SHANTiROSE

INNOCENT SIN-51






 クライセンとロアの帰りを待つあいだ、レオンは星見の部屋で時を過ごしていた。
 星見の部屋には夕暮れから早朝まで、必ず一人か二人の占星術師がいる。こんな時間にレオンが訪れることなど今までなかったため、術師は不穏な表情で星が示す今の状況を報告した。
「――では、近々大きな争いが起こるという兆しは見えていないのですね」
 そうであって欲しかったレオンだが、どうしても安心できなかった。占星術は少しの計算ミスでまったく違う未来を指すのだから。術師を信用していないわけではない。星見は世界に起こる未来を予測し、すべての民が災いを避けられるよう最善の道に導くための機関。その役目を担う術師は当然、厳しい試験を乗り越え、国のために自分の力をすべて注ぎ込む熱意のある者だけが厳選されているのだ。ただ、彼らは夜に活動し昼は休息の日々を送っている。星の計算は難解で複雑で、常人の想像を超える集中力と精神力を要する。あまり仲間以外との交流を持たないため、気弱なイメージを持つ者が多かった。
 今日の当番だった二人の術師は思わぬ皇帝陛下の訪れになかなか緊張が解けなかった。三人が囲む大きなテーブルの上には、様々な角度から計算された星の位置とその意味が乱雑に描かれた大量の資料が広げられている。術師らは奇妙な形をしたルーラーを使って説明した。
「現在は低迷期なので、災いが起こりやすいのは確かです。ですが周期的に回ってくるものなので、不運を乗り切ればまた安定するでしょう」
「不運? 今から起こることは運によるものなのですか?」
「……それは、なんとも」
「大きな禍星(まがぼし)は出ていないのですか? 多少の諍いは今までもありました。しかしあれほどの衝撃を感じたのは初めてなのです。その正体も目的もまだ分かりませんが、我らの魔法と対等の力が生まれたとしたら、それはただの低迷期ではないと思うのです」
 術師は顔を見合わせて言葉を失っていた。
「あの、天鏡室を借りてもいいですか」
 レオンは星を見るための巨大な望遠鏡に向かった。術師は慌ててあとを追う。
「陛下、今の時間は見えにくいと思います」
 分かっている、と言うより早く、レオンは室の中央にある螺旋階段を上った。階段を登りきると目盛りのついた円のルーラーが重なる球状の部屋にたどり着く。レオンは隙間を潜って背もたれの大きな椅子に腰かけ、目の前にある望遠鏡を顔の前にセットした。周囲には丸や三角のルーラーが絡み合っている。椅子も望遠鏡もルーラーもすべてが可動式になっており、一八〇度、自由に空を眺めることができる。レオンは慣れた手つきで天鏡室を操作し、星を探した。
(きっと、どこかにあるはず……人の目では見えない星が、どこかに……)
 昼間の空に浮かぶ透明の星のように、きっと夜空にも、人の視覚では捉えられない光を放つ星がある――レオンは術師たちが作成した天体配置図を思い出しながら、頭の中で逆算し、「このあたりにあるはず」の星を探した。
 レオンは手を止め、一点に集中する。術師の言うとおり、もうすぐ朝日が闇を掻き消し始めるこの時間は見えにくい。
 だが、ほんの僅かに空の色が変わり始めたその瞬間、レオンが思う位置にその存在を感じ取った。
 暁が始まる前の一瞬、その星はレオンの目を通して彼の脳裏に小さな光を届けた。
「……やっぱり」
 レオンは望遠鏡から目を離し、肉眼でその位置を見つめた。
(この世界はグランド・トラインで完成していた。だけどこの位置に星があり、それが地上に影響を与えるということは……)
 おそらく見えないだけで、他にも同じような星がある。そう確信したレオンは天鏡室を出て階段を下り、戸惑う術師を余所に完成している天体図の上に線を引き始めた。複数のルーラーを使い、十二宮に新たな星を書き加えていく。なんの説明もなく作業を続けた後、レオンは手を止めた。
「レオン様、それは……」
 横から覗きこむ術師は密かに汗を流していた。レオンは独り言のように呟いた。
「本来あったグランド・トラインとは逆の三角形のグランド・トラインが重なり、六芒星が出来上がります」
「あの、このような星が、どこに……?」
 レオンは答えず、目を見開いて図に見入っていた。その表情は蒼白し、術師はただただ戸惑うだけでそれ以上聞けなかった。
(これは魔法陣です。この世界は既に何者かの魔法によって操作されているのかもしれません。それだけなら正しい行いをすれば災いは避けられるでしょう。しかし――)
 レオンはもう一枚の天体図を重ね、書き込まずに頭の中で予想を立てる。
(こんな星の並びは今までになかった。対象に重なるグランド・トライン。そして……)
 見えない星によるグランド・クロス(凶座相)が、もうすぐ完成する。
(そのとき、誰も抗えない巨大な力が世界を包み込む)
 何が起こるのか、起ころうとしているのか、レオンにはまだ想像もできなかった。
 気が遠くなりそうだったが、頭を横に振って気を持ちなおす。
(いいや、まだこれは占いに過ぎない。私の思い違いの可能性が十分にあるんだ。まずは、目に見える現実をしっかりと受け止めなければいけない)
 そうしているうちに、ドアがノックされてレオンは会議室に呼ばれた。



