SHANTiROSE

INNOCENT SIN-44






 ジギルはまずモーリスに自分の決意を語った。ここを革命の拠点にすると。
 モーリスは当然、すぐには状況を飲み込めず目を泳がせていた。
「ジギル、何を言っているんだ。革命? ランドール人と対立? 一体なにがあった」
 ジギルに彼の反応は予想できていた。
「せっかくの平穏な日々を壊すのは悪いと思う。だけど今ある日常は、決して平和なんじゃない。俺たちはランドール人にとって目障りな害虫だ。だからこんなところに閉じ込めて、必要以上の繁栄を制限してる。いつか自然に縮小し、消滅するようにコントロールしてるんだ。それが現実なんだよ」
「そ、そうだとしても……」モーリスは話の大きさに着いていけなかった。「それじゃいけないのか? 私たちは貧しいが、明るく穏やかに生活している。ランドール人はたまに顔を出すだけで酷いことはしない。そんなに悪い状況だとは思わない」
「ランドール人が好意的に見えるのは俺たちが奴らの言いなりになってるからだ。少しでも逆らおうものなら、きっと今まで見たことのない仕打ちを受けるだろう」
 モーリスは困惑を深めるばかりで、額ににじみ出る汗を拭う。
「どうしたんだ、急にそんなことを言い出すなんて。私たちが落陽線に閉じ込められていることなんて、百も承知だ。それを受け入れた者たちだけがここに集まっている。お前もそうだっただろう」
「ああ、そうだよ。俺だっててきとうに自分の好きなことをして、てきとうに生きていられたらそれでいいと思ってた。でも……俺たちがそれでよくても、そうじゃない者が世界を変えようとしたら、俺たちにも他人事ではなくなるんだ」
「そうじゃない者とは……エミーのことか」
 ジギルは小さく頷いた。
「そうか、やはり、エミーは悪人だったのか……」
「それは違う」ジギルは素早く顔を上げ。「あいつは善人じゃないが、信念があるんだ。戦争で敗けたから仕返ししたいとか、そんな恨み辛みじゃなく、この世の人間のルールを変えようとしている」
「人間のルールだと?」
「あいつにとって人種の違いなんてどうでもいいんだ。エミーには世界を変える力がある。そして、この地に力の源がある。だからここから始めようとしているだけ。俺たちが何も知らないままでも、いつかこの革命は起こることだったんだ」
「この地に力の源だって? どういう意味だ。私にはお前の言っていることがまったく分からない」
「そうだよな。でも、それは、まだ言えない」
 目を逸らすジギルを見て、モーリスは自分には理解できないことなのだと察した。これ以上は訊いても意味がないし、きっと彼も話さない。
「革命が成功するか失敗するかは分からない。だけど、どうせ起こることなら、すべてを知りたい。それに、もう、俺……」
 犠牲者を出してしまった。あとには引けない。
 ジギルの重い意志に押しつぶされそうになりながら、モーリスは深いため息をついた。何度も汗を拭いつつ、ゆっくりと頭の中を整理して自分を落ち着かせた。
「……私たちは、今までずっと目の前にある現実だけを受け入れてきた。それは、これからも変わらない」
 新たな争いが起きようと、大きな革命が始まろうと、何も変わらない。
「もしランドール人に死ねと言われたら無抵抗で死ぬしかない、私たちはそんな弱い存在だ。それがランドール人ではなく、別の大きな力になっても、同じこと」
 これは諦めではなかった。落陽線の「常識」。ジギルは改めて、自分たちの惨めさを思い知る。
「だけど、ジギル、お前は違う」
 ジギルははっと息を飲んだ。
「お前は頭がいい。夢も希望もある。自分で何をすべきか考えて行動できる。私は、お前がその革命とやらに心を動かされても、不思議だとは思わないよ」
 モーリスはジギルの手を取り、目を見つめた。
「きっと、お前は最初からそうだったんだ。お前は何かを成し遂げる力を、運命を持っていたんだ」
 ジギルは後退り、慌ててモーリスの手を振り払った。
「や、やめてくれよ。そんなんじゃない……俺は、ただの、好奇心だ」
「好奇心もまた、贅沢な嗜好品なんだよ」モーリスは声を落とし。「こんな檻の中で夢を抱くお前には、特別な才能があるんだ。私には止められないし、止めようとも思わない」
 モーリスは俯くジギルに、落ち着いた気持ちで微笑んだ。
「ただ、お前がこんな大事なことを私に話してくれて、嬉しいよ」
 ジギルの胸に鈍痛が走った。自分がしていることは裏切り行為だ。それを正直に話した。きっと幻滅するに決まっている。いや、幻滅しているはずだ。なのに、モーリスは心から安堵の笑顔を浮かべている。
(なあ……)ジギルは彼の目を見ることができず。(あんたにとっての幸せって、一体何なんだよ)
 問い詰めたかったが、きっと彼が答えに困ることを分かっていたジギルは口に出さなかった。自問自答のようなものだった。彼らは先のことなんか考えられないのだ。ただその日暮らしで、怪我をしても病気になっても、できることをするだけで抗おうとはしない。そのうち本当に革命が起きたとき、初めて物事の大きさを知るだろう。それでも、きっと村人は何もしないのだと思う。
 もしかしたら、「ジギルを恨む」というささやかな抵抗くらいはするかもしれないが――。
 ジギルは気持ちを切り替え、いつもの愛想のない口調で話を進めた。
「とりあえず、まだこのことは他の村人には言わないでくれ」
「まだ? では、いつ話せばいい? 村人も関わるなら心の準備くらいはしておきたいだろう」
「村人は関わらないでいい。あんたもだ。森に閉じ込められて虫みたいに生きてきた村人にできることはないからな」
 冷たい言いぐさに、モーリスはまた彼との距離を感じ取った。
「城跡でまだやることがあるし、計画が始まったらそこを拠点とするんだ。あんたたちは、今までどおり俺に極力関わらないように、何も知らずに生活していればいいよ……あんたたちに無理を強要することがないように、エミーには言ってあるから」
「ここを拠点に……?」
「そうだ」ジギルは踵を返しながら。「ここが革命軍の頭の部分になる。つまり、敗北が決定するまでは、ここは安全ってことだ」
 モーリスはその場に取り残され、ジギルの言った意味を考えていた。



