SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-48





 もう完全に危険がなくなったことを確認し、気を失っているティシラとマルシオ、フーシャは兵たちに運ばれていった。
 詳しい事情を聞くまでは乱暴なことはできないと、ダラフィンは気を遣いながらルミオルを城に連行する。
 光の連鎖を受けて倒れていたサヴァラスはすぐに目を覚ました。しかしロアに状況を聞かされ、同時に契約の解消を成立させた。ロアはルミオルが、サヴァラスはティシラが心配だったが、力を消耗しきっており、ティオ・メイの兵に囲まれたこの場では動けないと、仕方なく二人は逃げるようにその場から姿を消した。


 ティシラが意識を取り戻したのは、城のベッドで介抱されて二時間ほど過ぎた頃だった。傷は塞がっていたが、まだ痛みは残っており魔力もかなり消耗している状態だった。
 そんなティシラが起きて一番に出てきた言葉は「マルシオは?」だった。
 城の休憩室で休まされていたティシラは、治癒を施していた魔法使いの「まだじっとしているように」という言葉を無視してベッドから飛び降りた。
 カーテンで仕切られた先から、フーシャの嗚咽が聞こえてきていた。ティシラは魔法使いに掴まれた腕を振り切って声の方へ向かった。
 カーテンの先には、ベッドに横たわって眠っているマルシオがいた。その傍らでフーシャが顔を覆って泣いている。隣にはサイネラが椅子に座っており、ティシラを見て立ち上がった。
「ティシラ……大丈夫ですか?」
「うん、私は平気。それより、マルシオはどうなったの」
 あんな目にあった自分のことより、マルシオを心配する彼女に驚きながら、サイネラは重い口を開いた。
「マルシオは……深い眠りに落ちています」
「深い眠り? どういうこと?」
「外傷はありません。しかし、目を覚まそうとしないのです」
 ティシラはマルシオに近付いた。顔を覗き込むと、確かに彼は呼吸をしていた。だが、あまりにも安らかすぎて、死体のようにも見える。
 目が真っ赤に腫れ上がったフーシャが顔を上げ、か細い声を漏らした。
「ティシラさん……マルシオ様が、マルシオ様が……」
「何? 一体どうしたのよ」
 嗚咽で上手く喋れないフーシャの代わりに、サイネラが説明する。
「……おそらく、自分の身に起こったこと、自分のしたことで心が苛まれているのでしょう」
 友を信じられなかったことや、何者かに隙を狙われて世界を危険に晒してしまったことを深く後悔し、深く傷つき、また同じことをしてしまいそうな自分を恐れている。
 だから、目を覚ますことを自ら拒絶しているのだと、サイネラはそう伝えた。
「……なによそれ」ティシラは当然、納得がいかない。「酷い目に合ったのは私じゃない。なんでこいつが苦しんでるのよ」
 ティシラの言うことは正しいのだが、サイネラにはマルシオの繊細な気持ちも理解できる。もしも自分が同じ過ちを犯してしまったら、きっと彼と同じように、皆の前から消えてしまいたいと願うだろう。
「このままでは、マルシオ様は」フーシャは何度もしゃくり上げながら。「人間界で石になってしまわれます。天界にお連れしても、目をお覚ましにならなければ、永遠に眠り続けられるのです。私のせいです……私が弱かったばかりに、マルシオ様がこんなことに……」
 込み上げる悲しみで、フーシャはそれ以上言えなくなった。
 彼女の態度もだが、マルシオの軟弱な考え方も、ティシラを苛立たせるものでしかなかった。
「冗談じゃないわ」マルシオに寄り、胸倉を掴みあげる。「起きなさいよ! 何いい子ぶってんの。罪悪感? そんなもの気にしてたらあんたみたいなドジ野郎、ずっと前から眠りっぱなしじゃない」
「ティシラ、落ち着いて……」
 無抵抗のマルシオを激しく上下に揺らすティシラを、サイネラが止めに入った。ティシラは舌打ちしながら手を離し、脱力したように近くにあった椅子に腰を下ろした。
「……マルシオを止めてくださった魔法使い」
 ロアのことだった。サイネラは結局彼の名前さえ聞いていなかった。
「彼が言っていました。マルシオは、最後に『壊れた』と言ったと」
「壊れた?」
「ええ。その意味を考えました」
 マルシオは自分が何をしているのか、そして、自分の中で何が起こっているのかを知ってしまったのだろう。
 あのままではティシラも、フーシャも、大事な仲間のすべてを自分の手で殺してしまう。それを恐れたマルシオは自らを「壊した」。
 マルシオを操っていた何者かは、彼の体がなければ具現化できない存在だったのかもしれない。だからマルシオは「彼」を封じ込めるために、己を犠牲にして昏睡状態に陥った。きっとそうなのだと、サイネラは話した。
 聞いていたフーシャがまた声を上げて泣き出した。
 ティシラは唇を噛んで、眠るマルシオを睨み付けた。
「助ける方法はないの?」
 マルシオが自分で目を覚ましたいと思わなければ、このまま死ぬまで、もしくは石になるまで眠り続けるということだった。
 つまり、それは永遠の別れを意味する。そんな大事なことを一人で決めてしまわず、ちゃんと相談して欲しいと、ティシラは思う。せめて話だけでもしたいのに、眠った相手とは何も会話はできない。
「……マルシオは悪くない」
 ティシラは俯いたまま呟いた。サイネラとフーシャは同時に顔を上げる。
「マルシオの弱さにつけ込んだ『悪魔』が悪いのよ。それを封じる代わりに、マルシオが犠牲になるなんて、おかしいわ」
 その通りだと、サイネラは思う。しかしどうすれば彼を救うことができるのか、フーシャも分からないと言う。
 そのとき、ティシラは何かを思いついたかのように室を飛び出して行った。


