SHANTiROSE

INNOCENT SIN-13






 木漏れ日の差し込む森を抜けると、休憩中の旅人のような佇まいの館が見えた。
 周囲は様々な草花が咲き乱れており、旅人が小人たちが昔話を聞かせている様を想像させる。一見変わったところはないようだが、カームにはそこに不思議な力が自然に命を与えていることを感じ取ることができた。
 人の手によって造られた庭は綺麗に整い、自然に咲いた花々は生命力の強いものが優位に立っていることが多い。しかしこの庭は、いい意味で統一感がなかった。人工的に、自然の生命を操っている。つまり、それは魔法。ここは魔法の庭なのだ。
 人と自然が互いに敬意を払い、対等の立場で生活している。命ある限り、競争、嫉妬、淘汰は避けることができない自然の摂理。ここの空気を吸うとその現実を教えられ、同時に愛と平等を知る。それは誰もが簡単に口にするが形にし、保っていくことは難しいもの。もしそれを目で見るのなら、この庭にあると感じる。それほどまでに穏やかで、平和という言葉が似合う空間は見たことがなかった。
 今まで過去のしがらみに悩み続け、まだ見えぬ、ただ想像するだけの明るい未来だけを追い続けてきたカームは一瞬にして心洗われる気分に満たされた。
 ここで変わらない毎日を過ごしているマルシオには、カームの気持ちは理解できなかった。もしかしたら初めてここに来たとき、似たようなことを思ったのかもしれないが、もう思い出せない。
 立ち止まって景色を眺めていると、屋敷の窓から誰かが手を振っているのが見えた。マルシオを友達を待っていたサンディルだった。
「あっ、どなたか、窓からこっちを見てる」カームは手を振り返しながら。「もしかして、クライセン様?」
「違うよ。あの人はクライセンの父親のサンディル様だよ」
「クライセン様のお父様? 凄い。本物だ」
 上機嫌のカームは待ちきれないようにマルシオの手を引いて走り出した。



 玄関に着くとサンディルが二人を迎え入れた。
「初めまして。僕、マルシオの友達のカームです」
 荷物を足元に置いて元気に挨拶するカームに、サンディルも釣られるように目尻を下げた。
「聞いているよ。サイネラ殿のお弟子さんだそうで。マルシオにいい友達ができて、儂も嬉しいよ」
「そんな……サイネラ様の弟子と言っても、一番下なんです。まだまだ、人様の役に立てるような魔法使いには程遠くて」
「そんなことを考えなくていい。人の役に立つ魔法使いなんてそうそういるものじゃないのだから」
「そうなんでしょうか……」
 カームはサンディルの優しい言葉にほっとし、緊張が少々和らいだ。
 マルシオはカームの荷物を持って先に家に入っていった。
「ティシラは……まだ寝てるか」そう呟いたあと、サンディルに向かい。「クライセンは?」
「さあ」
「さあって……もしかしてどこか出かけたんじゃないですよね」
 サンディルは再度「さあ」と答える。彼のことだ。今日カームが来ると伝えていたのに、いなくなっていても別におかしくはない。カームの目的は「友達の家に遊びに行く」ことで、師匠に会うのはついでのこと。無理に居てもらう義理はなかった。
 マルシオは小さくため息をつき、とりあえずカームを客室に案内することにした。



