MurderousWorld
16-Mourning




 ブラッドの家に残されていたルークスは、彼が出かけてから少し休み、夕方には目を覚ましていた。やっと頭痛も治まり、まだ体のあちこちに痛みはあったが気にするほどでもないと思い、まるで自分の家かのように勝手に室内を徘徊していた。遠慮なくシャワーを浴びたり冷蔵庫を漁ったりし、リビングで寛ぎながらブラッドの帰りを待った。
 退屈になったところで時計を見ると、もうすっかり空が暗くなっている時間だった。連絡先くらい聞いておけばよかったなどと思っているところに、玄関の扉が開く音がした。ブラッドが戻ってきた。
 ブラッドは暗い表情で明かりの点いているリビングに向かった。テーブルを散らかしたままでソファに胡坐をかいているルークスの姿を見つけ、少々驚いたように息を吸った。
「まだいたんだ」
 顔を見るなりごく自然に呟かれ、ルークスはむっとした。
「悪かったな」口を尖らせて不貞腐れる。「俺んちよりここの方が広くて快適なんだよ」
「そう」ブラッドは彼の向かいに腰掛けながら。「別にいいけど」
 まだ話は終わってないはず。ルークスはそう思うが、明らかにブラッドの様子がおかしいことに戸惑った。理由を聞こうかと迷っていると、ブラッドは出かけには持っていなかった小さな袋を膝の上に乗せ、中を出してテーブルに置いた。出てきたものは目覚まし時計だった。新品にも、何か特殊なものにも見えない。ルークスは首を傾げる。
「なにそれ。もしかして、俺が壊したからって嫌味でも言いたいの?」
 ブラッドはしばらくそれを見つめ、ゆっくりと首を横に振った。
「……エイダのところからもらってきた」
「?」
「部屋を引き払うのに立ち会ってきたんだ。そこで、僕のは壊れてしまったからちょうどいいかなって思って」
 ブラッドは時計を見つめたまま微笑んだが、口の端をあげればあげるほど、眉間に皺が寄っていく。
「それと、フィアにも会ってきた。エイダの財産をすべて彼女に受け取って欲しかったんだ。エイダは遊び方も知らない不器用なやつだったから、無駄に報奨金を溜め込んでた。出入りが激しいのは仕事柄仕方ないことだけど、大きな家が二つくらい、余裕で建つほどの金額だったよ」
 ルークスは無意識にブラッドの話に聞き入っていた。何を言っているんだろうと考えようとするが、頭が働かなかった。
「フィアは受け取りを拒否したけど、僕は土下座して懇願した。それしかなかったから。そしたら彼女はやっと頷いてくれた。でも、自分のことを何も知らないのに本当にいいのかと、もしかしたら悪いことに使うかもしれないと僕を試した。でも僕は思ったんだ。例えどれだけの立派な慈善行為に使うことよりも、エイダはフィアにすべてを捧げたいと思うはずだって。エイダなら、彼女は絶対に正しいことに使ってくれると疑わないに決まっている。それでもしエイダが騙されたとしても、彼は後悔しない。僕はエイダのことをよく知ってるから間違いはないんだ。だから僕はもう一つ彼女にお願いをしてきた。何に使ったのかは教えないで欲しいと。一生知らないままでいれば、エイダも僕も、彼女は幸せになったんだって信じていられるから。それが一番いいと思った」
 ルークスの顔色も次第に変わっていっていた。この空気、ブラッドの語る重い言葉。何も思わないでいられるほど鈍感ではない。
「エイダも満足してくれていると思う。それに、エイダは僕に逆らわない。僕のしたことに納得してくれる」
 ブラッドは無意識に自分の手を強く握っていた。表情は暗いままだったが、何かを悔やんでいるかのように、見えないものを恨んでいるかのように拳を震わせていた。
「……えっと」ルークスがやっと声を出した。「それってさ」
 続きは、ブラッドから聞きたかった。しかし待っている時間がもどかしい。ルークスは何度も言葉に出そうとしながら何度も飲みこんでいた。
 そして、ブラッドは自分のペースでそれを口にした。
「エイダは、死んだ」
 分かっていたはずなのに、ルークスは衝撃を受けずにはいられなかった。
「でも……昨日まで、一緒に……」
 彼もブラッドと同じ気持ちだった。ブラッドはやっと顔を上げる。
「そうだね。でも、仕方ないことなんだ」
「仕方ない……」
「僕たち冒険屋は、こうして不幸な死を遂げる者がほとんどだ。早かれ遅かれそのときはくる。ただ、死んだときに何を残せるのかが大切なんだ。エイダは、最後にフィアに出会えて幸せだったと思う」
 ルークスは俯いた。やりきれない複雑な思いが渦巻いた。
 そんな彼の表情を、ブラッドは意外に思った。
「……悲しいの?」
 問われ、ルークスはきつくブラッドを睨んだ。言いたいことはあるのだが、気持ちを表せる言葉が思いつかない。
