SHANTiROSE

INNOCENT SIN-94






 突如現れた大きな力が絶望なのか希望なのか、誰にも分からなかった。
 それは本人も同じだった。
 ティシラは覚醒したばかりの自分の力をまだ扱いきれずにいた。腹の中で錘がうねっているかのような不快感があり、全身にひりつく痛みが走る。大きな翼を使えばどこまでも高く、速く飛べるとはいえ、うまく制御できずに上昇と下降を繰り返していた。
 ティシラの苛立ちは募り、やり場のない怒りを一人で溜め込んでいく。
「そもそも、どこに行けばいいのよ!」
 誰にともなく叫ぶとバランスを崩して地面に落ちていく。落ちた場所はかつて村だった場所で、足元は動く茨で埋め尽くされていた。
「もう、何なのよ!」
 茨を掻き分けながらもがくと更なる深みに嵌り、茨の渦に巻き込まれていった。
 体は締め付けられトゲで傷ついてく。奥に押し込まれるほど、村にあった建物の瓦礫や、村人と魔士の千切れた死体が混ざり合っているのが見えた。このままではあれらの一部になってしまう。ティシラはなぜか屈辱を感じ、怒りを爆発させた。
「……クソが!」
 姫らしからぬ怒号を上げ、全身から空間が揺れるほどの熱を発した。
 ティシラを中心に激しい炎が燃え上がった。火柱が上がり波紋を広げ、一瞬にして茨とそれに巻き付いていたものすべてを焼き尽くす。
 ティシラは再び空に飛びあがり汚れを払っていると、灰になっていくものを新しい茨が押しのけて地面を覆い尽くした。
「何よあれ……気持ち悪い」
 ティシラは舌を出し、また上下しながら飛び去って行った。



*****




 異空間に潜んでいたエミーは暗がりの中で水晶を見つめていた。
 そこには黒い光が宛もなくフラフラと空中を回遊している様子が映っている。
「これは……」エミーは目をしかめて。「人間じゃないね。翼がある。角もだ。飛行型の魔士が異常変態を起こしたか? いや、そんなはずはない。人間の体でここまでの魔力を宿すにはもっと原型を失い巨大化するはずだ」
 小さな影だった映像が次第にはっきりと形を映し出した。それが何かを確認し、エミーは目を見開いた。
「魔族か……!」エミーはその少女の顔を知っていた。「あれは、確か、クライセンの……なぜだ。あの娘はただの魔族で、クライセンに守られているただの少女だったはず」
 エミーは背後にいたフードを被った魔法使いに声をかける。
「おい。ロアはどうなった?」
「死亡しました」
「どこで?」
「ウェンドーラの屋敷です」
「この娘と接触したのか?」
「おそらく、この少女に会うために向かったのだと思います」
「ならば、ロアがこの娘の力を呼び起こしたのか」
「ロアは既に虫の息でした。彼らは魔王の娘が革命に巻き込まれることを恐れていたので、彼女が無事なのかどうか確認に行ったのではないかと思います」
「だから、最後の力を使って娘に魔法をかけたんじゃないかと聞いている」
「ロアにそれほどの力が残っていたとは思えません。少女は魔王の娘です。人間とは比べ物にならない魔力を秘めています。それを呼び起こすとなると命を捧げるほどの儀式が必要。それができるなら他の魔法を使う可能性が高いのでは」
「そもそもこの娘が屋敷に一人で残っていた理由はなんだ。奴らが娘を戦力にと考えていたのならもっと早く覚醒させているはずだろう」
「ええ……少女は目覚めたばかりで力が安定していません。周囲に警護もいませんし、あまりに無防備のように見えますね」
 エミーは腑に落ちない表情で水晶を見つめた。
「考えても分からない、ってことだろうね」
「と、言いますと?」
「娘の独断、いや、暴走なのかもしれない。クライセンは死んだも同然。もう娘がここにいる理由はないはず。ロアが親友の恋人を無理に戦わせるとも思えないし……」
 エミーは自然と口角を上げていた。
「なあ、この娘がロアを殺したとしたら、どう思う?」
「え? ロアとクライセンは親友だったのでしょう?」
「しかし、ロアはもう助からない状態だった」
「だから本人の意志に関係なく魂を奪ったと? 今にも事切れそうな恋人の親友にそのような仕打ちをできますか?」
「普通はできない。できたとしても決意まで多少の時間は要するだろうな。だが。この娘は魔族だ。しかも、魔界の王女。そこらの女とは生まれ持ったものが違いすぎる」
「そうだとして、この少女は何が目的なのでしょう」
「それはさほど問題ではない」
「と仰いますと?」
「綿密な計画があったわけじゃない。それだけで十分だ」
 エミーは水晶から目を離し、暗い室内を歩き出した。
「魔族にとって太陽の光は難敵。日が暮れる前に襲撃しよう」
 魔法使いもあとに続く。
「兵はどのくらい必要でしょうか」
「一人でいい」
 エミーが胸の前で両手を組むと、暗闇に亀裂が走った。すると空間が壊れガラスの破片のように散り落ちていく。エミーと魔法使いは足元に浮かんだ魔法陣に乗り青空を駆け抜けていき、更に背後に潜んでいた数人の魔士はそのまま地上に落ちていった。



