SHANTiROSE

INNOCENT SIN-52






「私の想像だと――」
 数時間後、エミーはモーリスにもらった朝食のサンドウィッチをかじりながらジギルの部屋にやってきた。
 大きな歴史の転機となったあとでも、早朝の清らかな空気はいつもと同じだった。
 ジギルは緊張が続いてしばらく一人で考え込んでいたのだが、自分が思う以上に心身ともに疲れ切っており、いつの間にか眠ってしまっていた。体はまだ節々に痛みが残るだけでだいぶ回復していた。
「――レオンは何もできないだろう」
 ベッドに腰掛けたままのジギルは、彼女の持ち込んだサンドウィッチをもらって大人しく話を聞いた。
「どうしてそう思う?」
「いくら立派な勇者の血を引いていようと、所詮は知識も経験もないガキだからな。しかもレオンは戦争を知らない。邪魔者は世界の隅に追いやった、美しく完璧な世界の皇帝として何の苦労もなく育ったお人形だ。あいつはただ、毎日優雅で綺麗な場所で、平和と安寧を祈るだけだった」
「へえ」ジギルは少々痛む首を片手で押さえながら。「ランドール人はそんなガキを崇めて有難がってんのか。裕福な奴らの価値観は理解できないな」
「ザインが使い物にならないが、代わりもいない。苦肉の策だったのさ。それと、天使の王、アカシアが少年の姿をしている。質のいい純真無垢な子供は神に等しい輝きがあると、うまいこと神輿に担ぎ上げたわけだ」
「ふうん。まあそれでうまいこと国が治まっているなら、レオンもそれなりに宿命みたいなものを持っているんじゃないのか」
「そりゃあるさ。あんな温いガキでも潜在能力は大したもんだ」
「どんな能力なんだ?」
「そこまではまだ分からないよ。本人も分かってないだろうね」
「だったらなんで凄い潜在能力があるなんて言えるんだよ」
「私はね、大地を通じて植物から情報を得ることができるんだよ」
「植物から?」
「といっても人間同士の会話とは違って抽象的な部分も多いがな。それでもこの世の情勢や大きな動きくらいなら十分に理解できる」
 初めて聞く話だった。ジギルは一気に頭の中にたくさんの思考が流れ込み、手を止めた。
「じゃあ、魔薬のことを知ったのも、植物からの情報なのか?」
「そうさ」エミーは顎を上げてふっと笑った。「魔薬は自然に生きているただの植物だ。最初は別にそこにそれがあるからと言って何とも思わなかった。だけどな、蓋を開けた者がいると知って、興味が湧いたんだ」
 自分のことだ。ジギルは気まずそうに目線を落とす。
「森は言った。魔薬を悪用すれば世界が揺れる。人間は狡猾で欲深い。我々植物にとって人間は悪魔だ、と」
「なんだよ……俺は悪魔かよ」
 だがそう悪い気はしなかった。それでいいと思う。あの洞窟を見つけたのが自分ではなかったら、こんなことにはならなかったのだから。
「森は言った」エミーはそう繰り返し。「魔薬を見つけた者が悪魔かどうか、確認して欲しいと」
 ジギルは再び顔を強張らせた。エミーは目を細めて続ける。
「その者は、正しい知識を持った無邪気な少年だった。だから私は運命に従うことにしたんだよ」
 ジギルは震える手で拳を握った。
「……やめろよ」途端に、あの嫌悪感が身を包む。「お前までそんなこと言うのか」
「は?」
「運命って、なんだよ。俺にそんな大きな力はない。やめろって言っただろ。買い被るのもいい加減にしてくれよ!」
「買い被ってなんかいないよ。お前は自分に違和感を抱いているんだろう。分かるよ。だってお前は、レオンと同じ、運命の神輿だから」
「――――!」
「どうして自分が? 自分に何ができる? 特別なことは何もないのに、周りが自分を必要とし、勝手に心の拠り所にされ……無意識にその役目を果たしている」
 そんなことはない。そうジギルは心の中で繰り返した。
 レオンと同じ? 運命の神輿? 一人を好み本を読んでいただけなのに、どうしてそんなことを言われなければいけないのだろう。
 ジギルが完全に塞ぎこむ前に、エミーから緊張の糸を切った。
「ま、そんなに深く考えなくていい」笑いながら肩の力を抜き。「運命だとか言っても、そんな目に見えないもの、誰にも証明することはできないんだから。信じろってのが無理な話だ」
「じゃあなんでそんなこと言うんだよ!」
「そんなに怒るな。お前が自分は悪魔かと聞くからこんな話になっただけだろう。とにかく、お前は今まで通り、自分の好きにやればいい」
 窓から朝日が差し込む。
 そろそろ村人の前に出なければいけない時間だ。こんなときに余計なことを言うエミーを疎ましく思いながら、残っていたサンドウィッチに噛り付いた。
「何にしてもレオンに未知の潜在能力が眠っているのは確かだ。だから私たちはそれが目覚める前に決着をつけなければいけない」
「決着っていうのは」ジギルも気を取り直し。「もしかして、レオンが標的なのか?」
「何言ってんだ。私たちの目的はリヴィオラだ。ぶれるんじゃないよ!」
 エミーは強くジギルの背中を叩く。ただでさえ全身に軋むような痛みのあるジギルは声にならない悲鳴を上げた。
「レオンを殺したところで私たちに何の得があるんだ」
「こ、殺すなんて言ってないだろ。お前がレオンを注視してるから……」
「レオンの力が未知であるように、魔薬の力もランドール人にとって未知のもの。先に目覚めた私たちのほうが優勢なんだよ。レオンと今までの王の違うところは、取捨選択の役目がなかったことだ。いいかい、昨日今日それをやれと言われてできる子供はいない。だから安心しな――」

