SHANTiROSE

HOLY MAZE-25





 娼婦を斡旋する特殊な場所がある。売春そのものは違法とする国がほとんどなのだが、やはり人には必要な娯楽であり、立派な商売として成り立つため、どこの町にも暗黙で存在しているものだった。
 そういった場所は、人を売るという印象を薄めるため、「人材派遣所」という名で通っていた。
 シールは大きな国なので、質の低いやり取りの行われる薄暗い小屋から、立派な屋敷で上品な面構えの高級派遣所まで、複数のそれがあった。名義は「有能な人材を目的に合わせて貸し出し、賃金と等価のサービスを提供する」というものだった。
 現在シールで一番高級と言われている派遣所「ミスレ」は、城下町の一角に建っている。大通りから少し入り組んだ道の先にあり、周囲には一般の住宅や個人経営の店が並んでいる。ミスレはそれらに悪いイメージは与えなかった。
 建物の外観は落ち着いたレンガ造りで、玄関の扉の上部は天使のモチーフのステンドガラスで飾られている。ちょっとした質のいいホテルのようで、出入りする者も品のある紳士や淑女ばかりであり、今まで騒ぎや問題を起こしたことはなかった。
 派遣所が一般人に嫌われない理由は、その場で行為が行われないからという理由もあった。あくまで取引の場所に過ぎず、行き来する者の中に娼婦もいるのだが、ミスレでは上流階級の婦人にしか見えない者ばかりで視界に入っても不快感はなかった。そうではない、あからさまな風貌の者は、身の丈に合う人里離れた派遣所でしか扱ってくれない。
 昨夜、ミスレに一組の売人が訪れた。飛び込みも受け付けているミスレでは彼らを中へ通した。
 売人の一人は長い金髪を一つにまとめ、背筋をすっと伸ばした凛々しいスーツ姿の青年だった。彼は手袋とハットをゆっくりと外し、胸に片手を当てて丁寧に挨拶をする。誰が見ても育ちのいい好青年だった。
「ぜひ、紹介したい人物がおりまして……」
 ミスレの受付にそう伝える彼は、変装したロアだった。彼はリアエンスという仮名を使い、ティシラと二人で足を運んでいたのだった。
 ロアの後ろにはティシラが目を伏せて静かに立っていた。黒髪を綺麗に結い上げ、薄く上品な化粧を施している。ただ、ティシラの特徴でもあった真紅の瞳は薄い緑色に変わっており、それだけでいつもとは違う雰囲気を漂わせていた。赤の瞳はどうしても人に威圧感を与えやすい。だから「ただの少女」を装うためにと、ロアが一時的に魔法で色を変えていたのだった。
 二人がここへ来たのは、ルミオルの案である「娼婦としてシールの城に潜入」するためだった。


