SHANTiROSE

HOLY MAZE-48






 マルシオとロアは思いつめたような表情で新聞を見つめていた。
「……だから言ったんだ」
 マルシオは眉間に皺とを寄せて拳を新聞に叩きつけた。
 ロアはそんな彼を冷たい目で見つめた。マルシオにはまだティシラのしたことへの嫌悪感が残っている。そんなことを言っている場合ではないのだが、こうも性質が違うと根本から理解するのは難しいのだろうと思う。
「このままだと、ティシラが処刑されてしまいますよ」
 マルシオは唇を噛み、再度新聞を睨んだ。
 この表情は、自業自得とでも言いたそうである。
 だが、口に出さないということは葛藤しているということ。マルシオに何ができるかは分からないが、自分にできることはもうほとんどないと、ロアは自覚していた。
 ロアは立ち上がり、険しい顔をしているマルシオに近寄った。
「……なんだよ」
 警戒するマルシオに、ロアはまた手の平をかざした。
「ここで話し合ってても何の解決にもなりません。ティシラが今どんな状態なのか、見てきてください」
「見てきて、って、どういう意味だよ」
「あなたの意識を飛ばします。私の魔法と、天使であるあなたの幽体なら他の人には見つかりません。何が起こっているのか、その目で見てくるのです」
 マルシオはロアの異様な雰囲気に飲まれてしまった。目の前に迫ってくる彼の手の平が頭に当たると、自然と目を閉じた。一気に生ぬるい魔力が頭の中に溶け込んでくる。
 断る理由はなかった。ティシラのしたことを認めたくない自分と、認めたい自分との葛藤に決着を付けたかった。
 体が軽くなり、マルシオは目を開いた。肉体がそうしたのではなかった。室内にいたはずなのに、白の混ざった朝の空が目前に広がったことで、既に外に出ていることを理解した。足元を見下ろすと人々が集まって深刻な顔で話し合っていたり、早足で城に向かっている者もいる。誰の手にも新聞が握られ、地面にもたくさん落ちていた。皆突然のことに混乱している様子だった。
 マルシオはいいことも悪いことも考えず、城に向かった。視界の隅にあった城の屋根が、吸い込まれるように近づいた。集中し、迷いなく望めば行きたいところに行ける。
 すぐに城内に入り、ティシラの魔力を探した。
(……変だな)
 マルシオは浮き上がり、城を出て上空から周辺を見回した。
(ティシラの気配がない)
 しかし焦ることなく、考えた。ふと、北側にある暗い建物が目に入る。そこは牢獄だった。向かうと、清々しかった外の空気とは逆の、陰湿で暗い空間に迷い込んだ。
 肉体のないマルシオに感触はなかったが、意識に映ったものは体に届く。肉体を通して感じるここの重い匂いに不快感を抱いた。牢の中には目の虚ろな犯罪者たちが、まるで不要になった石像にようにじっとしていた。余計なものは見たくなかった。更に奥へ進むと、悲壮感に包まれた女性たちがいた。
(これは……もしかして、魔女の疑いがかけられた人たちか)
 当然マルシオの目にも普通の人間にしか見えない。どこにでもいる、毎日平凡な生活を繰り返して生きているただの女性たちだ。
 そして更に深く潜ると、異様なものを感じ取った。そこは深い闇の世界。普通の人間の精神では耐えることのできない光景がある空間。
 マルシオはあまりの不気味さに吐き気を覚えた。
 そこに居る者は誰もまともな造形をしていなかったからだ。体の一部が欠損や肥大している者、あるべき場所にあるはずの部位がない者など、人間とは呼べない物体がうめき声や体液を漏らしながらひしめき合っていたのだ。見るに堪えないのは汚らわしいからだけではない。あまりに醜悪だった。彼らは生まれついてそうだったわけではなく、ここまで変わり果てるほどの罪を重ねてきているのだった。
 マルシオは目を逸らしながらも、何かを探した。今すぐ逃げ出したいこの空気の中、僅かな「人間」の魔力を感じていた。そこに進むと、白く光る結界がマルシオの意識を引き付けた。黒い檻の中、ぼんやりと浮き上がった魔法陣の中に、巨大な虫のようなものがうずくまっていた。
 大きな羽に産毛に覆われた人型の生き物。リジーだ。マルシオはすぐに分かった。
 ゆっくり近づくと、視力を奪われた大きな目が動いた。見えているのではなく、マルシオの意識を感じ取っていた。
(……誰?)
