StarElevation
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 その日の夜、講堂の最上階にあるサイネラの部屋にカームが訪れた。
「サイネラ様。もうお休みでしょうか」
 サイネラは机上に広げた書物を片付けながら。
「いや、まだだよ」優しい声で。「どうした? まだ眼鏡の調子が悪いのか」
「いいえ」カームは縁に手をかけながら。「サイネラ様が直してくださったので、もう大丈夫です」
「それならよかった」サイネラは微笑んで。「では、他に何かあったのか?」
「いえ、急ぎの用ではないのですが、今日またマルシオと会ったので、少しお話がしたくて……」
「そうか。どうぞ、座りなさい」
 サイネラはカームを机の前にあるソファへ誘導した。カームは座ってしまう前に、話し始めた。
「実は、気になることがありまして」
 サイネラも椅子から降りて、カームの前に腰を下ろす。
「気になることとは?」
「僕はマルシオのことが好きなんですが、どうしても意地悪をしてしまうんです」
「それは、どういうことだい?」
「なんだか、マルシオが羨ましくて、その……自分でも醜いと分かっているのですが、彼に嫉妬してしまっているようなんです」
「マルシオ君の何に嫉妬すると言うのだ」
 カームは少し俯いたまま続けた。
「最初は、あの綺麗な姿に引かれたのですが、話してみて、彼のことを知れば知るほどなんて恵まれた人なんだろうって……」
「恵まれている?」
「はい。魔力も強いし、経歴も素晴らしい。それに……これはただの僻みなんですが、凛としていて容姿も美しいし、ちょっと元気が良すぎるようですが、可愛い恋人までいるなんて」
 サイネラは目線を外して首を傾げる。もしかしてティシラのことだろうか。カームが前に「赤い目」の女の子がどうとか言っていたことを思い出す。おそらく間違いない。きっと本人には確認していないのだろう。ティシラがクライセンを好きらしく、それを本人は否定しているというような噂は聞いているが、サイネラが知る限り、マルシオと彼女の間にはそんな感情はあり得ない。明らかに勘違いしている。しかし、それはその内、親しくなれば知ることだろうと訂正しないことにした。
 サイネラは少し間を置き。
「……そうだね。確かに彼は輝いている」
「サイネラ様もそう思いますか?」
「ああ、もちろんだ。マルシオ君は私にはないものをたくさん持っている」
「やっぱり」カームは、少し寂しそうな表情をする。「……僕はマルシオと張り合おうなんて、愚かなことを考えてしまいました。敵意があったわけではありません。ただ、友として、お互いにいい刺激を与えられる仲になれればと、そう思っただけなんです。だけど、僕なんかはマルシオの足元にも及ばない……今日、そのことを知りました」
 カームは思い詰めたように頭を垂れた。サイネラには彼が何を言わんとしているのかが分かる。
「……見てしまったんだね」
 サイネラは、低く、しかし優しい声で尋ねた。カームは深く、頷く。
「気にすることはない。君が悪いんじゃないのだから。それに、眼鏡の魔力が弱まっていることに気づいてあげられなかった私にも責任がある」
「い、いえ」カームは慌てて顔を上げた。「サイネラ様が責められることはありません。僕が管理を怠っていたのがいけないんです」
 悪いことを人のせいにしない、素直でまじめなカームの態度に、サイネラはいつも感心する。本当は、甘いと分かっていた。だがサイネラは彼の未来に希望を持っていた。カームの中には生まれついて忌まわしい能力が宿っている。しかし、忌まわしいと思うのはきっと今だけであり、その力をものにすればカームは特殊な魔法使いになれる。そう思った。だから弟子として、傍に置くことにしたのだ。彼には、両親にさえ恐れられてしまった力を認め、守ってやることができる師が必要だ。その役目が自分にあると、サイネラは自負していた。
「カーム」サイネラはしばらく彼を見つめた後。「君は一体何を見てしまったんだい?」
 カームは、サイネラになら話してもいいと思った。
「マルシオは……」確信はなかった。「異形の者です」
 やはり、とサイネラは表情を消す。カームは慌てたように続けた。
「でも、決して邪悪なものではありませんでした。いえ、邪悪どころか、神秘的で美しく、本来なら人の手の届かない、高いところの存在でした。それが何なのかは、はっきりとは見えませんでしたし、僕もそれ以上は見てはいけないと思いました。だけど……」
