SHANTiROSE

HOLY MAZE-42






 早朝、あまり寝むれずにいたドゥーリオはラストルの部屋の戸を控え目にノックした。
 すぐに開けたかったが、見てはいけないものを見てしまう可能性がゼロではないことを考慮し、戸の前で手もみしながら返事を待った。
 そわそわしていると中からティシラの声が返ってきた。
 ドゥーリオがさっと入室すると、昨日の服と化粧のままのティシラがソファに座っていた。
「……ラストル様は?」
「まだ寝てるわ」
「ご容態のほうは?」
「ときどきうなされてたけど、熱はないみたいだし、大丈夫なんじゃない」
 ドゥーリオはベッドに近づき、カーテンの中に入って彼の様子を見ると静かに眠っているようだった。
 ドゥーリオはティシラの向いのソファに腰かけ、何か言いたそうにちらちらと彼女に目線を向けていた。
「なに?」ティシラは眉間に皺を寄せ。「変な目で見ないでよ。不愉快だわ。あんたが思ってるようなことはなかったから。見ればわかるでしょ」
「い、いえ……別に、そういうことは」
 ドゥーリオは誤魔化しながらも、内心ほっとしていた。もし二人が「そういうこと」になっても、同意のもとなら口出しする気はないが、「間違い」が起こってしまったらそのあとのことが想像できない。ただ、自分の首が切られることは確実だった。
「そんなに気になるの?」ティシラは性悪な笑みを浮かべる。「じゃあ面白いこと教えてあげる」
「な、なんでしょうか」
「ラストルね、本当に女を知らないわよ」
「え?」
「私、そういうの分かるの。魔女だから」
 ドゥーリオはティシラの言うことが、にわかには信じられなかった。
「寝てるあいだに『魂の質』を覗いてみたの。本物だったわ。最高級の獲物よ」
 そう言うティシラが、まるで物語に出てくる魔女のようだと思った。そうだ、と思う。よく聞く「魔女」とは、男を食らいしもべにする妖艶な悪女のとこだったはず。
 だがドゥーリオは、他に思うことがあった。
 自分の使い魔である白いフクロウ「ニル」のことだ。ラストルはニルを借りて夜な夜な城を抜け出していた。とくに変わったことはないまま、数時間後には戻ってくる。王子を夜中に一人で外出させるなど、職務怠慢と責められてもおかしくないことなのだが、後をつけるような仕草をわずかでも見せると解雇されてしまう。もし何かあったときのためにニルが付いていた。だからドゥーリオは夜中の外出のことだけは見て見ぬふりを続けてきた。
 しかし、その状況を聞けば、普通なら「女と逢引きしている」と考える。ドゥーリオも例外ではなかった。他に考えられないため、ドゥーリオはそういう前提で見守っていた。隠れて会うということは、身分の低い、王子に相応しくない相手であることは間違いない。表面では純潔を装っているが、彼にもちゃんと恋愛感情があり、自分で選んだ相手と愛し合っているものだと思っていた。
(……だったら、ラストル様は一体どこで、何をされていたのでしょう)
 ドゥーリオはティシラに返事をせず、つい考え込んでしまった。
「ちょっと、せっかくいい情報教えてあげてんだから何か言いなさいよ」
 ティシラが唇を尖らせてふて腐れると、ドゥーリオははっと顔を上げる。
 これは言う必要はないと思っていたのだが、今自分たちは不利な状況にある。ティシラは一番ラストルに近いところにいるし、カーグとアジェルの陰謀を把握している。何か役に立つかもしれないと考え、ドゥーリオは口を開いた。
「……実は」
 ラストルが深夜に出かけていたことをティシラに話すと、彼女は腑に落ちない表情を浮かべた。
「それって、どう考えても女よね」
「……やはりそう思いますか」
「でも、さっき言ったとおり、ラストルは純潔の体よ。これは間違いないわ」
「では、どういうことなのでしょう」
「さあ。酒でも飲みに行ってたとか?」
「いいえ。城の決まりで毎朝体調を見るのですが、アルコールも含め、城内で摂取された物質以外が体内から検出されたことは一度もありません」
 ティシラは首をひねり、「変な奴」と的確な一言を零した。ドゥーリオもそう思う。
「……でも、あなたの話を聞いて安心しました。もしラストル様が人に紹介できないような女性と情を交わしていたとしても、いずれは別れる運命にあるのですし」
 間違って隠し子でもできようものなら彼の名誉に傷がつくし、場合によっては跡継ぎの問題が起こる。とても賛成できることではなかった。
「本当に愛し合っているなら、結婚すればいいじゃない」
「それは不可能です。王家はより良い跡継ぎを残していく義務があります。どこのだれかも分からない者の血を混ぜることは穢れと考えられております。伝統を覆すなど、国王も、国民も許さないでしょう」
 ティシラはまた難しい話になりそうで、ふーんと興味のない声を出す。
「よく分からないけど、ラストルは影で何か面白い遊び場所を見つけてたってことじゃないの。あいつにも人並みの欲があるってことよ」
 ドゥーリオは、ティシラの無礼な物言いにはもう慣れた。それに、彼女の言葉はラストルの行く末を案じる彼にはありがたいものでもあった。
 ラストルは恐ろしいと感じるほど四角四面で型にこだわる。人の心はないのかと不安になるほど。だがそうでないのなら、まだ希望はある。
「それに、うなされているとき、女の名前なんて出てこなかったしね」
 ラストルはティシラの手を強く握り、うめき声のほかに、何度か寝言を呟いていた。
