StarElevation
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 マルシオは帰るなり、今日はリビングでくつろいでいた彼に怒鳴り散らす。クライセンは新聞に目を通しながら答える。今日は機嫌は悪くないようだ。
「ああ、貰った気がする」
「気がするじゃない。ってことは、お前は軍に所属してるのか」
「元々リヴィオラはティオ・メイのものだ。何でもかんでも自動的に名前や立場を与えられてしまうんだよ。私は軍に関わったこともないし、関わる気もない」
「つまり、バッジを持ってるんだよな」
「貰った気がする」
「どこにあるんだ」
「失くした」
「嘘だろ?」
「捨ててないならこの屋敷のどこかにあるんじゃないか? 見たければ探せ」
「この屋敷のどこかって、あんな小さいもの、見つかるか」
「じゃあ、諦めろ」
 マルシオは絶句しながら、彼の向かいのソファにへたり込んだ。かと思うと、再び背中を伸ばす。
「カームが昇格したって、また自慢してきたんだよ」
 またカームか、とクライセンは呆れながらも新聞から目を離さない。
「なんでだよ。俺の方がよっぽど魔力も強いし……それに、絶対魔法使いとしても成長してるはずだよ。なのに、なんで俺には自慢できることが何もないんだよ」
「知らない」
 クライセンは一言、即答する。顔色ひとつ変えない彼に、マルシオは苛立つ。
 眉を寄せて、体を微かに振るわせる。言ってはいけない言葉を我慢していた。言ってはいけない。分かってはいるのだが、言わずにはいられなくなる。
「……お前のせいだ」
 クライセンは聞いていないのか、それとも聞こえてないのか、まったく反応しなかった。
「お前が、そんなんだから、俺だけが惨めな思いをしなくちゃいけないんじゃないか」
 今度は確実に聞こえたはずだ。それでもクライセンは冷めた目のまま、悠長に新聞をめくる。
「お前が魔法王だからって、何だってんだよ。本なんか誰でも読めるじゃないか。お前は何も教えてくれない。魔法王の弟子だからって、誰も褒めてくれない。俺だって一生懸命なんだ。お前の言う通り、向いてないかもしれない。だけど、お前は認めたじゃないか。なんでだよ。何のために俺を弟子にしたんだ」
 マルシオは言った後に、少し後悔した。だが、言いたいことは言った。答えを待つ。聞いてないようで、彼は必ず何か口を開く。付き合いは長い。もうその流れは理解している。
 マルシオがじっと、どこか怯えたような目でクライセンを睨んだ。数秒後、彼は目線も変えないままで、答える。
「じゃあ、お前は何で私に弟子を志願した?」
 マルシオは息を飲んだ。突然言われても、的確な言葉が思いつかない。強いから? 偉いから? 知識があるから? そんなありきたりの理由で彼の下にいるのか。マルシオは迷った。しかしそれを振り払う。
「お、俺が質問してるんだよ」
「私はお前の師匠だ。口答えをするな。こっちの質問に答えろ」
 こんなときばっかり、師匠風を吹かすなんて。マルシオは悔しくて仕方がなかった。悔しくて、目頭が熱くなる。
「……師匠なら、師匠らしいとこ見せてみろよ」
 クライセンはやっとマルシオと目を合わせる。だが、まるで馬鹿にしたような態度で、すぐに新聞にそれを戻した。
 もう限界だった。マルシオはこみ上げる涙を抑え、拳を握った。
「からかってるんなら、度が過ぎる」
 そこで、淡々としたクライセンの言葉が追い討ちをかけてくる。
「君はいつの間に師に指図できるほど偉くなったんだ?」
 マルシオの感情が昂ぶる。つい大声を出してしまった。
「お前なんか師匠じゃない」
「ああそう」クライセンはやっと新聞を畳み、顔を見せる。「じゃあ、君にいい提案をしてあげよう」
「……なんだよ」
「お世辞で持て囃して欲しければサイネラに頼め。位が欲しければ今すぐメイの魔法軍に入れ。君の実力なら、頑張ればナイトの称号がもらえる。それは私が保証してやるよ」
 クライセンの目は鋭く、冷たかった。彼が自分の力を認めるような発言をするのはかなり稀だ。だが、決して褒めているのではない。明らかに見下している。馬鹿にしている。
 マルシオの胸に、グサリと何かが刺さった。痛い。もう嫌だ。努力して、なんでこんな言われ方をされなければいけないのだ。マルシオは納得がいかない。それに、なによりも悲しかった。どうして分かってくれないんだろう。
 ただ、たまにでいい。優しい言葉が欲しかっただけなのに──。
 張り詰めた空気の中、何よりも今来てはいけない、来るべきでない者が顔を出した。ティシラだ。入ってくるなり、この場に相応しくない笑顔でマルシオに近づいてくる。
「やだ、何? この重い空気」ティシラはわざとらしく、高い声を上げる。「あ、マルシオ、暗い顔してるわね。また喧嘩? いい加減にしなさいよ」