 ルミオルから話を聞いたティシラは、戸惑いの欠片も見せずに実行すると決めた。ルミオルは決して簡単ではないと念を押したのだが、ティシラはあまり聞かなかった。
 マルシオは嫌な顔をしていた。娼婦という存在、それを当然のようにやり取りするという事実に抵抗があったのだった。
 ロアもあまり乗り気はしていなかったのだが、公然の場に出ないで済むなら、いくらか危険も少ないだろうと考えていた。
 ティシラは娼婦の真似をすることに何の抵抗もなかった。むしろ楽しみとでも言わんばかりに怪しい目をしている。
 そんな彼女の様子に、マルシオは嫌悪感を抱いていた。
「ティシラ、お前は指輪で何もできないんだろ。もし、その、危険なことになったらどうするんだよ」
「危険なこと?」言葉を濁す彼に、ティシラはにやりと笑った。「ラストルに襲われたら、ってこと? 平気よ。私が人間なんかの言いなりになるわけがないし。それに、若い男は私にとっては餌でしかないのよ。指輪がないなら、お腹一杯食い尽くしてやりたいくらいよ」
 マルシオの顔が赤くなる。汚らわしいティシラの発言に憤ったからだった。
『……まあ』ルミオルは冷静だった。『おそらく、そういう心配はないと思うけど』
 ルミオルはティシラが魔女だという実感をいまいち持っておらず、二人の会話の意味がよく分かっていなかった。しかし、ティシラが何であろうと、ラストルの方にこそ問題があることを、彼はよく知っている。
『兄上は、娼婦のすべてを拒絶し、近寄ることさえ許してこなかったんだ』
「え?」マルシオが眉を寄せる。「どういうことだ?」
『兄上の女嫌いの話、聞いたことないのか?』
 言われて、そんな話があったような気がすることをマルシオは思い出した。
『名誉に関わることだからな、そう大々的には広まっていないだろうが……』
「……でも、それは」マルシオは声を落とし。「ラストルは女だけじゃなくて、人が嫌いって感じじゃないか?」
『そういうことにはなってるな』
 ティシラが首を傾げる。
「何を言ってるの? 差し出された娼婦さえもいちいち拒否してるってこと?」
『そうだ。兄上は今まで一度も寝室に女性を入れたことがないらしいんだ』
 ティシラとマルシオは目を見開いて驚いた。ティシラには信じられないことだったし、マルシオさえ、人間は性欲の捌け口として、感情がなくても日常的に性行為に及ぶものだと思っていた。具体的なことまで考えたことはないが、ラストルのように欲しいものはなんでも揃う環境にあるなら、何不自由なく欲を満たしているのが普通ではないのだろうか。
『父上たちはそれなりに心配してるよ。でも本人は、女など汚らわしいものとしてしか扱わず、そんなものは必要ないって言ってるらしいんだ』
「……でも」と、ティシラ。「まさか、経験ないってことは、ないわよね」
『どうだろう。話によると、兄上に宛がわれた女はみんな追い払われ、一緒に寝たという者、それに近いことをしたという者は、今のところ一人もいない。口封じと言っても限界がある。感情抜きの行為は性欲処理であり、見合った報奨が与えられる。つまり娼婦にとっては仕事なのだから、必要な情報は開示する義務があるんだ。しかし、兄上と交わったと言う者はいない。つまり、そういうことなんじゃないのかな』
 ティシラとマルシオは言葉を失った。表情を変えずに聞いていたロアが口を開いた。
「それでは、娼婦として乗り込んでも追い出されてしまうのではないですか?」
『そうだな。だが今回は兄上は国賓であり、娼婦も献上物の一つだ。いつもの様子であしらうことはできないはず』
「……それでも、難しいことには変わりないですね」
「それに」マルシオが身を乗り出した。「ラストルはティシラのことを知ってる。顔を合わせただけで正体も、嘘だってこともバレるじゃないか」
『そう。でも、それを利用する手段があるかもしれない』


 そうしてルミオルを中心に一同は話し合い、ティシラが娼婦の振りをして侵入を試みることになった。
 不安材料はまだまだ山積みだった。まずは王家への献上物しての審査をクリアし、ラストルに近付くこと。そしてその後、どうやってラストルを説得するかだった。ティシラ一人にそこまでできるのか――人の命が懸かっている。今回の救いと言えば、ティシラの仲間が危険に陥っていることだった。ティシラ自身が言い出したことで、一番やる気のあるのは本人である。妙な欲を出すことなく、目的に献身していれば悪いことにはならないはず。そう信じて、マルシオは文句を言わずに二人を送り出した。