「これが、人の死だよ」ブラッドは微かに瞳を揺らした。「君は死ぬのは怖くないと言ったね。それは僕も同じ。そして冒険屋のほとんども死なんか恐れていない。本当に怖いのは、仲間の死だ」
「なんだよ……その仲間の死に便乗して説教か。そんなもん聞きたくねえよ」
「違うよ、そんなんじゃない。君は、冒険屋は好きなだけ人を殺せるなんて言ってたね……殺すことの重みが分かる人はそんなこと言わない。子供だからって許されることじゃない。君が今までどれだけの人をどんな風に殺してきたのかは知らないが、君が殺した人を愛した人の気持ちを考えたことはあるのか」
「……うるせえって言ってるだろ」ルークスは感情的になり、大声を上げる。「てめえだって人殺しだろうが。仕事だ? 理由があるだ? それで自分を正当化できるとでも思ってるのか」
「僕は犯した罪の罰はすべて受ける」
 ブラッドも立ち上がり、怒鳴り返すその目は真っ赤になっていた。
「殺すことも傷つけることもある。でもそれから逃げるつもりは一切ない。残された者の悲しみや苦しみ、恨みのすべてを僕は精一杯受け入れる。冒険屋という『殺人鬼』のすべてはその覚悟を持っているんだ。それが、君が望んだ大人だ。それを背負う力が、君にあるのか!」
「人殺しは人殺しに違いないだろ! 罰を受けるというなら、今すぐ死んでみせろよ」
「それが浅いと言っている。僕が今ここで死んでも誰も浮かばれない。まだ僕にはやるべきことが、やらなければいけないことがあるんだ。子供のわがままと一緒にするんじゃない」
「なんだよ、子供子供って! 子供がそんなに悪いか。子供だから力がないと、結局お前は弱者を見下しているんじゃねえか!」
 ブラッドは我に返る。ルークスは今、本当の姿を見せていることに気づく。今は耳を傾けるときであると判断し、怒りを収める。
「……誰も助けてくれなかった」
 ルークスは内から押し出されるかのように、抑え切れないかのように語りだした。
「親に捨てられ、行き場のない俺は何も持たない弱者だった。体も小さく、知識も経験もない、無防備で哀れな子供だったんだ。だけど、ただ一人だけ俺を守ってくれる男がいた。俺と同じくらいの年の子供を事故でなくしたって言って、まるでほんとの息子のように育ててくれた。俺は幼すぎて、その意味も何も分からなかった。だけど、そいつといるときだけは安心できたんだ。ここにいていいんだって、それだけで生きていられた。生きる意味なんかなかった。そんなこと考えたこともなかった。でも、時々楽しいと思うことがあった。それだけのために俺は毎日を過ごしていた」
 その男は盗賊だった。何かを隠していることは子供心にもうっすらと感じてはいたが、ルークスはひと時の楽しい時間のために見て見ない振りをしてきた。
「確かにそいつは犯罪者だったかもしれない。罪を裁かれるのなら自業自得だ。だけど……」
 ブラッドは一瞬息を止めた。悲しいでも辛いでもなく、ただ悔しいという思いで塗り固められていく彼の目から、ひとつの涙が零れた。
「俺が、殺した」
「……どうして」
「俺は弱かった。何の力もなかったんだ。だから……そいつを見殺しにするしかできなかった」
 ルークスの呼吸が乱れ始めていく。悔しい、悔しい。どれだけ唱えてもその思いは払拭されなかった。そのまま、ここへ来た。
「あるとき、一人のバカが俺を浚って売り飛ばそうとした。男はそいつを殺した。正当防衛だったのかもしれないが、所詮は犯罪者。今更警察が保護なんかしてくれるはずがない。それも自業自得だ。それだけならいい。犯罪者集団の中でも孤立していた男を庇う者は誰もいなかった。そのことを利用して、どいつもこいつも俺を浚って金にしようと考え出した。男を仲間殺しと称し、寄ってたかって追い回した。追い詰められ、男は俺を隠した。最後まで俺を庇って、肉が千切れるほど無残に、残酷に殺された」
 ルークスは必死で涙を我慢しているようだったが、本人の意志とは裏腹にそれは零れ続けていた。
「……ルークス」ブラッドはその姿を哀れむしかなかった。「それは君が悪いんじゃない。君は殺してなんかないじゃないか……どうしてそんなふうに思うんだ」
「俺が殺したんだよ! 俺さえいなければ、俺が強かったらそいつは死ななかったんだ」
「こ、子供だったんだろう?」
「子供だからって許されないんじゃないのかよ」
「……それとは、違うよ」
「どう違うんだよ。大人はな、それでもまだ俺を追いかけたんだ。そのときに思ったよ。世界中が俺の敵なんだってな……!」



   




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