 ――レオンは、何もできない。

 そう断言したエミーの予感は、的中する。



*****




 会議は結論が出ないまま、いったん休止となった。
 現状を把握したうえで、これからどう対応していくのかを決めて指示を出すのはレオンの役目だ。自分の立場は理解している、つもりだった。
 レオンは苦しそうな表情で口を開こうとし、言葉を飲み込んで俯くという仕草を繰り返していた。
 彼の心情を理解できる一同は急かすことはしなかったが、見兼ねたラムウェンドが休憩しましょうと皆に言ってレオンを部屋から連れ出した。
 広く長い廊下には警備兵も姿もなく、静かだった。等間隔に並ぶ大きな窓からは朝日が差し込んでいる。レオンは血の気の引いた顔で白む空を眺めた。その下にはきれいに整えられた城下町が地平線まで広がっている。
 何度見ても飽きることのない美しさだった。いつもの風景だ。今はまだ。
「……私は、何も知らない」
 一歩後ろで佇むラムウェンドの顔を見ず、レオンは呟いた。
「この景色が壊れるなんて、想像もできないほど無知で無力な子供です」
「心中お察しいたしております」ラムウェンドも彼の顔を見ずに。「レオン様の望みをお聞かせください」
「望み……? 言うだけなら、私でもできます。私の望みは、この平穏が、ずっと続くこと。それだけです」
「では、そのように仰ってください」
「言えば、叶いますか?」
「叶うよう、我々が尽力いたします」
 レオンは再び閉口した。もう十分に考えた。会議の間、ずっと「争いなんかしたくない」と心の中で唱え続けた。そのたびに、言うだけなら簡単だと自分を戒め、平和を守る手段を考えた。
 だが、何も答えは出なかった。
 当然だ。平和を望む以前に、レオンは戦争を知らないのだから。漠然と、人がたくさん死に、古いものも新しいものも破壊されるというイメージだけは持っている。目の前に広がる美しい風景が無くなってしまうなんて、信じられない。
「どうしたら、守れますか?」
「貴方の思うがままに、言葉になさってください」
「それでいいんですか?」
「それが、貴方のお役目です」
 レオンはゆっくりと振り返り、目線を落としたままのラムウェンドに向き合った。
「争わず、犠牲を出さすに、平和な解決を、私は望みます」
 ラムウェンドは目を合わせないまま、頭を下げた。
「御意」


