SHANTiROSEINNOCENT SIN-33他次元の世界からやってきたクライセンたちは庭で立ち話を続けていた。 色とりどりの花に囲まれ潤う緑豊かな庭にいると、この世界の影で起きている黒々とした人種間の抗争が横行しているなど信じがたいものだった。 「ランドール人が世界を支配しても、いいことばかりというわけではないのですね」 暗い顔で呟くカームを、ティシラが睨み付けた。 「それはあなたがアンミール人だからそう思うのよ。あなたたちの世界ではランドール人は滅んだも同然なのでしょう? 敵性民族を滅ぼせば、そりゃあ一つの争いの種は消えるに決まっているわ。でもそんなやり方、野蛮よ」 言い返したい気持ちより、ティシラの怒りの勢いに圧され、カームは「すみません」と謝ってしまった。 ランドール人とアンミール人のハーフであるミランダは、複雑な気持ちの中、何も答えを見い出せずに押し黙っている。 「それより」クライセンが冷静に話を進めた。「やはりこの世界の国王はザインなのか」 「ええ。でも彼は戦争で魔力を使い果たし、心身ともに傷つき老人のようになって、ほぼ隠居状態よ」 「じゃあ実質国を治めているのは誰だ」 「ザインの子息、皇帝レオンよ」 「皇帝? レオン?」 「ザインは戦後に婚約者と結婚して男子を授かったの。それがレオン。力を失くしたザインだけど、人々からの信頼と敬愛は甚大で、まだ若いレオンに王座を譲ることは難しかった。だからザインは王のままで、ほかにもいくつかの国を作ってそれぞれに王政をとり、さらにそれらを取りまとめるため皇帝が誕生したの。ただレオンはまだ政治をするには知識も経験も足りず、ただのお飾りだって言われてる」 この時代は、戦後から約百年ほど経っている。クライセンたちのいた時代とはだいぶ昔だが、なぜこの時代なのかというのは、今はまだ疑問には思わなかった。 「イラバロスは?」 「彼も戦後に結婚をして子宝に恵まれたわ。だけど抗争に巻き込まれて殉職したの。世界中が彼を惜しみ、悲しみに暮れたわ。でも息子たちが彼の意志を引き継ぎ、国を支える重要な役割を担ってる」 「ねえ……」 ふいにミランダが顔を上げたが、それに誰も気づかず、カームが遮った。 「あの、マルシオは?」 「マルシオ?」とティシラ。 「マルシオは、どうなっているんですか?」 誰もが気になる質問だった。ティシラは注目される中、首を傾げた。 「そんな人、知らないわ」 「そうか」クライセンが続ける。「じゃあルーダ神も知らないんだな」 「ええ。聞いたこともないわ」 「アカシアは?」 「アカシアは天使の王ね。ランドール人が信仰してる魔道の祖よ。人間でアカシアを知ってる者は限られているから、どんな姿でどんな力を持っているのか、あまり具体的には知られてないけど」 「ルーダ神という幻想がマルシオを生んだ。人間がアカシアの存在を認識しているこの世界に、マルシオがいるわけがないってことか」 「そんな……なんだか、マルシオが可哀想です」 「最初からいないものに同情してどうする」 「だって、僕たちの世界ではあんなに楽しそうにしてたのに。マルシオだけが僕たちと友達になったり、一緒に遊んだり悪ふざけをすることがないなんて、やっぱり寂しいです」 気持ちは分からなくないが、そこを追及するには時間が足りない。クライセンはカームを無視した。 「ねえってば」そこで、やっとミランダが皆に聞こえるように大きな声を出した。「私の質問にも答えてくれる? イラバロスの息子って、誰なの」 ミランダの顔は強張り、緊張が見て取れた。ティシラは彼女の気持ちなど知る由もなく、答えた。 「一人はラムウェンド。ザインの信頼を強く受けている優秀な長男よ。ザインの国の次期国王継承者と噂されていて、常に彼の傍に仕えてる」 ミランダの心拍数が上がる。自分たちの知るラムウェンドは混血であり、イラバロスの孫だった。その彼が、この世界では息子となって生まれている。だったら、と思う。ミランダの慕う彼もまた、この世界に存在するかもしれない。 「次男はロア。イラバロスにそっくりな――」 「やっぱり……」 とミランダの口を着いて出た言葉を聞く間もなく、ティシラは続けた。 「――いけ好かない男」 「え?」唐突な悪口に、クライセンは戸惑った。「どうして?」 ティシラは面白くなさそうに目線を落としながら、無意識にクライセンに寄り、肩をくっつけた。 「彼はラムウェンドとは別の方向で優秀な人。ラムウェンドは聡明で優しくて、人々を導く博愛に満ちた人格者よ。でもロアはクソ真面目で冷たくて、石頭で嫌味な奴。まあ、そんな性格だから前線に立って敵を威嚇する役目のマーベラスで能力を生かせているのでしょうけど……」 「その人も、そのマーベラスっていうのの一員?」