NightmareLovers
4





 どれだけ走ったか分からない。二人は倉庫の中で、鏡を見つめていた。足元にはピクシーがうろついている。
 ティシラの危険をアリエラに知らせたのは、他ならぬピクシーたちだった。ティシラはそのことを聞いて、ピクシーたちにお礼を言った。ピクシーたちは嬉しそうだったが、二人にはみんな同じに見えて、実際どれが活躍したのかは判断できなかった。
「ママ、どうしてこんなところに神様がいたの?」
「暇だからよ」
「え、それだけ?」
「そうよ」
「悪いことをして、パパに閉じ込められたってことじゃないの?」
「この鏡は元々呪われたものなの。ここにあるものは全部いわくつきのものばかり。パパは珍しいものが好きだから、つい見たがって収集してしまうの。でも、すぐに飽きてここに放り込む。そのうちに瘴気が溜まって、クロシスが気まぐれに住み着いていたの。ずっと放置されて、ピクシーも近寄ることがなかったからそのことに誰も気づかなかったのね」
「そっか……」
 ティシラは納得できるようなできないようなで、少し瞼を落とした。そっと鏡に指を当てるが、もう鏡面がたわむことはなかった。
「クロシスはどこにいったの?」
「さあね。本来時神は、存在を認知する必要のないもの。今日のことは忘れなさい。いいわね」
 ティシラは俯いて返事をしなかった。本当は見たかった。あそこに映っていた人は、一体誰だったのだろう。きっと見てしまっていたら、自分もあの森にいた腐った魂と同じことになっていたのだと思う。あのときは怖くなったが、もしも相手が素敵な人だったらやっぱりとても嬉しくて、幸せな気分になれていたんじゃないかという不満が残ってしまった。ティシラはどうしても、気になって仕方がなかった。
 アリエラはそんな彼女の気持ちに気づく。もちろん、それが分からないでもなかった。ダメだと言われれば余計に知りたくなるものだ。それでも、ティシラを悪神の悪戯如きで失うことなど許せない。そんなことになったら自分だけでなく、ブランケルだって黙ってはいないだろう。彼なら怒り狂い、相手が神だろうと、例え力が及ばなかったとしても、殺すまで追い続けるに違いない。アリエラは膝を折り、ティシラの頭を撫でた。
「ティシラ」娘を見つめる優しい瞳は、潤んでいた。「あなたが無事でよかった」
「……ママ」
「もし、私の来るのが遅れていたらと思うと……ゾッとするわ」
 アリエラはゆっくりとティシラに細い腕を回した。平静を装っている母親の腕から、微かな震えが伝わった。ティシラはアリエラの心情に気づき、息を飲む。
「未来なんか知らなくていい。あなたは必ず幸せになる。だって、あなたは私たちの宝なんだもの。私たちだけじゃなく、きっとたくさんの人があなたを守ってくれるわ。だから、信じて。あなたは幸せになる」
 ティシラは肩を揺らした。ポロポロと涙を零し、アリエラに抱きついた。
「ごめんなさい……」
 それしか言えなかった。分かってくれたティシラに安心し、アリエラは体の力を抜いた。
「ここだけの話よ」アリエラは柔らかい笑いを浮かべて。「私は、パパよりティシラの方が好き。あなたは私の一番大事な人よ」
「本当? 嬉しい」ティシラにやっと笑顔が戻った。「私も、ママが一番好き」
 そこに、ものすごい剣幕でブランケルが飛び込んできた。
「アリエラ、ティシラ!」
 二人は驚いて顔を上げる。
「どうした、一体何があったんだ」
 ブランケルは息を切らして大きな声を出すが、二人は黙って彼の顔を見上げていた。その様子に、どうやらもう事は終わっているらしいということを、ブランケルは悟った。静かな空間の中、気まずくなって姿勢を正した。彼が目を逸らした隙に、アリエラはティシラに囁く。
「パパが来たら何をするか分からなかったから、私が教えなかったのよ」
 それを聞いて、ティシラは笑いを零した。ブランケルは眉を寄せ、口を尖らせる。
「な、何をこそこそしているんだ」
 アリエラが冷たく言い放つ。
「別に」
 そしてティシラと目を合わせ、くすくすと笑い合った。意味も分からないままブランケルは仲間はずれにされてしまい、ティシラとアリエラは再び女同士の結束を硬くした。


 事件のあった鏡は、他のゴミと一緒に掃除された。もちろん、大量のピクシーたちの手によって。後から何があったのか聞かされたブランケルは、案の定必要以上に憤慨し、それだけは自らの手で粉々に破壊した。鏡が悪いわけではないのだが、そこは突っ込まずに、ティシラとアリエラは傍観していた。
 ティシラの足元に小さな鏡の欠片が飛んできた。ティシラはそれをじっと見つめた。この中に運命の人がいたのかと思うと、やはり寂しさを感じずにはいられなかった。だが、ティシラは決してそれを拾おうとはしなかった。