 その後ラムウェンドはレオンには自室で休むよう伝え、自分は会議室に戻って皇帝陛下の言葉をクライセン達に伝えた。
 そうだろうと思っていた彼らは驚かず、思案した。
 責任を感じているアンバーは密かに奥歯を噛み、目の前でレオンを侮辱され静かに怒りを募らせているロアも目尻を揺らした。
「対話を最優先、ということだ」クライセンは小さく息を吐き。「でも争わず、犠牲者を出さず、というのは、ちょっと厳しいかもね」
 ここからはマーベラスが指揮を執る。クライセンは肩の力を抜き、素の表情を出した。
「あれほどの悪意と無礼」ロアも緊張を解き。「即刻罰すべき。きっと心優しきレオン様もあの邪悪さをご覧になれば考えが変わられそうなものですが」
「そうかもしれないが、まずはできることからやっていこう。敵の目的も曖昧なままだ。リヴィオラがどうとか言っているが、本当は別の狙いがあるのかもしれないし。今は情報が少なすぎる」
「しかし、敵が襲ってくれば抗戦せざるを得ません。相手が分別のある軍隊ならば私たち戦闘員が盾になれば事足ります。だがそうでなかった場合は民間人の犠牲は避けられません」
「ロア様」とラムウェンド。「それは、私からレオン様にお話しします」
「そうだ。私たちの役目は『できる限り』犠牲者を抑えること。それが陛下の命令だ」
 たとえ非現実的で無茶な命令でも、マーベラスにとってレオンの言葉は絶対。どれだけ犠牲が出ようと、「できる限り」最小限に抑える。それが彼らの役目なのだ。
 思ったより早く、犠牲も出ないうちに終戦するに越したことはないが、その可能性は除外して作戦を立てなければいけない。
(変化する状況を見て、レオン様が迅速に命令を出してくださればいいが……)
 クライセンは自らが犠牲になってでもと、レオンの成長に期待した、せざるを得なかった。

 時には残酷な決断も必要。歴代の王もそうやって平和を守ってきたのだ――そのことを、レオンに知ってもらうには知識と経験が必要だった。
 一同はこれからすべきことを確認し、すぐに行動に移した。