とクライセン。 「ええ。気に入らないけど、クライセンと並んでマーベラスの隊長を務めているわ」 クライセンはぼんやりと想像して汗を流した。ロアという人物は知らないが、イラバロスとそっくりという情報で、彼の外見は大体イメージできる。あの金髪と紫の目を持つ派手な彼と、自分が隣に並び、王に従い国を守るために戦っている――居た堪れない気持ちになりつつも、汗を拭い冷静を保った。 「ティシラはどうして気に入らないんだ?」 「だって」ティシラは更にクライセンに近寄り、彼の腕を掴んだ。「私たちの結婚に反対してるんだもの。理由は、私が魔族だから、それだけよ。マーベラスという世界で最も美しい軍隊の顔である隊長が、化け物と結婚だなんて冗談でも笑えない、ですって! 引き裂いて肉塊にしてやろうかと思ったわ。絶対に許さない。土下座されたって、結婚式には呼んであげないって決めてるんだから!」 激情するティシラの勢いに一同は体を引いた。こっちのティシラは落ち着いているように感じたが、やはり恋愛に関しては激しいようだ。 「でもクライセンにとって大事な相棒だって言うし、私たちの関係に二度と口出ししないって約束で見逃してあげたの。と言っても、本人から約束させたわけじゃなくて、クライセンに説得してもらっただけだけど。きっと今でも反対してるわ。他のみんなは祝福してくれているのに、あいつ一人で目出度い空気ぶち壊しにされたのよ。なんなのよ、あの冷血の鉄仮面」 八つ当たりに見えるティシラの憤りに、クライセンとカームは何も言えなかった。ロアの意見は確かに厳しいが、そういう意見があってもいいと、きっとこっちのクライセンは考えたのだと思う。それでも二人の隊長として組んでいるらしいところから察するに、ロアの感情抜きの正論も必要とされているのだと考えた。 憎しみ合う二つの民族の混血であるミランダは、ここにきて「もしも」の世界に疑問を抱き続けていた。 ロアは、この「ランドール人が支配する世界」の、混じり気のないランドール人の純血であり、国と王を守るため前線で指揮を取る優秀な魔法使い……。 ミランダの知る彼は二つの人種の間で、どちらにもつかず放浪する名もない魔法使いだ。 (……この世界は、私たち混血が望んだ世界? これこそが、魔法大国を失った人類が夢見た理想の世界なの?) ロアがこれを見て何を思うのか、ミランダは知りたかった。元の世界に戻れるか分からないが、せめて情報を持ち帰りたいと思った。そしてもっと知りたいと思った。 神妙な顔をしているミランダに、カームがそっと肘打ちをしてきた。ミランダは苛つきながらも我に返り、彼の見つめる先に目線を移した。 そこには、クライセンにごく自然に体を寄せるティシラの姿があった。 「あの二人、近すぎると思いませんか?」 そんなことはどうでもいい、とは言えなかった。ミランダは人前で不必要に距離を縮める二人に不快感を抱く。 変な目で見られていることに気づいたクライセンは、当たり前のように腕に胸を押し付けているティシラから慌てて一歩離れた。 「う……」カームが、戸惑いながら、勇気を出してクライセンを指さした。「浮気です」 「不潔だわ」と、ミランダも指をさす。 「は? ちょっと待った」クライセンは動揺し。「どういう意味だ。私と彼女は別になんの関係もないのだから……」 「何言ってるの」ティシラは再びクライセンに寄り。「私はクライセンと婚約してるの。あなたは彼の分身みたいなもので、彼本人と変わらないのでしょう? つまり私たちは婚約者なのよ」 「いや、こっちの私と私は別人だ」 「でも同じ人なんでしょう?」 「同じ……だけど」 クライセンが混乱していた。カームとミランダも顔を見合わせながら状況を整理する。しかし明確な線引きができない。 「そもそもクライセン様とティシラさんは付き合ってなかったわけで、こっちのティシラさんとイチャついても浮気にはならないのでしょうか?」 「でもあっちのティシラが彼に思いを寄せているのは分かっていて一緒にいたのでしょう。そうやって飼い殺しておいて他の女性と触れ合うのは不誠実で卑劣な行為よ」 「飼い殺しはいくら何でも言い過ぎです。でもティシラさんがいないところで別のティシラさんと婚約なんて、ティシラさんが可哀想……」 言いながら、カームは自分で意味が分からなくなってきた。 「この世界にはティシラの婚約者であるクライセンが存在するのよ。その目を盗んで分身と不貞行為なんて……最低、よ」 ミランダも混乱している。 悪いことをしている気分になるクライセンは堪らず、話を変えた。 