SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-36





 ルミオルとロアは、ティシラの突然の行動に目を疑い、止めるのが遅れてしまった。ティシラは大股でサヴァラスに歩み寄っていく。
「ちょっと!」
 儀式の途中に声をかけられたのは初めてで、サヴァラスは驚いて我に返る。瓶を落さないように慌てて握り直しながら、声のしたほうに顔を向けると、そこにはさらなる驚きがあった。
「あっ」
 ただでさえ儀式に集中していたサヴァラスは戸惑い、うっかり瓶を握っていた手の力が抜けてしまう。瓶は細い水を紡ぎながら、穴の中に吸い込まれてしまった。
 サヴァラスはそれを目で追いながら小さく舌打ちし、急いで瓶に魔力を送って粉々に破壊する。同時、穴の奥から湧き出る轟音に似た悲鳴があがった。ティシラは、ただでさえ頭に響いて不快なそれが大きくなったことで、更に苦しそうに顔を歪める。
「ああ、もう! 何やってるのよ」
 サヴァラスは、完全に儀式が失敗したことを認め、必死で精神を落ち着かせた。邪魔されたことは許しがたいが、邪魔をした相手が許す許さないという以前に、なぜここに、という疑問のほうが大きかったのだ。
「あ、あなたは……」
 穴の中で呻き苦しむそれらから気を逸らし、条件反射のように片膝を折る。
 例えその外見に大きな特徴がなかったとしても、魔族には魔族が一目で分かる。それが魔力の強い者なら尚更だった。
 間違いない。それほど面識はないのだが、彼女は魔界の王の一人娘。つまり、否が応にも頭を下げなければいけない相手である。サヴァラスも高い身分の貴族なのだが、その姿が少女でも王族となれば絶対的な権力を持っているのだ。魔族にとって、彼らに諂うことは恥ではなかった。
 それにしても、サヴァラスは脈が早まらずにはいられない。魔界の姫、ティシラが二度目の家出をしたことは耳にしていた。人間界に行ったのであろうことも聞いていたのだが、まさかここで出会うなんて想像したこともなかったのだ。
 それが幸か不幸かは分からない。ただ、この場に自分を制圧する力を持つ彼女が存在することは、少なくとも都合がいいものではない。必要以上に介入してこなければいいのだが、どこまで関わってくるのかを知るまでは、サヴァラスは気が抜けないと考えた。
 ティシラはサヴァラスの前で立ち止まり、穴を覗き込もうとはせずに目線だけを投げる。そして、次第に収まっていく怨念の声と魔力に眉を寄せた。
「あんたが呪樹の主?」
 念の為にではあるが、相手の名を確認したいのはサヴァラスも同じだった。とにかく、一つずつ疑問を片付けていったほうがいいと、サヴァラスは腰を上げる。ティシラの背後から寄ってくるルミオルとロアは、少し距離を置いて立ち止まった。その二人に、一瞬だけ目を向ける。しかし、目の前にいる姫を差し置いて二人に説明を求めるのは失礼にあたると判断し、改めてティシラに頭を下げる。
「……私は、呪樹の主の時期後継者、サヴァラスと申します」
「え?」ティシラはやっと収まった頭痛を忘れて。「主じゃないの?」
「はい。主の息子です」
 そうなんだ、と呟いて肩を落とすティシラに、サヴァラスは姿勢を正しながら。 
「それよりも、あなたはティシラ様でございますね」
「えっ、ああ」まだ名乗ってなかったことを思い出す。「そう。あれ、どうして分かったの?」
「分かりますよ。なぜあなたがここに? 噂ですが、また家出をされたとお聞きしましたが、まさかこんなところに……」
 再び、ティシラは気まずそうな顔になる。家出のことは聞かれたくない。背後にいるルミオルたちにも知られたくないと思い、焦りを隠した。
「わ、私のことはいいのよ。あんたはここで何をしているの。主はここにいないの?」
「……私は、そこにいる魔法使いに召還され、ここで仙樹果人を育てているのです。主は、ここにはいません。もうご老体です。今は私がほとんど主の代わりに働いているのです」
「ふうん、で……ここで一体、何してるの」
「それは……」
 サヴァラスが言葉を濁していると、ロアが声をかけてきた。
「私が説明いたします」
 ティシラとサヴァラスは同時に彼に注目する。ロアと一緒にルミオルも静かに寄ってきていた。
「彼は私が召還しました。そして、ここでサヴァラスと共に異空間を作り出し、戦士を育てているのです」
 ティシラは訝しげな表情を浮かべるが、まずは黙って話を聞くことにする。
「戦士の育成は、成功しています。現在は数を増やしている段階です。それも近いうちに形になるでしょう。この巨大な穴の中にいるものたちが、その戦士の卵なのです」
 そこまではティシラも予感できていた。聞きたいのは、そこから先である。
「すべては、ルミオル様と私が出会ったところから始まりました」少し瞼を落とし。「……いえ、私にルミオル様の願いを叶える力があったときから、私たちの出会いは決められたものだったのかもしれません。私たちの間に約束が成立し、この世界が芽を出しました。最初はただの、一本の樹でした。それほどの困難もなく、今は『戦艦』と言えるところまで大きくなりました。そして、最終的にはここを『国』と呼べるものにする。それが、私たちの目的です」
