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今日も店は大繁盛だったようだ。夜も更け、厨房は祭りの後のように落ち着いていた。営業中、チビは従業員たちの足元をうろついたが、何もできない彼は邪魔者以外の何者でもなかった。シルファも忙しそうで、ほとんど姿を見ることもできなかったし、結局チビは居辛くなって仮眠室に戻っていた。最後の客を見送ったところで、チビは思い出したようにシルファに呼ばれた。こき使うつもりはなかったようだが、戸惑うチビは掃除やゴミ出しなどを手伝わされていた。明るい従業員たちはチビをペットのように扱い、あまり反応しない彼に構わず冗談を投げかけ、彼らなりのやり方で可愛がっていた。
そんな従業員たちも片付けを終わらせ、少し雑談しながら一人、一人と帰路についていった。店内にはイデルとシルファだけが残った。
どっと疲れた様子のチビは、シルファに「まだやることがあるから、仮眠室で待っていてくれ」と言われて、またベッドに横になった。目を開けたまま、物思いに耽った。仮眠室には窓がひとつあった。チビは体を起こし、背伸びをしてそれを開ける。月を探した。空は晴れているが、ここからでは見えない。待っている間、外にいようと思ったチビは仮眠室を出た。裏口に向かう途中、イデルとシルファの声が聞こえ、足を止める。
「……昨日、また伝言屋が来ていたけど」
二人の雰囲気は暗かった。
「見てたのか」
「また、何かあったのか」
「どうしてお前はそう知りたがるんだ」
「もう俺しかいないだろ。話してくれよ」
何の話だろう。チビはつい聞き耳を立ててしまった。
イデルは重い口を開いた。
「ずっと、おかしいと思っていたんだ」
顔が見えないからか、チビはイデルの声に悲しみや、他のいろんな感情が混ざっているのを感じ取った。聞かないほうがいいような気がしたが、そのまま動かなかった。
「たぶん、ブラッドもどこかで気づいていたんだろうな」
それでも、はっきりとは言おうとしないイデルに、シルファはため息をついた。
「だから、一人で抱えるなって。冒険屋のことはあまり知らないけど、友達の死の悲しみを分け合えることはできるだろ」
数秒、イデルは言葉を選んだ。ふっと目に灯す色を変え、結論から口に出す。
「……ブラッドは、意図して殺されたんだ」
チビの目が虚ろになった。
「任務は、遂行された。オートレイの手にチップは渡った。自宅ではない別の場所で、別の冒険屋によって、無事に手渡されていた。おそらく数日後、ナローゼ降伏のニュースが世界中に流れるだろう。核戦争は免れた。だが、その裏でどさくさに処分されてしまった男の名はどこにも残らない」
「……どういうことだ」
「こないだ、昔ブラッドが間引きの仕事をしたと話したよな」
「ああ」
一般人であるシルファには信じがたい話だった。だが、今更彼の言葉を疑う理由はなかった。イデルがあったと言うなら、あったのだ。誰にも話せないことだからこそ、シルファは信じた。
「あれは政府からの依頼だった。人口過密で手に負えなくなった小国の一部を、事故にみせかけて消滅させてくれと。そんなメチャクチャで自分勝手な依頼、ブラッドという人材がいなければ、組織は断っただろう。だが、依頼を受け、ブラッドもまたバカ正直に遂行した。ほんとに、あいつはバカだ。言いなりになるにもほどがある。仕事である以前に、人としてやってはいけないことくらいは判断できたはずだ」
「まさかブラッドさんは、そのことで……」
「滅ぼされた村を持つ小国は、政府と冒険屋の関与を疑った。火事の原因を探り、異常で不自然な箇所をまとめた書類を突きつけてきたんだ。もし政府が仕組んだことなら、これは大量殺人以外の何でもない、殺された国民に対する慰謝料を払ってもらうと、莫大な金額を請求してきた。もちろん、認めるわけにはいかない。金の問題だけではない。世界中から批難を受けることになる。政府は真実の暴露を恐れ、組織に相談してきた。そして組織が下した判断は、ブラッドという『物的証拠』を消すことだった」
「で、でも、ブラッドさんはそのことを知らなかったのか」
「小国の訴えは政府と組織の圧力で公にはならなかった。だが小国が騒ぎ続ければそれも長くは持たない。そのうちにブラッドの耳にも届いた。同時に自分の身の危険を考えなかったはずがない。だが、あいつは逃げなかった。何も知らないふりをして組織に従い続けた」
「どうして……」
「罪の呵責だろうな。自分は殺されてもおかしくないことをしたという自覚があったんだろう。やったことを後悔する男じゃなかった。ただ、あまりにもすべてを受け入れ過ぎるところがあった」
「そういうふうには、見えなかったけどな」
