吉祥天の眷属・葉鷲実(はすみ)がある男に求婚されたことは、あっという間に宮廷に広まった。
 葉鷲実は天上界でも一際輝いている少女だった。
 美しさを競う女神は誰もが容姿端麗であり、葉鷲実も負けずとも劣らない美貌の持ち主だった。彼女が一目置かれるのは、外見の美しさだけではなく、内面のそれも兼ね添えていたからである。
 おしとやかで控えめで、仕草も素行も上品で清らか。透き通るような声は耳に心地よく、必要なときに必要な言葉を与えてくれる。たくさんの羨望の眼差しを向けられても謙虚さを失わずに常に一歩下がり、人を選ぶこともなく立てることができる広い心を持ち合わせていた。
 聞かれたことには素直に答え、頼まれたことには嫌な顔一つせずに、知恵を働かせて自分にできること、すべきことを正しく判断して最後まで手を抜かない。
 葉鷲実は世の男性の理想の女性であり、良妻賢母の素質を持った高嶺の花だった。
 そんな彼女に想いを寄せる男は少なくない。しかし葉鷲実はまだ少々幼く、女として未熟であるという自覚を持っており、男に現を抜かすことはなかった。
 だから周囲も時が熟すのを待ちながら、彼女の婚期を伺い続けていた。
 だが、それを待てずに葉鷲実に求婚した男が現れたのだった。
 当然、同じ思いを持つ他の男性は黙っておれず、卑怯だ抜け駆けだと騒ぎ立てた。
 葉鷲実が答えを伝える間もなく、男たちは争い始めた。そのうちに、「勝った者が彼女を娶ることができる」と誰かが言い出し、本人の意志ではないところでそれが現実となり始めていた。
 それを信じた男たちの参戦は後を絶たず、ついには既婚者までも紛れ込んで争いの火種は激しく燃え上がっていった。
 その状況は葉鷲実ではとても止めることができず、彼女の母である天女が見兼ね、無駄な血を流さぬために正式な「葉鷲実争奪戦」として仕切ることになった。
 参戦希望者の資格は問わず、闘いは決められた時間と場所のみで行うこと。飛び入りも認め、名乗り出た者が順番に闘い、最後の一人になるまで続ける、という規定が設けられた。
 「身分や実績に関係なく、勝ちさえずれば理想の女性を手に入れることができる」という単純な規定のもと、志願者は後を絶たず、女性たちの冷たい視線に囲まれて争奪戦は続いていた。

 葉鷲実は、それを悲しい思いで見守っていた。
 彼女は時間の許す限りで争奪戦の場に立ち会うことにしている。母には自分の気持ちを伝えているものの、母は「これが男というもの。よく見ておきなさい」と諭し、争いを止めることは叶わなかった。
 そのためだけに貸し切られた円柱状の一室は広大で、闘いというよりも祭りの会場のように煌びやかな装飾で囲まれている。太い黄金の支柱が支える天井から吊り下げられた巨大な蓮座の上で、今日も葉鷲実はため息を漏らしていた。
 彼女の背後に整列する官女の一人である、葉鷲実の一番近くにいた者が心配そうに声をかけてくる。
「いかがなさいました」
 葉鷲実は暗い顔を上げ、潤む瞳を官女に向けた。
「……このような意味のない争い、一体いつまで続くのでしょうか」
「意味がないだなんて……ご覧ください。あれだけの殿方があなたを思って腕を競い合っています。その数、熱意、すべてが葉鷲実様の魅力を映し出した現実でございます。この闘いは葉鷲実様の威厳と価値を更に高めることができるもの。どうか、堂々と胸を張ってご観覧くださいませ」
 本当は、この争奪戦に参加してくる男たち以外の誰もが、「下らない」と思っているのだった。身勝手な理由で暴走する男たちに、天女も官女も冷めた気持ちで、気が済むまでやらせようとしか考えていなかった。
 しかし、そんなお遊びの釣り餌にされる葉鷲実の気分がいいわけがない。平和主義の彼女は、争いが後を絶たない毎日に胸を痛め続けていた。

 今の天上界には晒し者にされている葉鷲実と、欲に駆られて闘い続ける武神、大して興味を持たない者に大きく分別されている。
 そして、もう一つの勢力があった。葉鷲実の争奪戦を快く思わず、いろんな理由で蔑み、反対している者――他ならぬ、天上の女性陣である。若い男のほとんどが葉鷲実に夢中のこの現状を面白く思うはずがなかった。
 陰口は当然、所縁のない相手にも構わず文句を垂れることもよくある。しかし男共は「こんな機会は滅多にない」と聞く耳を持たなかった。それどころか、「女たちは若くて美しく、教養と品格を兼ね備えた葉鷲実に嫉妬しているだけだ」と反論され、図星である者もそうでない者も、聞き捨てならないと日々散らす火花を激しくしていく始末である。
 そのうちに、同じ思いの女性たちが団結し始め、今すぐ下らない抗争を止めよと大きな声と拳を上げるようになっていった。
 今日もまた、鬼のような顔をした女性たちに見守られ、男たちの争いが行われている。

