SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-47





(……そうだ。ティシラがこんなことで死ぬ運命のはずがありません)
 だが、どうする? ロアは再考する。
 魔界の高等部に位置するティシラとサヴァラスさえも、今のマルシオには及ばない。となると、ティオ・メイの魔法兵では束になっても敵うはずがなかった。
「そうだ」思案するロアに、ルミオルが声をかける。「フーシャは? 彼女を起こして誤解を解けば……」
「誤解?」とサイネラが問う。
「マルシオはティシラがフーシャを殺したと勘違いして怒り出したんだ。だから本人に本当のことを伝えてもらえばきっと……」
 言い終わらないうちに、サイネラがフーシャに駆け寄っていた。血塗れで気絶しているが、確かに彼女は無傷である。肩を揺らして声をかけてみるが、フーシャが起きる気配はなかった。
「ダメです。おそらく精神的ショックと、この世界の魔力によって弱ってしまっているのでしょう……でも、フーシャ様に力を送ってみましょう。目を覚まされるかもしれません」
 サイネラが印を結んで呪文を唱えると、地面にフーシャを囲むように魔法陣が浮かび上がった。
 その様子を見ていたロアは、サヴァラスに呼ばれて振り返る。
「ロア、なんとかならないのか。このままだと……万が一ティシラ様が天使に殺されるなんてことがあったら、一大事なんだぞ」
「……分かっています」
 また一つ落ちたティシラの血を視界に捉え、顔を上げる。
(魔法兵でも魔族でも無理、そして天使も使えない……一体何がティシラを救えるのでしょうか)
 無意識に、ロアは指輪を見つめていた。もしかしたら「彼」が何か教えてくれるかもしれないなどと、何の根拠もない期待を抱いていた。
 しかし指輪はまったく応えてくれる様子がない。
 ――――!
 なのに、ふっとロアの脳裏に何かが過ぎった。ロアはまさか、と目を泳がせる。
(……まさか)拳を握り、眉を寄せた。(私に、やれと?)
 心の中でそう呟いた途端、それしかないという確信を持ってしまった。
(……私が? 私に一体何ができると?)
 ロアは一人問答しながら、噴出す汗を拭う。
 そんな彼の前に、数滴の血痕が落ちた。そのとき、受けなくていい苦痛を受けているティシラを巻き込んだのは自分だということを思い出す。
(……私の咎。そうだ、これは、私の責任)
 ロアは無理という言葉を否定し、やるという前提で手段を探した。目線を、ティシラから冷笑を浮かべているマルシオに移す。
 遠くを見つめるように、ロアは目を顰めてマルシオを見つめた。
(そうだ。私だけではない。「マルシオ」だ。彼にも戦ってもらうしかありません)
 これしかない、やってみるしかないと、ロアは決意をする。もうこれ以上悩んではいられない。やって失敗してもそれはそのときと、開き直る。
「サヴァラス」語気を強め。「ティシラを守っていてください」
 次に、サイネラに向き。
「サイネラ様。ルミオル様とフーシャ様をお願いします」
「……は、はい」サイネラは戸惑い。「あの、あなた様は……」
 時間があろうとなかろうと、ロアは自己紹介するつもりなかった。素早く背を向けながら、最低限の言葉を残す。
「魔法使いです」


