SHANTiROSE

INNOCENT SIN-42






 エミーとジギルがキリコに魔薬を渡してわずか三日後のことだった。
 ユグラの村で異常事態が起きた。
 報せを受けたヴェルトはすぐに村に向かった。先に調査をしていた数十人の兵士は皆、首と口元にスカーフを巻きつけ、手袋等で極力肌を隠した姿をしていた。
 兵士はヴェルトに駆け寄り、彼に分厚いローブと手袋を渡して注意を促した。
 ヴェルトは赤いマントを降ろし、言われたとおりに目元以外を隠した姿になりながら足を進める。近づいただけで異臭を感じ、目を顰めた。
「これは……」
 ヴェルトは村の状態を見て絶句した。
 村人全員が死んでいたのだ。
「ヴェルト様」兵士の一人が近づき。「うかつに近づかないでください。遺体のいくつかは感染病であろう症状が出ています」
「感染病? その病気が原因なのか?」
 そうは思えなかった。なぜなら、住まいは破壊され、木々はなぎ倒され、遺体のほとんどの腕や足、首が千切れているという惨状だったからだ。
「狂暴な獣が村で暴れ、人を襲ったようにしか見えない」
「ええ。しかしこの村人が病気で苦しんでいたのも確かのようです」
「それは私も気づいていた。だが村人は私たちの協力を拒んだ」
 そこに、別の兵士が駆けつけてきた。
「ヴェルト様。奇妙な遺体を見つけました」
「奇妙な遺体? 村人を襲った獣か?」
「分かりません。ただ、人の形をしています」
 兵士のおかしな報告に嫌な予感を抱きながら、ヴェルトは口元を抑えながらそこに向かった。



 村の坂道をしばらく登った先に、それはあった。
 目玉は破裂し、鼻も口も裂け、歯や爪はなくなっている。そして体中の皮膚が爆発したかのようにめくれあがっていたのだ。全体が体中から噴き出した血痕で赤黒く染まっている。破れた皮膚の隙間から覗く骨や内臓も傷ついており、どんな衝撃を受ければこんな状態になるのか、まったく奇妙なものだった。 兵士の言葉は正しい表現だった。それは確かに、人の形をしていた。
 あまりの異常さに誰もが吐き気を催す。ヴェルトも例外ではなかった。
 ヴェルトはその遺体を見つめたあと、兵士に声をかけた。
「村長のキリコは見つかったのか」
 兵士ははっと顔を上げ、周囲の兵士に聞いて回った。答えは、いいえだった。
 キリコを探せと命ぜられ、兵士の数人が彼の家に向かった。既にそこに兵士はいたのだが、彼の姿はなかった。キリコの家は半壊していた。まるで内側から爆弾でも爆発したかのように柱も屋根も壊れている。しかし煤も焼け跡もなく、何かが爆発した痕はない。かといって魔法を使った痕跡もなかった。
 村を一通り調査したがキリコの遺体は見つからなかった。
「ヴェルト様、これ以上長居するのは危険です。一旦引きましょう」
「そうだな……蔓延っていた感染病がどんなものなのか分からない。村に入った者はこのまま残り、麓に仮設の小屋を作って数日そこに滞在する。私もだ。村の外にいる者に、城への報告を頼もう」
「遺体はどうしますか」
「城からの指示を待つ。できるだけ早く焼いたほうがいいが、その前に何が必要か、確認してからだ」
 命令を受けた兵士は迅速に、それぞれの役目を果たすために走った。
 ヴェルトはキリコの家に足を踏み入れた。乱雑に積み重なった柱や壁の残骸を見て回っていた。他の家も破壊されているものが多かったが、どれも外から、巨大なものに殴られたような壊れ方だった。ここだけ、違う。
 キリコの遺体は見つかっていない。彼は村を大事にしていた。咄嗟に逃げたのか、助けを求めてどこかを遁走しているのか……。いずれにしても、もし生きているのならここに戻ってくるはず。 それとも、あの異常な遺体がキリコなのだろうか――背格好は彼と同じくらいだった。顔は判別できない。あれが彼だとしたら、この村人は全滅している。謎を解くのは難しいかもしれないと、ヴェルトは奥歯を噛んだ。
 ふと、瓦礫の隙間に小さな瓶の欠片を見つけた。中には僅かに白い粉が付着している。ヴェルトはそれを拾い上げ、じっと見つめた。
(これは、薬か)
 匂いはない。感染病のそれかもしれない。だがこの村に粉薬を精製する知識も器具もなかったと思う。
(こんなものをどこで手に入れたのだろう)
 ヴェルトはその僅かな欠片を、透明の袋に入れてその場を後にした。