 クライセンとロアの帰還後すぐ、重要な会議が開かれた。
 レオンを上座に、ラムウェンドとサンディル、クライセンとロアの他はアンバーのみが席に着いた。アンバーは怪我の治療の途中だったが、残る痛みを我慢すれば平常と変わらずいられると判断し再び正装して会議に参加している。
 まずは状況報告ののち、レオンの命令を仰ぐための会議である。
 少数なのは理由があった。
 ――万が一、レオンがすぐに決断をできなかったときのためだった。
 彼に恥をかかせるわけにはいかない。皇帝として認めているとはいえ、レオンは経験のない少年だ。突然の有事に何を守るために何を犠牲にすべきか、そう簡単に答えを出せるとは、ここにいる者は誰も思っていない。レオンの人柄を知る者なら皆同じ考えのはずだが、仮にもこの完成された魔法大国の頂点に立つ者が何もできずに立ち竦む姿をさらすわけにいかないのだった。
 そしてその心配は的中する。
「……リヴィオラを、大地に返還する?」
 クライセンから伝えられた言葉を繰り返すレオンの声は震えていた。
「それは、どういう意味なのでしょうか」
「具体的な要求はされていません」クライセンは無表情で続けた。「はっきりしていることは、スカルディアは攻撃の準備を済ませており、近々侵攻を始めるということです」
「それを止めるには、そのエミーという魔法使いの要求を叶えるしかないのですか?」
「そうだとしても、要求の内容が漠然としていて方法は不明です」
「おそらくですが」そこでロアが口を挟む。「スカルディアはそもそも和解するつもりはないと思われます。本当にその気があるならこのような意味不明な要求はしないでしょう」
「つまり、相手は、私たちがどう対応しても、攻撃をするということですか?」
「そうだと思います」
 レオンは俯き、閉口してしまった。
 気まずい空気が漂う中、まずは、と、今分かる情報を共有しようとラムウェンドがサンディルに声をかける。
「サンディル様、薬の成分は分かりましたか」
「以前も言いましたが、量が少なく調べるにも限界があります。確かなことは、薬はある数種類の植物を、水分に溶けやすく精製されているだけで人工物は混ざっていないこと。原料となる植物は私の知る範囲の中にはないということ。そして薬には魔力が宿っていたことです」
「魔力が宿っていたとは? 魔法がかけられていたということですか?」
「いいえ。おそらく、植物自体に魔力が宿っているのでしょう」
「魔力を持った植物ということですか? そんなものがこの世にあるのでしょうか」
「だから私の知る範囲の中にはないと申しました。この世界に自生しているものなのか、誰かが作ったものなのか、もしくは魔界から取り寄せたものなのか、現時点では不明です」
「いずれにしても、スカルディアはその植物を使った薬で、我々に対抗する力を得たということですね。既に組織を作り宣戦布告したということは、準備も整っているのでしょう」
「それでは――」そこでクライセンが口を開いた。「村を覆っていた動く黒い茨も、その魔力を持った植物だったのですね」
「あれは要塞です」とロア。「地を張ってどこまでも拡大するでしょう」
「戦力はいかがほどだと思いますか、クライセン様」とラムウェンド。
「不明です。元は人間だという鬼の姿をした巨体の化け物が、先ほど目視しただけで百以上はいましたが、ほんの一部でしょう。あれだけの質量を大量に隠しておけるとは思えませんので、おそらく短時間で人を化け物に変える薬なのだと思います」
「一人一人の戦力は?」
「不明です。大きさにもばらつきがありました。皆同じ姿なのではなく、それぞれ目や耳、腕や足の一部が肥大していたり、その代りに別の部位が退化していたりと様々でした。憶測ですが、元の人間の体質や性質、または薬の配合によって形が変わるのではないかと思います」
「彼らは人間に戻ると思いますか?」
「おそらく、戻らないでしょう。エミーは彼らを『使い捨て』と言っていました。本人たちもそれを理解した上で、望んで『戦士』となっているのでしょう」
 それは決死を意味する。敵は命を懸けて革命を起こしたのだ。
 一同は事の重さを噛み締め、各々に緊張を高めた。
「アンバー様、落陽線の村のこと、薬を精製した少年のこと、魔法使いエミーのこと、貴方がご存じのことを教えていただけますか」
 そう言われ、アンバーは怪我の痛みを顔に出さず、暗い顔で腰を上げ姿勢を正した。
「まずは、陛下と皆さんに謝罪させてください」アンバーは頭を下げ。「洛陽線の村の監視は私の役目でした。僅かでも予兆があったにも関わらずこの事態を防ぐことができませんでした。すべて私の危機管理不足と目測誤りが起こした厄災です。責任は必ず……」
