NightmareLovers
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 魔界都市ヴィゼルグ。ここは赤い目を持つ吸血鬼ブランケル・アラモードが頂点に立つ世界。妻である魔界一の美女アリエラとの間には、彼と同じ色の瞳を持つ一人娘ティシラがいる。
 生まれて三百年ほど経つが、ティシラは少し成長が遅く、生まれて三百年ほど経つが、まだ軽く抱き上げられるほど幼い。ティシラは明るくて素直でよく笑う。そしてよく怒り、よく泣く。二人はそんな娘を心から愛し、大事に守り、彼女の幸せだけを心から願い続けていた。


 毎日を幸せで平和に過ごしているアラモード一家は、魔界都市を一望できる城のテラスで寛いでいた。巨大で壮大なアラモードの城の足元には、所狭しと豪華な建物が立ち並んでいる。だがそのどれも、大きさや装飾でアラモード家に適うものはなかった。魔界の貴族は派手好きで見栄っ張りな者が多いが、ブランケルの負けず嫌いで傲慢な性格には誰もかなわない。ゆえに、目立つと魔王に睨まれてしまい、下手すれば魔界から追放されることもある。そのためこの世界の貴族たちの間には、必要以上に出しゃばっては生きていけないという理不尽な定説が当たり前に存在していた。
「ここから見える全部がパパのものなのよね」
 ティシラは城下を眺めながら、目を輝かせていた。ブランケルは得意そうに胸を張る。
「そうだ。パパはこの世界で一番強いんだからな。誰も私には逆らえない」
「パパって凄い」ティシラはブランケルの首に腕を絡め。「素敵。私、パパのお嫁さんになりたい」
 ブランケルもすっかり上機嫌で、ティシラの頭に頬ずりする。
「いいとも。お前は本当に可愛い娘だ。私の大事な宝だ」
「パパ大好き」
 ティシラの浮かれた一言一言で、ブランケルはどんどんだらしない顔になっていく。そんな二人を黙って見つめていたアリエラが隣でため息をつく。
「あなた」
 途端、ブランケルは笑顔を消して背を伸ばした。彼はアリエラの声を聞くだけで彼女の機嫌が伺える。何やら物申したい様子を素早く察知した。顔を上げると、やはりアリエラの向ける目は冷たかった。
「ちょっと、どういうこと」二人に一歩近づき。「ティシラをお嫁さんにしたら、私は一体どうなるのよ」
 冗談、のはずだが、アリエラは真面目な顔をしている。
「ア、アリエラ、何を言ってるんだ」
「いつもいつもそうやってティシラを甘やかして。いい加減にはっきりしてちょうだい。私とティシラ、あなたはどっちが大切なの」
 ブランケルの額に汗が流れる。
「ど、どっちなんてあるか。お前もティシラもどっちも大切だ。いきなり何を言い出すんだ」
「どっちもなんて、そんな都合のいいこと通るわけないでしょう。あれはあれ、これはこれとか言いながら、いつもそうやって他の女を口説いているのね」  ブランケルの顔が青ざめた。腕の中でティシラが笑顔を消してじっと自分の顔を見上げている。
「そ、そういうことを……ティシラの前で言うんじゃない」
「私が何も知らないとでも思っているの。サキュバスの情報網を甘くみないでちょうだい。特に男に関することは、誰かが耳打ちした噂さえ聞き逃さないんだから」
「だ、だから、そういう話は……」
 ブランケルの腰が引ける。アリエラはもう一歩近づき、目を細める。
「この際はっきりしてもらうわ。私とティシラ、どっちか、選んでちょうだい。私は一番じゃないとイヤなの。ティシラを選ぶと言うならそれも結構。ただし……そのときはどうなるか、あなたなら当然分かっていらっしゃるわよね?」
 ブランケルの微かな震えがティシラに伝わる。怯えるブランケルの赤い目に涙が浮かんでいた。それが零れ落ちる前に、ティシラが声を上げて泣き出した。
「ママ、ごめんなさい」
 ブランケルは慌てて、ティシラを抱く腕に力を入れた。
「パパはママのものなのよね。もうパパのお嫁さんになるなんて言わないから、お願い、喧嘩しないで」
 今にも釣られて泣き出しそうなブランケルの腕から、アリエラはティシラを連れ出す。優しく微笑み、泣きじゃくるティシラの頭を撫でながら。
「いい子ね。それでいいのよ。人の男に手を出そうなんて、まだティシラには百万年早いのよ」
「はい、ごめんなさい。ママ」
「大人になったらいくらでも男を選ぶことができるようになるわ。それまではいい子でいなさい」
「はい」
 子供に向かって非常識なことを言うアリエラに、誰も文句は言えなかった。ブランケルも涙目で固まっている。本当は逃げ出したかった。文句など言えるはずがなかったのだ。これは、自分の後ろめたいことに対する仕置きだ。アリエラがどこまで知っているのか分からないうちは下手なことは言えない。
 どちらにしても、きっとこれからもそのことでイビられるだろう。自分から白状して謝った方がいいのだろうか。いや、もしかするとカマをかけられているだけなのかもしれない。そうだとしたら墓穴を掘ることになる。どうしよう、どうしようと心拍数を上げているブランケルを他所に、アリエラは細い指先でティシラの涙を拭った。ティシラは顔を上げて。
「ママ。私ね、ママみたいな美人になりたいの」
「あら、あなたは私の子だもの。絶対に綺麗になれるわよ」
「本当?」ティシラは顔を赤らめ、微笑む。「私はママが大好き。ママは世界で一番の美人だもの。ママは私の憧れなの」
「じゃあ、あなたは世界で二番目の美人なのね」
「嬉しい。じゃあ、私、パパのことは諦める。だから、ママの二番目に好きな人のお嫁さんになる」
「そう。二番目ならいいわよ。あなたにあげる」
 その発言に、ブランケルは黙っていられなかった。
「アリエラ! なんだ、二番目ってのは」
 いきなり大声を出す彼に、アリエラは態度を変えない。
「あら、いいじゃない。何番がいたって」
「冗談じゃないぞ。二番だろうが何だろうが許さん。そいつを連れてこい。肉も骨もバラバラに引き裂いてやる」
「パパ」
 興奮するブランケルに、ティシラが怒鳴りつける。
「イヤ、喧嘩しないで! そんな怖い顔するパパなんか大っ嫌い」
 ブランケルはうっと言葉を飲み込む。更に、「あなたにそんな権利があるの」とでも言うようなアリエラの鋭い目線が胸を突き刺してくる。愛する妻と娘になぜか悪者扱いされてしまっているブランケルは、牙をむき出し、涙目で肩を震わせながら項垂れる。その隣で、ティシラとアリエラは女同士の結束を深めていた。  こうしてアラモード家は、毎日を楽しく過ごしていた。



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