「ティシラ、君は私の知る彼女とは違うように感じるんだが」 「そうなの? 何が違うの?」 クライセンはティシラを身近で見るほど違和感を抱いていた。それが何なのか、改めて考えてみる。そしてすぐに、明らかな違いを発見した。 「魔力が弱いな。見た目は変わらないが、幼い感じもする……もしかして、君、魔女じゃないのか?」 「ええ。ママは魔界一美しい魔女でその血を受け継いでいるけど、一度もその力を使うことなくクライセンと結ばれたから、魔女の力は覚醒していないの」 「……つまり、一度も獲物を狩ったことがない、と?」 「当然よ。私が魔女だったら人間のクライセンとそう簡単に恋人になれるわけがないもの。そっちの私もそうじゃないの?」 そういうことか、とクライセンは二人のスムーズな婚約に納得した。しかし「そっちの私」の件については、彼女の名誉のためにあやふやにしておくことにした。 「ということは、吸血鬼でもないんだ」 「そうよ。パパの力も、受け継いではいるけど眠ったまま。私は一生人間界で生きていくって決めたから、必要ないの」 こっちのティシラは魔女でも吸血鬼でもない、ただの無力な魔族のようだ。だからクライセンの知る彼女とは大きな違いがあるのだった。これなら勝手に暴走し手に余る心配はないのだと思う。クライセンは、こっちの自分が少々、羨ましく思った。しかしそれは胸の奥の深いところにしまっておくと、自分自身に強く誓った。 「私たちはお互い、最初で最後の、最高で最愛の夫婦になるの」ティシラは遠くを見つめて。「ママに話を聞くほど、私は焦りを感じたわ。だって、クライセンは若くて美形。しかも魔法大国の中でも抜きん出た力を持って生まれた天才なのよ。そのうえ家柄も血筋も高潔で、こんな人を世の中の女が放っておくわけがないじゃない」 どうやら、クライセンも汚れを知らないまま、ティシラの「餌食」になったようだ。 いや、と、クライセンはすぐに否定する。「餌食」ではない。ティシラがクライセンと結ばれて魔女にならなかった理由は、そこに「本物の愛」があったからだ。ティシラの思い込みでもなければ、クライセンが彼女の誘惑に負けたわけではないという立派な証拠だった。 二人は純粋に、疑う余地もないほど愛し合っている。 クライセンの脳裏に、手を取り合って石になったブランケルとアリエラの姿が甦った。やはり、羨ましいと思った。 「私が来たときだって、既にクライセンに色目を使う下品な女が群がっていたのよ。彼は魔界の姫である私の運命の相手なのに。あんなどこにでもいる低級な女なんかに汚されるなんて冗談じゃないわ。急いで駆け付けてよかった。クライセンは、永遠に私だけのものなんだから!」 ここまで違う二人の関係を知ると、クライセンでさえ他人事に思えてきた。 羨ましいと思ったのも、心の中で撤回する。こんなに純粋な彼女を幸せにできる自信はなかった。こっちの世界の、心も体も美しいらしい彼こそが相応しいのだと思う。 孤独の中で禁忌を犯し、死神に魅入られ、力を持て余し、日陰であらゆる悪に骨まで浸かってきた。まったく逆の、きれいな人生を辿った自分に相応しい女性を、汚れた自分が羨ましがるのはあまりに滑稽だ。 ふっと自嘲した彼を、ティシラはじっと見つめていた。 「そういうあなたは」その赤い瞳は、目に見えて酔いしれていく。「私の知ってる彼より魔力が強くて、どこか野性的だわ」 見つめ合う二人を、カームとミランダが見張るように凝視していた。 「あなたは間違いなくクライセンなのに、彼にない魅力を持ってる。乱暴で悪いクライセンも素敵だと思うの。あなたのこと、もっと知りたい……」 さすがにこれは逃げたほうがいいんじゃないかとクライセンが思っているところに、ミランダが大きな声を上げた。 「不潔よ! 破廉恥だわ! お天道様の下で堂々と男を誘惑しようなんて、恥を知りなさい!」 「何よ、邪魔しないで!」ティシラも負けじと牙を剥いた。「ここは私とクライセンとの愛の巣なのよ。あんたたちが出ていけばいいのよ!」 「やっぱりあなたは凶悪な魔女ね。男を誑かし、人前で欲情する下品な化け物だわ!」 「汚らわしい混血風情が、この私に生意気な口をきくんじゃないわよ! 野生の狼の群れに放り込んでやろうか!」 今までしおらしかった女性二人が、突然激情して激しく罵り合う様子は、カームには刺激が強かった。あわあわとうろたえるだけで何もできない。 やはりティシラはティシラだった――クライセンは改めて、羨ましいと思ったことを深く反省していた。 Copyright RoicoeuR. 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