「組織はブラッドに死んでくれなんて、そんな子供みたいなことは言えない。ブラッドを殺す大義名分が必要だった。そして、今回の仕事が入ってきた。ブラッドの指揮官、ラグアは切れ者だ。ブラッドを囮にし、敢えてルチルに情報を漏らした。その影で別の冒険屋に荷物を運ばせ、ブラッドにはルチルの大将を道連れにして死んでもらった──大した仕事振りだ。今頃、ルチルは地団太でも踏んでいるだろうし、死者であるブラッドの口座にも、誰も手にしたことがない大金が振り込まれているんだろうな」
沈黙になった。イデルは皮肉な笑みを浮かべていたが、チビには、彼の殺したいほどの凄まじい悔しさが伝わってきた。それを感じながら、体中が石のように固まってしまっていた。チビの中の感情という感情が働かなかった。
シルファは微かに震えていた。
「……イデル、気持ちは分かるが、お前はおかしなことはするんじゃないぞ」
「おかしなこと?」
「お前はもう戦えない。それは百も承知のはずだ。それに、きっとブラッドさんは納得している。そうだろう?」
「……さあな。死人は喋らないからな」
「俺の知ってるブラッドさんは争いが嫌いで、平和な場所で笑っているのが好きな優しい人だった。あの笑顔が嘘だとは思えない。だからこそ、犯した罪を償いたかったんだ。そして、逃げずにそれを果たした。俺は、ブラッドさんを心から尊敬する」
「そうだな」
「政府や組織のしたことは許せない。だけど、俺たちはこの世界で生きてる。そして、決して不幸じゃない。だから、このままでいいと思うんだ」
シルファの声が僅かに上擦った。
「きっと、ブラッドさんもそれを願っている。だからこそ犠牲になったんだと思う。だから……」
「分かってる」
次第に感情的になっていくシルファを宥めるように、イデルは言葉を遮る。滲み出た涙が、シルファの目から零れた。声を押し殺し、イデルに背を向けた。
「……冒険屋ってのは、そんなものなんだよ」
シルファの揺れる背中を見つめ、イデルは呟いた。
「それは、俺がよく知ってる」
シルファは、とうとう嗚咽を漏らす。チビはじっと、ぴくりとも動かずにその声を聞き届けた。
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次の日の早朝、シルファと一緒に出勤したチビは改まってイデルに向き合った。話に付き合ったシルファが驚きの声を上げる。
「なんだって?」
チビは前置きもなく「孤児院に戻る」と言い切ったのだ。昨日の夜も、ここまでくる道のりでも何も言わなかったのに、シルファは戸惑った。
「チビ、それがどういうことか分かっているのか」
「うん。俺、冒険屋になる」
チビの決心は揺るぎなかった。昨日までのオドオドした様子もなく、言葉もはっきりしている。
「俺は別に構わないが」イデルは冷静だった。「理由はあるのか?」
「理由っていうか、そうするって決めたんだ」
「どういう心境の変化だ。お前は冒険屋を嫌っていると聞いたが?」
「うん。嫌いだった。好きになってもない。何て言うか、冒険屋じゃなくて、俺、ブラッドになる」
イデルは、まるで長い悪夢から覚めたような衝撃を受けた。
「あいつは死んでない。ここにいる。俺がブラッドだ」
チビのその言葉で、本当にブラッドが死んでいないような錯覚に襲われたのだ。
「俺はあいつが望んだ大人になる。あいつを幸せな世界に連れていく」
チビは、あれだけ怖がっていたイデルの目をしっかり見つめた。
「その為には、強くならなきゃいけないと思うんだ。だから組織に入って、人殺しはしたくないけど、あいつみたいに強くなる。なんとなく思ったんだけど、世界が平和になるには、今はまだ戦わなくちゃ行けない時代なんじゃないのか? 違うのか?」
シルファは、はっと息を吸った。
「チビ……まさか、昨日の話を聞いていたのか」
「うん」チビは表情を変えなかった。「それに、あいつが言ったんだ。争いが終わるのはまだずっとずっと先のことだって。そのときはケンカをやめればそれで済むんじゃないのかって思ったけど、そうじゃないんだよな。今はまだ、誰かが幸せになるには、代わりに誰かが不幸にならなくちゃいけない時なんだ。でも、俺はそんなのイヤだ。俺が生きてるうちに叶わなかったとしても、俺は絶対に世界を平和にするって決めて、戦い続ける。生まれ変わっても、叶うまでずっとそうする」
チビは、無意識に笑っていた。
「『ブラッド』と一緒に」
反対する理由は何もなかった。子供の浮ついた夢物語のようで、彼なら本当に遂げるかもしれないという根拠のない希望の両方があった。
少なくとも彼の言うとおり、ブラッドがここにいるということは間違いないと思った。チビさえいれば、ブラッドは殺されたのではないと、決して不幸ではなかったと考え直すことができる。イデルとシルファは同じ気持ちでチビを見つめた。あれだけ遣り切れなかった悔しさも悲しさも、まるで昔のことのように感じ、自然と頬が緩んでいた。
やはり、神は無情ではない。イデルは目を伏せ、心の中で感謝の言葉を伝えた。
そして少年は大人になり、今もブラッドと共に戦い続けている。まだ世界は平和にはならない。それでも、いつも笑っていられた。気の合う仲間や、大切な人と一緒に。 <了>