*****




 ユグラの村で何が起きたのかを、一部始終見ていた者がいた。
 エミーとジギルだ。
 二人は落陽線の城跡に戻っていた。エミーは事件が起こるまで自室の水晶でユグラの村を観察していた。
 そして二日後の夜、部屋で本を読んでいたジギルを呼んだ。早くと急かされたジギルは何事かと思い、エミーの向かいに座って水晶を覗き込んだ。
 そこには、キリコが部屋の中で件の瓶を手にしている姿が映っていた。
「これは、あの村の……」ジギルは驚いた。「これ、何の映像だ? いつだ?」
「今だよ」
「今? お前、覗き見してるのか」
「うるさいね。ほら、見ていろよ。村長があの魔薬を飲んだんだ」
「だから何だよ。あれは他の人も飲んだだろ。それで病気が治った。悪い薬じゃない」
「バーカ。体中に蔓延した病原菌を一瞬で殺す薬だよ。そんな兵器みたいなものを健康な人間が飲んだらどうなると思うよ」
 ジギルは目を見開いて汗を流した。背を丸めて水晶に顔を近づける。
 いくら病気が治るとはいえ、何が入っているか分からない。多少の後遺症は覚悟するよう村人に話したが、それだけでは無責任だと思ったキリコは、自分でも飲んでみようと考えたのだった。万が一不幸が起きても、一蓮托生。病気の村人だけを犠牲にせずに済む。
 しかしその正義感は、最悪の結果を呼び込んだ。
 残っていた薬を一口飲んだキリコは苦しみ出し、床に倒れた。
 呻きながら家中を転げまわり、千切れそうなほど目を見開き、舌を出し、喉や胸元を掻きむしり始める。次に、腹が膨れ上がった。次に背中が、手足が、後頭部が、次々に肥大していく。キリコは体内で複数の爆弾が爆発しているかのように、ボコボコと大きなコブを作りながら、次第に人の形を失っていった。
 とうとう体は三倍にも巨大化し、屋根を突き破る。
 キリコは飛び出した目をぎょろつかせ、涎を垂らしながら喉の奥から低い声を漏らしていた。化け物となったキリコは大きな腕を振り回して家を破壊した。
 騒ぎを聞きつけた村人が集まってきたが、そこにいた化け物に戦慄し、わけも分からないまま逃げ惑った。
 一瞬にして恐怖に包まれた村は騒然となった。村長はどこだと皆が叫ぶが、彼が村人を助けに来ることはなかった。
 化け物は理性を失い、ただ内側から攻撃してくる苦痛に抗うため、村を暴れ回った。化け物の腕の一振りで、人の体は簡単に千切れ飛んだ。
 どうして? どこへ逃げればいい? どうやって化け物を退治すればいい? そんな疑問が、ほとんどの村人の最後の感情となった。
 村はあっという間に壊滅した。家も木々もなぎ倒され、人々は体がバラバラになって息絶えている。
 何も壊すものがなくなった化け物は最後に空に向かって咆哮し、倒れた。肥大していたたくさんのコブが、風船が割れるように縮んでいく。化け物は元のキリコに戻ったが、原型を留めておらず、すでに事切れていた。


