SHANTiROSE

HOLY MAZE-19





 マルシオとロアは、ティシラから話を一通り聞いて言葉を失っていた。信じがたいが、彼女が嘘を言っているとは思えなかった。
「……ねえ」
 黙っている二人に、ティシラは泣きそうな目を向けた。
「リジーを助けたい。一秒でも早く、あの牢獄から解放してあげたいの」
 ただ助け出すだけならティシラ一人でも可能かもしれない。しかしシヴァリナの村人を人質にとられている。
「協力して。大変なのは分かってるけど……」
 頭の中が整理できないまま、ロアが口を開いた。
「ラストル様も巻き込まれているということですよね。やはり、私たちでは難しいのではないでしょうか……立場によっては、ラストル様も人質にとられるようなものでしょう」
「そうだよ」マルシオも顔を上げた。「お前の気持ちは分かる。でも……ラストルはもちろん、トールたちだって何も考えてないはずがない。とにかく、よく考えて……」
「まだそんなことを……!」
 また同じ会話の繰り返しなのかと、ティシラが身を乗り出した。しかし、その肩をロアに掴まれる。
「焦らないで。マルシオは、まだ気持ちの整理がついてないんですよ」
 ティシラと、そしてマルシオも我に返った。マルシオ自身、そう言われて気が滅入っていることに気づく。頭を抱え、項垂れた。
「……魔法使いが、そんな酷いことをするなんて、信じられない」
 そう呟く彼に、ロアは小さな声で宥める。
「魔法使いだって人間ですから、道を見失うことも、欲に目が眩むことだってありますよ」
「分かってる……でも、自分の罪をなすりつけておいて、拷問したり、シールの国王を唆して、メイを陥れようだなんて……そんなこと、どうして……」
 気持ちが沈んでいくマルシオを見て、ティシラも釣られるように暗い表情になっていった。
「……できることなら、ティシラが見たことが、何かの間違いあって欲しい。何かの理由で、人を殺めてしまったのなら、正直に言って罪を償えばいいのに、どうしてそんな卑怯なことをしてまで……」
 ティシラはもどかしく思うが、マルシオの疑問に答えてやることはできなかった。ティシラも理解できないのだ。どれだけ立派な魔法使いだろうが、考えが変わることも、罪を犯すこともある。それは分かるのだが、どうしてアジェルは途中で引き返すことができなかったのだろう。
 なんにしても、今アジェルのやっていることは許し難い行為である。ティシラとしては悪だろうと善だろうと、仲間が苦しめられている事実を見過ごすことはできなかった。
 ティシラの決意は固まっている。
 それと同時に、マルシオの気持ちも分かるロアが口を開いた。
「まずは休みましょう。慎重にならなければいけないときに疲れていては、事はよくない方向へ行きやすいものです。ラストル様がいつ到着されるのか、その後どうなさるのか、そして町の様子を調べ、ルミオルの意見も聞いてみることができます。状況を見ながら、ゆっくり考えればいいでしょう」
 ロアなりに、急ぎたいティシラと困惑するマルシオの間を取ったつもりだった。それを聞き、二人もいったん力を抜いてそれぞれに息を吐いた。



 三人は部屋の中でそれぞれに体を休めたが、こんな状態でゆっくりと寛げるわけもなく、落ち着かない空気が漂ったままだった。
 マルシオはほとんど別室で一人、窓の外を眺めたりベッドに横になったりを繰り返していた。
 ティシラはそわそわしたままで室内を動き回っていた。一度、いてもたってもいられなくなったかのように部屋のドアに手をかけたが、ソファで仮眠を取っていたロアに素早く止められた。
「いけませんよ。この町のことも、まだ何も分からないのに」
 ティシラは反抗的な目を向けたが、確かに出たからと言ってどこに行くあてもない。自分自身に落ち着くように言い聞かせながら、窓際にあったイスに腰を下ろした。
 空は雲っており、日差しが苦手なティシラでもカーテンを開放していられた。窓の下は大きな道と、それを挟んで大小様々な建物が並んでおり、人々が行き交っていた。高い建物は少なく、空が見渡せる。大通りの先を覗くと、町中に敷き詰められた屋根の向こうに城が見えた。
 長閑な風景を楽しむことなどできず、あそこにアジェルがいるのかと、ティシラは城を睨み付けた。
 むくれた顔で衝動を抑えようと努力している彼女の様子を見て、ロアは微笑んだ。
「……面白いですね」
 笑いを含むロアの声に不快感を募らせながら、ティシラは口を結んだまま鋭い目を彼に向けた。
「あなたとマルシオは、とても仲がいいのに、二人だけでは決して同じ方向を向かない。まるで、背中と背中がくっついているような……」
 知ったようなことを言われ、ティシラは面白くない。つんと顔を逸らした。
 ロアは眉尻を下げつつ、今話すことでもないと思い、再度瞼を落とした。