 不意に話しかけられ、マルシオは戸惑った。
(また私を甚振りに来たの?)
 マルシオは慌てて首を横に振る。
(君は、リジーか?)
(ええ。どうして知っているの? 私はもう体もまともに動かないし、動いたとしても、何もできない。辛いだけ。苦しいだけ。早く殺して)
 マルシオは心臓を握られたような苦痛を感じた。
(生きていてもサフィや村人のことばかり考えてしまうの。私がいるから彼女たちも恐ろしい目に合っている。もう何も考えたくない。早く殺して)
 これが、ティシラが助けようとしていたもの。
 ティシラはこれを見てしまった。だから、どんな手を使っててでも助けたかったのだ。
(リジー……聞いてくれ。君を助けようとした者がいる。信じて欲しい。まだ諦めないで欲しい。まだ、そいつは戦っているから……)
 マルシオがそう伝えると、リジーは顔を動かし、彼の幽体に目線を向けた。見えているわけではない。それでも、マルシオは確かに彼女が言葉を受け取ったことを感じてその場を離れた。
 牢獄から抜け出しながら、自分を卑怯だと責めた。リジーの反応が怖かった。本当に希望を持っていいのかと聞かれるのが恐ろしかったからだ。
 辛い現実を知っただけではなかった。リジーが魔法に閉じ込められているということは、ティシラも封じ込められている可能性が高い。あの牢獄にもいなかった。マルシオは再度城の中に戻った。
 ティシラの気配ではなく、強い魔法が行われていないかを探す。
 瞬間的に消えては現れる部屋や人の残像の中で、マルシオは意識の糸を広げていくイメージを作り出した。
 僅か数秒の間に、たくさんのものを見て聞いた。脳の処理が追いつかず、もし肉体を持ったままだったら気を失っていただろうと思う。
 そんな中、一つの部屋にたどり着いた。城の中央の、高い位置にある一室だった。白い壁と白い柱に囲まれた神殿のような部屋に、白い光の、無数の線で描かれた立体的な魔法陣があった。真ん中に、黒髪の少女が倒れていた。
(ティシラ……!)
 室内は牢獄とは対称的に、清らかで眩いばかりの魔力に満ちていた。マルシオには分かる。ここで行われているのは聖なる魔法だ。天使の象徴である純白を使った魔法陣でティシラを縛り付けていた。
 魔法陣の傍にはアジェルがいた。目を閉じて声に出さず呪文を唱えている。ティシラの力を封じる魔法をカーグに命じられ、信頼を取り戻そうと最高級の魔法を施しているのだった。
 そこにカーグが入室してきた。アジェルはすぐに彼に駆け寄り、一礼する。カーグはアジェルに目もくれず、魔法陣に近寄りティシラを見下ろしていた。
「アジェル、この娘がラストルに呪いをかけたかどうか、調べたか」
 マルシオは耳を疑う。彼が、ティシラの言っていた「悪い魔法使い」。この男が自分の罪を、関係のない人に擦り付けて世界を騙そうとしている。
(……これほど美しく、見事な魔法を使える人が、極悪人だなんて……)
 信じられない。
 マルシオは魔法陣の中に侵入した。幽体のままで、その白い光に触れることができる。限りなく天使の世界に近い魔力が満ちていた。もしここに来たのが天使であるマルシオ以外だったなら糸に触れた瞬間に異物が混入したことを気づかれていただろう。
 だからこそマルシオは悲しみを抑えられなかった。
 アンミール人の魔法はもはやただの技術となっており、天使やランドール人に対する信仰心や敬意などなくてもここまで再現することができるということなのだ。
 魔法使いはもう、神の使いではなくなってしまっただのだろうか――。
 カーグに尋ねられたアジェルは目を伏せて答えた。
「はい。王子の血液から出た魔力とこの娘の持つ魔力が一致しました。この娘は魔女に違いありません」
 役に立とうとしているアジェルだったが、カーグは彼に対してなんの感情もなかった。アジェルはやはり嘘をついていたのだから。
 ならば牢獄に捕えている魔族は何だったのか。そう思うが、今は追及する暇はなく、話を進めた。
「この娘は口を割ったのか」
「いえ……不可解なことに、捕えたときから力がなく、ずっとこの調子なのです。話しかけても返事をぜず、体を揺らしてもまともな反応がありません」
「どういうことだ。意識はあるのか」
「意識はあるようです。時折うめき声のようなものを漏らしたり、薄目を開けて眼球を動かすことはあるので、特に体力や魔力に問題があるわけではないかと思います」
「何か企んでいるのはあるまいな」
「今は魔法で閉じ込めておりますので、身動きできる状態ではありません。ご安心を」
「いずれにしてもこの娘は危険な存在だ。余計な時間を与えず……処刑を急ぐぞ」
 二人の会話を聞いていたマルシオは倒れているティシラの傍に寄った。手を伸ばしても触れることはできない。もどかしさを感じながら、顔を寄せて様子を伺う。
 二人の言ったとおり、意識はあるようだが、まるで寝ぼけているように薄目を開けて浅い呼吸を繰り返している。こんなティシラを見たのは初めてだった。体力と魔力にも異常はない。魔法で抑え込まれているとはいえ、抵抗することはできる状態なのに、ティシラはただ横になっているだけだった。
(……ティシラ、大丈夫か)
 いちかばちか、マルシオは意識のまま語りかけてみる。すると、ティシラは数回瞬きをした。
(ティシラ、聞こえるか。俺だ、分かるか?)