 賑わう会場を、柱の影から監視している二人がいた。「こういうこと」には敏感で、決して黙ってはいられない性格で有名な鬼子母神の眷族・樹燐と、弁財天の眷属であり武神でもある玲紗だった。
 二人は顔を合わせるたびにケンカばかりする宿敵だったのだが、今回に限り意気投合して行動をともにすることが度々あった。
 樹燐は柱に爪を立て、赤い紅を引いた唇を歪ませている。
「……面白くない」ギリ、と奥歯を噛み締め。「あんな色気の欠片もない小娘に腑抜けにされるなど、天上の男どもは頭がおかしくなってしまったのか」
「まったくだわ」玲紗はため息を漏らし。「年端もいかないガキを奪い合ってどうしようってのよ。みっともない」
 二人が柱に隠れている理由は、彼女たちをよく思っていない者に「あのような無垢な少女に目くじらを立てるなんて、大人げない」などと嘲笑われたからだった。当然言い争いに発展したのだが、何を言っても最終的には「嫉妬」で片付けられてしまい、これ以上恥をかかされたくない二人はもう無視をしようと背をむけた、はずだった。
 だがどうしても気になってしまい、こうしてコソコソと覗き見に足を運んでいるのだった。
 気になるという理由は「誰が勝ち残るのか」ということであると、自分たちの中では決めているのだが、見ているうちにどうしても嫉妬心が湧いてきてしまって止めることができなかった。
 それに、本人たちは隠れているつもりでも、いつもの派手な格好と存在感の大きさで隠れきれていないというのが現状である。周囲はいつも顔を出している二人に気づいていながら、うかつに声をかければ何をされるか分からないという恐れがあるために見て見ぬ振りをしている。
 舞台上で一つの勝敗が決まると、大きな歓声が起こる。その度に葉鷲実が注目される様子に、樹燐と玲紗は悔しい思いを募らせていっていた。
「……ああ、本当ならあの台に座るべきはこの私のはずなのに」
 その呟きを聞き逃さなかった玲紗が眉間に皺を寄せる。
「はぁ? 寝言は寝て言いなさいよ。不人気の代表格のくせに」
 途端、樹燐が目を吊り上げて玲紗を睨み付けてきた。
「誰が不人気だ! 中途半端な役立たずの小物女が。私の威を借りねば何もできぬ貴様にそのような発言の権利はない!」
 ――この二人は、決して仲がいいわけではない。考え方や価値観が似ているため、普段はいつも対立している。
 二人に取っての価値が「女は美しくなければいけない」だけならば話が合うのだろうが、「常に一番でありたい」「誰よりも持てはやされていたい」という願望があるゆえに他人を相容れることができないのだった。
「なんですって! あんたみたいな能無しのどこに借りれる威があるってのよ。あんな小娘一人引きずり下ろせないくせに偉そうに!」
「何を! 貴様こそ、仮にも武神の分際で陰口しか叩けないとは情けない。悔しかったら今すぐそこにいる色ボケどもを蹴散らしてみろ!」
 見て見ぬ振りにも限界があった。ここまで騒がれては周囲も無視できずに二人に注目している。
 樹燐と玲紗は冷たい視線にすぐに気づき、顔を赤くしながら慌ててその場から立ち去っていった。


 人気のない廊下まで移動し、二人は再び向き合った。
「貴様が余計なことを言うからまた恥をかいてしまったではないか」
「余計なことを言ったのはあんたでしょ」
「ああ、もういい」顔を逸らして。「貴様と言い合ったところで何の得にもならん。そんなことよりもあれを中止させる方法はないものか」
「そうね……あんた一応血縁があるんでしょ? 抗議できないの?」
「できるものならとっくにやっている。あの争奪戦は吉祥天のお膳立てがある正式なもの。『我を失った男たちの争いの被害を最小限に留め、安全に収束させるため。そして明確な結果を出すことで、今後二度と同じことを繰り返させぬため』という大儀があるのだ。代案もない個人の抗議などただの愚痴でしかない上、その程度の苦情ならもうゴマンと来ているだろう」
「……なによ。やっぱり能無しなんじゃない」
 かっと大声を上げようとした樹燐だったが、また同じことの繰り返しになると瞬時に判断して言葉を飲んだ。玲紗も彼女から目線を外し、共通の敵に狙いを定めることにする。
 二人はしばらくお互いに背を向けたまま沈黙していた。
 時折、遠くから争奪戦の歓声が聞こえてくる。その度に二人の目じりが揺れたり、こめかみに血管が浮き出ていた。
「……あ!」
 その気まずい沈黙を破ったのは玲紗だった。そろそろ黙っているのに限界を感じていた樹燐が「どうした」と声をかける。
 玲紗はニヤリと笑みを浮かべ、目を細めた。
「……面白いこと、思いついちゃった」



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