*****



 ティオ・メイの兵に連行されて、大人しく城に足を踏み入れたルミオルは、そのまま腕を縛られることもなく王室へ呼ばれた。
 そこにはトールとライザ、そしてラストルの姿があった。そのほかは数名の有力者と警備兵が数名だけだった。
 その様子に、ルミオルは疑問を抱いた。国を攻撃しようと企んでおり、そのための兵器が明るみに出たのだ。なのに、どうしてこんなに軽い扱いなのだろう。
 ラストルも同じことを思っていた。納得がいかず、眉間に皺を寄せている。
 トールは王冠とマントを身につけた国王陛下の出で立ちで王室の中央に足を進めた。ライザも魔法兵の衣装を脱でおり、いつもの礼装で彼の後に続く。トールは無表情で「謀反者」となった息子を見据えた。
 ルミオルもじっと黙ったままトールを見つめ返したあと、目を伏せて跪く。
 そこに、ラストルが静かに歩み寄ってきた。
「陛下」ルミオルを睨み付けながら、沈黙を破る。「この犯罪者を、どうして拘束せずにこの場へ呼ばれたのでしょうか」
 トールはいつもの柔らかい表情を浮かべた。
「今ルミオルは丸腰だ。警戒する必要はない」
「それは、我が軍が陰謀を暴き、制したからでしょう。牢に閉じ込め、裁き、厳しい罰を与えなければいけません」
「我が軍?」トールはダラフィンに目線を移し。「メイの兵は何をした?」
 ダラフィンは、どこか言いにくそうに答える。
「……我々は、町の人々に避難の指示をし、あの不可解な大木を包囲しました。あとは魔法使いたちが、中で起こる魔力の暴走を最小限に抑えるために強力な結界を作った……だけです」
「負傷者は?」
「兵の中に負傷した者はいますが、軽症です」
「そうか。被害が少ないのはいいことだ。みんなよくやったよ」
 呑気な会話を聞いておられず、ラストルが大きな声で遮ってきた。
「それは結果論でしょう。もしも軍の手配が遅れ、攻撃が始まっていたらどれだけの被害者が出たとお思いですか」
 ラストルの言い分に間違いはなかった。ルミオルも、準備さえ整っていれば手加減なく攻め込むつもりでいたのだから。
 しかし、それでもトールは態度を変えなかった。
「被害? さあ、どれだけだったのだろうね」
 あまりにも楽観的な彼の態度に、ダラフィンや周囲の者もさすがに違和感を抱いた。ラストルの苛立ちは募っていく。
「あれほど巨大な塊が空から落ちてきて、その中では膨大で凶暴な魔力が発生していたのです。大量の死者が出てもおかしくないほどのエネルギーがあったことを、あなただってその眼でご覧になったはずです。その元凶が、この男です。今丸腰だから危険はないと? どうしてそんなことが言えるのです」
「ならば聞くが」トールはラストルに向き合って。「空から何が降ってきた? その降ってきたものが多数の負傷者を出すようなものである証拠は?」
「……な」
 ラストルは言葉を失った。が、トールの言うことに屈したのではない。あまりにも子供じみた彼の反論に呆れの感情を抱いたのだった。
「……ふざけないでください。国の一大事なのですよ。この者は反逆者です。間違って許しでもすれば、今度は更なる脅威を作り上げ、また国を襲ってくるでしょう。危険を孕む悪は根絶せねばならない。あなたには国王として、国を守るために賢明な裁きを下す義務があります」
 トールとラストルは数秒、睨み合った。その緊迫した糸を揺らしたのは、ルミオルだった。
「……父上」顔を上げ、弱々しい声を漏らす。「あなたはまだ私を庇うつもりなのですか」
