StarElevation
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あの後、計画通りクライセンに文句を垂れたが、これも予想通り皮肉で返されて終わった。それを聞いていたティシラには背後で爆笑され、更に気を悪くした。腹立たしい思いを抱えて庭に出ると、そこでは未だに懐かないジンに木の上から飛びかかられ、顔に傷をつけられてしまう。サンディルはサンディルで、趣味でやっているコーヒー豆の栽培に夢中で話も聞いてくれない。聞いてくれないどころか、興味もないコーヒー談を熱く語られてしまうし、そのうちにマルシオはもうどうでもよくなってしまった。
次の日にはカームのことも忘れ、雑用に追われる日々が続いた。
そして再び二週間が過ぎ、マルシオは今までのようにティオ・メイの講義に顔を出していた。離れた席から誰かが小さく手を振っていた。カームだ。こないだのことを思い出して、また嫌な気持ちが蘇ったが、もう関わりたくないとマルシオは気づかない振りをした。
講義が終わって、その日は早めに講堂を出た。一応、中庭は通る。抜けると、メイの城に続く大きな石橋がある。一般人はあまり通らず、城に関わる者が行き来する静かな橋だった。マルシオはついその橋へ進んでしまった。城に用はなかったが、日々の愚痴を誰か聞いてくれないものかと、少し考えた。トールは、ダメだ。ライザは忙しいだろうし、そうだ、サイネラはいるだろうか。この際ダラフィンでもいい。そう思いながら歩みを進める。
その背後から足音が近づいてきた。振り向くより早く、その者は大きな声を出した。
「マルシオさん」
げ、とつい口をついて出そうになった。またカームだ。何なんだ、馴れ馴れしい。また自慢話かと、マルシオは足を止めるが、眉を寄せて返事をしない。構わずに、カームはやっぱり笑顔だ。走って追ってきたために、息を切らしている。
「マルシオさん、城の方へ? 何かご用でしょうか」
関係ないだろ、とマルシオは反抗的な目を向ける。だが、カームは気にしない。
「こないだは失礼しました。アース様のこと、サイネラ様にお聞きしたのですが……残念ながらご存知なかったようで」
またその話か。せっかく忘れていたのに、なんで自分から蒸し返すんだ。師匠が有名かどうかがそんなに大事か。それに、サイネラもこっちの事情を知っている。「実は魔法王だ」なんて軽々しく言うわけないだろ。マルシオの機嫌はどんどん悪くなる。
「あの、今日はお時間ありますか?」
マルシオは目を逸らしたまま答える。
「いや、忙しい」
冷たい。そこでやっとカームは笑顔を消す。
「そうですか……」
俯く。しかしマルシオは同情の余地もない。
「悪いが、またな」
マルシオはつんと背を向けて城に向かう。慌てて、カームは声を出した。
「あの」必死な口ぶりで。「僕、あなたとお友達になりたいんです」
マルシオは足を止めるが、何を今更、と口を尖らせる。カームは彼の背中に続ける。
「サイネラ様にあなたのことを聞きました。あなたは僕なんかよりずっと年上で、アカデミーも主席で卒業された素晴らしい魔法使いだとお伺いしたんです」
その言葉で、マルシオは体の力を抜く。何かが抜け落ちたような気がした。単純、だとは自分で思わない。
「きっと、お師匠様も偉大な方なのだろうと思います。最初は、僕と同じくらいに見える方だったので親近感を覚えましたし、魔法軍以外の方のお話を聞きたいと思って声をかけたのですが、あなたはどうやら僕の思うよりずっと位の高い魔法使いだったのですね」
そこまで褒められると、悪い気はしない。別にカームは悪気があったわけではないのだ。改めて考え直すと、カームは何も悪くないじゃないか。クライセンが正体を隠し、偽名を使わせただけのこと。誤解が生じて当たり前なのだ。マルシオは今まで冷たくしてしまったことを反省し、さすがに笑いかけることはできなかったが、ゆっくりと振り向いた。目が合うと、カームは明るい表情になる。
マルシオとカームは改めて中庭に戻り、木陰に腰を下ろした。
忙しかったんじゃないのか、などとカームは野暮な質問はしなかった。素直になったマルシオは彼の軍での出来事を興味深く聞いていた。
「それじゃあ……」
マルシオはつい出てしまった言葉の続きを飲み込む。しまった、と目を逸らしたが、カームにはその意味が分からない。
(なんだよ)マルシオは心の中で続ける。(カームは俺よりずっと魔力も弱いし、特別に何かに秀でてるってわけでもないんじゃないか)
なのに、とマルシオは一人でイジケに入る。
(サイネラ様は優しいからな……きっと小さな成長や努力だけで褒めてくれるに違いない。それに比べてうちの師匠は……)
褒めてくれた試しがない。いや、褒めるなんてあり得ない。いくら頑張っても文句しか言われたことがないのだ。そのことが当たり前になっていた自分が可愛そうにさえ感じる。
「……いいなあ」
マルシオはつい、そう零してしまった。カームは更に首を傾げる。それに気づき、マルシオは慌てて顔を上げた。
「いや、何でもない」
そう言うが、やはり羨ましかった。結局、面白くない。カームの無邪気な話はマルシオにとって毒だった。カームへの偏見はなくなったが、これ以上話していてももっと気分が悪くなるだけ。マルシオはそう予感して、思い出したように荷物を抱えた。
「マルシオさん?」
落ち着きのない彼の態度に着いて行けず、カームも追うように腰を上げた。
「ご、ごめん。やっぱり用を思い出した。また、今度」