「全部は聞き取れなかったけど、確かにこう言ったわよ」
 ――「ルミオル」と。
 ドゥーリオは目を見開き、咄嗟に立ち上がった。
「あと……『許してくれ』って」
 涙が溢れ出そうだった。やはりラストルは冷酷な鬼ではない。今までの彼の態度は演技ではない。しかし堅く閉ざされた心の奥に本当の彼が眠っている。ドゥーリオは確信した。
「ティシラ様」ドゥーリオは彼女の傍に寄り、膝をついた。「お願いします。ラストル様をお救いください」
 ティシラは気まずそうに後退さった。
「お願いします。ラストル様は決して悪い方ではありません。やっと分かりました。ラストル様は……誰よりもお優しい方なのです」
 優しくて、人を思いやる心が人一倍強かった。そうトールが言っていた意味が分かった。
「だけど、ラストル様は子供だったのです。本当の優しさに必要な強さをお持ちではなかった。だからきっと、歪んだ愛情を持った大人に無理やり優しさを封じ込められてしまったのです。優しさとは、強さが伴わなければ弱さになります。守る力がなければ逆に人を傷つける残酷な刃になるのですから……!」
 将来国を担う役目を持って生まれた少年は、幼さゆえに召使を死なせ、弟を命の危機に晒した。普通なら大人が許し、心に受けた傷を癒してくれる。だがラストルは違った。彼の傍にいた大人は、国の将来を思うあまり、ラストルを責め立て、追い詰め、傷つけ、一切の過ちも汚れも許さない潔白な王子に育てた上げてしまったのだ。
 国のためなら弟さえも犠牲にするべきであると、それが正義であると、洗脳されてしまっているのだ。
「ラストル様もルミオル様のことを一番に、自分のこと以上にご心配なされたに違いありません。だけど、大人がそれを許さなかったのです。過ちを犯したラストル様を責め、立派な国王になるため情は捨てるよう、強制されてしまわれたのです」
 ドゥーリオは項垂れ、涙を目に溜めた。
 ティシラは気持ちは分かるが、素直に受け入れる気にはなれない。
「ちょっと待ってよ。あんた、ラストルが私に何したか忘れたの?」
「分かっています。ティシラ様だけではありません。ラストル様はたくさんの人を傷つけてきました。しかし、本当のラストル様ならご理解し、正しい償いをされるはずです」
 このまま敵の罠にかかって、数多の人々を傷つけたまま、誤解されたまま地に落ちてしまう未来なんて、あまりにも悲しすぎる。
「いっそ、国のことは二の次で構いません。どうかラストル様を、本来のお姿に戻してあげられないでしょうか」
 ドゥーリオは床に、一つ、涙を落とした。
「せめて、ルミオル様とだけでも、和解させることは、できないでしょうか」
 彼の姿は哀れで、ティシラは同情を禁じ得ないほどだった。ドゥーリオは役立たずだが、今までどんなに虐げられてもラストルを信じ続けてきた根性は並外れている。それでも、ティシラは頷かなかった。
「……私にとっては、それこそ二の次だわ。そんなことをしにここに来たんじゃない。それに、私は救世主でも聖人でもないの。私を買い被るのはやめて。私はそういう女じゃないのよ」
 それでもドゥーリオは説得しようと膝を擦って彼女に近寄る。
 そのとき、ベッドから物音がした。
「……何をしている」
 ラストルがおぼつかない足取りでカーテンを開き、二人を睨み付けていた。
「ラストル様!」
 ドゥーリオはすぐに足り上がり駆け寄ろうとした。
「近寄るな」ラストルは苦しそうに声を絞り出す。「ドゥーリオ、貴様、何をしていた。そんな小娘に跪き、一体、何を……」
 ドゥーリオは彼の容態を確認したかったが、ラストルがそれを許さない。
「ティシラ……私の目の前から、今すぐ、消えろ」
 ティシラも立ち上がり、ラストルを睨み返した。
「身請けの話もすべてなしだ。利用価値があると思っていたが、私の思い違いだった。今すぐここから出て行け。さもなくば、貴様をスパイとしてカーグに突き出してやる」
「ラストル様、何を……」ドゥーリオは震え出す。「ティシラ様は味方です。周りは敵ばかりなのに、彼女を追放したら、あなたは……」
「黙れ。私に逆らうな。その女は私に公衆の面前で恥をかかせた……何が味方だ!」
 ラストルは人前で取り乱してしまい、自分を制御できなかったこと、ティシラの前で意識を失い弱味を見せてしまったことに焦りを抱いていた。
 想像以上に耐えがたい屈辱なのだろうとティシラは思う。だが、彼を取り巻く背景を知った彼女には、あまりにも下らないことだった。
「ラストル様、落ち着いてください」ドゥーリオは彼に近づく。「まずはお体のほうを……」
「黙れ!」
 ラストルは平静を失い、テーブルの上にあったグラスを掴み、ドゥーリオに投げつけた。ドゥーリオは咄嗟に両腕で自分を庇ったが、割れたグラスの欠片がかすり、こめかみから血を流した。
 ラストルはドゥーリオの傷を見て一瞬怯んだ。俯いて奥歯を噛み締める。
 かっとティシラの頭に血が上った。怒りを超え、もう彼を説得しようという気は失せてしまった。
「……分かったわ。出ていく」
 二人は同時にティシラに顔を向ける。立ち尽くす彼女の目は、据わっていた。
「ちょうど、もうあんたの顔なんて見たくないと思ってたから」
「ティシラ様……」
 ドゥーリオが血を拭いながら、縋るような声を出した。ティシラはそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。