 ロアはマルシオに向き合い、強く彼を睨み付けた。
 それに気づき、マルシオは彼を見つめ返す。
 ロアが人差し指を唇に当てて呪文を唱えると、金の長髪がふわりと揺れる。足元に浮かんだ魔法陣は、アンミールの文字ではなかった。天に近い、今は失われかけている人間界の言葉で綴られている。
 ロアが両手を肩の高さに上げて舞うように左右に揺らすと、足元の魔法陣の文字が巻物が解けるように立体化した。それは螺旋状に絡み合い、順次空に溶けていく。天使召還術に似ていた。ただし同じではなく、目の前にいる崇高な存在の心に侵入して意志の疎通を試みる魔法だった。
 見たことのない魔法に、サイネラが目を奪われていた。そして、ロアが誰かに似ているということに気づく。暁の太陽のような金髪と、宵の色をした紫の瞳。大昔、それとよく似た色を持った魔法使いがいた。
 確か、三代目魔法王が、そうだった。
 一同が見守る中、浮かぶ文字がロアの中に吸い込まれていく。呪文を唱えながら瞼を落としていた彼が両手をマルシオに向けた。すると、掌の中から金の光が溢れ出した。
 それをじっと待っていたマルシオは、まったく動じることなく再度銀の壁を作り出す。金と銀の光がぶつかり合った。
 その衝撃は城にまで届き、周囲の兵たちは戸惑いながらも魔力を強め、それらを必死で閉じ込めることに尽力する。
 ロアは今のマルシオを越えようというつもりはなかった。光の壁の組織へ自分の魔力を潜り込ませ、彼の「領域」へ踏み込もうとしていた。しかし、やはりそう簡単にはいかない。相手が既知の力ならば見透かすことに時間は要さないのだが、まったく未知のそれなのだ。どこに隙があるのか、どう動けば隙間を縫うことができるのか、すぐに答えを出すのは至難の技だった。
 マルシオはただ金の光を防御するだけの力しか使っていない。これに攻撃の意志が加われば、簡単に跳ね返されてしまう。侵入するには時間は当然、状態も不利である。
 仕方ない、と、ロアは光を通して心に語りかけた。
 ――聞こえますか。
 マルシオの眉が、微かに揺れた。
 ――あなたは、どなたでしょうか。
 その問いに、マルシオは口の端を上げただけで答えなかった。ロアも、そう簡単に名を教えてもらえるわけがないかと、自分を笑う。ただし分かったこともある。やはり「彼」は、「マルシオ」ではないようだ。
 ならば、目的は一つ。マルシオを探して、呼び戻すのみ。
 ――マルシオ、マルシオ。
 ロアは闇雲に彼の名を呼んだ。まだ見つからない。
 そのとき、上空でティシラが甲高い悲鳴を上げた。どうやら「マルシオ」が彼女を更に締め上げたようだ。
 蒼白したサヴァラスが更なる魔力をティシラに送り込む。このままではサヴァラスも、そしてロアも力尽きるまでそう遅くない。
 きっとロアの気を散らすのが目的だったのだろう。
 だが、それは裏目に出ることになる。
(……ティシラ)
 脆弱な声が、ロアに届いた。「マルシオ」から表情が消える。
(……どこだ。何も、見えない)
 マルシオだ。この機転を逃したらお終いだと、ロアは集中する。
 ――マルシオ。早く戻ってきてください。
(誰だ? ティシラは? どうして……)
 近付いてくるマルシオが、また少し遠くなった。
(……嫌だ。行きたくない)
 何を言っている? ロアは声の先を必死で手繰りながら耳を傾けていた。
(違う。違う。俺はそんなこと望んでなんかいない。やめてくれ……行きたくない。助けて……)
 どうやらもう一人のマルシオが本物を押さえ込んでいるようだ。厄介な、と思うが、二人のマルシオが対等の位置にいることをロアは予感した。ということは、やはりマルシオだけが頼りだ。
 ――マルシオ。戦ってください。ティシラが殺されてしまいます。あなたの大切な友が、理由もなく苦しめられているのです。
(……助けて。あっちへ行きたくない。怖い。消えたくない)
 ――マルシオ、マルシオ……
 何度も呼ぶが、これでは埒が明かない。ロアの魔力もこれ以上上げることができなかった。呼び続けるしかできることはないのか。それではティシラ共々、殺される。彼女が殺されてしまったら、父親が黙ってはおらず、地上も天上も平和はなくなるだろう。
 悔しい。ロアは、滅多にない感情を抱いた。すべて自分が引き起こしたこと。
 悔しい。もう一度繰り返し、ロアは遠くを見つめるのを止める。鋭い目線は、目の前の「マルシオ」に向けられた。
 ――消えなさい。
 ロアは自棄になり、マルシオを呼ばず、彼に語りかけた。
 ――心の隙に付け込み不幸を呼ぶ魔物。あなたは誰にも必要とされない、邪悪な魂。消えなさい。誰も、あなたを呼んではいません。
 ロアの残酷な言葉は、「マルシオ」に届いていた。彼から表情は完全に消えており、まるで子供が心を見透かされてしまい、それでも認めたくないかのような反抗的な目をしているように見えた。
 ロアの不可解な気持ちは更に深まったが、確かな反応を感じてそのまま続けた。
 ――消えなさい。孤独な者に存在する価値はありません。あなたのように無差別に人を傷つける者は闇の中で眠るべきです。消えなさい。
 怒らせてしまうかもしれない。それでも、ロアは知ったことではないと腹を括る。どうせ、失敗すればみんな死んでしまうのだから。
 もうそろそろ限界だ。ロアも、サヴァラスも、ティシラも。
 そのとき、「マルシオ」は不気味な微笑みを浮かべた。そして、ゆっくりと唇を動かす。