 エミーとジギルの魔薬の研究は更に進んだ。
 既に一つの村が滅び、ランドール人に不信感を持たれている。まだ「謎の化け物が暴れた」としか分かっていない状況のうちに兵器となる薬を完成させなければいけない。
 エミーはジギルに魔薬の配合の調節を急がせた。成功しようが失敗しようが、次に生きた人間に使うときは、ランドール人への宣戦布告と同義なのだと。
「薬が完成したら世界のあちこちに散らばっているアンミール人の住処を巡って同志を集める。そのためにはランドール人に対抗できると思わせる力の証明が必要だ」
「そんなこと言ったって、安全を保障することはできないぞ」
「そんなものいるか」エミーは呆れた声を上げる。「無事でいられるどころか、元に戻ろうなんて甘い考えは捨ててもらうよ」
「え……じゃあ、同志になった奴はみんな死ぬのか?」
「みんなとは言わない。けどね、敵も殺すつもりでかかってくるんだ。こっちだって殺すつもりで戦わないと勝てるわけがないだろう」
 青ざめるジギルを見て、エミーはがっくりと肩を落とす。
「まだまだ現実が見えてないみたいだね。まあ、それはそのうちでいい。とにかく人間を兵器に変える薬を作ることに集中しな」
「……人間を、兵器に」
「あちらさんも同じだからね」
「え?」ジギルは目を見開く。「どういうことだ?」
「あのマーベラスとかいう酔狂な奴ら、あいつらは人間兵器だよ」
 ジギルの全身に汗が噴き出した。
「マーベラスの本人たち以外、ランドール人のほとんども知らないことだ。あの派手な格好は伊達じゃない。いざというときは自ら前線に立ち、敵を自分に集中させるために目立つ格好をしてるんだよ。魔法戦争から奴らの魔法はさらに洗練されてる。相当手強いよ。遠慮はいらない」
 嘘だ、とジギルは思う。彼はマーベラスを悪趣味な気取り屋集団だと見下していた。とは言っても、ランドール人の中でも突出して優秀な魔法使いなのだということくらいは分かる。確たる実力と名誉と矜持と、あの聖人のような立ち振る舞いの内側に、それほどに危険で野蛮な覚悟を持っているなんて想像もしたことがなかったのだ。
「ちょっと待てよ! そんなの、聞いてない。そんな奴らに、勝てるわけないだろう」
「勝算くらいはあるさ」
「同志を募るったって、今からだろ? どれだけ集まるか分からないし、仮にアンミール人の生き残りが全員賛同したとしても、それでもランドール人の人口にはまったく及ばない。しかも、俺たちは牙を抜かれて弱体化した人間ばっかりだ。どこに勝算があるって言うんだよ」
 まるで騙されたとでも言わんばかりのジギルを、エミーはバカにしたように笑い飛ばした。
「お前、思ってたより怖がりなんだな。大丈夫だって。勝算はあるって言ってるだろう。とにかく、薬を完成させるんだ。次の実験で未来は見えてくるさ」
「っ……」
 ジギルは言葉を飲み込み、俯いた。息を飲み、汗を拭う。
(俺……ランドール人のこと、何も知らない)
 今になり、ジギルはそんなことを思った。彼らの力がどれほどのものなのかなんて、今まであまり興味がなくぼんやりとしたイメージしかないことに気づく。戦後、邪魔なアンミール人を排除したランドール人は魔力を独占し、魔道は更に整えられ、マーベラスという奇特な組織が出来上がった。落陽線の外側にはまるで昔話の、人々が夢見た異世界のように強大で美しい帝国ができあがっているに違いない。
(俺が戦おうとしているものは、一体何なんだろう)
 見たこともない、だがすぐそばにあるもの――。
 魔薬の力がすごいのは分かる。だがランドール人の魔法がどれほどのものなのかなんて、狭い部屋で古い本ばかり読んでた一人の少年の想像など及ばないくらい壮絶で強大に違いない。それらを倒すためには、ノートンディルの帝国の軍事力を凌ぐ力をこの手で作り出さなければいけない。
 自分の手を見つめて思い詰めるジギルに、エミーはなんの励ましの言葉もかけなかった。
 エミーにはジギルが最後までやり遂げるという確信があった。もう魔薬の力は外に出た。ここで逃げてもいずれ彼の関与は突き止められ、落陽線の村が滅ぼされる可能性もある。そして魔薬の存在が明らかになりランドール人の手に渡れば、この世界はもう完全に彼らの絶対的支配下から逃れられなくなる。魔薬は、魔法を独占したランドール人に対抗する、最後の手段なのだから。
 その鍵を握る人物の一人が、ジギル自身。それを理解できないわけがない。
 もう少し放っておけば勝手に働いてくれるだろう。エミーは彼に期待を抱き、背を向けて立ち去った。