 ラストルは明日にでもシールに到着する予定である。
 ティシラとロアは急いで変装し、今日中に話を進めようとしていた。
 左手の薬指の指輪は、とりあえず白い手袋で隠すことにする。
 意外にも様になっている二人にマルシオは感心していた。ティシラは元々魔界の姫であるため、意識さえすれば立派な淑女を演じることができる。ロアはどんな育ちか知らないが、彼もまた元々穏やかな物腰なので、服装一つで違和感なく紳士へと変わることができた。
 身元は怪しいままで構わないとルミオルは言っていた。逆に名のある血筋の者だと、その身内を売る行為は後々面倒を起こしかねないからだ。
 だからと言って、なんの信用もない者を客に渡すわけにはいかず、それなりの審問が行われる。ここは二人の演技力にかかるところだった。
 ロアは、素晴らしい逸材を紹介したい、ぜひオーナーを呼んで欲しいと受付の者に願い出た。受付はちらりとティシラに目線を投げた。ティシラの容姿、雰囲気、気品は上質であると認める。受付の者は少々お待ちくださいと言って席を立った。
 しばらくして、受付の奥の扉から貫禄のある細身の男性が現れた。
「ようこそ、ミスレへ。私がオーナーのウィラーです」
 ロアはにっこりと笑みを浮かべ、腰を折って目を伏せた。
「ウィラー様、お目にかかれて光栄です。私はリアエンスと申します。どうぞ、お見知りおきを」
 ウィラーは一目で、礼儀正しいロアと背後にいるティシラに期待を抱いた。