『……壊れた』

 ロアの背筋に、雷が落ちたような寒気が走った。
 次の瞬間、マルシオが発していた銀の光が砕け散った。
 連鎖反応でロアの金の力も掻き消え、呪樹の森に強風が駆け抜けた。開放されて落ちてきたティシラをサヴァラスが掴んで被さるように守り、サイネラも瞬時にしてルミオルとフーシャを守る小さく強力な結界を張った。
 光の粉を含んだ強風は、残っていた仙樹果人と核を吹き消していく。
 魔法兵が作り出した結界の中で光の風が回転しながら暴れる。魔法兵たちの全力の対抗も耐え切れず、結界は爆音を立てて破裂してしまった。その衝撃で吹き飛ばされた者は数え切れなかったが、幸い死者は出なかった。
 あれほど雄雄しかった呪樹の世界は空虚な姿になっており、中には力尽きて地に伏せる一同だけが残っていた。
 動けるルミオルはティシラに、サイネラはマルシオに駆け寄った。
 ティシラは気を失ったサヴァラスに守られて、辛うじて一命を取り留めていた。
 マルシオは、生気のない状態で倒れている。サイネラが恐る恐る肩を揺らしても、完全に意識をなくしてしまって動かない。そこに、無理をしすぎて全身が震えているロアが声をかけてきた。
「彼は、最後に『壊れた』、と言いました」
「こ、壊れた?」
「はい。おそらく……それが意味するものは」
 ロアが言いかけたところで、ティオ・メイの兵が数名駆けてきた。
「サイネラ殿、無事か!」
 もう危険な魔力はなくなったと判断したダラフィンが突入してきたのだ。それを見て、ロアがはっと息を吸う。言いかけた言葉を忘れてルミオルに顔を向ける。
 ルミオルはゆっくり体を起こしながら、黙って立ち尽くしていた。
 ダラフィンはそれほど驚かず、ルミオルの前で足を止めた。
「……ルミオル様」
 ご説明を、という続きを飲み込み、ダラフィンは目を伏せる。
 ルミオルは、微笑んだ。
「……可笑しいだろう。この世界は、俺が作った」
 もうロアにはルミオルを連れて逃げるほどの力は残っていなかった。それに、と思う。もう彼は覚悟を決めているようだ。
「これで国を襲うつもりだった」
「……なんと」
 言葉を詰まらせるダラフィンの傍で、サイネラも目を見開いた。
「だけど、この有様だ」肩を揺らして笑いを漏らしながら。「まさに、俺という男を映した惨めな結末だよ。俺は自分がどれほどのものか、思い知った。もう、心残りは、ない」
 ルミオルが言い訳をしない限り、捕らえない理由はなかった。彼自身もそうして欲しく、望んで膝を地に着き、ダラフィンより低い位置で静かに頭を垂れた。


   

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