 ティシラは無神経にマルシオの頭を撫でてくる。
「どうせお師匠様には力でも口でも適いやしないんだから。いっそのこと、魔法使いになるの、諦めたら?」
 そう言って、ケラケラと笑い出す。さすがのクライセンも片手で顔を覆ってため息をつく。
 マルシオは、黙って立ちあがった。その表情はいつも以上に険しい。ティシラもその迫力に圧されて笑うのを止めた。
 マルシオは何も言わずに室を出て行く。重苦しいものだけを残して。ティシラは彼の背中を見送った。
「……マルシオ。どこ行っちゃったの?」
 理由も分からないまま、ティシラはソファで肩を落としているクライセンに尋ねる。
「たぶん、家出」
 しんとなった室内にコーヒーの匂いが漂ってくる。またサンディルが特製の巨大なサイフォンで自慢のコーヒーを淹れているようだ。味は確かに極上だが、いい加減飲み飽きた二人は同時に胃痛を感じた。


*****



 もう陽は落ちかけていた。
 ティオ・メイに一日で二回訪れたのは初めてだった。マルシオはとぼとぼと石橋を歩いていた。
 その場に耐えられずに出てきたものの、どこに行く宛てもなかった。本当に魔法軍に入るわけにはいかない。いや、それでいいのかもしれないと、いろんなことを考えていた。だが、城に向かう足取りは重い。
 今は何も分からなかった。誰かに話したい。いっそのことどこかに消えてしまいたい。マルシオは俯いたまま、時々すれ違う人の顔も見ないまま、ゆっり、ゆっくり歩いていた。
「マルシオ君」
 呼ばれて、マルシオは現実に引き戻されたような感覚を覚えた。とっさに顔を上げた。視線の先には、サイネラが微笑んでいた。
 サイネラは波打つ長いブロンズの髪を揺らしてマルシオに近づいてくる。彼はクライセンのことも、マルシオが弟子であることも知っている。マルシオはまた涙が出そうになった。すべてを知る者に会えたからだ。足を止めて、サイネラから近寄ってくるのを待った。
「その銀の髪は、夕日によく映えるね」サイネラの口調はいつも優しい。「遠目でもすぐに分かったよ」
 マルシオは軽く頷くだけで、何も言わない。
「最近講義会に出席しているね。何度か見かけたし、カームとも仲良くしてくれているらしいね」
 マルシオはふっと目線を上げる。
「カームから……何か聞いてますか」
「ああ。いい友達ができたと喜んでいたよ。しかし、アースのことを聞かれたときは、少し可笑しかったけど」
 サイネラは冗談ぽく笑ったが、今のマルシオには気まずい会話だった。再び暗い顔になる。それを悟り、サイネラも表情を消す。
「でも、こんなところで、一人でどうしたんだい? もしかして講義が終わってから、ずっとここにいたわけじゃないよね」
 マルシオは答えなかった。何度も同じことを考えていた。せっかくサイネラに会えたのだ。思い切って弟子入りを志願してみようか。いや、あまりにも唐突過ぎる。せめて相談くらいなら……それよりも魔法軍の詳しい話でも聞いてみようか。今は「戻る」ということは考えられなかった。あれだけ、よってたかって馬鹿にされたんだ。許せない。見返してやりたい。それに、このままでは行くところが、ない。
 そんなマルシオの様子を伺いながら、サイネラは橋桁に凭れて沈む夕日を眺めた。
「マルシオ君」今までと口調が変わっていた。「私はね、君が羨ましいんだよ」
 その突然で、意外な言葉に、マルシオは耳を疑った。
「いつか機会があれば話そうと思っていたんだ。今なら、言える。聞いてくれるかい?」
 サイネラは目を丸くしているマルシオに顔を向けた。優しく微笑んでいた。マルシオも無意識に彼の隣に並ぶ。
「魔法使いとして、『魔法王』の下で修行ができるのだから」
 そう続けるサイネラに、マルシオは少し眉を寄せた。また魔法王か、と思うが、黙って話を聞く。
「彼を知る者は、一度は弟子入りを志願したものなのだよ」
「えっ……」
 次のこの言葉で、マルシオの凝り固まっていた感情がふっと緩やかになった。
「ラムウェンド氏も、先代のオーリス様、そして、もちろんこの私もね。だけど、彼は私たちを一切受け入れなかった。力を試させてももらえずに、何度、誰が頭を下げても門前払いだった」
 サイネラは昔を思い出し、その情景を消え入る夕日に重ねた。
 マルシオは僅かに瞼を落とした。きっとサイネラは遠まわしに慰めようとしてくれているのだと思う。クライセンが世間的に「偉い」ということくらいは知っている。だが、サイネラやラムウェンドのような地位ある者が諂うほどであるとしても、自分には関係ない。そう思った。性格が悪くて、思いやりがなくて、弱者を虐げる。どうしてみんなはそれを認めないんだろう。そうやって世界中で褒め称えるから調子に乗るんじゃないのか。
 あんな奴……。
