SHANTiROSE

INNOCENT SIN-48






 ジンガロはエミーを契約を交わしたあと、トリル族の元に戻っていった。
 その日の夕刻には別の村の、三人の男が扉の間を訪れた。それらはトリル族のように特別何かに秀でているわけでもなかった。
 エミーは魔薬を飲んだ兵士を「魔士」と名付けた。
 何人かの魔士を見て、ジギルはその様子をよく観察した。彼らは普通の人間より一回りも二回りも大きかった。体の一部が肥大していたり、角が生えていたり、耳が尖っていたり、片目が飛び出るほど大きくなっている者はもう片方の目が潰れていたりと、興味深く、そして嫌悪感を抱く姿をしていた。肌の色は赤や青、黒、緑と様々で、元が人間であることは分かるが、最早彼らは「人語を解する化け物」でしかなかった。
「元々持つ体力や能力に応じて姿が変わるみたいだな」
 思ったよりジギルは冷静だった。
「体の内側で精製される魔力は代謝や体力と同じように常に消費されている。魔法を使えばそれだけ多く消費されるようだ」
 ノートにペンを走らせながら独り言のように話すジギルに、エミーは改めて信頼を寄せた。
「つまり、暴れれば暴れるほど、早死にするってことか」
「そういうことだな。魔力を増やす魔薬を体外から摂取することもできるかもしれないが、本来はただの人間。その肉体を無理に稼動させるのだからどうせ長くは持たない。魔士になった限り、呼吸をしているだけで通常の何倍も早く生命力が燃え続けているということだ」
「そうか。今のところ上出来だね。改善の余地ができたら、また頼むよ、先生」
「でもこのままじゃ、ただでさえ数が少ないこっちの兵士の消耗が早すぎないか。マーベラスがそのことに気づいて、防衛に徹して時間稼ぎを始めたら不利だろう」
「いいんだよ。兵士が足りなければ作ればいい」
「作る?」
「人手が集まったら兵士の畑でも耕そうか」
 恐ろしいことを口走りながらけらけらと笑うエミーは、やはりジギルには悪魔に映った。



 その日の夜だった。日付が変わったあと、一羽の大きな鷲が落陽線の夜空に羽ばたいた。
「来た」
 扉の間で眠らずに待機していたエミーが呟くと、傍にいたジギルが体を大きく揺らした。
 一時間ほど前に、エミーは部屋で研究をしていたジギルを呼び出した。
「アンバーが来る?」
 そうエミーに告げられ、ジギルは震えあがった。
「何かに気づいたようだね。だがまだ確信は持てないんだろう」
「どうして分かるんだよ」
「アンバーは一人でここに向かっている」
「一人で?」
「ああ。部下も護衛も付けず、一人だ。できれば何もないことを願い、穏便に済ませたいと考えているようだね」
「ど、どうすればいい? ああ、寝たふりをするか、急いで酒を飲んで泥酔でもするか……」
「そんなことをしても無駄だよ。ここに何かあるのかないのか、はっきりさせるために城の中を捜索される。そんなことはさせない。ジギル、お前はアンバーに会うんだ」
「会って、何て言えばいいんだよ。何も知らないってシラを切ればいいのか? アンバーはそれだけで信用してくれるのか?」
 頭を抱えておろおろと辺りを歩き回るジギルだったが、エミーはやはり笑っていた。



 深夜の仕事がある者以外のほとんどが寝静まっている時間、藍色の夜空を背に、アンバーが赤いマントを揺らして落陽線の広場に降り立った。
 落陽線はいつもと変わりはないように見えた。アンバーは鷲を広間の端に座らせ、城跡に目線を移す。今まで明るい時間にしか訪れたことはなかったが、何度か夜間に見回りに来たことがある。城跡の窓の一つから、いつも小さな灯りが漏れていた。ジギルの勉強部屋だ。その様子もいつも通りである。
 窓から広場が見える場所に住んでいるモーリスは、すぐにそこに向かった。もう眠ろうとしていた矢先だった。家着のままでは失礼だが、着替えて身なりを整えるほどのんびりとしていいとは思えなかった。こんな時間に彼が現れるなんて、今までに一度もなかったのだから。