 カームは続きを飲み込んだ。サイネラが促す。
「だけど?」
「……僕は、マルシオの友達だと、思いたいんです」
 だから目を逸らした。最後まで見なかった。
 カームには、幼いころから人の心理や未来など、決して外部が触れてはいけないものが見える能力があった。まだ物心がつかないころ、何も分からずに見えたものを口に出してしまっているうちに、人から気持ち悪がられ、次第に誰も寄り付かなくなってしまった。最初のうちは、両親は彼を心配して医者や魔法使いに相談して、なんとか治してやりたいと努力してくれていた。しかし、原因は一向に解明されず、とうとうカームに取って、唯一の味方だった両親までが彼を恐れ始めた。それも分からないでもなかった。自分の考えていることを悟られ、勝手に先に起こることを読まれたり、今まで何をしていたのか、これから何をするのかまですべてを見られてしまうのだ。普通の人間なら、同じ屋根の下で生活するなど、精神的に耐えられない。
 カームはとうとう孤児院に預けられ、親子の縁も切られて、完全な孤独になった。彼の力に気づいた孤児院の者も、自分たちの手には負えないと、ティオ・メイの魔法軍に押し付けてしまったのだ。
 それでもカームは盥回しにされた末、行き着いた場所がサイネラの元だったのだ。サイネラはカームを受け入れた。恐ろしい能力を持っていたとしても、彼は無垢で純粋で、何よりも自身はひとりの弱い人間に過ぎなかったからだ。嫌われるために生まれてきたのではない。その力はきっといつか何かを救うものになると信じた。
 サイネラは、カームの能力を封印する魔法をかけた眼鏡を与えた。まだ不安定ではあるが、カームは素直に喜び、次第に笑うようになった。そして、自分からいろんなことに挑戦しようと試みる姿勢を持ち、積極的に友達を作るようになっていった。それでも人付き合いが下手で、どうしても相手の顔色を伺ってしまう癖のある彼は、今一歩踏み込むことができないでいた。カームがマルシオに出会ったのは、そんな矢先のことだったのだ。
「最初は、少し怖い人なのかなと思いましたが、向き合ってすぐに分かりました。彼もまた、ただ人が苦手なだけなんだって」
 カームは俯いたまま、少し微笑んでいた。
「それがなぜかまでは分かりませんでした。でも、話をしているうちに、人が嫌いなわけではないと思いました。だって、決して豊かではありませんでしたが、マルシオは僕の話を一生懸命聞きながら、ころころと表情を変えていたんです。あれだけ能力があって、何でも知っていそうな雰囲気なのに、僕にとっては当たり前のことさえ素直に驚いていたんですよ。だから、僕……」
 カームはそこで、はっと息を飲む。また調子に乗ってしまったことを素早く後悔する。気まずそうな顔をして、上目でサイネラの様子を伺った。心配するまでもなく、サイネラはにこにこと目を細めていた。
「気にする必要はない」カームの心理を悟り。「それに、君とマルシオ君は間違いなく、友達だよ」
 カームはぐっと身を乗り出す。
「ほ、本当ですか?」
「ああ。きっとマルシオ君もそう思っている。聞いてみるといい」
「聞いてみるって、僕のこと、どう思ってるのかって、ですか?」
「そうだ」
「そんな変なこと聞けませんよ」
「そうかい? でなければいっそ君の力のことを打ち明けてみてはどうだ」
 カームは絶句する。しかし、サイネラはいい加減なことを軽々しく薦める人ではない。無謀と思えることも、師の言葉だと思うと試してみていいかもしれないと思う。それ以上に、確かにマルシオなら怖がらずにいてくれるかもしれないという期待が持てたのだ。
 カームは急にマルシオに会いたくなった。今すぐ話したい。嫌われてしまうかもしれないということは考えられなかった。
 その気持ちを受け入れたとき、カームは何かに気づいた。
(そうか……マルシオという人は、そんなことで揺れるような弱い人ではないということなんですね)
 カームの中にあった不安が晴れていった。やっぱりサイネラに話してよかったと、心から思った。サイネラにはカームの気持ちが読めた。彼はいいほうに受け取ったのだと。
 本音は、マルシオの周囲にはカーム以上に問題のある者が揃っているのだ。人の価値に等級をつけるつもりはないが、類は友を呼ぶと言うのだろうか、きっとマルシオ自身も勝るとも劣らない何かを抱えているのだと思う。
 そのとき、ふっとサイネラは目線を上げた。
(……と言うことは、私も……?)