 マルシオはふっと続きを飲み込んだ。なぜだろう、恨みが募れば募るほど、憎めなくなる。あんな奴、と繰り返すが、それ以上出てこなかった。
「正直、君がクライセン様の弟子だと聞いて、信じられなかった。僅かだが、漠然と負けたような気がしたんだ。だけど、自分の尊敬する彼が決めたことだと思えば素直に祝福することができた。なぜ彼が君を選んだのかは私の知るところではない。分かることは、君がクライセン様の最初で最後の弟子であることだけだ」
 サイネラは少し間を置いた。夕日が完全に落ちた。再び話を続ける。
「まあ、クライセン様は変わり者だし、それ以上に計り知れない力を持っていらっしゃる。君は若い。きっといろんな意味で、想像以上に大変なんだと思うよ」
 マルシオは、分かってくれる人がいる、と思うだけで心が軽くなった。クライセンを知る者は、きっと誰でも同情してくれているんだと思い込む。また涙がこみ上げたが、今度のは安堵からのそれだった。
 サイネラは横目で彼の表情を見て、目を細める。
「……だけど、これだけは分かって欲しい。クライセン様は、君を必要としているのだ」
 マルシオは体を揺らした。
「師弟関係とは、ただの力の譲り合いではない。弟子は師を尊敬し、師は弟子にすべてを託す。そこには強い信頼関係がなければ成り立たない。だからこそ、私は君が羨ましいのだ。唯一の魔法王である彼が選び、持つものを、君になら譲ることができると判断したということなのだ。私にとっては奇跡と呼ぶに相応しい栄光だ。辛いこともあると思うが、どうか……私の尊敬する彼の力になってあげてください」
 サイネラは体をマルシオに向け、目を伏せて頭を下げた。マルシオは慌てて目を泳がせながら、慌てて声を上げる。
「サ、サイネラ様、やめてください。俺なんかに頭を下げるなんて」
 サイネラは体を起こし、夜となった空を再び仰いだ。
「直接クライセン様のお力になれないのなら、陰ながらでも支えたいと思うのだよ。もし何か悩みがあったときは、人目など気にしなくていいから、いつでも相談しておくれ」
 暗くなった空の下、サイネラはマルシオの心を読んだかのように微笑んだ。マルシオは、その言葉だけで十分だった。話さずとも繋がる。それが魔法使いの心。マルシオは自分も一端のそれなんだと、改めて自覚した。特別に抜きん出ているわけでも、劣っているわけでもないのだ。身分や位に固着した自分が愚かだったと思う。悲しかったのは自分だけでなく、クライセンもそうだったのかもしれない。
 自分はクライセンを尊敬するから弟子になった。クライセンは自分を必要としてくれたから弟子にしてくれた。彼の言うとおり、名声が欲しいならその辺にいくらでも転がっている。だが、自分はそれ以上の大事なものを手に入れていたのではないか。それをこんなくだらないことで踏み躙ってしまうなんて、許されることではなかった。
 そうだ。自分は、クライセンの「魔法王」ではない姿を知っている数少ない者の一人だということを思い出す。同じ屋根の下で生活しながら、遠慮なくくだらない話ができる。ティシラの我が儘に、サンディルの親切の押し売りに、ジンの闇討ちに一緒に頭を悩ませることができる。そして、彼の八つ当たり、自分のドジにそれぞれが手を焼いている。端から見れば、少し極端かもしれないが、ごく普通の家族に過ぎないではないか。特別でも何でもない。クライセンは能力など必要としていないのだ。そんなものは余るほど持ち合わせている。師弟である前に友だということを、こんな大事なことを見失っていたことに気がつく。
 そう思うと、一般的な師弟関係のように、弟子は一歩下がって師を奉る姿なんて、自分たちの間に成り立つはずがない。だからこそクライセンは自分を選んだのではないだろうか。決して門前払いではなかった。彼はちゃんと考えてくれたのだ。だけど、そんなに難しいことではない。いつの間にかではあったが、家族であり、友である自分に心を許してくれた。当たり前だと思っていた日常に答えがあったのだ。
 クライセンは、そして他のみんなもきっと自分が帰ってくるのを待っていてくれている。
 早く帰ろう。自分を必要としてくれている場所へ。マルシオは急に家が恋しくなった。
 いつの間にか、空と反比例して明るくなっていたマルシオの表情は、星の光を浴びて淡く輝いていた。サイネラは、その美しさに目を奪われた。意識を保って、改めて彼の神秘的な潜在能力の存在を確認する。
(……なぜ彼が選ばれたのか……悔しいが、認めるしかないようだ)
 サイネラは薄く笑みを返す。マルシオは一礼して、体を捻る。
「ありがとうございました。あなたと話せて、よかった」
 言い終わって、すぐにマルシオは帰路へ向かった。サイネラは無邪気な少年の背中を見えなくなるまで見送った。



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