 室内にいたすべてが彼に注目する。今のルミオルには敵意どころか、生きる気力さえ感じられなかった。
「兄上の仰るとおりですよ。私はあなたを攻撃するために、この国でも解明できない魔法を利用して巨大な世界を作りました。少し予定が狂ったことで、何もできないまま失敗に終わりましたが、本当ならたくさんの人を傷つけるつもりでいたんです。落ちてきたものが、その証明です」
 室内に重い空気が落ちてきた。その中で、ラストルだけが密かに目を細めた。
「……傷をつけたかった。深い傷をつけて、王族の中に卑劣で残酷な男がいたことを、ずっと語り続けて欲しかった。そうすれば俺は人々の心に、悪人としてでもこの名を刻むことができたんだ。そして、お前たち王家に不名誉な歴史を背負わせることができる。それが、俺にできる復讐であり、生きた証を残す唯一の手段だった」
 ルミオルの真実を聞き、ライザは堪らずに涙を流す。女王として崩れてはいけないと、奮えと嗚咽を必死で抑えた。
「だけど」ルミオルは虚ろなまま、口の端を上げる。「これが答えです。何もかもが中途半端で、結局、自分を超える大きな力に叩き潰されてしまいました。誰一人の恐怖を扇動することもできず、呪樹の魔法の残骸さえもう残ってはいません。俺のしたことは風のように消えてなくなりました。あるのは、俺の未消化の怨念だけ。所詮俺は小物なのです。これではっきりしました。心置きなく、消えることができます」
 薄笑いを浮かべたまま肩を落とすルミオルに、誰もが多少なりとも同情した。ライザは今すぐ彼に駆け寄りたい衝撃に駆られたが、今は機ではないと我慢して涙を拭った。
 トールも何も考えていないわけではなかった。ルミオルが起こした騒動の物的な証拠が残っておらず、裁判にかけるのが難しいのは事実。当然、それだけではない。父親としてルミオルを救いたいという思いは強い。それに、今まで黙って苦しみ続けてきた彼の思いを知ったことで伴った心の痛みは、想像していたよりも深かった。
 トールはその痛みを隠して平静を装う。ラストルの主張で無理やり裁判にかけさせることは避けたかった。
「ルミオル、いくつか聞きたい。空から落ちてきたものは、なんだ」
 ルミオルは笑みを消して、大人しく答えていく。
「……魔界にある呪樹の世界を模した空間です。あの中で仙樹果人という凶暴な魔物を大量生産して国を襲うつもりでした」
「その空間は、誰が作った」
「魔界から召還した、高等な魔族です」
「誰が、召還した?」
「……国やアカデミー、どこにも属さないある魔法使いです。酒場で会い、俺が雇いました。その者のことは、俺も詳しく知りません。今現在も姿を消し、どこにいるのかも、呼び出す方法も知りません」
「その魔法使いは、悪人か」
「いいえ。俺の知る限りでは罪や邪道の類は犯していません。だけど、善人でもありません。ただの魔法使いだと、本人が言っていました」
「名は?」
「……彼は法に守られていない者です。つまり、彼に法は通用しません。命令されても、私に答える義務はないと考えます。必要ならばあなた方の力で暴いてください」
 トールは、ルミオルがその魔法使いに敬意を払っていると判断し、興味はあったのだがそれ以上問い詰めなかった。
 そこで沈黙が落ちる。トールの問いに素直に答えたルミオルの言葉を聞いて一部の者は、ルミオルに礼儀というものがあったことに多少なりの驚きがあった。同時、彼の言動には彼なりの理由があり、善悪の区別を持っていたことを初めて知った。