 無駄なように思える時間が流れたあと、三人はテーブルを囲んだ。外は陽が傾き、気温も下がり始めている。
「先にお話しますね」
 いつもの口調で、ロアが始めた。
「ティシラが森へ意識を飛ばしている間、私は可能な範囲で町の様子を見てきました。雰囲気を感じ取れる程度のことですが、私が感じたのは、シールの人々は魔女を恐れているということです。故に、今回のラストル様の来訪に不安や期待を抱いているようです」
 表情のなかったティシラとマルシオは、やっと目が覚めたかのように背を伸ばした。
「……どういうこと?」
「私も最初は、どうして直接被害の出ていないシールがここまで敏感になっているのか、疑問でした。しかしティシラの話を聞いて、こう思いました」
 ここ数日の間で、カーグとアジェルの方針で、国が必要以上に民を煽ったのではないかと。
「そこで、魔女の事件の解決のために立ち上がり、メイの王子を呼んだことで本格的に事が動くという実感を抱いたのでしょう」
 だが、シールの人々のすべてではないが、過去の歴史を悪く解釈している者はメイをよく思っていない。そういった風潮の中、意見は別れている。メイなどに協力を求めず、シールだけで解決すればいいのにと思う者。そして、メイと力を併せる必要があるほど事件は深刻であり、この二国が一つになればすぐに解決するだろうと期待する者。
「おそらくラストル様は歓迎されるでしょう。ティシラの話のとおりに事が進めば、ですが。カーグ国王陛下はラストル様を持ち上げて気分をよくさせ、自分の言うことを信じさせる必要があるからです。それで、彼らがなぜ、すぐにでもラストル様を迎え入れないかというのは、今のうちに国民の感情を偏らせるため、ではないかと私は思います」
 マルシオは青ざめ、背中に寒気を感じた。
「おかしいよ……なあ、トールに全部話そう。俺たちの話なら信じてくれるよ。とにかく、ラストルにシールを絶対に信用するなって伝えてもらおう」
「そのくらいのことは、幼い頃から教えられていると思いますよ」
「そ、そうかもしれないけど、でも、いくら親切にされても、何を言われても絶対にって、念を押させないと」
「おそらく効果はないでしょう。なぜラストル様だけが呼ばれたか、そこに大きな意味があるのですから」
 マルシオは目線を落として考えた。そうだ、確かに、と思う。どうしてトールがラストルだけを送ったのか、理由は聞いていないが、シール側にそう要求されたのだとしたら、既に罠にかかっているようなものである。そのことをトールが気づかないわけがない。だからと言って、いくらなんでもトールがラストルを囮にしたり見捨てるということは考えられない。きっと罠と分かっているはず。
 しかし、その罠の内容までは知らないのだろう。仕方なくラストルを送った。
 ということは、一番の問題はラストルの未熟さにあり、シールはそこを狙っているということだ。
「……どうして、ラストルは一人で行動しようと思ったんだろう」
 そう呟くマルシオは、悔しそうだった。ラストルさえしっかりしていれば――だが、ラストルに利用価値がなかったら、他の者が狙われただけだったのかもしれない。
 いくら考えても、「例えば」を想像しても、いい未来が見えない。悔しい。マルシオは唇を強く噛んだ。
「もう」そこで、ティシラが口を開いた。「あんたは考え過ぎなのよ。とにかく、何もしないわけにはいかないんだから、事実は事実で認めなさいよ」
「な、何もしないわけにいかないって……俺たちに何ができるんだよ」
「それを今から考えるんでしょ。私の気持ちは決まってるの。リジーを助ける。罪のない村人も犠牲になんかさせないわ。ラストルやメイがどうなろうと、私には関係ないの」
 マルシオは呆気に取られたが、ティシラの言っていることは分かりやすいものだった。
 自由を奪われ苦しい思いをしているのはリジーとシヴァリナの村人である。メイとシールのことは、陰謀が絡んでいたとしても国同士の駆け引きに過ぎない。もしラストルが騙されたなら、それはメイの力不足という結果として、誰もが受け入れるしかない事実となるだけ。
 問題は、神聖なるものであるべきの魔法使いが人々の信仰心を裏切ろうとしていること。そして、この世界では恐怖の対象である魔族が人間に利用され、都合のいいものに変えられてしまいそうなことだった。目に見えなかったものが形になることで様々なバランスが崩れることになる。アジェルがそのことをちゃんと予測しているのか、そうなったあと、どうなるのかを考えているのかは分からないが、起こる連鎖反応は彼一人の力で支えられるものではないだろう。