 一通り見ていたジギルは吐き気を覚え、口を押えた。
 エミーは目を輝かせて水晶に釘づけになっている。
「凄い。これがあの魔薬の本来の力だ。飲んだのが死にかけの病人だったから、病魔を滅するに留まっていたんだな。健康な人間が飲めば、これだけの力を発揮するんだ」
「……なんでそんなに楽しそうなんだよ!」
 ジギルは堪らずに大声を出した。
「人体実験だと言っただろう」エミーは意に介さず。「もちろん、これは失敗だ。こんな一瞬で死ぬんじゃ役に立たない。もっと力を抑えて、制御する必要がある。狂暴なのは結構だが、敵味方の判別ができないとダメだな」
「何の話をしてるんだ!」ジギルは机を叩いて怒鳴った。「お前は何をしようとしている? 人間が、化け物になって、家族を惨殺したんだぞ!」
「そんなこと、説明されなくても見れば分かる!」
 エミーも机を拳で叩き、ジギルを威嚇した。
「言っただろう。ランドール人と対等の権利を取り戻すと。そのためには、奴らに対抗できる力が必要なんだ。まさか、お前まで大人しく言うことを聞いていれば、いつかランドール人と仲良く暮らせる時代が来るなんて考えてるんじゃないだろうな」
 ジギルは言葉を失った。すぐにエミーの考えを理解したからだ。
「そうだ。まだ戦争は終わってないよ。ランドール人も分かってる。だからアンミール人を迫害し続けているんだ。ランドール人にとっての終戦は、アンミール人がこの世から自然消滅したときだ」
「……なんだって」
「奴らにとって無能な敗北者であるアンミール人など、目障りな害虫に過ぎない。だが一気に殲滅すれば生態系のバランスが崩れる。だから徐々に減らしていって、害虫自ら退化し、淘汰されて消滅させようとしてるんだよ。美しい魔法使い様とは言葉は違うかもしれないが、私の言葉でいうと、そういうことだ」
 ジギルは意気消沈した。どこかで、そうじゃないかと思ったことはあった。しかしランドール人は理解があった。こんな自分たちでも、一生懸命真面目に生きていれば、魔法使いではない別の人種として認められる日が来るんじゃないかと、そう考えた。
 ジギル自身はそうあって欲しかったわけではない。今の二つの人種の様子を観察したとき、そんな未来を想像しただけだった。ランドール人とて同じ人間。独自に生活し、ささやかな幸せを探るアンミール人を、ただの害虫として見ているなんて思えなかったのだ。
 自分にそんな甘さがあることが、ジギルは悔しかった。冷静に、客観的に物事を判断できると思っていた。だけど、と思う。ランドール人の本心を見抜いたところで何も変わらないのが現状だった――エミーが現れるまでは。
「これは、新しい形の魔法なんだよ。何もランドール人を滅ぼしたいわけじゃない。魔薬を思い通りに操ることができれば、私たちはランドール人と対等の対話ができる。つまり、それが何なのか、お前なら分かるな?」
「……戦争だ」ジギルは震えていた。「まだ終わっていないんだな」
「そうだ。だが、私がやりたいのは革命だ」
「革命?」
「本来なら、敗者が勝者に何をされようと甘受するのが戦争だ。しかし私は、人間が決めたくだらないルールそのものを、変えていくつもりだ」
 エミーの目的は、今まで誰も考えようとしなかったことだった。
 途方もないようで、彼女ならできるかもしれないという迫力があった。
 きっと、今の人間のルールを作ってきた偉人たちも、誰も思いつかないような途方もない目標から始まったのだと、ジギルは思う。
「ジギル、嫌なら今すぐ立ち去っていいよ」
 ジギルは息を飲んだ。エミーはいつになく真剣な表情で彼を見据えている。
「私の革命に賛同できないなら、村長の元に帰りな。私に出ていけというならそうしよう。魔薬のことを村人に……いや、何ならランドール人に告発してもいい……それが、お前が最善の判断とするならな」
 エミーが口の端を耳元まで上げると、尖った歯が見えた。
「お前に裏切られ、私の革命が失敗して処刑されたとしても、それは私の運命だ。恨みも、悔いもしない。だから、お前の好きにすればいいよ」
 ジギルは考えた。
 答えは決まっていた。今更、一度始めたことを放棄する勇気はない。これがなんの大義名分もないただの悪ふざけなら、これ以上は付き合いたくなかった。しかしエミーは「革命」を起こすと言っている。今ある人間のルールを変える。そのとき、この世界はどうなるのか……知りたくないわけがなかった。
 改めて、水晶で見た恐ろしい出来事を思い出す。あれは革命の第一歩だ。決して許されることではない。少なくとも、彼らは好きで「人体実験」の被験者になったわけではないのだから。彼らに同情するなら、ここで手を引くべきだと、ジギルは思う。
 ジギルはいくつかの問題を天秤にかけ、何が一番重要なのかを考えたかった。エミーに少し時間をくれと言って、部屋に戻った。