 ティシラは返事をするように唇を動かした。手応えを感じ、マルシオは何度も彼女の名を呼び続けた。
 そうしているうちにカーグが退室していった。アジェルは監視を続けるため部屋に留まり、魔法陣の外で膝を折って祈り始めた。
(……マルシオ?)
 ティシラから返事があった。声は出していない。この調子ならアジェルにばれずに会話ができそうだ。マルシオは力ない彼女の声に耳を傾けた。
(ティシラ。どうしたんだ。どこか悪いのか)
(……マルシオ、どうしてあんたがここにいるの)
(どうしてって……ずっと心配してたんだぞ)
 マルシオはこみ上げる同情心を否定できなかった。あまりに脆弱な彼女を見ていると心が潰れてしまいそうだった。怖いもの知らずで、何があっても諦めなかったティシラがこれほど無力になるなんて想像したこともなかった。
 ティシラを責めることはできない。ティシラは正しいか間違いかなどの計算はせず、自分にできることをやっただけなのだ。マルシオは少しでも彼女を疑ったことを後悔する。今はとにかく元気を出して欲しかった。いつものティシラに戻って欲しかった。
(ここは、暗くて、何もないところ……探さなくちゃ……)
 ティシラの意味不明な呟きにマルシオは首を傾げた。
(なんだって? 何を言っているんだ)
(探さなくちゃいけないの。暗くて、何もないけど、確かに、ここにいるの……)
(……ティシラ、どうしたんだよ。俺だよ。分かってるんだろ?)
(ええ、マルシオ、あんたは、来てはダメ。出られなくなるから……)
 マルシオは様子のおかしいティシラに困惑する。眠っているわけではない。自分の声に確かに反応している。
 ティシラは一体なにを見ているのだろう――。
(出られなくなる?)マルシオは彼女に話を合わせてみた。(ティシラ、お前はどこに行こうとしているんだ)
(……クライセン様のところよ)
 マルシオの中に衝撃が走った。ティシラは独り言のように続ける。
(クライセン様を一人にしてはいけないの。あの人はずっと一人だった。どこにも居場所のない、寂しい人。だから私が傍にいなくちゃいけないの。私はそのために生まれてきた。それが、やっと分かったの。なのに……彼はまた一人になってしまったの)
 マルシオは、体がないのに胸に熱を帯びるような感覚に陥った。
(ティシラ、お前、思い出したのか?)