 そこで、少しの間が置かれた。次に口を開いたのはルミオルだった。
「俺の国だ」
 はっきりとそう言う彼に、一同は注目した。
「俺は、ティオ・メイの第二王子ではなく、一つの国の王になりたい」
 ルミオルの口調は強く、表情は険しいものになっていく。
「国とは戦力がすべて。戦力の強いところこそが力を持ち、すべてを支配し、頂点に立つことができるんだ。小細工など一切通用しない、圧倒的な戦力。そのたった一つを手に入れれば、誰も俺に逆らう者などいなくなる。メイの国王も……憎き、ラストルも」
 ルミオルは本性をむき出しにし、歪んだ笑みを浮かべた。
「父だから、兄だから超えられないなど、そんなものに縛られる時代は終わる。俺が終わらせてやるんだ。立場や名義など何の役にも立たない、差別のない平等な世界だ。それこそが俺の国であり、この世の真実の姿だ」
 笑うルミオルと、黙って見守るロアとサヴァラス。その傍でティシラは一人、納得いかない様子で眉を寄せていた。思うことはあるのだが、なぜか、口出しできないでいる。それに気づき、ロアが続ける。
「……魔界と、似ているでしょう?」
 ティシラははっと顔を上げる。
「あなたの世界、魔界もそう。あなたの父親である魔王が、誰も超えられない魔力を持つからこそ、彼を中心に国家が成り立っている。そうでしょう? あなたなら、ご理解できるのではないでしょうか」
 確かにロアの言うとおりであり、ティシラは言葉を失った。
「ルミオル様は魔界を真似ようとされたのではありません。たまたま、彼の考えがそれと似ていただけのことです。だから私がサヴァラスを呼び、力を借りてルミオル様の願いを形にしようとしているのです。ここに、一つの国を、大いなる戦力を作り出す要素が揃っています。故に今、現実になろうとしているところなのです」
 たった三人で、一つの国を――ティシラはまだ確信が持てなかった。それに、疑問はすべて解消されたわけではない。
「……それで、国を作って、どうしようと思っているの」
 声を落とすティシラに、ルミオルが答える。
「ティオ・メイを落す」
「…………!」
「俺にも力があることを、メイに思い知らせてやりたいんだ」
「そ、そんなこと」
「できないと?」ルミオルはティシラを睨み付けた。「言っただろう。ここには未知の魔法と力があると。メイの魔道のすべてを結集させても解明できない謎の力だ。それこそが、最強と呼ばれるメイの弱点。そこをつけば、少なくとも脅かすことはできる。そう思わないか」
 ティシラが彼の考えを否定できずに息を飲んでいるうちに、ルミオルは早口で続けた。
「現にこの空間が稀に落す影にメイは怯えを見せているんだ。そして、未だ正体を掴めずにいるのが現状。結局奴らは既存のものしか扱えない単純な国家だ。俺はそんな奴らに見下されるのが我慢ならない。欲しいものは己の手で掴んでみせる。そのために、俺は生まれた」
 なんという野心。ティシラは身震いを覚える。ルミオルは、今までこれを隠していたのだ。隠して、愚者を演じてきた。だから理解できなかったのだと、ティシラは思う。
 彼は自分のしていることを分かっているのだろうか。子供が大人の武器を持ち、罪の重さを知らずに過ちを犯すのに近いような気がしていた。しかしルミオルはもう子供ではない。そして、例え今から考えを改めたとしても、もう許されないところまで来ている。完全ではないが、ここまで大きくなってしまった異空間は、一体どんな末路を辿るのだろう。
 感情が昂ぶっているルミオルと、不安を抱えて萎縮しているティシラを宥めるように、ふっとロアは優しい笑いを零した。
「お二人とも、そろそろ一休みいたしませんか?」
 サヴァラス含む三人は、途端に緊張の糸を解いた。
「サヴァラスも、仙樹果人の様子をみなければいけないでしょうし」
 サヴァラスはあっと声を上げた。そうだ。先ほど儀式を失敗し、大事な瓶を落してしまったのだ。その修正をしなければいけないことを思い出す。
「姫様とはまた後でお話できる機会をあげますからね」
 にこりと微笑み、ティシラとルミオルに向き合う。
「さあ、姫様、次はあなたの番ですよ」
 この場の空気を濁すように、ロアは二人より先に扉へ足を進めた。ルミオルも落ち着きを取り戻し、軽くティシラの肩に触れて移動を促した。
 一人その場に残ったサヴァラスは、三人の会話や態度、そして表情からいろんなことを読み取っていた。どうやら、ティシラは自分がここにいることを分かって来たわけではなく、ただの偶然のようである。ならば、と思う。きっと仕事の邪魔をするつもりはないだろう。単純な言い方をすれば、観光のようなものなのかもしれない。二人とどういう関係なのかも気になるが、ロアが動じないということは、今は安心していいはず。
 ティシラとゆっくり話す時間があれば、聞きたいこともたくさんあった。もしかすると面白いことがあるのかもしれないと、サヴァラスは少しだけ口の端を上げる。
 たかが姫、されど姫。ティシラの影響力、存在感の大きさを、今はまだ知らずに。


   

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