SHANTiROSE

INNOCENT SIN-45






 ユグラの村の事件から七日ほど過ぎ、ヴェルトが城に帰還した。
 事件翌日にやってきた数人の調査兵と医師と合流し、そこら中に転がる無残な遺体を調べていった。ヴェルトと部下たちに感染の症状は出なかったが、「化け物」の正体も事件の原因も何も分からず仕舞いだった。
「遺体はすべて焼き払いました」
 ヴェルトは会議室で調査報告を行った。小さ目の部屋だがどこよりも秘匿性の高い特別室には、クライセンとロア、そして大賢者と呼ばれるサンディルが集まっていた。資料もなく議事録も残さない極秘会議である。
「村の建造物も、周辺の木々も処分しました。化け物が出る以前から、ユグラ村には原因不明の感染病が蔓延していたようです」
 感染病の出所は医師が突き止めた。遺体の一部を採取し、医療魔法で検査すると、死んだ肉と血液の中で形を変える菌の存在が確認された。他では見たことのない現象で、この村の土壌に問題があると結論が出た。
「病気に関しては解決したと言っていいでしょう。あの地に人間の死体がなければ病原菌は発生しません」
 ユグラ村は消滅した。再びその場所に人が住み着くことはない。
「それよりも例の化け物」ヴェルトは本題に入る。「魔族である可能性もあります」
「そうだとしたら」とクライセン。「どうしてその化け物は内側から爆発したような状態で死んでいたんだ」
「それは分かりません。もしもそういう性質だとしたら、同じ種の魔物が出てこない限りは確かめようがありません」
「村長のキリコはどこへ行った?」
「それも分かりません。捜索しましたが、村から出ていったような足跡さえもありませんでした」
「その化け物がキリコだったんじゃないのか」
「どうしてどう思われますか」
「キリコという人物は村を大事にしていたんだろう。それは君が一番よく知っているはずだ。その彼だけが姿を消すなんて不自然だ」
「そのとおりです。彼は正義感も責任感も強い人でした。あの状況を放っておくわけがありません。逃げられるのなら他の村人もそうしているでしょう。だからこそなぜ彼がという疑問が拭えないのです」
「病気が関係している可能性は?」とロア。「そこの地と人の性質とが噛み合い、低い確率で偶然発生した特殊な病原菌だったのでしょう。突然変異が起きたと考えるのは現実的ではありませんか?」
「もちろんその可能性はあります」
 そこでヴェルトは用意していた小さな透明の袋を取り出し、四人が囲むテーブルに置いた。
「これは、キリコの家で見つけたものです」
 濃い赤茶色の、割れた瓶の欠片だった。よく見ると白い粉が付着している。
「薬のように見えます。病気が蔓延していたので、薬があるだけならおかしなことはありません。しかしどこで手に入れたのか、成分は何で、どこで精製されたものなのかもすべてが不明です」
 袋を手に取ったのはサンディルだった。彼はティシラの言うとおり髪も髭も黒々とし、肌艶もいい初老の姿だった。それを見つめる青い瞳は鋭く、力強かった。
「サンディル様、それを調べることはできますか」
「もちろん」サンディルは頷き。「だがあまりに量が少ないな」
「ええ。難しいでしょうし、それだけでは分かることは僅かだと思います」
「これだけしかなかったのか」
「探してみましたが、他は粉々に砕けたそのガラス瓶の欠片しか見当たりませんでした。欠片の形と量からして、瓶の大きさは指より太いくらいの小さなものだったようです。これらを生産しているような形跡はどこにもありませんでした」
「余所から持ち込まれたものなら」クライセンも隣から袋を覗き込む。「同じものがどこかに存在するだろう。出所を突き止めればそれが何かが分かる」
「瓶の赤茶色は、日光による薬の成分の変化や劣化を防ぐための遮光の効果があります。そこらにある入れ物に詰め込まれたわけではないとすると、それを作った者は薬物に関する十分な知識を持っていると考えられます」
「もしそうだとしたら……」ロアは声を落とし。「それを作った者は、服用した者がどうなるかを分かっていたということでしょうか」
 室内に重い空気が漂った。まだ影も形もない、ぼんやりとした「敵」の存在を感じ取った瞬間だった。それがまだ小さな芽なら早めに摘み取らなければいけない。思い過ごしなら、それが最善だ。
「まずは」とクライセンが姿勢を正し話をまとめる。「薬の開発をしている者を調べよう」
「範囲は?」とロア。
「ノートンディル国内すべて。それと、アンミール人もだ」
「アンミール人にこんな技術があるのでしょうか」
「あるとしたら、洛陽線だ」
「洛陽線か……そう言えば、あの村には勉強熱心な少年がいると聞いたことがあります」
「アンバーの管轄だったな。彼に頼もう。早いほうがいい――ロア」クライセンはロアに顔を向け。「場合によっては私と君も洛陽線に出向くことになるかもしれない。時間を空けておいてくれ」
 クライセンとロアの二人が揃ってアンミール人の住処を訪れたという話は、今まで一度もなかった。
 もし洛陽線に危険な薬が存在するのなら、それ以上の発展を禁止する必要がある。もしもそれが人を救うための開発だとしても。つまり、圧力である。ランドール人の目が彼らを見張り、一線を越えたその瞬間、罰が下るという警告を意味するものだった。
 そうでなかったとしても、不要な探究心は欲を掻き立てる。アンミール人は自分たちが「敗北者」だという自覚を失ってはいけないのだ。それがこの世界のルールだから。
 ロアは目を伏せてクライセンに了解の意を伝えた。
「急ぎ過ぎてもアンミール人の警戒心と不信感を募らせるだけで、何の結果も得られなくなるかもしれません。まずはアンバーに調査してもらいましょう。洛陽線ではなく、私たちの目の届かないところで悪意を育てている者がいるかもしれませんし」
「そうだな。何もないに越したことがないのが総意だ」
 ユグラ村に謎の化け物の遺体があったこと、村は全滅したことをレオンに報告し、この事件そのものは公にしないことになった。速やかな解決に尽力し、これ以上の被害を出さずに解決すればなんの問題もない。わざわざ善良な民に不安や恐怖を与える必要はないのだから。



