SHANTiROSE

INNOCENT SIN-66






 ロアが一人、北側の屋上で風に当たりながら頭を冷やしていたとき、遠くから城に向かって来ている大鷲が見えた。かなりの速さを出しており、巨大な翼の間にはためく赤いマントですぐにクライセンを乗せたそれだと分かる。
 クライセンも屋上にいるロアの姿を見つけ、なぜ彼がそこにいるのか不思議に思いながらもそこに方向を変えた。クライセンを乗せた鷲は、リヴィオラの傍を迂回してロアの頭上で翼を大きく上下させて停止飛行状態になる。竜巻のような風を起こしながらゆっくりと屋上に着地し、翼を収めるより早くクライセンが降り立った。
 二人の魔法使いが顔を合わせる。クライセンが鷲の頭を撫でて礼を伝えると、鷲は再び巨体を揺らして地上に舞い降りて行った。
「ロア、レオン様は?」
 彼がここにいる理由より先に、クライセンは今の状況の確認を始めた。ロアの鋭い目つきはいつもと同じのようで、違って見えた。
「レオン様は少々お疲れです。ラムウェンドが傍にいます」
「私のドッペルゲンガーはもう来ているのか?」
 そこで、ロアは嫌なことを思い出したかのように目尻を揺らした。
「はい。彼も客室で休憩とのこと」
「休憩? じゃあもう話は終わったのか?」
「一区切りしたのではないでしょうか」
「君は話してないのか?」
「とくには」
「会ったのか?」
「一応」
 どうも話しにくい。クライセンはロアの異常を無視できなくなる。
「何かあった?」
 察した様子のクライセンに、ロアは改めて一瞥を送る。
「会えば分かる……と言いたいところですが、あなたは会えないんでしたね」
「……私のドッペルゲンガーに何か問題があるのか?」
「さあ、どうなんでしょう。彼の人格がどうであれ、そこはこの世界には関係のない部分なので」
「つまり、私のドッペルゲンガーの人格が、私とは違うということか」
「それもどうなんでしょうね。ドッペルゲンガーは偽物でもあり、本物でもあります。あなたと彼の本質は同じということなのでは?」
「ちょっと待ってくれよ」クライセンは困惑し、冷や汗を流す。「ドッペルゲンガーが君に何か酷いことをしたのか? それで、君はそんな彼と私が同じだと判断し、私にきつく当たっているのか?」
「そういうわけでは……」
「そうにしか見えないよ」クライセンはため息をつき。「君がそこまで怒るなんて、彼の人格は私とは相当かけ離れているようだね。そんなに違うのに、本当に彼がドッペルゲンガーだと信じる理由はあるのか?」
「……残念ながら、彼は本物です」
「本物? どういう意味?」
「本物の、高等な魔法使いです」
 ロアは感情を鎮めて、声を落とした。
「彼が本当にあなたのドッペルゲンガーかどうかはそれほど問題ではないのです――なぜなら、彼は私たち以上に、いえ、現状では、おそらくレオン様以上に格の高い魔法使いだからです」
 クライセンは息を飲んだ。先ほどまでの苛立つロアだけでも珍しいというのに、マーベラスのトップである自分たち以上の魔法使いの存在を、目で見るまでは簡単に信じることができない。
「彼は大変非常識で、横柄で傲慢な人でした。誰に敬意を払うこともせず、ろくな説明もなしに、強引に私たちの国を牽引しようとしています。しかし、彼の言葉に間違いはなかったのです。短い時間に陛下の心を開き、眠っていた力を引き出しました。そして、私たちが長いあいだ信じてきたことを否定し、土台から破壊しようとしています」
 ロアの言葉は抽象的ではあるが、付き合いの長いクライセンには事の重大さが十分に伝わっていた。
「絵空事とも狂言とも思いませんでした。現に、私たちが守ってきた陛下が、まるで別人のように変わってしまわれていたからです。彼が、レオン様に対してなんの思い入れもない、別の世界からやってきたランドールの高等魔法使いだからこそできる所業なのでしょう」
 ロアが胸中穏やかではない本当の理由も分かった。彼は悔しいのだ。突然現れた「ドッペルゲンガー」という化け物に、この世界の行く末を見透かされていることが。とくにロアには、父親ほどではないが予見の力がある。その力で薄々勘付いていた「違和感」を自分で解決できないでいる事実に歯噛みせずにいられないのだろう。
「そうか……」
 クライセンは聞きたいことが山ほどあったが、今は問い質すことはせずに体の力を抜いた。
「こっちは、ティシラから聞いたとおり、しばらくして敵軍は明確な理由もないまま撤退したよ。だから信じた。だから、君の話も全部信じる」
 ずっと膠着状態だった戦況に変化があった。敵が撤退したことは、クライセンにとって安堵ではなく、「終わりの始まり」だという確信が生まれた出来事だった。その場にいた部下たちにあとは任せ、一人で急いで戻ってきたのだった。
「それにしても」クライセンは空を仰ぎながら眉尻を下げた。「もう一人の私が、まさかそんな性格とはね」
 そのせいで親友のロアを傷つけたようだ。しかし自分が謝るのも違うと感じ、困ったように笑った。
「もう一つの世界の歴史でもいろいろあったみたいだけど、私がそうなったのはたまたまのことじゃないかな」
 ロアも気持ちを切り替える努力をし、やっと目元に穏やかさを取り戻しつつあった。
「世界最高の、唯一無二の魔法使いか……私はそこまで求めていないけど、どうして私だったんだろうね」
 ランドール人の生き残りという話はティシラから聞いているが、その役目が自分である必要はないはず。クライセンはそう言いたかった。
 ロアは分かっていた。なぜ彼なのか。
 二人のクライセンはまるで別人だ。だが、たった一つ、共通点がある。
 ティシラだ。彼女がクライセンの存在価値に大きな影響を与えているのだ。だがロアは彼女の名を口にする気にはなれなかった。
「レオン様から、大事なお話があるそうです」ロアは目を伏せて。「いずれ世界中が知ることだと思いますが、陛下のご要望で、少人数での会議を行います。幹部に声をかけ、人を集めましょう」
「ああ、分かった。その前に、君が見聞きしたことだけでも先に聞かせてもらえないか」
 二人はその場で少し話をし、すぐに行動を起こした。



