千獄の宵に宴を



 時代は江戸。
 土の上には人間が文明を進化、または淘汰させながら輪廻転生を繰り返して生活していた。
 そしてその下の暗い世界には「妖怪」と呼ばれる禍々しいものが存在する。それらの恐ろしい姿や力は人々に恐れられていたが、彼らが罪を犯せばそれを罰する者もあった。
 雲の上で神々しい光を放つ「神」や「仏」の類である。
 土の上、空の上、そして土の下にはそれぞれに異色の世界があった。
 命あるもののすべては互いに干渉し、必要以上に踏み込むことをせずに均衡を保っている。





 第一場 田舎町 


 ある小さな町があった。決して豊かではないが、町人たちは笑顔を絶やさずに、毎日を明るく働きながら過ごしている。屋根の低い木造の建物が建ち並ぶ、狭いこの町は空を遮るものがほとんどなかった。惜しみなく太陽の光が降り注ぐそこは、今日も賑やかだった。
 ざわめく大通りに一人の青年が少し背を丸めて歩いていた。小さな鈴の根付が下がった女物の財布を手に持っている。中身は僅か。その事実が不満で、黒い着物を羽織った青年・赤坐あかざが口を尖らせて呟いた。
「……今日は不調だな」
 赤坐は小さな盗みやスリを繰り返しながら生活している、自称「盗賊」のコソ泥だった。財布は先ほど、人混みの中ですった物である。持ち主が今頃慌てているのか、未だ気づいていないのかは分からない。
「やっと成功したと思ったら」中身は小銭が数枚。「これじゃ一食分の食費になるかならないか……」
 しかし、食べられないよりはマシである。そう思って背筋を伸ばし、広い空を眺めた。
 いつもの日常と変わりない。もちろん捕まれば役所に突き出される。それでも、こうしていなければ生きていけないのだから、死ぬまでやっていくのだろうと思う。
 出世にも興味はなかった。今の生活に不満はない。気楽で、自由。毎日食べて寝る。いつかどこかで死ぬ。みんなそうしているのだ。
 それに、と赤坐は思う。身寄りもない。金もない。何か秀でた才能があるわけでもない。こんな自分に笑うことを与えてくれた神に感謝しても損はないだろう。今日も空腹を凌げる。十分だ。
 帰ろう。そう思っているところに、突然背後が騒ぎ出した。
「泥棒!」
 人混みの中で高い女の声が響いた。皆が足を止め、振り向く。赤坐も同じようにした。
(どこの間抜けだ……盗むならもっと静かに……)
 きっと同業者だ。こんな大通りで派手な真似をする馬鹿の顔を見てやろうと目を細めた。そして、声を漏らす。
「……あ」
 食い逃げだと指を指されて追われていた少年は、藍色の着物に長い黒髪を束ねた少年・汰貴たきだった。  赤坐の弟である。まずい、目立ちたくないと隠れようとしたが、遅かった。汰貴は即座に赤坐の姿を見つけ、まだ幼さを残す大きな瞳を見開く。
 町で見かけても声をかけるなと言ってあるのに、汰貴はそのことを忘れて大きな声を出す。
「赤坐! ごめん、見つかった。逃げるぞ」
「……バカ!」
 逃げるなら一人で逃げればいいのに、そう赤坐は思うが周囲に食い逃げ犯の仲間と認知されてしまい、一緒に走るしかなかった。
「コソ泥兄弟! 死んでしまえ」
 飯屋の女将は、通行人を押しのけながら逃走していく二人に向かって石を投げ、地団太を踏む。傍観していた町人たちは彼らを見送りながら笑っていた。
「またやられたのか」
「困ったガキ共だ」
 汰貴と赤坐は、善良な町人に罵声を浴びながらその場から姿を消した。