「アンバー様」急いでガウンを羽織ったモーリスが駆け付けた。「どうなさいました」
「モーリス、夜分に失礼する。村人を不要に騒がせたくなくてね。ジギルに尋ねたいことがあるんだ。呼んでもらえるか」
 モーリスは息を飲んだ。アンバーは城跡に灯る光を見つめている。
「ジギルを呼んできます……でも、彼もたまに、灯りを点けたまま眠っていることもありますので……」
「そのときは、悪いが起こして来てくれないか」
 間髪入れずに言うアンバーは、いつもより冷たく見えた。それでも、自ら城跡に乗り込まないだけまだ寛容で友好的な態度を保っている。モーリスははいと頭を下げ、ジギルの元に向かった。
 起きていた村人の何人かが窓から広場の様子に気づいて覗き始めた。隠れるように灯りを消す者もいれば、身を乗り出す者、家を出て遠巻きに見つめる者が増えていく。
 心配そうな村人の気配に気づき、モーリスが一度戻ってきた。
「みんな、家に戻ってもう寝なさい。何かあったら報せるから。はい、早く、早く」
 村人は言われるままに戻っていった。どうしても気になる者だけが窓や物陰から覗いていたが、それはもう放置し、モーリスは再び城跡に走った。
 裏口に回ると、分かっていたようにジギルがドアの前にいた。
「ジギル、アンバー様が……」
「知ってるよ」
「知っている? 何をだ? アンバー様は何のために、こんな時間に、たった一人で、お前に会いにいらっしゃったのだ?」
「さあ」
「さあ? お前はさきほど知っていると言ったではないか」
「来るのは知ってたっていう意味だよ。あいつは俺を呼んでるんだ。行けばいいんだろ」
「ま、待ってくれ……大丈夫なのか? ジギル、お前が、どこかに連れていかりたりするのではないのだろうな」
 ジギルの服を掴むモーリスの手は震えていた。暗くて分かりにくいが、顔も青ざめている。彼がここまで怯えているのは、「革命」の話をしたからだ。気の毒なほど怯えているモーリスを見ていると、話した時点で巻き込んでしまっていたことにジギルは気づき、申し訳ない気分になった。
「心配しなくていい」ジギルはモーリスに背を向け。「なるようになるだけだ」
 そう言って、アンバーと向き合った。
 アンバーはジギルの姿を見て数回瞬きをした。彼にも変わった様子はなかった。いつものように暗い表情で自分を睨み付けている。
「ジギル、夜遅くにすまない」アンバーに敵意はなかった。「ある村で妙な事件が起きた。そのことで、確認しておかなければいけないことがあるんだ。質問に答えてくれるか」
「へえ、あんたがこんな時間に、たった一人で来るなんて、よほどのことが起きたんだな」
「そうだ。そのよほどのことに、君が何も関係ないと答えてくれると期待しているんだよ」
「なら早く質問しろよ。俺になんの関係もなければあんたはさっさと帰ってくれるんだろ?」
「そのつもりで来た。では聞くが、君は最近なんの研究をしている?」
「はあ? ある村で事件が起きたんだろ? それと俺の趣味と何の関係があるんだよ」
「あるかもしれないから尋ねている。答えてくれ」
「俺の趣味にとやかく言われる筋合いはない。質問は終わりか?」
 アンバーはジギルの表情を注意深く探っていた。やはりいつもの彼だ。反抗的で生意気で、敵でも味方でもなく、自分本意な返事しかしない。アンバーもまた、彼の言うことももっともだと思い、質問を変える。
「そうだな。では、率直に訊こう――君は、ある村が化け物に襲われ、一夜にして皆殺しにされた事件は知っているか?」
 そこでジギルの目尻が動いた。だがまだそれだけでは答えにはならない。知らなかったのなら、こんな凄惨な事件を聞いて驚いて当然なのだから。
 ジギルは間を置き、目線を落とした。答えを待つアンバーには、彼がこれから何を言うのか予想ができない。
「……ユグラの村のことだろ」
 想像していなかったジギルの言葉に、アンバーは無意識に奥歯を噛んでいた。アンバーはすべての予想を白紙に戻し、ニュートラルな状態でジギルを見つめた。