*****




 異形の魔力を感じ取ったヴェルトは周囲を見回した。視界には変化はなかった。水晶の通信を使って数人の魔法兵に尋ねると、一人がそれを見たと言った。
「羽と角の生えた者? 魔士ではないのか?」
『大きさの割に魔力が強く、今まで見たことがないタイプです」
「どこに向かっている?」
『分かりません。先ほど、少女は茨の群れを強い炎で焼き尽くしました」
「少女?」とヴェルトは眉間に皺を寄せた。
『はい。長い黒髪に黒いドレスの、まるで人形のような少女の姿をしています」
 人間を捨てた姿の魔士ばかり見てきたヴェルトには、すぐには羽と角の生えた「少女」を想像することができなかった。
「茨を焼いたということはスカルディアの敵なのか」
『分かりません。周囲に魔士や式兵、槐の魔法使いもいません。ただ、まるで具合が悪いかのようにふらついているように見えます」
 ヴェルトは首を傾げるばかりだったが考えている時間はなかった。
「私もそちらに向かいます。続いてそれを追ってください」
 魔法兵の返事を聞くより早く、ヴェルトは体を浮かせて目標に向かった。



 ティシラは太陽の光に目を眩ませながら、茨のない地面を見つけてそこに降り立った。根も茨もないが地面は割れ、魔法使いや魔士の死体が転がっている。まるで地獄だった。しかしティシラは人間界がどうなっていようと気にならなかった。
「眩しい……」目を擦り、頭を振る。「ああもう! なんでこんなに快晴なのよ。ロアの野郎、どうせ来るならもっと早く来ればよかったのに、なんで早朝なのよ! ほんと、間の悪い奴ね!」
 当たる相手もないまま独り言ちていると、人の気配を感じた。上空から赤いマントが近づいてくるのが見えた。ティシラは目を見開いて彼を待った。
 しかし、降りてきたのはクライセンではなかった。流星導を携えたヴェルトだった。再びティシラは不機嫌になる。そして警戒しているヴェルトに、挨拶もせずに怒鳴りつけた。
「あんたたち、どいつもこいつも紛らわしい恰好してるんじゃないわよ! 何度私を失望させれば気が済むの!」
 ヴェルトは少女の言葉を聞きながらじっと見つめていた。どこかで見たことがある、と思いながら。
「大体ね、今だから言うけど私は太陽の光は嫌いなの! そんなマント、もう無意味でしょう。さっさと捨ててしまいなさいよ! 彼にもそう言うわ。帰ってきたら、言うわ。もう全部言う。もっと、私だけを見て欲しいとか……」
 次第に声を震わせる少女に、ヴェルトは疑問しか浮かばなかった。
「……彼?」
「クライセンよ」
 そう答えるティシラに、ヴェルトははっと息を飲んだ。
「クライセン? ああ、そうだ。確か……昔、私はあなたに会ったことがある」
 ヴェルトの脳裏に、羽も角も生えていない可愛らしい姫の姿が蘇った。数年前に親しい者だけで集まったパーティに呼ばれたとき、彼から紹介されたことがあったことを思い出した。二人の交際に反対しているロアはその場にいなかった。ヴェルトを含めほとんどの者が、魔法使いと魔族という不釣り合いな恋愛にいまいち現実味を感じられず、それほど重きを置いていなかった。
「驚いたな」ヴェルトは困惑を隠せず。「私の記憶では、何と言うか、もっと……」
 見た目は普通の少女と変わらず、淑やかで上品で、お姫様という言葉に遜色のない可愛らしさがあったような、とヴェルトは思う。
 そしてティシラの方は、一度顔を合わせただけの彼を覚えていなかった。
「……あんた誰よ」
「私はヴェルト。マーベラスの魔法使いで、クライセンの友人だ」
「クライセンはどこ?」
「それは、まだ分からない」
「分からない? 死んでないのね?」
「遺体は見つかってない。しかし探す時間もなく、諦めるべきか、皆が迷っている」
「やっぱり……」ティシラは奥歯を噛み。「嘘ついてたのね。きっとロアのクソ野郎の差し金だわ」
「ロア? 彼に会ったのか?」
「まあね」
「彼はどうなった」
「死んだわ」
「どこで?」
「ウェンドーラの屋敷よ。最後の最後まで、私に喧嘩売ってきた。死んで当然よ」