 ウィラーに案内され、二人は奥の部屋へ通された。
 生活観のないホテルとは違う、まるで、個人所有の豪邸の客間のようだった。
 ティシラとロアはウィラーに促されてソファにゆっくりと腰を下ろす。話を始める前にドアがノックされ、お茶が運ばれてきた。
 一通り挨拶が終わったあと、ウィラーから本題に入った。
「今回はどのようなご用件で?」
 ロアは一度深く瞬きし、姿勢を正した。
「この少女――」隣のティシラに指先を向け。「シェリアを紹介したく、参りました」
 シェリアとはティシラの偽名だった。その場にあった雑誌の片隅からてきとうに選んだものである。
 ティシラはふっと顔を上げ、優しく目を細めて微笑んだ。
「シェリアと申します」
 取引のリードはロアに任せ、ティシラはしとやかな少女を演じていた。
「可愛らしいお嬢様ですね」ウィラーは少し背を丸め。「それで、シェリア嬢……少々お若いようですが、ここがどのような場所かご存知で?」
「はい」ティシラは表情を変えずに。「この私を必要としてくださる殿方がいらっしゃいますならば、一生懸命に勤めさせていただきたく存じます」
「素晴らしい。若く美しく、そして御心も大変ご立派――しかし、失礼ですが、このような貞淑なお嬢様を、どうして……」
 そこで、ティシラは少し目線を下げ、代わりにロアが口を開く。
「私は過去、広大な土地を所有する地主でした。未婚だった私は、ある雪の日に、屋敷の前に置かれていた赤ん坊を拾い、本当の娘のように育てました。それがシェリアです。そして、お恥ずかしい話ですが、経営がうまく行かず、あっという間に財産を失ってしまいました。路頭に迷っていたところ、シェリアが自分も働いて生計を助けたいと申し出てくれたんです」
 珍しい話ではなかった。むしろウィラーにとっては、こういう人材、つまり、落ちぶれた上流階級出身者が一番有難いのである。同情の表情で耳を傾けつつ、心の中は期待で膨らんでいた。
「孤児とは言え、シェリアはこのとおり、奇跡と言っても過言ではないほど美しく育ちました。どこのどなたが私の家の前においていかれたのかは存じませぬが、これはきっと神からの贈り物だったのだと、私は信じています」
 人に寄っては、大事に育てた少女を売りに出すことを批難するだろう。だがこの業界には綺麗事は邪魔でしかなかった。ヘタに人情を出せば商売に支障を来たす。それもルミオルの入れ知恵だったのだが、ウィラーはまんまと、ロアを「理解のある、都合のいい取引相手」と判断していた。
「お気の毒な話です。しかしリアランス様は不幸ではありません。宝石のように美しいお嬢様に恵まれたのですから」
 ティシラは褒められて気分がよかった。ここにマルシオがいたら変な空気を出していただろうと思うと、余計に清々しい。
「では」ロアは透かさず。「シェリアを働かせていただけますでしょうか」
「ええ。シェリア様なら引く手数多でしょう。ぜひ、こちらからお願いしたいくらいです」
「ありがとうございます」
 ロアは深く頭を下げたあと、すぐに顔を上げた。ここからが本当に駆け引きだった。
「ただ、一つ、お願いがございます」
 ウィラーは一瞬アゴを引いたが、すぐに「なんでございましょう」と微笑んだ。
「シェリアはこのとおり、まだ大人とは言い難い未熟な娘です――心は清らかであり、そして、体も純潔のままなのです」
 ウィラーは瞳を揺らして驚いた。ティシラに目線を移すと、ティシラは照れたように頬を染めて少し顔を逸らした。心の中では舌を出しながら。
「今まで幾度となく、シェリアは男性に求められました。どこかの御曹司へ嫁がせれば生活の安定を約束されたかもしれません。しかし私は大事な娘を守ってきました。シェリアは常人とかけ離れた何かを持つ、珠玉の娘だと信じたからです。だからこそ、今、ここへお連れしたのです」
 鋭い光を灯したロアの熱弁に、ウィラーは息を飲んだ。
「……一体、何をお望みなのでしょう」
「明日、ティオ・メイの王子ラストル様がこの国へいらっしゃいますね」
「まさか……」
「そうです。シェリアのすべてを、王子に捧げさせたいのです」
 ウィラーは目を見開き、汗を流した。
「お、仰るとおり、国賓がいらっしゃいますが……」
「私の勘が確かなら、ティオ・シールで最高級の、このミスレ様へ依頼があったはずです。複数の人材のうちの一人でも構いません。シェリアを、どうか、王子に献上していただけませんでしょうか」
 ウィラーは小さく唸りながら考えた。
 確かに、「シェリア」は若く美しく、品格も礼儀も恥じらいも兼ね備えた逸材である。大抵の男なら喜ぶだろう。しかも体は純潔とくれば、これほど高価な「商品」は他にない。
「しかし……その依頼は過去にないほどの重要なものなのです。経験のない方をお送りするのは……」
「承知しております。しかし、私はある情報を手に入れております」
 突然のロアの発言に、ウィラーは首を傾げながらも「それは?」と興味を示す。
「ラストル王子は、処女をお好みなのではないかという噂があるんです」
 初耳だったウィラーは短い声を漏らした。それも当然である。嘘なのだから。
「ラストル王子は清廉潔白なお方と御見受けいたしております。その印象の理由を求めました。娘のために。そして私は貴重な情報を得ました。ラストル様のこだわりの嗜好が根にあったからなのです」
「なるほど……」ウィラーの目が輝いていた。「確かに……いえ、ここだけの話なのですが、ラストル様は安易に情婦を求めないお方。だから決して失礼のないようにと、しつこく釘を刺されたのです。もちろん、相手は大国の王子さま。これ以上にない大役を担い、ミスレのすべてを以ってして尽くすつもりではございました。もうある程度の人材は準備しておりましたが……」
「そこに、若く清らかな処女はいらっしゃいますか?」
 言葉を被せて問いかけてくるロアに、ウィラーは頷くことができなかった。
 もう一押しで彼の首を縦に振らせることができる。ロアは強い自信を持って、畳み掛けた。
「どれだけ美しく完璧な女性をお連れしても、そこに必須の条件が一つもなかった場合、王子さまの抱く失望は計り知れません。恥をかかされたシールの王家、そして貴族までもが、ミスレ様への信頼を失われてしまうかもしれませんよ。なくした信頼を取り戻すのは大変難しいこと。それはウィラー様こそがよくご存知のはず。しかし、これはきっと運命です。この大事な時期に、シェリアという娘がここを訪れた。これほどの幸運がどこにありますでしょうか」
 ウィラーは膝の上で拳を握った。ロアの言うとおりだと思う。ここで「シェリア」を使わずしてどこで使うべきなのだろう。
 ウィラーは意を決し、ロアを見つめ返した。ロアは口の端を上げ、彼の決意を確認した。
「――ウィラー様は、幸運の女神を手に入れました。そして彼女は、あなたに微笑みかけております」


   

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