*****




 レオンの玉座のある城の一角に、かつてランドール人を勝利に導いた王ザインの王室がある。
 広大な城の奥の、高い位置の静かな空間だった。
 ザインは魔法戦争で魔力を大量に消費し、回復が追いつかないほどの重症を負った。多大な犠牲を伴った戦争の後処理にも尽力しているうちに、目に見える速さで衰弱していった。今では自力で立つことも難しいほど老い、命の灯火は今にも消えそうな状態である。もうあまり永くない。彼を敬愛するランドール人のほとんどは察していたが、まだレオンが幼い間はいてくれるだけで人々に勇気を与える存在として延命措置を取られている。ザインの症状や寿命の心配は世界中で禁句となっていた。それは息子のレオンでさえも例外ではなかった。
 ザインと謁見できるのはごく一部の人物だけだった。ザインの妻と側近、生涯ザインのみに従うと誓いを立てた医師が数人のみ。
 息子のレオンはもう父の顔も声も覚えていない。物心つく前に、ザインの部屋へは立ち入り禁止と命じられていたからだった。
 この状態のすべて、表向きはザインの命令となっているが、本当は彼にはもうそんな判断ができる力はなかった。ザイン自身は、今の状態を受け入れていた。すべてに理由があると理解しているからだった。
 レオンがザインに会えないのは、レオンには高潔で勇敢な魔法使いである父を尊敬し、彼のような英雄になりたいと思ってもらうためだった。今の、まるで枯れ木のように脆弱な父を見て、国のために戦った結果がこれなのかと絶望の念を抱かれるわけにはいかない。レオンは心優しい。本当は父に会いたいだろうし、床に臥せる父を見て絶望どころか、心底から心配してできることを尽くすに違いない。しかし世界の未来を担う皇帝である彼には、時には酷な教育も必要だった。その現実を、父子は言葉にせず受け入れていた。互いに顔を合わせないまま、ザインは寿命に近づき、レオンは成長を続け、ゆっくりと距離を広げていった。
 ザインは意識のあるとき、よくレオンのことを訪ねていた。元気にしているか、身長はどのくらい伸びたか、彼の生まれた世界は平和か、と。それだけが今のザインにできることだった。彼と少ない会話をする妻や医師は、様々な思いに涙を流すことがよくあった。もう休ませてあげてもいいのではと思うと、どうしても切なさで胸が締め付けられてしまうのだった。

 ある日の静かな夜、星見の帰りに、レオンは側近のラムウェンドと共に大きな窓の並ぶ長い廊下を歩いていた。レオンはふと足を止める。窓の外には星の散らばった深い紺色の空の下、淡い光の灯る城と城下町が広がっていた。レオンは窓に近づき、何も言わずに景色を眺めた。付添していた従者は姿勢を正して直立し、彼を待つ。
「ラムウェンド、夜景がとても綺麗ですね」
 レオンが微笑んでそう言うと、ラムウェンドも隣に立ち、「はい」と頷いて美しい景色を眺めた。
「こんな空気が澄んだ夜は眠るのがもったいないと思います。目覚めたら、この景色はもう消えてしまっているのだから」
 レオンはそう言いながら、ある場所を見つめている。ガラスに映る彼の瞳は、寂しそうだった。その先に何があるのか、ラムウェンドが分からないわけがない。
 彼の父、ザインの部屋だからだ。
 きっと会いたいのだと思う。傍にいて、顔を見て、声を聞きたいのだと思う。たとえそれが、ほとんどの時間を眠って過ごしている老体だとしても。
 レオンの精神状態を管理するのはラムウェンドの仕事だった。彼の人に言えない気持ちも先読みし、察して理解する必要がある。例の「悪夢」の話は弟のロアから聞いている。「悪夢」が彼の心理が見せているものなのか、それとも本人の意志とは関係ない外部からの力が働きかけているのかどうか、より慎重に見極める必要があった。ただし後者だった場合はラムウェンドどころか、クライセンもロアも、レオン本人でさえコントロールできないものである。そうだとしたら、事は重大だ。
 しかし抗えない運命の時が刻一刻と近づいていることを、今はまだ固唾を飲んで待つしかできることはなかった。





   

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