということは、いつか魔法軍の上に立てると約束されたのも同然なのだ。自覚はなかったが、マルシオは少しショックを受けていた。
 それは幸いにも表情には出ていなかった。カームは笑顔のまま続けた。
「マルシオさんは、どこの所属でいらっしゃいますか?」
「えっ」
 早速の苦手な質問に、マルシオは目を丸くした。
「魔法軍の方ではありませんよね。どなたか、名のある魔法使いのお弟子さんかとお見受けしましたが」
 マルシオは暗い顔になる。それは聞いて欲しくなかった。なぜなら、クライセンの名は決して出してはいけないと誓わされていたからだった。クライセンが人格者かどうかは別にして、魔法使いとしては、誰もが認める「王」だ。きっとこの世界の魔法使い、いや、それに限らず大人から子供までがその名を知らない者はいないほどだ。
 だが、当の本人は魔薬戦争後、しばらく行方不明となっており、最近やっと復活したかと思うと、今までと変わらない態度で人前に出るのを嫌がった。復活したときも、その姿を見た者は限られていた。行方不明が定着しているのならそれに越したことはないと、クライセンはマルシオに自分の偽名を与えた。
 マルシオはその名を、呟く。
「……アース」
 カームはマルシオの小さな声を聞き逃さない。口を一文字に結び、少し考える。そして、再び笑顔を灯すが、少し眉尻が下がっていた。
「アース様とおっしゃる魔法使いですか?」気まずそうに目を逸らし。「……僕の無知で大変失礼な思いをさせてしまいますが……は、初めて耳にするお名前です」
 当たり前だ、とマルシオは思う。そんな魔法使いなど存在しないのだから。カームは気の毒そうな顔を隠せなかった。面白くない。マルシオはすっかりへそを曲げて、今すぐ帰ってクライセンに愚痴ってやると心に決めた。
「カーム、だったね」マルシオは一歩足を引きながら。「悪いけど、今日はもう帰るんだ」
「あ……」カームは悪いことを言ってしまったと後悔しながら。「ごめんなさい。次にお会いするときにはアース様のことを勉強しておきます」
 勉強したって無駄だ。それに次は、ない。マルシオはそう思いながら、師から学んだ作り笑顔を送った。
「ああ。修行、頑張れよ」
 心にもない言葉を残して、マルシオは背を向ける。
 穏やかな天候の下、二人の若い魔法使いが出会った。それは縁でも運命でもない、ほんの小さな友情の始まりに過ぎなかった。



<< Back || TOP || Next >>


Copyright(c) RoicoeuR. All rights reserved.