 ラストルは呼吸を整えながらベッドに腰を下ろした。ドゥーリオは戸惑いながら近づくが、睨まれ、足を止める。
「ドゥーリオ、さっさとその傷を処置し、今日の準備を始めろ」
「は、はい……あの、体調の方は……」
「黙れ。貴様は私の言うとおりにしていればいいと、何度言ったら分かる」
 ドゥーリオは青ざめ、体を震わせた。このままでは解雇されると、今までの経験から感じ取れる。土下座してでもティシラの話を信じてもらい、最善の手段をとって欲しかった。しかし、話すらさせてもらえない。ここで逆らえば、確実にドゥーリオは追い出され、ラストルは孤立することになる。
 一か八か、自分の首をかけてラストルを説得しようかと考える。だが今の彼は何をするか分からない状態だ。昨夜のことがあり、これ以上他人に振り回されないため、強硬手段に出る可能性が高い。
 ティシラもいない今、自分だけでも傍にいなければと思い、ドゥーリオは頭を下げて彼に従った。


 ラストルは再度ベッドに横になったが、眠ろうとはしなかった。おそらく、彼はよく悪夢にうなされることを自覚しているのだろう。そうなってから今まで誰も寝室に入れなかったため、気づくことさえできなかったのだと、ドゥーリオは自省した。
 しばらくするとラストルは平静を取り戻した様子でドゥーリオに声をかけてきた。
 昨夜のこともティシラのことも触れず、家来を呼んで今日の予定の確認と、日課の健康診断を行うよう命令する。ドゥーリオは言われたとおりにした。
 自室に戻ったときティシラを探したが、そこに彼女の姿はなかった。まさか本当に城から出て行ったわけではないはずと信じ、役目を果たした。


 昼前にカーグと会議室で会うことになり、準備は恙なく進んだ。その頃にはラストルはいつもの彼に戻っていた。
 ドゥーリオは、いつも以上に壁を感じていた。ラストルからすれば、自分は信用ならない者になってしまっているのかもしれない。嫌な予感がした。
 ラストルとドゥーリオは部屋を出て会議室へ向かった。