「どうして知っている?」
「見てたからだよ」
「見てた……?」
 アンバーは内側からこみ上げる困惑を必死で制御した。冷静にならなければ。ジギルがすべてを話してくれるなら、決して責めてはいけない。彼の知ることをすべて聞き出す必要がある。俯いて声を低くしている様子から、何か重要なことを伝えようとしているに違いない。彼が自分に歯向かってくる可能性ももちろんある。そのときは、少々乱暴な措置も致し方なし。
「ジギル、知っていることを話してくれるか」
 ジギルは少し顔を上げて、ボソボソと話し始めた。
「あんたが、こないだ来たとき、鳥が騒いでたって言ってただろ。あれ、ある魔法使いがやったんだよ」
「魔法使い? ランドール人か?」
「いいや、アンミール人だ。そいつはここに居ついて、俺に、ある薬を作るように言った」
 そこまで聞いたアンバーは、確実にジギルはユグラの事件に関わっていることを読み取った。だが分からないことだらけだ。アンバーはとにかく感情を捨て、彼の話に聞き入った。
 その紫の瞳には冷たく、鋭い光が灯っていた。夜空の下、瞳孔が開き、瞬きもせずジギルを見据えている。城跡の影から見守っていたモーリスはアンバーの表情に飲まれ、寒気を感じた。あんな恐ろしい目をした彼を見たことがなかったのだ。マーベラスは味方ではないが、彼だけは友好的に接してくれていた。きっとアンバーは他の者とは違い、落陽線の村人を理解して贔屓にしてくれている。そう信じていた。しかし、彼もやはり世界最強の魔法軍人の一人。そのことを思い知ったモーリスは膝を震わせ、今にも倒れてしまいそうなほど慄いていた。
「俺は言われたとおりに研究を行った。無理やりじゃない。興味があったんだ。初めてのものに触れて、楽しかった。もっともっと、知りたくて仕方がなかったんだ」
 こんなに素直なジギルは初めてだった。まだ彼がランドール人の敵なのかどうか確かではない。
 もしかしたら助けを求めているのかもしれない。アンバーはじっと、ジギルの様子に集中した。
「できた薬は、人間を、化け物に変えた――」
「……その薬を、ユグラの村人に飲ませたのは、君なのか」
「そうだ」
「村は滅んだ。それは君が望んだ結果だったのか」
「……違う」
「ならば、その魔法使いが望んだものだったのか」
「それも違う」
 ジギルは一つ息を吐いて、顔を上げて自分より背の高いアンバーを見上げた。
「俺たちが望んだのは、あんたたちと対等に戦える化け物を作ることだった」
「…………」
「だけど失敗した。そのときに、俺は自分のしていることの重大さに気づいた。だがもう手遅れだった。犠牲者が出た。いずれあんたたちにここを突き止められる」ジギルはアンバーを指さし。「現に、あんたはここにいるだろう。全部俺たちの予想どおりだ」
 アンバーは静かに、内側に、ジギルへの敵意を抱いた。
「……では、次はどうなると予想している?」
「さあな」ジギルは手を下ろし。「どうすれば俺の罪は消える? 消えないなら、償う方法はあるのか?」
 ジギルの瞳は虚ろだった。アンバーを見つめていると思った目線は焦点がずれており、ふっと空を仰いだ。
「いくら考えても、もう取り返しのつかないことになっているとしか思えなくて、どうしたら元の平穏な日常に戻れるのか、どこにも答えなんかなかった」
 ジギルは再びアンバーを見つめた。
「なあ、ランドールの偉大な魔法使い様……あんたなら、俺を救えるのか?」
 アンバーは眉を潜めた。ジギルの本音が、まだ見えない。
「俺は、この村を守りたいんだ」
「……それは、本心か」
「嘘ついてどうするんだよ」ジギルは皮肉に、鼻で笑った。「ユグラの人体実験は失敗だった。あれじゃダメなんだ。もっと強い化け物を作らなくちゃいけない。あんな制御の効かない爆弾みたいなものは役に立たない。あんたたちの強力な魔法に太刀打ちできない。だから俺は薬を改良し……今度は、成功した」
 アンバーの体に電流が走ったような衝撃が走った。
 まずい。