*****




「そんな会議が行われた直後だったそうよ」
 ティシラは革命の始まりをクライセンたちに話して聞かせた。
「突然ではなかった。突然だと思ったのは、エミーはランドール人に関する情報をたくさん持っていたのに、対してランドール人はエミーの存在すら気づいていなかったから。その差は大きかった」
 ヴェルトがユグラ村を調査している間に、ジギルは薬の改良に成功していた。それを持ってエミーが向かったのは、山岳に潜み強盗を繰り返す野蛮な一族、トリル族だった。



 トリル族は筋骨隆々のならず者の集まりで、どこにも定着せずにあちこちの村を襲って生活している犯罪者集団だった。同じアンミール人の間でも「あいつらは悪魔だ」と恐れられており、隙あらばランドール人さえ襲うこともあった。当然マーベラスも注視しているが、人を襲うのも彼らの生活のため。攻撃されれば対抗はするものの、欲しいものを奪うとすぐに山の中に消えて、必要がなければ姿を見せない。ほとんど野生動物と同じだと判断したマーベラスはトリル族を滅ぼすという結論には至らなかった。
 ジギルもトリル族のことは知っている。関わりたくない人種ではあったが、仲間にすれば力強いのは分かる。
 魔法の扉を潜り、トリル族のいる山岳に踏み入ったジギルはエミーの背後に隠れて足を震わせていた。
 岩陰から覗くと、そこには革の鎧や貴金属を体に巻き付けた柄の悪い大男たちがたむろしていた。腰や背中に武器を携え、日焼けした肌には物々しい刺青が刻まれている。中には女性や子供もいるが、それらさえ心身ともに鍛えられた戦士の一員だった。
 穏やかな気候の下、体の大きい男たちが岩のテーブルを囲んでカードゲームに興じていた。下品な笑い声が岩に反射し、貧弱なジギルにはそれだけで心臓にビリビリ刺激が走った。
「おい、エミー、もしトリル族の奴らに話が通じなかったらどうするつもりだ」
「ああ、大丈夫。あいつら一応、人間の言葉はしゃべるから」
「そういう意味じゃない。交渉が決裂して襲われたらどうするんだって話だ」
「そのときは」エミーは肩を揺らして笑い。「皆殺しだよ」
 ジギルは頭の中が真っ白になり、無意識にエミーから離れて距離を置いた。
「よし、いくぞ」
 エミーは逃げ腰のジギルの腕を掴み、岩陰から出た。
「えっ、いや、俺はここで……」
 エミーは嫌がるジギルを引きずるようにし、屈強な男たちに真っ直ぐ向かっていった。
 トリル族を訪ねてくる余所者がまともなわけがない。見慣れぬ二人の姿にすぐに気づいた一同は手を止めて腰を上げた。笑い声は掻き消え、誰が合図するでもなく、皆が腰や背中の武器を手に取る。ジギルは飢えた狼の群れの中に引きずり込まれているような恐怖に包まれた。エミーが腕を引いていなければ腰を抜かして動けなくなっていただろう。
 エミーはまったく物怖じせず、武器を手にそびえ立つ巨漢の前で足を止めた。彼女も愛用の黒い剣を腰に提げているが、それに手をかけることはなかった。
「どうした」男は二人を見下ろし、太く低い声を出した。「迷子か?」
 周囲の男たちが軽く笑った。
「こんなとろにたどり着くなんてお前たちは運が悪い。俺たちより野獣のほうが、まだ優しかったかもしれないからな」
 男たちは更に大きな声で二人を嘲笑った。ジギルはただただエミーの影に隠れて縮こまるだけだったが、エミーにとってはそんな彼など、服に虫が付いている程度の存在だった。
「野獣は腹が減ったら飯を食うだけだが」エミーは不適に微笑み。「殺し、奪い、破壊する、強欲で醜いてめえらは世の中を汚すだけの生きた生ゴミか」
 しんと静まり返った。その代わり、重く冷たい空気が、ジギルの心臓を押しつぶす勢いで周囲を満たした。
「この中で一番強い生ゴミはどれだ」