「え?」
「ご愁傷様、と言ったの」
 ヴェルトは心臓を掴まれたような苦痛を感じた。そうだろうと思っていたものの、やはり信頼していたロアが死んだ事実は胸に重く圧し掛かる。クライセンもいない今、マーベラスを統率する者が一人もいなくなったということ。もはや自分たちはただの烏合の衆だ。
 ヴェルトは感情を鎮めて取り乱すことなく、いなくなった者の代わりに現れた者に向き合った。
「ところで、あなたはどうしてそんな姿に?」
「そんな姿?」
「魔族の……」
「私はもともと魔族よ」
「そうだが……ロアの死を見届けたことと何か関わりが?」
「は?」
「いや、ロアの魔法なのかと思って」
 ロアのことは嫌いでも、クライセンの親友である。その彼の命に留めを刺したことには、それなりに乱暴だったと理解している。ティシラは彼の疑問には答えなかった。
「それ今関係ある?」
 ヴェルトはそう言われるとこれ以上問い質せなかった。
「では質問を変えよう。あなたは……」
「ティシラよ」
「ティシラ。あなたの目的は?」
「クライセンと結婚することよ」
 彼女の答えはある程度予測していたが、ここまで飛躍されると思っていなかったヴェルトは戸惑った。
「……とりあえず、私たちの敵ではないのだな」
「多分ね。約束はできないけど」
 そんな話をしているとのころに、ヴェルトの水晶から声が聞こえた。
 レオンだった。
『謎の少女は見つかりましたか』
「はい。今話をしています」
『どなたでしょうか』
「ティシラです。クライセンの恋人の、魔界の王女です」
 予想していなかった状況に、レオンも驚いている様子だった。
『彼女は魔界に帰ったのではなかったのでしょうか』
「私もそう聞いていましたが……」
『……分かりました。今そちらに向かっています。少女とそこにいてください』
 言い終わって間もなく、空の果てに小さな光が見えた。それがレオンだと確かめるまでもなく、ものすごい速さで彼は二人に近づき、地面に降り立った。遅れて、背後から多数の魔法兵が追ってきていた。
 ヴェルトは無傷のレオンの姿に安心しながら頭を下げ、すぐにティシラを紹介した。
「彼女がティシラです」
 レオンは無表情でティシラにゆっくり近づいた。僅かに首を傾げている様子で、彼もヴェルトと同じ感想を抱いているのが分かった。
「確か、クライセンの……」
「はい。レオン様は、お目にかかられたことは」
「ありません。しかし、聞いていた話とは違うように見えます」
「ええ。それは私も同じで……」
 彼らが何を言いたいのか分からなかったが、面白い話ではないことは確かだと思うティシラは苛立ちを募らせた。
「ごちゃごちゃうるさいわね。いいから、誰を殺せばクライセンを助けられるのか教えなさい」
 レオンに失礼な態度をとるティシラに驚くヴェルトだったが、レオンは気にせずに話を進めた。
「エミー、と言いたいところですが、それだけではこの無差別な殺戮は終わりません」
「無差別な殺戮とかどうでもいいのよ。クライセンはどこにいるのか聞いてるの」
「クライセンを助けるために、魔王の力を覚醒させたのですか?」
「そうよ」
「ならば戦ってください。この混乱の中、地道に探しても途方もありません。まずはエミーの言う革命を終わらせる必要があります」
「なんで見つからないのよ」
「エミーが意図的にそうしてるのでしょう」
「何のために?」
「知りません。クライセンを殺すことが目的だったのなら遺体が見つかっているはずです。だがどこを探しても見つからない。ということはどこかに隠しているのだと思います」
「だから、どうしてなのよ」
「閉じ込めて私たちの統率や戦力を攪乱するためと考えればそれなりの効果は出ています」
「とにかく、生きているのね」
「知りません」
「ふざけてるの?」
「いいえ。闇雲に探しても時間の無駄だと言っています。あなたの持つ魔力は強大。戦力として百万の兵を得るほど。クライセンもロアもいない今、協力を願います」
 淡々と話すレオンにティシラは目尻を揺らす。
「あんた、レオンよね」