(いいえ。思い出してもいないし、思い出す必要はないの。私たちは約束したのだから。ずっと、一緒にいるって。クライセン様さえいれば私はどんな姿でも、どんな世界でも構わない……なのに、彼はまた一人になってしまった。もうすぐだったの。もう少しで手が届くところだったのに、引き離されてしまったの。行かなくちゃ……)
 マルシオは確信した。ティシラは記憶を失う前の彼女に戻っている。今ティシラの話していることは、あのとき、巨大な扉の中に消えていったあと、ティシラとクライセンが見たものだ。
 今なら知りたかったことが分かるかもしれない。しかしゆっくり話をしているほど余裕はない。それにティシラの様子も気がかりだ。あれだけ昔の話を拒絶し、何を試しても何も変わらなかったのに、なぜ今こんな状態になっているのか、不可解なことだらけだ。
(ティシラ、落ち着いてくれ。行くって、どうやって行くんだよ)
(……知らない。私が行きたいから、行くの。どうしても行きたいの)
 マルシオは拍子抜けするが、彼女らしいとも思う。
 そうだ。ティシラはわがままな魔界の姫だ。自分の思い通りにならなければ気が済まない気性。
 ――そうだ。
 マルシオは改めて、今のティシラの姿を哀れに思った。
 ティシラは人間の世界に大きく干渉して何かを変えるつもりはなかった。ただ、人間の悪事に利用されている魔族一人を助けたかっただけだ。たったそれだけのために、どんな屈辱にも耐え、自分を犠牲にして必死で苦しい現実に抵抗していた。その結果、こうして閉じ込められ、悪人に虐げられながら処刑されようとしている。
 もう限界なのだろう。
 ティシラなら本気を出せばこんなところ、逃げることは難しくないはず。そもそもこんなに簡単に捕まるような玉ではない。それでもまだ我慢し続けなければいけない現実に絶望しているのだ。
 実際、何も解決には向かっていない。
 これ以上彼女にだけ無理をさせるわけにはいかない。
(ティシラ……行くな。そこじゃないだろ、お前たちがいるべき世界は)
(……どこでもいいの。クライセン様がいるところが、私のいる場所なの……もう、人間の世界なんて、どうなってもいいのよ)
(何言ってるんだよ!)
 マルシオはあのときを思い出す。
 あのとき、自分だけ置いていかれたときの気持ちが蘇った。二度とあんな寂しさや悔しさは味わいたくない。
(お前たちは、二人でここにいなくちゃいけないんだ。俺がいて、サンディル様がいて、トールもライザもいて……家族や友達のいる、この世界で願いを叶えるんだよ。好きな人と結ばれるだけじゃなくて、みんなが楽しく笑ってる幸せを欲しがれよ。お前なら、そのくらいのわがまま言ってみせろよ!)
 ティシラは返事をしなかった。彼女も迷いがあるのだろう。夢現の境で彷徨っているのが証拠だ。ティシラはこの世界で、みんなで笑っていられることを望んでいるに違いない。
(ティシラ、教えてくれ……クライセンは、どこにいるんだ)
 今までは禁句だった。だが今のティシラなら答えてくれる。マルシオは今が転機だと確信していた。
(……修羅界よ)
(本当か。クライセンは今も修羅界にいるのか)
(そうよ。あそこは何もない虚無の世界。そこにあのときのまま、たった一人で、止まっているの)
(止まっている?)
(何もないの。地面も空も、肉体も、光も、時間も、何も。何も変化することなく、魂だけが永遠に止まり続ける果てのない空間なの)
(死とは違うのか)
(そこには生も死もないわ。死ねば体も魂もいつか消える。でもそこは、虚無という真っ黒いものに取り込まれ、止まったまま、ずっとそこに居続けるの)
 あのとき、魔薬の力によってノーラは創造神となり、修羅界の時間が動いた。ゆえにティシラとクライセンとノーラだけが肉体を持ち、存在した。魔力を宿し形を成そうした修羅界は、破壊神となったティシラの力で崩壊し、虚無の世界に戻っていった。その一瞬の隙に、魔法で保護されたティシラの肉体の欠片だけが修羅界に拒絶され外に排出されてしまったのだった。
 中に残ったクライセンも、ノーラも、今までブランケルに放り込まれた者もすべて、ずっと変わらず修羅界の闇に閉ざされている。
 ティシラの話は決して明るいものではなかった。完全に理解するのは難しかったが、一つの希望を見出した。
 クライセンは死んでいない。一つでも、大きな希望だった。
 世界を救うなんて大それたことは頭にない。ただティシラを助けることだけを考える。すると答えが出るような気がした。
 クライセンを連れ戻す。そうしなければティシラがまた遠くへ行ってしまう。
(分かった。ティシラ、もう少し待っててくれ。辛いだろうけど、もうお前は何もしなくていい。俺たちが何とかするから。待っててくれ)