 考えてみるが思い当たる節はない。いや、まさかと邪念を追い払いながらカームに向き直った。
 目が合うと、カームは穏やかな顔になっていた。
「張り合う必要なんかなかったんだと、やっと分かりました。ただ、友として隔たりなくいろんな話をするだけでよかったんです。今からでも間に合いますよね」
「もちろんだとも。間に合うどころか、まだ君たちは出会ったばかりだ。これからではないか」
 それを聞いて、カームは万遍の笑みを浮かべた。それは幼いころに虐げられてきた者のものとは思えないほど無邪気だった。
 そろそろ就寝の時間になる。カームはそれを惜しむように続けた。
「きっと、あのマルシオのお師匠さまなら、それは素晴らしい人なんでしょうね」
 サイネラは、一瞬だけ表情を消した。カームに気づかれないうちに笑顔を取り戻し。
「そうだね」
「地位や名前など関係ありません。師と弟子はお互いに必要として成り立つもの。マルシオを知れば知るほど、アース様が高貴な方であると、そう思えるんです」
「……ああ、そうだね。その通りだ」
 カームはサイネラの僅かな心理のざわつきなど、悟れるはずがなかった。サイネラは好奇心が高まる弟子に、人差し指を立てて忠告する。
「だけど、カーム。決して彼の師匠に会おうなどと考えてはいけないよ」
「えっ。どうしてですか」
「もし君が彼と出会ってしまったら」悪戯っぽく笑い。「私の影が薄くなってしまい、もう頼ってもらえなくなるかもしれないからね」
 カームにはその意味が分からなかった。だが、すぐに理解し、大きく息を吸いながら。
「そんなことはありませんよ。絶対に!」
 大声を出すカームに、サイネラは返事の代わりに深く頷いて見せた。

 夜は更け、カームは自室で眠りについた。
 同じころ、サイネラは眠れずに、窓から夜空を眺めていた。そして、カームを弟子にした意味を、もう一度考え直していた。
 彼に対するいろんな思いがあったからこそであることは間違いなかった。しかし、今日カームと話しながら、つくづく自分が小さい人間だと思い知らされてしまったていたのだ。しかも、嫉妬などという人のもっとも醜い感情を抑えることができなかった。情けない。仮にも先代からこの地位を受け継ぎ、人の上に立ち指導する身でありながら、と自分を責めた。
 きっとカームとは出会うべくして出会ったのだと、改めて思う。年を経れば経るほど忘れがちになってしまう「信じる心」、「素直な気持ち」を留めるために、自分にはカームが必要なのだ。
 ふと、マルシオの顔が浮かんだ。どうしているだろう。師匠とは仲直りしたのだろうか。自分が心配するまでもないとは思うが、どんなやり取りがあったのか、興味があった。きっと感動的なことは何もないのだろうと思うと、口の端が緩む。
 それでも、やはり羨む気持ちは消えなかった。もっとたくさん知りたいことがある。この地にあるものはほとんどを知った。それ以外が欲しくなってしまったのだ。所詮は自分も一人の人間に過ぎない。それだけは認めなければいけない。そして、「彼」の後を継ぐに相応しくはないということも。
 自分には自分の役目がある。それが答えだった。もしカームが「彼」と出会うことがあるとしたら、それも運命。だが、カームはきっと戻ってくる。マルシオが自分の師の下へそうしたように。
 それがサイネラの救いだった。
 もう考えるのはよそう。星々から目を離し、室内の電気を消しに向かう。暗くすると、空で瞬く星たちが、更に輝いて見えた。 <了>




後書
 読んでくださった方、リクエストをくださいました、らくすい様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
 そして、読んでくださった方にも、心より感謝いたします。ありがとうございます。
 マルシオの話とのことでしたが、カームも結構出張ってしまいました;最後は結局サイネラが締めてるし。マルシオが帰ったあと、屋敷ではどうなったのかは、今までのものを読んでくださった方には大体想像できるのではないのかと思ったのですが、もし物足りなかったらごめんなさいです。
 ティシラとクライセンの関係は、この段階ではまだ秘密です。ちなみに、今回の話は「SHANTiROSE」の3章の後の話になります。
 では、どうぞこれからもよろしくお願いします。


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