 カームはリビングの奥にある、屋敷の浅い部分の部屋に案内された。来客用の一室で普段は使用されてない。この日のためにマルシオが掃除し、きれいにセッティングしておいたため生活感はない。南向きの大きな窓からは日の光も風も入り、屋敷を囲む森林の緑が疲れを癒してくれる。玄関やリビングを通りながら、カームは興味深そうに当たりを見回していた。あまりきょろきょろしていると失礼だと思いすぐに自制するが、どうしても「魔法王の家」に何があるのか知りたい欲求が隠せなかった。マルシオは彼の気持ちを察して気付いてないふりをした。表面上には他人が見ても困るものは置いてない。前知識も何の準備もなく視界に入れてしまうと精神にダメージを受けるようなものは、奥にしまってある。マルシオはとくに心配していなかった。
 カームは荷物を置き、上着を脱いで一息ついていた。マルシオがハーブティーを出すと、カームは匂いを嗅いで幸せそうな表情を浮かべていた。
「このハーブティー、サンディル様のオリジナルなんだ」
 サンディルは彼のために、「嫌なことを忘れて心を開放する」効果があるブレンドを用意していた。それを聞き、カームは頬を薄い赤に染めて喜んだ。
「ありがとう。まだお邪魔したばかりで、お茶を一口もらっただけなのに、心から癒されてるよ」
「大袈裟だな」
 マルシオは自分が褒められているようで恥ずかしくなる。照れながら、カームと一緒にお茶を口に運んだ。
「大袈裟じゃないよ。やっぱり、ここは一流の魔法使いが生活しているところなんだって僕は思うんだ」
「そりゃあ、いい家だし庭もきれいだけど、カームはまだ普通の生活空間しか見てないじゃないか」
「そうだね。ここに来るまでいろんな想像をしていたよ。魔法書に描いてあるような、普通では見られないようなものが並んでいて、息も止まるくらい圧倒されるんじゃないかとか。怖くなって逃げてしまうんじゃないかとか、僕の妄想だけで本が書けそうなくらい、わくわくが止まらなかったんだ。でも、僕の想像のどれとも違うものだった。うまく言えないけど、草木も花も、屋敷さえもまるで動き出して話ができそうなくらいの息衝きを感じるんだ」
 カームはふっと窓の外に目線を移し、そこに意識を飛ばした。緑の中を、小さな鳥になって迷い込むイメージを膨らませる。
「サイネラ様やライザ様みたいな素晴らしい魔法使いが僕の近くにたくさんいる。でも、少し違うんだ。魔法を使うというより、この空間が魔法でできていて、屋敷も花も空気も人も、全部その一部のような。この世界に上下関係はなくて、そよぐ風も恵みの雨さえも、何もかもが平等で、皆が自分の役目を正しく務め、敬意をもって暮らしている……きっとそう感じるのは、僕が余所者だからなんだろうね……もし、ノートンディルが今もあったなら、こんな感じなのかなあ」
 次第に声が小さくなるカームは、独り言を呟いているようだった。
 マルシオは何も言えなかった。彼の言いたいことは伝わっている。それよりも、まだこの屋敷のことも、クライセンのこともほとんど知らないカームがそこまでを感じ取っていることに驚かずにはいられなかった。
 カームがサイネラの弟子になった明確な理由は分からないが、きっと何か能力があるからというだけではない。この素直で柔軟な感性と汚れのない純朴な心がサイネラの目に留まったのだと思う。魔法使いの価値に師匠の名は関係ない――その通りだと、マルシオは改めて思った。
 そして、どうして自分が「魔法王の弟子」になったのかという迷いが強まり、自信を無くしていく。
 気まずそうな顔をしているマルシオに気づき、カームはあっと声を上げた。
「ごめんね、変なこと言って。今のは忘れて。ほんと、まだ来たばっかりなのに、なに知ったふうなこと言ってんだろうね、僕は」
「い、いや。変じゃないよ」
「変だよ。こんなこと、クライセン様やサンディル様にも、誰にも言わないでくれよ」
「言わないけど……」
 マルシオは格の違いを見せつけられたような気分になったが、落ち込むのはカームが帰ってからにしようと気持ちを切り替えた。



 庭で昼食にしようと考えていたマルシオはカームを連れて部屋を出た。
「そういえばクライセンとティシラはどうするつもりなんだろう」
 マルシオはリビングで足を止め、家の奥に続くドアを見つめて愚痴った。
 探しに行こうかと考えていると、目線の先からティシラの声が聞こえてくる。
「マルシオ」ティシラは勢いよくドアを開け。「リボンのついたブローチ、どこにいったか知らない?」
 寝起きで機嫌の悪そうなティシラを見て、マルシオとカームは目を丸くした。彼女は着替えの途中だったらしく、コルセットとクチュールという下着に近い姿で出てきたのだ。
 マルシオにとっては今更珍しい光景ではないとはいえ、カームは初対面だ。しかも年頃の女性の、こんなに肌を露出した格好など見たことがない。見てはいけないものを見てしまったカームは顔を真っ赤にして両手で顔を隠した。
 それとほとんど同時、ティシラは見知らぬ男の存在に驚いて悲鳴を上げる。体を隠すより先に、叫びながらカームを蹴り飛ばしていた。
「誰よこいつ! 変態!」
 理不尽な仕打ちを受け、床に転がって涙を浮かべるカームは震える声で「ごめんなさい」と謝っていた。マルシオが慌ててティシラに怒鳴り返す。
「何やってんだよ! 今日友達が来るって言ってただろ。そんな恰好でうろつくお前が悪いんじゃないか!」
「だからちゃんと起きて着替えてるんでしょ! でもまだ朝なのよ。嫁入り前の女の子がいることも考えて行動しないさいよ」
「ああ、もう早く服を着てこい。それからでいいからカームに謝れ。客が来てるときくらいおしとやかにしてろよ」
「なんで着替えを見られた私が謝らなくちゃいけないのよ。蹴りの一発食らうくらい安いもんでしょ」
 そう言い捨て、ティシラは部屋を出ていった。
 恐る恐る起き上がるカームに、マルシオが頭を下げた。
「ご、ごめんな。あいつ、いつもあんな感じなんだ」
「大丈夫……驚いたけど」
「あれでクライセンの前だけでは猫被るんだからな。全部ばれてるのにさ。八つ当たりされるほうはいい迷惑だよ」
「でも、近くで見るとやっぱり可愛いね」カームは痛みを忘れて頬を緩める。「華があるっていうか、目の保養っていうか……マルシオは蹴られてないけど、彼女は君の前ではいつもあんなに無防備な……」
 言い終わる前に、マルシオに憎悪に近い視線を投げられカームは青ざめて肩を縮めた。
「あ……ごめん。もう言わない」
 昔ルミオルにも「羨ましい」と言われたことがあり、おそらく傍から見ればそうなのだろうと思う。だがマルシオはこれを否定することだけは怠りたくなかった。





   

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