「はい」
「なんだか、聞いてた話と違うわ」
「どう聞いていましたか」
「虫も殺せないほど軟弱で臆病で、笑顔だけが取り柄の、一人では何もできない無能なお人形だったんじゃないの?」
 ティシラのあまりに無礼な言葉に反応したのはヴェルトだった。
「ティシラ! そのようなこと……!」
 しかし顔色一つ変えないレオンが片手を彼の前に出して静止した。
 そして、こう宣った。
「それは、こちらの台詞です」
「なんですって?」
「人には色々と事情があります。その話はあとにしましょう。それで、協力願えますか?」
「……分かったわよ」
「ありがとうございます」呆気にとられているヴェルトに顔を向け。「ヴェルト、彼女の護衛をお願いします。ティシラはまだ魔力が不安定です。本来なら適した環境で知識と経験を重ねながら成長するもの。彼女はそれを一人で無理やり覚醒させている状態で、心と体と魔力のバランスが取れていません。ですが戦っているうちに徐々に安定してくるはず。それまで他の兵と共に彼女をサポートしてください」
「は、はい」ヴェルトは既にこの場から立ち去ろうとしているレオンを引き留める。「あの、レオン様、この流星導は……」
 ロアが死に、流星導は結局ヴェルトの手に戻ってきた。彼から死ぬ間際に聞いた意味深な言葉が引っ掛かり、レオンに指示を出して欲しかった。しかしレオンは時間を惜しむように踵を返す。
「あなたが鍛えた剣です。あなたが正しいと思うように使ってください」
 それだけ言って立ち去ろうとするレオンの背にヴェルトは頭を下げ、ティシラと行動を共にするため振り返った。
 そのとき、ティシラの背後に黒い影が現れた。
 しまった、と思ったときは遅かった。
 その影はエミーだった。
 レオンが足を止め、ティシラが目を見開いたと同時、エミーはティシラの首筋に黒い剣を突き刺した。
 首に刃が貫通したティシラは悲鳴を上げることもできず、溢れ出す血で真っ赤に染まっていく。エミーは剣を抜き、ティシラの傷口に球根をねじ込んだ。ティシラは倒れることもできずに仰け反り、魔力が爆発したかのように全身から黒い光を放った。
 その衝撃派でレオンもヴェルトも体制を崩し、周囲の魔法兵たちは吹き飛ばされていく。
 エミーは素早く飛び上がり、上空から飛んできた飛行型の魔士の背に乗りティシラから離れた。
 ティシラの体の中で球根の根が伸び、全身を支配していった。ティシラは白目を剥いて痙攣しながらゆっくりと宙に浮いていく。
 魔力を活性化させる根が、ティシラ自身が制御できない魔力を吸収し放出していく。
「これは、まるで……」ヴェルトは自分の目を疑う。「リヴィオラのようだ」
 エミーが高みの見物とでもいうように不適に笑ってティシラを見下ろしていると、突如足元の魔士がたわんだ。飛び上がって魔士から離れると、彼は泥のように溶けて粉々に破裂した。
「レオン……!」
 魔士の死骸を突き抜け、光の刃を持ったレオンがエミーに襲い掛かった。エミーが足元に魔法陣を作る僅かな隙に、レオンの刃が彼女の肩を掠る。初めて傷を負ったエミーは顔を歪め、舌打ちしながら体勢を整えた。
「さすが、冷酷なレオン様だね。大事なお姫様の危機に戸惑うことなく私を襲撃とは、恐れ入ったよ」エミーは肩の傷を庇いながら剣を構え。「だが私に構っている場合じゃないよ」
 レオンは目尻を揺らす。
 ティシラの足元から巨大な茨の群れが、大地を割って這い出した。茨はティシラに絡みつき、更に枝分かれし膨張していく。破裂しそうなほど膨らんでいく茨にはとうとう亀裂が走り、その中から今まで見たことのないほど巨大な式兵が転がり生まれてきた。
「いいねえ。さすが魔界の姫。最高の媒体だ」
 レオンは唇を噛み、刃を持つ手に力を入れる。
「ほら、早く何とかしないと人類がどんどん死んでいくよ。あの娘は魔族。肉体そのものが魔力でできている。魔族の魔力から生まれた巨大な式兵はいつまでも沸いて出てくるよ。さあ、どうする?」
 レオンはエミーを睨みつけたあと、諦めて地上に戻った。エミーは口の端を上げながらも、どこか悔しそうに傷を抑えながら姿を消した。