「アンバー様」ラムウェンドが遮り。「危機管理不足と目測誤りは私たちも同じです。落陽線には要望があれば食糧や物資を支援してきました。彼らも感謝していたはずです。落陽線は闘争心の欠片もない穏やかな村。貴方だけではなく、皆がそう信じていました。そうでなければたとえ貴方が村人を庇っても、他の誰かが疑い、争いの芽を若葉のうちに摘み取れたはず。だけどそれを誰もしなかったのは、役目を持つ者すべての責任です。貴方は最後まで彼らを信じた。しかし、裏切られたのです。皆それを分かっています。だからどうか、一人で背負いこまないでください。今はこれからどうするかが大事なのです。貴方の仕事はこれからが本領です。どうぞ、前向きに」
 ラムウェンドが目を伏せると、レオンも同意を示すように頷いた。続いてサンディルも同じ気持ちを示す。クライセンとロアは元々彼に責任を問うつもりは一切なく、それよりも早く話を進めるようにと、目線を投げた。アンバーは皆の意志を受け取り、再度深く頭を下げたあと腰を降ろした。
 気を取り直し、アンバーは落陽線の村人のことを話した。すべて今までの報告どおりでとくに変わったことはなかった。
「異変があったのは、一羽の鷲が村で死んでいたときです」
 アンバーはあの日、村人が鷲の死体を隠していたことに気づいていた。村人が殺したとは思っていない。そのときは村人が動揺して、自分たちに疑いがかけられることを恐れて慌てて隠したのだと判断していた。
「その予想も、きっとそれほど間違っていはなかったと思っています。しかし、そこに悪意を持った魔法使いが絡んでいることまでは見抜くことができませんでした」
「原因は、エミーという魔法使いがアンミールの術式を使うからだな」
 クライセンが言うと、アンバーはゆっくり頷いた。
「それと、ジギルという少年の知恵も加担していたようです。彼は普通の人間で、人一倍勉強が好きというだけで変わった能力は持っていません。彼の知識や適応能力のおかげで、村人は無闇に暴力や争いを起こすことを愚かだと知り、譲り合い、助け合いの精神を育んでいました」
「ジギルは善人なのか」
「いいえ。人付き合いが嫌いで誰に対しても悪態をつく天邪鬼な性格でした。村を導いていたのは善意でも正義でもなく、世の中の疑問に答えを求めた結果にすぎません。かといって自分の力を驕ることも、見返りを求めることもない無欲な少年です。彼はとても純粋なのです。善悪の定義は知っていても、彼の中ではその境界があいまいなのです」
「変わった子なんだな」
「はい。ジギルは自分のしたいことだけをしているだけだと言っていました。私もそう思います。しかし今まではそれがいい方に転じていただけのこと。こうして方向を変えれば世界を巻き込むほどの争いを起こすことができるのです。そのジギルの力を悪に利用し、引き金を引いたのがエミーです」
 一同はそれぞれに顔を合わせ、少々思案した。
「だったら、ジギルなら説得することはできるんじゃないのか」
「いいえ。それはもう無理でしょう。彼は洗脳されるほど馬鹿ではありません。エミーと同じ思想に染まったわけではなく、未知への探究心が原動力となっています」
「平和を壊したことへの罪悪感はないのか? だとしたら、それは洗脳だろうが何だろうが、もう許されざる悪人だ」
「罪悪感はあるようです。彼は私に言いました。取り返しのつかないことになった、村人を守りたいと。もし彼が現状維持が最良と判断したのなら、きっともっと早く私に相談していたでしょう。だけどそれはしなかった。ジギルは自分で考えたうえで、我々マーベラスに許しを求めるより、エミーと手を組み世界を破壊するほうが救いがあると思ったのでしょう」
「なぜ? 今までいい関係を築いていた私たちより、あの狂暴で野蛮なエミーを選ぶ理由は何だ」
「ジギルは、端から私たちを信用していなかったんです」アンバーの瞳が獣の色を灯した。「どんなに平和な毎日を過ごしていても、彼はこの世界の本質を忘れていなかった。アンミール人は敗北者です。ランドール人に閉じ込められて自由を奪われていることを知っていたのです」
 その言葉に一番心を痛めたのはレオンだった。息を飲み、膝の上で拳を握った。
「戦後からランドール人が世界を支配し、アンミール人はその影で生きるものと決まり、それが定着していました。今更疑問を持ち問題提起する者もいませんでした。それはジギルも同じです。彼が普通と違うのは、武器の存在とその使い方を知っているということ。いうなれば、生まれついて罪を背負った赤子なのです――」





   

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