「わ、分かったよ」マルシオは自信なさげに。「でも俺は、ラストルのことも気にかかるから、できれば助けたい。もちろん罪のない人を助けるのが先決だけど……」
「ラストルなんかどうでもいいじゃない。あんな傲慢な奴、痛い目に合えばいいのよ」
「そうはいかない。俺だって好きじゃないけど、ラストルがダメになったらトールもライザも悲しむし、跡継ぎだっていなくなる」
「あんたには関係ないでしょ」
「俺はこの世界で生きていくって決めたんだよ。まだ完全には馴染めてないけど、ラストルとルミオルのことも小さい頃から見てたし、トールたちの近くにいるうちに、なんとなく、分かったんだ。血筋とか、そういうの」
 ティシラにはマルシオが何を言っているのか分からなかった。跡継ぎや血筋のことは、自分も魔王も娘であることから理解できないわけではない。ただ、そう親しくもなく、王には程遠い今のラストルをどうして庇うのかが不思議でならなかった。
「あいつしかいない、って俺は感じてるんだ。そんなこと、今まで考えたことなかったけど、もしかしたらラストルが王子の立場をなくしてしまうんじゃないかって思ったとき、説明できない不安に包まれたんだ。ラストルは生まれたときから未来の王として育てられてきた。だけど、どこかでおかしくなったんだ。それさえ修復すればなんとかなるんじゃないかって……ルミオルを見て、そう思ったんだよ」
 ルミオルも同じだった。昔、二人は仲がよく、ラストルはいつも屈託のない瞳を輝かせて「弟は自分が守る」と言っていた。
「……たぶん、森での事故が原因だろうけど、ルミオルも同じようにおかしくなった。でも、今ルミオルは元の道へ戻ろうとしているじゃないか。まだ間に合うってことだよ。ラストルも同じだ」
 やっと自分の考えを示したマルシオを、ティシラがじっと見つめていると、ロアが言葉を投げかけてきた。
「ラストル様はメイから引き離されました。父親も母親も、軍隊も、誰も傍にいません」
 マルシオの胸がドキと鳴った。ロアの言葉の意味を考える。次の自分の発言は「決意」以外、許されないと気づき、心拍数を上げていった。
 マルシオは汗を流しながらティシラとロアを交互に見つめ、数秒だけ、待たせた。
 そして、口を開く。
「……や、やるよ。こんなの、間違ってる。許せない。トールたちの代わりにはなれないけど、俺のできることをやるよ」
 マルシオの性格的に完全に信用することはできないが、やっとやると決めてくれたことでティシラの頬が少しだけ緩んだ。ロアもにこりと目を細める。
「そう、あくまで『できること』です。そのことを忘れないでくださいね」
 目的を見誤らないようと思っての言葉だったが、ティシラは水を差されたような気分だった。
 そのとき、窓の外から大きな音が聞こえた。複数の馬車が走る音だと思い、ティシラが急いで窓を覗いた。まさかラストルが到着したのではないかと緊張したが、道を走るそれらは豪華なものではなく、大きな荷物を積んだ騒がしいものだった。
 背後に立つマルシオとロアに、ティシラが尋ねる。
「なに、あれ」
「おそらく、ラストル様を歓迎するための商人や職人たちでしょう」
 やはりシールはラストルを持て成すつもりのようである。馬車の荷台には大量の食品だけでなく、楽器や花飾りなども見え隠れしている。
「祭りでもするつもりなの?」
「そうかもしれませんね。まあ、ラストル様の初の外交ですし、メイとシールという大国の接触ですから、盛り上がってもおかしくはないですが……」
「事件を解決するためでしょ? 変なの」
 ティシラが呆れてため息をついていると、後方からは荷台に大量の人が雑魚乗りしてる馬車が何台も続いてやってきた。
「すごい人……」
「音楽隊や仕立て屋、料理人などでしょうね」
「みんな城へいくのね」
 ティシラが馬車の行列を食い入るように見つめている様子に、二人は嫌な予感を抱いた。もう次の話題へ変えようと思っていた矢先、ティシラは振り向いた。
「ねえ、あれに紛れて城に侵入できるんじゃないかしら」
 やはり、と二人は同時に思った。マルシオが慌てて。
「侵入してどうするんだよ」
「止めるのよ、ラストルを」
「そう簡単にはいきませんよ」と、ロア。「内部に入れるのは関係者だけで、ましてや客人であるラストル様に近づけるわけがありません。どさくさに紛れてできることは、せいぜい一般人に開放された広場や門前で祭りを堪能するくらいでしょう」
「そんなこと分かってるわよ」ティシラは目を吊り上げ。「それじゃ普通の人と同じじゃない。そうじゃなくて、なんとか侵入できる手段を考えるのよ」
 マルシオとロアは言葉を失い、目を合わせた。


   

Copyright RoicoeuR. All rights reserved.