 エミーには分かっていた。ジギルは絶対に戻ってくると。
 そして彼女の予想どおり、ジギルは戻ってきた。その目には迷いはなかった。
「俺も、革命に参加させてくれ」
「いいのか? 今までどおりのほうが平穏で幸せな人生を送れるかもしれないというのに」
「そうだとしてもいずれアンミール人は滅ぶんだろう?」
「誰も気づかないうちに、お前の生きているうちは目に見える変化はないほど、緩やかにな」
「……それでも、知ったからには何もせずにはいられない」
「好奇心か」
「そうかもな。俺がやらなくても、お前はやるんだろう。だったら、知りたい。ここまで関わったからには、いっそ全部知りたい。どんな結果になっても、見届けたいんだ」
 人間の好奇心ほど制御の利かないものはない。それに取りつかれた者は、どんな危険も顧みず、無謀な行動を起こすものだ。
 エミーはジギルの心理を見透かしていた。彼をの決意を固めた理由は、他にあることを。


 ジギルが一人で考え、いろんな言い訳の中で一番に重きを置いたのは、他ならぬ「洛陽線の村人たちの安全」だった。
 これから何が起こるか分からない。ユグラの村人のように、魔薬を制御できずに悲惨な事件に巻き込まれる可能性も低くない。何よりも、いざランドール人と対峙したとき、彼らの強力な魔法にどれだけ太刀打ちできるか、まだ想像もできない状態なのだ。
 そんな中、ジギルはエミーの傍にいることが賢明な行動だと考えたのだった。
 ここの地は魔薬の宝庫だ。ランドール人には絶対に見つかってはいけない場所。エミーはこの城跡を拠点に行動を起こすだろう。つまり自分の根城である落陽線の村は、彼女が死守するべき場所なのだ。
 革命のため、犠牲者への同情心は捨てる。だがジギルにも大義が必要だった。復讐とか、プライドだとか、今までそんなものに執着していなかった自分には、あまりにも説得力がない。
 しかし「落陽線の村を救いたい」「今までの努力を無駄にさせたくない」――それなら、許される気がした。
 きっと村長たちは本当のことを知れば反対するだろう。これから起こる革命に恐怖を抱くだろう。再び争いを起こす自分を軽蔑するかもしれない。それでも、この村を守るという理由が欲しかったのだった。
 エミーはジギルを問い質さなかったが、彼のそんな密かな決意も察していた。
 ジギルは賢いだけではなく、幼い。だからこそ好奇心に勝てず、非情にもなれないのだ。
 魔薬の処方や実験にはジギルの知識は必要だ。いい「友人」に恵まれたと思う。
 エミーは何もかもが思い通りにいく未来のイメージを膨らませ、ジギルの手を堅く握った。





   

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