気まずそうに腰を引きながら、マルシオは珍しく愛想を振りまいた。
「それと」慣れない笑顔を浮かべ。「俺のことはマルシオでいいから。じゃあ、またな」
「え、あ、ああ、はい……」
そんな彼の態度に、自分がまた失礼なことを言ったわけではないことは分かる。マルシオはその場を後にした。カームは一人取り残され、彼を見送りながらもう一度首を傾げた。
*****
その日、マルシオは屋敷に帰って書斎に向かった。そこで何やら書類にペンを走らせていたクライセンに、挨拶もなく食いかかる。
「話がある」
いきなりそう捲くし立てるマルシオに、クライセンはぴくりとも反応しない。よくあることだった。マルシオは怯まずに続ける。
「今日、カームに聞いたんだが、どこの師匠も弟子には優しいらしいぞ」
「どこの」とは誰も言ってないのだが、マルシオは無意識に誇張していた。
「カームって」クライセンは背を向けたまま。「誰?」
「こないだ話したサイネラ様の七番弟子だよ。覚えてるくせに白を切るな」
「ああ、あの自慢だらけの嫌味小僧?」
うっ、とマルシオは息を飲む。
「そ、そこまで言ってないだろ」
「で、何がいいたいわけ?」
そう聞かれると「もっと優しくしろ」だとか「ちゃんといいところは褒めてくれ」なんて、恥ずかしくて口に出せない。背後で言葉を探していると、クライセンが椅子ごとクルリと振り向く。手にはペンを持ったまま、険しい表情をしていた。マルシオの顔が青ざめる。
「そんなにサイネラの弟子が羨ましいなら」マルシオの顔にペン先を向け。「お前も奴の弟子にしてもらえ」
「!」
クライセンが軽く手を動かすと、ペン先に溜まっていたインクが生き物のようにマルシオの目に飛んでくる。マルシオが反射的に目を閉じると、瞼に冷たいものがかかった。すぐに目を開いたが、視界には書斎の、閉ざされた扉が飛び込んできた。
一瞬にして閉め出されてしまったマルシオは、黙ってそこに立ち尽くした。インクで汚れた目元も拭かずに、頭を垂れる。床に落ちた黒い雫を目で追った。
(ああ、もう……機嫌悪いな)
それだけで、文句を言う元気を失う。肩を落として、マルシオは書斎を後にした。
*****
更に二週間後、講義は終わったあとにマルシオとカームはまた中庭で会合していた。
またマルシオが大きな声を上げていた。
「階級? な、何だそれ」
照れたようなカームは、遠慮なく胸のバッジを見せた。
「先週、サイネラ様に薦められて、軍のゴールドクラスの試験を受けたんだ。絶対無理だと思ったんだけど、運がよかったのかな。シルバーから昇格したんだよ。嬉しくって、早くマルシオに知らせたかったんだよ」
「って、言うか、階級って何だ?」
目を丸くするマルシオは、バッジの持つ価値すら分からない。まずは素直に、そこからの説明を求めた。
ティオ・メイの魔法軍には階級制度があり、試験を通過した者だけに与えられる栄光だった。もちろんそれによって扱いも給料も違う。珍しいことではなかったのだが、軍にはあまり関わったことのないマルシオには初耳だった。
「上からキング、マスター、ナイト、ゴールド、シルバーの五段階。シルバーは軍に所属したときに自動的にもらえるんだ。所属にも厳しい試験があるからね。ゴールドは、まあ、取れたから言うけど、ある程度経験を積んでいればもらえるものなんだ。僕も軍に入って五年目だし。だからサイネラ様も薦めてくれたんだと思う。難しいのはナイトからなんだよ。ここから先は、本当に力のある者しか認められないんだ。可愛そうな話だけど、いくら頑張ってもゴールド止まりの魔法使いは少なくない。年を取って、家庭を持った人とか、経済的に苦しくなって軍を抜けるしかない人だっている」
マルシオは、「可愛そうも何も、そんなもの知りもしなかった俺は何なんだ」と唇を噛む。
「マスターのレベルは並みじゃない。それはサイネラ様やラムウェンド様のような立場や位のある魔法使いに達する人を指すんだ。まあ、ラムウェンド様は軍じゃないから、バッジは持っていないんだけど、例えば、ね」
カームは晴れた空を仰ぎ、神を拝むかにように目を輝かせた。
「そして、キング。これは世界にひとつしかない、頂点の印だ」
もういいよ、と思いながら、マルシオはため息をついた。
「魔法使いなら誰もが憧れる魔道の象徴、世界の希望……魔法王その人だけが所持できる最強の証」
えっ、とマルシオは固まった。魔法王って、あいつのことか、などと今更ながら確認する。なんだよ、それ。マルシオの頭の中が渦を巻いた、ような気がした。
これ以上、カームの話をまともに聞くことができなかった。またマルシオはごめんと言いながら、カームを置いて先に帰ってしまった。
カームは彼の背中を見送って、立ち尽くした。
そのとき、カームの眼鏡の奥の瞳が揺れた。
(……マルシオ?)
視界が歪み、続いてぼやけた。立ち眩みに襲われ、カームは膝をつく。
(……ああ、まただ)カームは全身から汗を流した。(いけない。このままだと……)
カームの息が荒くなる。胸を押さえ、ふらつく足取りで城へ向かった。
(僕はまだ自分の力も制御できない、弱い魔法使いなんだ)
カームは遠のく意識を必死で保ちながら、そう自分に言い聞かせていた。
(それなのに……僕は……)
カームの異変に気づいた周囲の者が気にかけるが、五感のすべてが鈍っている彼は誰の助けも借りずに、重い足を引きずりながら城へ向かって姿を消した。
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