 幽体のままでは、ここにいても何も進まない。もっと話を聞きたかったが、行動を起こさなければ手遅れになるかもしれない。
 マルシオは未だ力ない彼女を心配しながら、風に流されるように体を浮かせた。


 戻るのは一瞬だった。
「……マルシオ?」
 すぐ傍からロアの声が聞こえ、目を開ける。ロアが不安そうな顔で覗き込んでいた。
 自分の体の感触を取り戻したとき、マルシオは自分の顔が濡れていることに気づいた。どうやら、幽体のない肉体は理性を失っており、堪えることなく涙を流してしまっていたようだ。
 マルシオは途端にこみ上げる嗚咽に自分で驚き、慌てて顔を拭った。
 この様子ならもうマルシオがティシラを責めることはないだろうと感じたロアは、なぜ彼が泣いていたのかは聞かないことにした。
「どうでしたか」
「……ティシラの様子が変だった」
「変?」
「意識朦朧としてて、悪い魔法使いに簡単に捕まってたんだ」
 マルシオが魔女より魔法使いが「悪」であることを認めた。彼自身頼りになる存在ではないが、ティシラにとっては特別な友人。マルシオの信頼は彼女を救うはず。ロアは、あとは彼に任せてもいいと判断する。
「ティシラはバカで、わがままで、どこにでも真っ直ぐに突っ走っていく女だ。今までそれで何とかなってきてた。でも今回はもうどうにもならないんだ。俺たちが助けないといけない」
「何か策があるんですか」
「ない。でも、俺は城に行くよ」
「行ってどうするんですか」
「分からない。でも、俺だけでも近くにいたいんだよ。あいつは一人で、もう満身創痍なんだ……その前に」
 マルシオは机の上の水晶に近寄った。
「これ、借りていいか? あ、俺でも使えるのかな」
「ええ。あなたなら集中すれば呪文も必要ないでしょう」
 今まで「魔法」しか知らなかったマルシオは、そうなのか、と少々赤面する。
 ロアは水晶に片手を添え、撫でるように手首を回した。すると水晶の中心が光の渦を巻き、ロアの魔力を浄化した。
 どうぞと言われ、マルシオは水晶に向かった。手をかざして話したい相手を具体的に思い浮かべ、魔力を流し込む。
 うまくいくのだろうかなどと案じていると、手応えを感じた。
「サンディル様ですか」
 マルシオは透かさず相手の名を呼ぶ。水晶の向こうから二人の気配を感じた。
『マルシオか?』
 望んだ通りの相手から返事が返ってきた。もう一人の気配はラムウェンドで、彼が魔法でマルシオの魔力を繋いでいたのだった。
「サンディル様、結果から言います。クライセンは修羅界にいます」
 一同は衝撃を受けた。ロアも例外ではなく、隣で息を飲んでいた。
「ティシラから聞いたんです。修羅界に生死はなく、クライセンの魂はあの世界に止まっているそうです。クライセンは、死んでいません」
 もっと伝えたいことはあったが、説明するのも難しいし、理解するまで話し合う時間はなかった。あとは何を言えばいいかマルシオが迷っていると、サンディルが短く答えた。
『分かった』その声は落ち着いていた。『修羅界のことは研究していた。あそこは、時間のない世界。あとは確信だけが欲しかった。それだけで十分じゃ』
 ティシラの言っていたことと同じだった。マルシオはこれ以上言葉は必要ないと思うと同時、また涙がこみ上げた。
 だがじっとしていることはできない。ぐっと堪え、心から、サンディルに頭を下げた。
「……お願いします」
 水晶の向こうでサンディルが頷いたのが分かった。通信を切り、マルシオはすぐに立ち上がる。
「ロア、俺は城に行ってくる」
「ええ。気をつけて……」ロアはどこか寂しそうに微笑んだ。「不思議と、何とかなるような気がしてきました」
「お前はどうするんだ?」
 ロアは窓の外の混乱する町を見つめた。
「私は待ちます。あなたも、ルミオルもそれぞれに動き出しています。もう私の役目は終わりました」
 マルシオはこの正体不明の魔法使いとの別れを惜しみながらも、一人で城に向かうことへの恐怖は一切なかった。
「そっか……ロア、ありがとう。お前がいなかったら、俺は間違っていたままだったと思う」
 ロアは窓から差し込む光を浴び、白く光って見えた。そこに留まりマルシオを見送る彼を見ていると、自分の行く道が正しいと思え、勇気が出てきた。


 一度は踏み込んだこの混沌の輪から外れ、ロアは傍観者となった。
 何の責任もなくなった今、壊れた歯車がまだ動いていることに気づく。
 壊れたものが回復するのか、それとも新しい歯車が生まれるのかは分からないが、このまま力尽きて崩れ去る未来だけではなく、再度歯が噛み合って動き出す未来も見えたような気がしていた。





   

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