 エミーがそう言って見回すと、男たちのこめかみに青筋が浮き出ていく。奥歯を噛む音がする。
「野蛮人と駆け引きするほど暇じゃない。てめえらは強い奴に服従するんだろ。私と勝負しな」
 ジギルは逃げ出したかったが、体が自由に動かなかった。
「……な、何言ってんだよ」声を上ずらせ。「交渉するんじゃないのかよ」
「するよ」エミーはジギルを突き放し。「あとでな」
 男たちの前に出て腰の剣を抜いた。
「一族の頭はどいつだ。早く出てこい」
 男たちは互いに顔を見合わせ、次第に笑いを零し始めた。当然の反応だった。怪物のような男たちを目の前に、貧相な少年を連れただけの細い女性がいきなり勝負しろと言い出したのだ。夢でも見てるのかと思うほど滑稽な状況だった。
 一人の男がニヤつきながら、背後にいる女性に声をかけた。
「おい、お前、相手してやれよ」
 女と言ってもエミーより一回りほど大きな体をしており、そこらの男なら蹴散らすほどの力を持っている。女が仕方なさそうに武器を手に取るそれより早く、エミーが舌を打つ。
「その女がトリル族で一番強い奴なのか? だったら、そいつを倒したらお前らは私に従うんだな」
 一同は笑うのをやめて眉間に皺を寄せた。
「おい、お前」男はとうとうエミーに剣の切っ先を向けた。「いい加減にしろよ。お前なんぞ頭が名乗るまでもねえんだよ」
「ゴチャゴチャうるさいね。私を黙らせたいならかかってきな」
 男はエミーの挑発に乗り、剣を持つ手に力を入れた。ジギルが気を失う寸前、ひときわ大きな声が響いた。
「待て」
 一族がざわついた。声の主に男たちが道を開けていく。その奥から、貫録のある大男が現れた。
 エミーは大男を見上げ、笑った。
「お前が頭か」
「そうだ。お前の度胸に免じて手合せしてやろう」
 腹の中にまで響く重い声に、ジギルは大汗を流していた。
「話はそのあとでいいな……お前が勝てば、だが」
 男は一振りで人間を真っ二つにする巨大な剣を抜いた。エミーはその半分もない黒い剣を構え、腰を落とす。
「私はエミー。魔法使いだ。お前は?」
 魔法使いという言葉に、一同は再び困惑の声を漏らした。剣士ですらないのは見て分かる。しかし彼女は細い剣一本で熊のような男に挑もうとしている。この女は頭がおかしいのだろうか。あまりの無謀さに同情する気も起きない。
「俺はトリル族で最強の男、ジンガロだ」
 ジンガロは言い終わると同時に剣を振り上げた。これだけ大きく重い剣なのに、まるで棒でも振っているかのように早い。
 勝負はすぐに決まる。誰もがそう思い、現実になった。
 振り下ろされた剣を、エミーの黒いそれが受け止める。
 無駄なこと。重さだけでエミーの剣は砕け散り、彼女の脳天を叩き割る――そのはずだった。
 しかしジンガロの剣が止まった。彼は受け入れられない現実に顔を歪め、すぐに腕に力を入れた。だが、やはりそれ以上動かなかった。
 一瞬の動揺を見逃さず、エミーは刃に刃を滑らせ、彼の胸元に飛び込んだ。
 勝負はすぐ決まった。エミーの剣が、鉄でできた防具も、分厚い筋肉も貫き、ジンガロの心臓まで届いた。
 ジンガロは目を見開き、深く刺さった黒い剣を見つめた。視界が揺れるうち、エミーは剣を引き抜き、滴る鮮血を顔に浴びる。
 やはりこれは夢か。
 頭のおかしい女魔法使いなど来なかった。目を覚ませば見慣れた空がある。そう思いたかった。
 ジンガロは体の力が抜けて膝をつく。見守っていた仲間たちが悲鳴や怒号を上げ、ジンガロに駆け寄った。
「さあこれで、お前たちは私の兵だ」
 騒然とする中、エミーは剣を収めながら一同を見下ろした。
「兵だと……」ジンガロは息を上げてエミーを睨む。「貴様、何が目的だ」
「それはこれから話す。その前に、約束しな。トリル族は今から私に服従すると。断ろうものなら皆殺しだ。強い奴に従う。それがお前らの生き方だろう。言うことを聞くか、殺されるかの違いだ。選べ」