*****



 ティシラは客室を出て北側の屋上へ向かった。
 そこが自分の心安らぐ場所。それだけの理由で、何もないはずのそこへ走った。

 ティシラは階段の途中で足を止める。屋上に、見たことのある姿を見つけた。
 長い金髪を風に揺らすロアだった。彼は一人、遠くを眺めていた。
 ティシラは心のどこかで「やっぱり」と思いながら、縋るように彼に駆け寄った。
「ロア!」
 ロアはゆっくりと振り向き、微笑んだ。
「ティシラ、どうしました? そんなに慌てて。傷に響きますよ」
「そ、そんなことより、ねえ、教えて欲しいの」
「なんでしょうか」
「マルシオ、あいつ、どうなったの?」
 息を上げているティシラを落ち着かせるように、ロアは両手を彼女の肩に置いて少し力を入れた。ロアの掌の広さを肩で感じ、ティシラは自然と体の力を抜いていた。
「マルシオが……眠って、起きないの」
 呟くティシラは、まるで壊れたおもちゃを心配する少女のようだった。
「死ぬかもしれない、って……」
 ロアは手を離し、触れるか触れないかの力でティシラの髪を撫でる。
「彼を、助けたいですか?」
「だ、だって、マルシオは悪くないでしょ?」
 ロアはすぐには答えなかった。その間が、ティシラの不安を募らせた。
「あれは、マルシオじゃなかったじゃない。確かよ。だって、マルシオはあんな力持ってないもの」
「……そうですね。あれは、マルシオではありませんでした」
「でしょう? それなのに、マルシオが死ぬなんておかしいわ。大怪我とかしてるなら分かるけど、あいつ、自分で死のうとしてるってサイネラが言ってたの」
「その通りです。彼は自分で自分を封じるために、眠っているのです」
「なんでよ。ねえ、分かってるなら教えてよ。どうしたら起きてくれるの?」
 勿体ぶったようなロアの態度に、ティシラは焦燥感を抱く。ロアは少し目を伏せ、話し始めた。
「……マルシオを乗っ取った者の正体までは分かりません。私が持つ知識と経験の中にはなかった存在です。私が彼の魔力を通して見えたものは、中でマルシオが何者かに抵抗していたことです」
 おそらく、マルシオは彼の正体を見、知ったのだろう。そして彼がティシラを傷つけていることが分かり、止めようとした。止める手段が、彼ごと自分を殺してしまうことだった。
「問題は、なぜ彼がティシラを殺そうとしていたのか、ということです」
「……え?」
「彼はマルシオの隙に付け込んで、表に出てきた。その隙とは、なんだと思いますか?」
 問われてティシラは考えたが、考えても分かるわけがないこと、今は考えている余裕はないことにすぐに気づく。
「いいから、早く教えて」
「……マルシオが、あなたを殺したいほどの怒りを抱いたからです」
 ティシラは一瞬、息を止めた。なぜ、と思ったとほとんど同時、その理由を思い出した。
「……私が、フーシャを殺したと勘違いしたから?」
「そうです。誤解とはいえ、自分の仲間である天使を、魔族であるあなたが殺した。それはマルシオにとって許せないことだったのです」
 そこには複雑な感情が交差していた。天使を神聖なる存在として尊ぶ気持ち。自分も同じ天使であることへの誇り。
 そして、友達だと信じていたはずのティシラの、究極の裏切り。
「ただし、マルシオが怨念を抱いたのは、きっと、一瞬掠めただけのことだったはずです。誰にでもあるでしょう。かっとなって必要以上の怒りを抱いてしまうことを」
 そういった感情は天使の中に、本来はあり得ないものだった。それでもマルシオに起きてしまったのは、長い間人間界にいた影響で、元々心にあった堅い鉄壁のようなものが緩んでいたためだと、ロアは考えた。
「たくさんのことが重なって、一瞬だけマルシオは過ちを犯してしまったのです。そこに、『彼』が入り込んだのです」
 ティシラには、天使のガチガチの感覚は理解できないが、確かにマルシオは、自分の中にある堅苦しい天使像よりだいぶ砕けているように思う。
「つまり、マルシオ自身が私を恨んだことが原因、ってこと?」
「はい」
 ロアは真っ直ぐにティシラの目を見つめた。
「先に確認します――あなたは、マルシオに命を奪われようとしたことを、許せますか?」


   

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