*****




 槐のマントを羽織ったミランダがジギルの部屋のドアをノックした。隣にはマントのうえから白いエプロンを着けたベリルがいる。
 返事がない。ミランダがドアを開けて中に入ると、カームはソファでうたた寝しており、ジギルはベッドに横になっていた。
「カーム、寝てるの?」
 ミランダがカームの肩を揺らすと、すぐに目を開けた。
「あ、ミランダさん。すみません、考え事をしていたらウトウトしてしまったみたいです」
「疲れてるのね。まあ、よく考えたら私たちろくに休んでなかったものね」
「そうですね。ミランダさんも疲れているでしょう?」
「そうだと思うけど、とりあえず今は空腹だわ。ベリルたちが食事をごちそうしてくれるって。一緒に行きましょう」
「本当ですか? 嬉しいなあ」
 カームは目をこすりながら立ち上がった。ベリルは寝ているジギルの布団をはぎ取り、大きな声を出す。
「ジギル、起きなさい。ごはんよ」
 ジギルは眉間に皺を寄せ、ベリルを睨みつけた。
「あんたの好きなシチューを作ったのよ。ほら、早く起きて」
「……何だよ、めんどくさいな。俺の分はここに持ってこい」
「そう言うと思った。今日はダメよ。みんなで食べるの。せっかくお客さんがいて賑やかなんだから。じゃないと食事抜き。それでいいなら一人で寝てなさい」
 ジギルは舌打ちし、嫌々体を起こした。
「そういえば、エミーはいるのか?」
「いないわ。出かけてるみたい」
 ジギルは返事もせずにベッドから降りる。ベリルはにこりとほほ笑み、カームとミランダの肩を押して部屋を出た。
「さあ、料理が冷めちゃうわよ。早く行きましょう」


 キッチンは城跡の一階の、東向きの一角にあった。活気あふれる時代でも元々キッチンだった場所で、石窯や水道、炊事場が残っており、掃除と改装を重ねて立派なものになっていた。壁の隙間は色を付けた粘土で継ぎ、窓枠も棚もテーブルも椅子もベリルがデザインと設計をした手作りだった。さらに半端に残っていた石の壁を取り払い隣の部屋と繋げ、ダイニングキッチンに改造したのだった。壁や床は古く、所々傷や色むらはあるが、それはそれでレトロな雰囲気を持つ家庭的な一室になっていた。
 ここはベリルが管理するキッチンだった。ジギルが「図々しい」と言ったのは、他の革命軍や住人のための給仕室は別にあるからだった。そこはここよりもっと広くて複数人の料理人がいるのだが、淡々と、決まった作業を繰り返すだけの場所だった。毎日のように減ったり増えたりする人数は把握できず、最低限の栄養バランスだけを考えられた味気ない食事が配給されている。
 ベリルたちも基本的にはそこの食事をもらっているのだが、こうして何か理由をつけては好きなものを作ってパーティを開いていた。今いるメンバーは、留守でない限り決まって参加しており、他はエミーとジギルも積極的に誘うことが多い。それ以外はたまたまそこにいた者や、何かの話題で盛り上がった者にも声をかけることもある。ベリルの料理や菓子は評判がよかったが、魔士の中には味覚や食欲を失っている者もおり、みんなが彼女の自慢の手料理に興味を持つわけではなかった。