*****


 その日の夜、寝室でティシラがアリエラの腕を掴み、甘えてきた。
「ねえママ、魔法使いの話を聞かせて」
 いつものことだった。
「また?」
 アリエラは困ったように微笑む。ティシラはどんなに眠くても、アリエラがいる日は、寝る前に必ずこのお願いをしてくる。断られたことは一度もない。ブランケルがいると魔法使いの話題を異常に嫌がり、邪魔をしてくる。だからティシラは彼の近寄れない自分の寝室で、ここぞとばかりにその話をしたがった。
 ティシラはフカフカのベッドに寝転んで、幸せそうな笑顔を浮かべる。
「魔法使いって、困ってる人を助けてくれる優しい人なんでしょ」
「それは少し違うわ」
 そう諭すアリエラに、ティシラは体を傾けて問いかける。
「どう違うの?」
「そうね、困ってる人を助けてくれるときもあるけど、それだけじゃないのよ」
「他に何ができるの?」
「何でもできるわ。でも、何でもしてくれるってわけじゃない。それじゃ誰も、自分で何もできなくなってしまうでしょ」
「そっか。そうだね」もう一度、仰向けになり。「できることは自分でしなきゃいけないのよね。じゃあ、自分でできないことって何だろう」
「奇跡を起こすことよ。魔法使いは人に生きる希望を与えてくれるの」
「本当? 素敵。会ってみたいなあ。魔法使いは人間の世界にいるのよね。人間界へ行けば会える?」
「ええ、人間界にいるわ」アリエラは、少し遠くを見つめた。「でも会えるかどうかは、難しいかもね」
「どうして?」
「今でも魔法使いはいるわ。でも数が少なくなってしまっているの。何よりも、本物の魔法が使える人は……」
「本物って?」
「本物と言っても偽物があるわけじゃないのよ。そうね、本来あるべき魔力、魔法を生まれ持った人はもう……たった一人しかいないの」
「たった一人?」
「そうよ。昔はもっとたくさんいたんだけどね、もうたった一人になってしまったの」
 ティシラは少し瞼を落とす。アリエラの言葉を疑ったことないし、これからもない。まだ見ぬ「魔法使い」を思い描き、枕を引き寄せて抱きしめた。
「一人なんて……寂しくないのかしら」
「…………」
「ねえ、その人は寂しがってないかしら。それとも魔法使いって、魔法で寂しさも消してしまえるの?」
「……いいえ。それはきっと世界一の魔法使いでも使えない魔法よ」
「そんな……かわいそう」
 ティシラは泣きそうな顔になる。アリエラはそんな彼女の髪を撫で、慰めるように顔を寄せた。
「もちろん、他に修練して立派な魔法使いになった人も、これからなる人もたくさんいるのよ」
 だから仲間はたくさんいる、そう伝えようとしていたのだが、最後まで聞かずにティシラは明るい表情になった。
「じゃあ、私もなれるかな」
 ティシラの唐突な発言に、アリエラは肩を竦めた。
「ふふ、おかしな子。あなたは魔法使いになんかならなくてもいろんな力を持っているじゃない」
「やだ、そんなの」ティシラは駄々をこねるように足をばたつかせた。「魔法が使えるわけじゃないもん。魔法使いがいい」
 そんな娘を微笑ましく見つめる瞳の奥には、ふっとアリエラの知る「魔法使い」の姿が映った。
 それは、あのとき、水面に映し出された影によく似ていた。懐かしく、そして忘れることができない姿だった。まさか、と思ったが、例え当人でなくても未来を見ることは許されない行為。本当は、あそこに映った姿を一番確認したかったのは自分だったのかもしれないと、アリエラは自身を嗤った。
「そう。そうね、あなたならきっとなれるわ」
 軽く口にした言葉に対し、ティシラは遠い思いを馳せた。
「そしたら、寂しさを消せる魔法を使えるようになれるかな」
 アリエラに、密かに悲しみが押し寄せた。彼の寂しさ、孤独、それを癒す手段などどこにもないと思うと、どうしても涙がこみ上げてくる。だから考えないようにしてきた。できることなら忘れてしまいたかった。できることなら、自分にその役目があるのなら、担ってあげたかった。
 だが、それは違う。自分の「運命の人」は他の誰でもない、ブランケルなのだから。証拠などなかったが、それだけは疑うことがなかった。ならばなぜ、と思う。どうしていつまでも「彼」のことが気にかかってしまうのだろうと、アリエラは時々悩んだ。
 そして、もしかすると、今日の出来事の中にその答えがあったのかもしれないと思った。もし、あそこに映ったのが本当に「彼」だったら──もしそうならば、アリエラの中にある不透明な思いはすべて解消される。そう思うと、アリエラは自然と笑うことができた。
「さあ……それはどうかしら」
 アリエラはそう呟き、少し意地悪な表情をティシラに向けると、彼女は体を起こして両手をあげた。
「決めた。私、魔法使いになる」
 アリエラは一瞬、瞳を揺らした。ティシラの唐突な思いつきの発言は、時に人を驚かせる。誰もが「無理なことを」と呆れるが、ティシラの無謀さなら不可能を可能にできるような気がしてしまう。何よりも、「無理なのは分かっているが、できることなら叶って欲しい」と思わせることが多かったのだ。だからアリエラは否定しなかった。叶って欲しいと願いながら、はしゃぐ娘の頭を優しく抱き寄せた。
「もう少し、大きくなってからね……」
 ティシラは大きな夢を抱いて、眠りについた。次の日には、もう鏡のことなど忘れ、幸せな未来に向かって真っ直ぐに歩き続けた。<了>



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