 流星導で巨大な式兵と戦っていたヴェルトの傍に、レオンが降り立った。
「レオン様、これでは、百万の兵の戦力を得たのは敵のほうになります」
「そうはさせません。少し時間をください」
「どうなさいますか」
「彼女の中の球根を殺せば、魔力の媒体になってしまったティシラも死んでしまいます」
「そんな……」
「私の力では無理です。なので、彼女自身に戦ってもらうしかありません」
「彼女自身に?」
「魔族の属性は闇。輝く太陽の光が彼女の成長を妨害しています」
「では、厚い雲で空を覆いますか。でしたら私と、他の魔法使いを呼べばそれほど時間は要しません」
「いいえ。それでは意味がありません。ティシラに必要なのは影ではなく、闇です」
 レオンは言いながらその場を離れた。ヴェルトもあとに続く。
「今から大きな魔法を使います。その間、私は無防備になります。少しの時間、式兵と戦いながら私の護衛をお願いします」
「レオン様、なにをなさるおつもりでしょうか」
「説明している時間はありません。周囲の兵を集めて指示を出してください」
「御意」
 ヴェルトは急いでレオンから離れ、式兵を避けながら魔法兵を動かしていった。
 しばらくすると空間が揺れたような気がした。
 レオンはティシラから離れた静かな場所に立ち、目を閉じて呪文を唱えていた。その周囲を、ヴェルトの指示どおり多数の魔法兵が囲い、大きな円になっていった。それに気づいた式兵がレオンに向かって行く。阻止しなければとヴェルトも応戦する。式兵はあまりの巨体で体が重く、今までのものより動きが遅かった。そのぶん力は強く、腕の一振りだけでまともに食らったものは即死する破壊力だった。このまま数が増え続ければいずれ全滅する。ヴェルトはレオンにすべてを賭けた。
 空気が振動しているようだった。植物が騒ぎ、風の流れが変わる。海や湖の水面が跳ね、体の弱い虫や魚は腹を見せて息絶えていく。
 何が起きているのかと、人間たちは戸惑いを隠せない。その影響を受けているのは式兵も同じで、体の中の水分が逆流しそうな不快感があった。
 離れた場所に移動し片膝をつくエミーの傍に、槐の魔法使いが駆け寄った。
「エミー様、大丈夫ですか?」
「ただの斬り傷だ」
「しかし、この傷……治癒できません」
「構わん。それより、何が起きている?」
 エミーが空を仰ぐ。魔法使いも同じように周囲を見回していると、二人は同時に同じものに目を止めた。
 太陽だった。
 燦燦と輝く太陽が、わずかに欠けていたのだった。
「そうか……」エミーは忌々しそうに牙を剥いた。「日食か」
 レオンは星を動かし、太陽を隠そうとしていた。この短時間では宇宙にまったく影響を与えないほどの完璧な計算は無理だった。それでも、レオンは数多の星々を同時に動かし、地上を闇に包む魔法を強行していたのだった。
 太陽の光が弱まっていくのを感じたティシラは、少しずつ体の自由を取り戻しつつあった。
 瞳に光が戻っていく。
 エミーの魔法とティシラの抵抗がぶつかり合い、体内で何度も魔力が爆縮している。その度に地面が揺れ、茨や式兵が千切れ飛ぶ。
 この力が敵になるか味方になるかで人類の運命が決まる。その場にいた誰もが期待と不安に包まれ、そのうちに、地上から太陽の光が消えていった。
 闇に包まれたティシラは赤い目に炎を宿した。
 髪は逆立ち、体中を熱い魔力が駆け巡った。
 ティシラの動きが止まった。一同が注目する中、地面から黒い炎が立ち上がった。
 魔王ブランケルの持つ力の一つ、業火だった。黒い炎は触れたものを完全に消滅させる、エヴァーツの魔法に似た魔力だった。
 ティシラは体内に植えられた球根を焼き尽くし、王族の力を完全に自分のものにした。
 茨と式兵を薙ぎ払って再び地上に現れた少女は、最初に見た彼女より力強く、貫禄さえ感じる鋭利な美しさを纏っていた。





   

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