 様々な工夫でおしゃれな空間に仕上げられているダイニングを見て、カームが目を見開いて感心していた。
「すごく素敵な部屋ですね。城跡をこんなふうにリフォームするなんて、ベリルさんは器用な人なんですね」
「そう言ってくれると嬉しいわ。我ながらいい感じだなって気に入ってるの」
「すごくセンスいいと思います。こういうのって才能がないとできませんよ。僕が同じ道具や素材を与えられてもこうはなりませんから」
「そ、そうかしら?」
 ベリルは頬を赤く染めて嬉しそうに目を細めた。今までも誉められたことはあったが、漠然と感心されるだけで、具体的にいいところを言ってもらえたことがなかったのだ。それというのも、ほとんどのアンミール人にはあまり学も教養もないからだった。貧しく、生き抜くことで精いっぱいの時代が長く続いた。娯楽や装飾品などの贅沢なものには縁遠かった者には、手間暇かけて外見にこだわることの何がいいのかを理解するには時間がかかるのだった。
「しっかり計算されていて完璧ですよ。デザインなんて、なんとなくやってできるものじゃありませんから。誰かに教えてもらったんですか?」
「ううん。最初はボロボロでゴミだらけだったんだけど、どうしてもおいしい料理を作ってみんなで食べたいって思って、そのイメージだけを追っていったらこうなったの。もちろん、たくさんの人に協力してもらったんだけどね」
「イメージだけでここまでできたんですか? 天才じゃないですか。しかもおいしい料理をみんなで食べたいって夢も素敵です。僕もそういうの好きだから、誘ってもらえて光栄です」
「そんなに? 言いすぎじゃないの?」
 自信家に見えたベリルが本当に恥ずかしそうに両手で顔を覆っている。その様子が可愛く、カームはだらしない顔になっていく。
「いいえ、僕は本気ですよ。ベリルさんはしっかりしてるのに可愛らしくて、世の男性の理想の女性ですね」
「もう、やめてよ。顔がにやけちゃう。そんなこと言って、何を企んでるのよ」
 女の子にこんな反応をしてもらえたことのなかったカームはどんどん気分がよくなっていく。
「企んでいるなんて。本心ですよ。容姿端麗、色彩兼備、頭脳明晰!」
 ダイニングで椅子に座って彼らのやり取りを見ていたイジューとハーキマーとメノウは、聞きなれない言葉の羅列に首を傾げて顔を見合わせていた。
「たくさんの才能に恵まれていて羨ましいです。尊敬します」
「ええ……もう、そこまで言われたら、返事に困るじゃない」
 ベリルが嬉しいやら恥ずかしいやらで万遍の笑みを浮かべているところに、白けた顔をしたジギルが隣を通り抜けていった。
「そいつ、俺にも似たようなこと言ってたぞ」
 途端に青ざめたのはカームだった。体が固まるベリルを他所に、ジギルは知らん顔してテーブルに向かった。
「ちょっと……! ジギル、確かに君のことも誉めたけど、意味が違うよ!」
 カームは慌てて言い訳したが、彼がジギルをべた誉めしている姿が容易に想像できたベリルはすっかり意気消沈していた。
「ベ、ベリルさん、違うんです。みんなに同じことを言ってるわけじゃなくて、僕はちゃんとその人それぞれのいいところをいいと思って誉めているんです」
「……うん」ベリルは顔を上げ、ほほ笑んだ。「そうだと思うわ。あなたのこと、少し分かった気がする」
「え……」
 その笑みは少々冷たく感じた。ベリルはそれだけ言うと背を向けてテーブルに向かって行った。二人から一歩引いたところで見ていたミランダは、立ち尽くすカームに近寄る。
「誰にでも調子のいいことを言ってるから信用を失うのよ」
「そんな……ほんとに、本音なんですよ。人を誉めたらいけないんですか?」
「そうじゃないけど、あなたの場合はね、なんか軽いのよ、言葉が」
「ええっ、どこがどんな風に? 教えてください。悪いところは直しますから」
「あー、あとでね」
 ミランダはカームを可哀想に思ったが、今は話し込む状況ではない。さっと歩を進めてみんなの待つテーブルに向かった。カームはまた落ち込みながらも彼女のあとに続いた。





   

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