 会議室ではカーグとノイエ、アジェルが二人を待っていた。
「ラストル様、本日のご気分はいかがでしょう」
 昨夜のことを知っているカーグは彼を気遣ったが、ラストルは言葉少なかった。
「昨夜はお恥ずかしいところを見せてしまいまして、大変失礼いたしました」
「いいえ。お若いのですから、ご遠慮なさらず。楽しんでいただけたのなら何よりです」
「素晴らしいパーティでした。感謝いたします」
 そう言うラストルの顔にも声にも感情はなかった。早く話を進めて欲しいと言わんばかりの態度に、ノイエが不快そうな表情を浮かべる。カーグは構わず、「では」と切り出す。
「魔女の疑いがある村人は、城の地下牢に捕えております」
「案内していただけますか」
「ええ。地下の奥深い場所になります。暗く、陰気なので足元にお気をつけください」
「お気遣い、痛み入ります」
 一同が会議室のドアに向かう、そのとき、ラストルはドゥーリオを振り返った。
「ドゥーリオ、お前は残れ」
 ドゥーリオは驚き、目を見開く。こめかみの傷が疼き、顔をしかめた。
「カーグ様」ラストルはカーグに向き合い。「地下へは私一人で参ります。よろしいでしょうか」
 突然の申し出にカーグも戸惑う。ノイエとアジェルも顔を見合わせていた。
「ラ、ラストル様……それは、あまりにも危険でございます」
 ドゥーリオが慌てて駆け寄るが、ラストルは鋭い目線で彼の足を止めた。
 二人の様子を見つめていたカーグは、ドゥーリオの慌てようが演技ではないことだけは読み取れた。
 しかし不可解だった。ラストルも罠があるかもしれないことは承知しているはず。とくにドゥーリオは一番自分たちを疑っているのが分かるのに、そんな彼を置いていく理由が読めなかった。
 かと言って、置いていくと言っているものを無理に連れていく必要もなかった。ラストルに村人を会わせるという目的に変更はない。
「ラストル様がそうされたいのであれば、ご自由に」カーグは口の端を上げた。「では、私も一人で参りましょう」
 その言葉に驚いたのはノイエとアジェルだった。先ほどのドゥーリオと同じ表情をしていた。
 カーグは「やましいことは何もない」ことを証明するため、自分も一人で行くことにした。ノイエとアジェルに目配せすると、二人は一礼して従った。
 カーグにとってこんなに都合のいい展開はなかった。同時に思う。やはりラストルは愚者だと。数少ない味方を蔑ろにし、自ら罠に飛び込もうとしている。恵まれて生まれ、身の丈に合わないプライドが彼を無防備にし、急がせているのだ。これも若さゆえの過ちだといつか気づくだろうと思う。だが、彼にやり直す機会はない――カーグは胸中で彼の破滅を確信していた。


 ドゥーリオは気が気ではないまま、ラストルとカーグを見送ることになった。何も言えなかった。不安で泣き出してしまいそうだった。
 残ったノイエとアジェルと三人だけになり、ドゥーリオは二人から不穏な空気を感じ取った。同じ魔法使い同士、積もる話も……あるわけがなかった。下手に会話を交わし、長く一緒にいたら、自分が真実を知っていることを察知されるかもしれない。恐ろしくて目を合わせられず、ドゥーリオはいったん部屋に戻ることにした。


 眩暈を起こしそうなほど思い詰めるドゥーリオが部屋の戸を開けると、着替えたティシラが窓際に立っていた。
 ドゥーリオはまるで救われたかのように早足で彼女に駆け寄る。
「ティシラ様、よかった……まだいらっしゃったんですね」
「イライラしたからシャワー浴びてきたの」
「そうでしたか……」
「ラストルは?」
 ティシラが尋ねると、ドゥーリオは再び暗い顔になる。重い口調で、あったことを話した。
 また怒られる、とドゥーリオは思う。しかしティシラは俯き、肩を落として窓の外を眺めた。
「……なんでうまくいかないのかしら」
 ティシラは窓の縁に強く爪を立て、唇を噛んでいた。
 その姿はドゥーリオを絶望に追いやる。ティシラならまだ怯みもせずに次の手段を考えてくれると思っていた。それが非常識で型破りでも、できることがあるなら希望を捨てずにいられる。
 だが、ティシラは柄にもなく落ち込んでいた。今度こそ本当に打つ手なしなのかという実感が湧き、ドゥーリオはその場に座り込んだ。
 窓から流れ込んでくる風を受けながらティシラがドゥーリオを振り返ると、彼は堅く閉じた目の前で両手を組んでいた。
「何してるのよ」
「祈っているのです」
「誰に?」
「神です」ドゥーリオは背を丸め、頭を垂れていく。「ラストル様が村人を見て、その者たちが魔女ではないと見抜かれるよう、祈るのです」
 ティシラは呆れて、深いため息をついた。
「そんなことして、願いは叶うの?」
「叶います。神はいつも私たちを見守ってくださっています。正義には祝福を与え、悪には天罰を下されます」
「叶わなかったらどうするの」
「そのときは、祈りが足りなかったということです。だから私は懸命に祈るのです」
 ティシラは冷め切った目で彼を一瞥したあと、空に向き直った。今日は雲が多いが、雨は降りそうにない。この雲の上に神がいたとしても、祈りなど気付かずに居眠りでもしていそうな天候だった。





   

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