 ジンガロは悔しそうにエミーを睨み付けた。しかしその力さえ体から抜けていく。傷は深く、もう助からない。長い間トリル族の長として、最強の男として誇り高い人生を送っていた。、なのに、こんなにも突然に終わりが訪れるものなのかと、ジンガロは絶望に打ち拉がれた。
「……貴様が、トリル族の頭になると言うのか。俺たちの財産が目当てなのか」
「バーカ。こんな野蛮人の盗品なんか興味ないよ」
「なんだと……!」
 エミーは肩越しに振り返り、茫然と立ち尽くしているジギルを呼んだ。
「ジギル! 来い」
 ジギルはもう自分で物事を判断できる状態ではなかった。言われたとおりにエミーに駆け寄る。
「薬を出しな」
「薬……?」
「ジンガロの傷を治すんだよ」
 何が何だか分からない。ジギルは液状の魔薬の入った小瓶を取り出し、倒れているジンガロに目を向けた。虫の息の彼でさえ怖い。だがあの大男を倒したエミーに一瞥され、おどおどしながらジンガロに近寄った。彼を囲む男たちがジギルを威嚇するが、エミーが大声を上げた。
「お前ら、どけ。邪魔だよ」
 エミーに逆らうことができない男たちはジンガロから離れ、怯えた子犬のようなジギルを、大きな目でじっと追い続けていた。
 視線だけで殺されてしまいそうな恐怖の中、ジギルはジンガロの顔の傍にいた女性に瓶を差し出した。
「これを……飲ませてやってくれ」
 女は怪訝な顔をして受け取り、ジンガロに目配せする。今はエミーの言う通りにするしかない。ジンガロは顎を上げて女性を促した。女性は悔しそうに唇を噛み、瓶のふたを開けてジンガロの口の中に流し込んだ。
 ジンガロは血だらけの口の中にそれを含み、無味無臭のそれを飲み込んだ。
 皆が見守る中、ジンガロは突然震え出し、痙攣を起こす。ジンガロの体から薄い煙が立ち上がった。ジギルは飛び上がって、這うように逃げてエミーの背後に隠れた。
 煙は傷口から出ているものだった。普通の人間には耐えられないほどの高熱を発し、あまりの苦痛に巨漢が悲鳴を上げ、のたうちまわる。
 これ以上の屈辱は耐えられないと、エミーを殺すべく数人の男たちが武器を握った。頭の指示を待つまでもない。刺し違えてでも……そう思ったとき、ジンガロが沈黙した。
 地面に横たわるジンガロに、女性が覆い被さるようにして彼の様子を伺った。女性は取り乱し、彼の顔や傷口に手を這わせる。
 死んでしまったか――。
 悔しさと悲しみで男たちの目頭が熱くなりかけたとき、ジンガロがうめき声を漏らした。
「……生きてるわ!」
 女性が声を上げると、男たちが一斉に目を見開いた。途端に周囲の温度が上がったかのような錯覚の中、ジンガロは胸を押さえて体を起こした。
 傷が塞がっていた、痛みも、傷痕もなかった。だがまだ乾いてもいない大量の血痕が、夢ではなかったことを証明していた。
 起こった現実を受け入れられずにいる一同を傍目に、エミーは静かに笑った。
「人間がどんなに体を鍛えようと、知恵を絞り文明を築こうと……」両手を広げ。「大地の、たった一つの息吹ですべてが消し飛ぶ」
 彼女が何を言おうとしているのか、すぐには理解できない。
「人間なんてそこらの草や虫と同じ。お前らは、そのことを学んだ」
 ジンガロはエミーに敗け、エミーに命を救われた。もう彼女への敵対心はなかった。
「……お前は、その大地だとでも言いたいのか」
「大地の一部だ。お前たちも同じだよ。この世の真理を知れば、母なる大地の言葉が聞こえるだろう」
 そう諭すエミーは、今まで一緒にいたジギルでさえ同じ人間には見えなかった。





   

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