*****




 ジギルは重い足取りで城跡を出た。近くの広場はアンバーに破壊されたため、その次によく人が集まる公園に向かう。彼が到着する頃には、既にたくさんの村人が不安そうな顔で集まっていた。
 村人はジギルの姿を見るなり一斉に注目し、取り乱すことなく彼の言葉を待った。村人の先頭にはモーリスがいる。両親の傍で小さくなっているイジューの姿もあった。
「あの……」ジギルは何から話せばいいか分からないまま、口を開いた。「昨日、起こったことだけど……えっと、エミーっていう魔法使いがいただろ? 俺、あいつと、革命を起こすことになったんだ」
 村人はざわつき、顔を見合わせている。当然だとジギルは思う。この狭い村で呑気に暮らしていた村人に、こんなことを言ってすぐに理解できるわけがない。
「みんなも見たと思うけど」黒い茨の要塞と化した森を指さし。「角の生えたでかい化け物、あれ、俺たちが造った戦士なんだ」
 夜が明けた今は、魔士たちのほとんどは茨の影で休んでいるらしく、姿はなかった。
「簡単に言うと、ランドール人と戦うことになったってこと」
 ある程度の情報は伝わっていた村人は、思ったより落ち着いていた。中には不満そうな者、悲しそうな顔をする者もいたが、声は上げなかった。
「でもお前たちは何もしなくていいから。だから詳しくは話さない。これから、村と、革命軍の拠点となる城跡と茨の森の間に壁を作ろうと思う。なんの影響もないとは言えないが、お前たちは今までどおり生活していて欲しい。魔士たちには村には関わらないように言っておく」
 いつもは次から次に「先生」に質問ばかりしてくる村人だったが、さすがに今は困惑している者ばかりだった。
「これは、俺が勝手に決めて勝手にやってることだ。文句がある奴は村を出ていってくれ。もうアンバーはここを監視には来ない。ランドール人の支配は終わった。今後はみんなそれぞれに、自分で考えて、自由に行動するんだ。何ならランドール人に助けを求めるのも一つの手段だと思う。宣戦布告したのは俺とエミーの組織だから、もしかしたら戦う意志のない者は保護してくれるかもしれない。そうじゃないかもしれない。みんなが選んだ結果に、俺は責任を持てない。今から、そういう時代になったんだ。だから、みんな、好きに生きてくれ」
 これで話は終わったつもりだった。
 ジギルが踵を返そうとすると、モーリスが一歩前に出た。
「ジギル、私に、何かできることはないだろうか」
 村人がざわついた。
「私はお前の味方をしたいと思っている。ランドール人は、今だから言うが、あまり好きではないんだ。彼らをやっつけたいとか、勇敢に戦いたいとか、そういう勇ましい気持ちはないが、多少のリスクを背負っても、私は、自由に生きてみたい」
 そんな意志を抱いたのも、ジギルのおかげ――同情ではなく、モーリスは心の底からそう思っていた。
「村人と話をしたんだ。マーベラスに監視されると同時、確かに援助も受けていた。それが平和だと信じていた。しかし、今回のことがなかったとしても、もしも世界のルールが変わり、突然マーベラスの干渉がなくなったとしたら、私たちはどうなるのか? どうすべきなのか? あり得ないことではない。今がそのときではないだろうか、と、私は村人に問いかけた」
 ジギルに苛ついた顔で睨み付けられても、モーリスは引かずに続けた。
「もちろんすぐに答えは出せない。これから一人一人、自分で考える。その結果、お前の力になりたいと思う者がいたら、受け入れてくれるか?」
「……ねえよ!」ジギルはかっとなって怒鳴りつけた。「お前らにできることなんか、何もねえよ! 今まで人の言いなりになってた雑魚どもが。俺がいないと何もできないくせに、つけあがるな!」
 村人の顔が一斉に強張った。ジギルの悪態には慣れていた。だが、今の彼の言葉はあまりに冷たく、彼を信頼していた村人の心を切り裂いた。
 ジギルはもう、この村の家族ではない――。
 怒りや悔しさ、寂しさなどの様々な感情が村を覆った。
 モーリスはまだ言いたいことがあるはずなのに、言葉が出てこず頭を垂れている。
 ジギルが気まずいながらも立ち去ろうとしたとき、イジューが飛び出した。紙も鉛筆も持たない彼女は咄嗟にジギルの手を掴み引き寄せ、彼の手の平に人差し指で文字を書いた。
『エミーさんは、いい人?』
「…………」
 モーリスと彼女の両親がそっと背後から覗きこんだが、イジューが何を書いたのかは分からなかった。
 ジギルは考えがまとまらないうちに、首を横に振った。
『じゃあ、悪い人?』
 続けて質問をするイジューに、ジギルは小さく頷いた。
 イジューは手の力を抜き、俯いた。この短い会話は傍にいたモーリスにも両親にも、当の本人であるエミーにも伝わるこはなく、二人だけの秘密となる。
 エミーは善人でも悪人でもないと答えを出したはず。なのに、どうしてイジューにはそう答えてしまったのか、ジギルは困惑した。
 ジギルは彼女の手を振り払い、早足で、逃げるように村人に背を向けた。





   

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