 足を引こうとした、その直前、足元から青い魔法陣が浮かび上がった。
 それは広場を埋め尽くすほど巨大で複雑な、だが魔道を極めたはずのアンバーでも見たことのない構成の魔法陣だった。広場の端のいた鷲は耳をつんざくような悲鳴を上げながら、大きな翼を広げて上空に飛び上がった。
 何も知らずに魔法陣の中央にいたアンバーは青い光に縛られ、体が動かない。彼は苦痛に顔を歪めながらも、体が潰されそうなほど強い重力に抵抗した。
「ジギル……! 一体、何を……」
「もう無理なんだよ!」ジギルの足元だけ光が避けている。「後戻りはできないんだ!」
「こんなことをして、どうなるか……!」
「分かってるよ! お前たちは俺たちを敵と見做して攻撃する。もう謝ったって許しちゃくれないだろ。お前はここに、俺たちに制裁を与えるために来たんだ。最初から、話し合う気なんかないんだ!」
 アンバーは言葉を失った。
 決して落陽線の村人のことは嫌いではなかった。だが立場上、彼らに自由を与えるわけにはいかなかった。そのことは互いに理解しあっているつもりだった。
(どうやら……私の思い上がりだったようだな)
 アンバーは己の未熟さ、甘さを後悔しながら、血を吐いた。青い光の鎖が全身を締め付け、次第に体の内側に侵入してくる感覚に気が遠くなる。
「エミー!」ジギルが突然慌て始めた。「この場でアンバーを殺すなんて聞いてないぞ!」
 叫びながら魔法陣の外に駆けていくと、城跡の二階の窓から彼女が姿を現した。
「ジギル! 離れろ!」
 エミーが怒鳴ると、地鳴りが起こった。足元をすくわれたジギルは体制を崩し、更に背後から強い衝撃を受けて吹き飛ばされた。
 何が起こったのか考える間もなく、ジギルは壁に叩きつけられ、地面に転がる。
 激痛で体を起こすことができず顔だけ上げると、まるでそこだけ強い地震でも起きたかのように広場の石畳が全壊していた。魔法陣は消え去り、その中央には呼吸を乱しながら口元の血を拭うアンバーがエミーを睨み付けていた。
「へえ、さすが。世界一美しい魔法軍マーベラスとかいう悪趣味な名前は伊達じゃないんだね」エミーは舌なめずりをし。「でも、それにしては無様な反撃なんじゃないかい? 血に汚れながら広場を壊すなんて……もっと優雅でスマートな魔法を見せてくれると思ったのにさ」
 アンバーは獣ような目を見開いた。
「……貴様が、アンミールの魔法使いか」
 エミーは城から飛び降り、アンバーと距離を置いて向き合った。
「どうも、初めまして。ランドールの偉大な魔法使いさま……」
「驚いたな」アンバーは深く目を閉じたあと、いつもの表情に戻った。「女性にこれほど乱暴な挨拶をされたのは初めてだよ」
「育ちが悪いもんでね」エミーも目を細めて笑う。「あんたらみたいなお上品な紳士には刺激が強すぎたかな」
「そうだな。では、上品な紳士に分かるように教えてもらおうか……貴様の目的は何だ」
「今ここで、革命軍スカルディアは、マーベラスに宣戦布告する!」
 アンバーはあまりに突然のことに呆気にとられて立ち尽くした。
「さあ、とっとと立ち去り、偉いお方に報告しな。そして臨戦態勢に入るんだよ!」
「待て! 私たちの戦う理由はなんだ!」
「うるさいね! その話はあとだ! 早く消えな。じゃないとここで殺すよ!」
 エミーの両手から光の茨が飛び出し、手負いのアンバーを襲った。なんの準備もしてこなかった彼には不利な状況だった。避けるより早く、上空で待機していた鷲が急降下してきた。アンバーは鷲の足に捕まり、紙一重で攻撃を躱した。
 アンバーは体制を整え、鷲の背から村を見下ろした。エミーがじっとこちらを見つめていた。これ以上長居するとまた攻撃が始まる。
 今夜の彼女の目的はマーベラスに宣戦布告すること。
 これ以上の収穫はないと判断したアンバーは、重い現実を受け入れて皇帝陛下の元へ走った。





   

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