SHANTiROSE

INNOCENT SIN-53






 宣戦布告の次の日、ジンガロ率いる数十人の魔士がある小さな町を襲った。ジンガロたちはまさに「知能の高い野獣」のようだった。これまでも盗賊として生きてきた彼らは、逃げる者は追わずに抗戦してくる者だけを撃退し、町中にある食糧や宝飾品をかき集めた。道路や建物は破壊され、瓦礫の山となった町を火で焼いた。
 マーベラスはレオンの命令を受けたあと、すぐに世界中に戦争状態に入ったことを通達したが、たった数時間で隅々まで手配が行き届くはずはなく、一つの町はあっという間に消滅してしまった。
 なんの心構えも準備もなかった町人はほとんど無抵抗で、死傷者も少なくなかった。その場から逃げのびた者の話では、その化け物たちは腕の一振りで人も建物も破壊し、火を吐いたり屋根の上を飛び回ったり、何よりもその恐ろしい姿と残虐性は人間のものとは思えなかったという。しかし彼らは流暢に人の言葉を発し、何をどうすれば効率よく目的を達成できるかを理解していた。あれが獣でも魔物でもなく人間だとしたら、今まで誰も見たこともない新人類ということになる。
 敵はもはやアンミール人ではない。彼らがこの世界を支配してしまったら、人間の定義すら変わる。スカルディアの言う通り、これは戦争ではなく革命なのだ。
 ランドール人に未知なるものへの恐怖が蔓延した。だが我らにはマーベラスがいると、奮い立つ者も多かった。
 世界中の人々の期待が、人類の頂点に立つレオンに集まった。



 そこまでを話し、ティシラは力なく空を仰いだ。
「……だけど、現状のとおり、レオンは大きな決断を下すことなく今に至ってるの」
 早いうちに潰しておけば間に合ったかもしれないのに――魔族であるティシラでさえそう思い、苛立つこともあった。
 攻撃しない限り何もできないマーベラスをあざ笑うように、エミーは手薄の地を次々に潰していった。その地にあの黒い茨を植え付け、二度と人の住めない状態にしていった。そのうちに素質のあるアンミール人を魔法使いに育てて、遠くからでも情報を集めたり指示が出せるようになった。
「戦闘があるたびにランドール人は当然、魔士も死傷者が出ていたわ。マーベラスは魔士の母体がアンミール人ならいずれ数が減るのではと様子を見ていたけど、奴らはずっと魔薬の研究を続けていて、落陽線の奥に、動く人型の果実のなる畑を作ったの。それらに知能はないのだけど、身体能力だけは高く、スカルディアの盾にも剣にもなる便利なものを作り出していったわ……」
 スカルディアは短期間で、着々と革命軍としての形を整え力をつけてていった。
「厄介なのは、いっそ総攻撃でも仕掛けてくればいいのに、それはしないの。決まった範囲を攻撃したら、戦力に余裕があっても律儀に撤退していくのよ。だからマーベラスもとどめを刺すことができずに、翻弄され続けるだけなの」
 誰が聞いてもいい話ではなかった。
 スカルディアの勢力は拡大し、故郷を追われるランドール人も増え続けた。当然絶対的な信頼を寄せていたはずのレオンとマーベラスへの不信感を募らせる者も増えた。
 レオンはそんな人々を「新人類の誕生は決して不吉なものではない。これは人類の歴史の転換期であり、人の心に巣食う憎しみを克服できる機会なのだ。この試練を乗り越えたとき、真の平和を見出すことができる」という皇帝陛下の言葉で誤魔化し続けていた。
 忌々しげに語るティシラに、カームが疑問を呈した。
「ご、誤魔化しだなんて……僕は、その言葉、素晴らしいと思いますよ」
 ティシラにきつく睨まれてカームは肩を縮めながらも続ける。
「これは戦争ではなく、革命なのでしょう? レオン様は弱いのではなく、今までにない観点から今の状況を分析し、逆境を乗り越えようとされているのではないですか? 人種の違いだけで相手を排除してきた結果が新人類の誕生で、決して真の平和は訪れなかった。だから新しいものを受け入れようと試行錯誤されているのではないでしょうか。僕はそう思いますよ」
 カームの弱気な性格には抵抗のあったミランダも、少々心動かされていた。ティシラは魔族だからレオンの「優しい」言動を理解できないだけで、彼は皇帝陛下としてちゃんと考えているように感じる。
 しかし、ティシラは声を落とし、厳しい現実を突き付けた。
「そんなこと考えてるのはランドール人だけなのよ」
 スカルディアは過去の恨みを晴らしているわけでも、民族の誇りを誇示しているわけでもない。エミーたちの戦う理由は明確にならないまま長い年月が過ぎており、なんの大義もなく罪のない人々が不幸になっている。
「たくさんの人が死んでる。家族も、住むところも、歴史も文明も次々に破壊されているの……既にマーベラスの隊員にも、死者が出ているのよ」
 その言葉にカームとミランダだけではなく、クライセンも反応を示した。
「魔法使いたちは、死んだわけじゃないなんて言ってるけど、あんなの、死んだも同然よ……ねえ」ティシラは潤んだ瞳をクライセンに向けた。「アカシック・レイ。あなたは知ってる?」
 クライセンは怪訝な顔しながらティシラの問いに答えた。
「さあ。知らないな」
「本当に?」
 そう念を押すティシラの胸の内の複雑な感情を、まだ誰も理解できずにいた。
「本当だよ」
「でも……」
 ティシラは何かを言おうとして言葉を飲み込んだ。目を逸らして思い詰めたように眉間に皺を寄せる。
 カームとミランダは『アカシック・レイ』とは一体何なのか気になって、彼女の次の言葉を待った。だがクライセンは、ティシラのあまり口にしたくなさそうな様子に、それ以上聞きたいとは思っていなかった。
「ところで」今は状況を知ることが先決と、話題を変える。「エミーと一緒に行動してるジギルとかいう少年は何者なんだ」
 カームとミランダは拍子抜けし、目を見開いた。
「えっ、ちょっと待ってください」カームが慌てて声を上げる。「まだ話は途中じゃ……」
「この世界のことを全部知ろうとすれば時間がいくらあっても足りないだろう。端折れるところは端折っていかないとキリがない」
「今の、端折っていいところなんですか?」
「なんか長そうだから。必要があればあとで聞くよ」
 クライセンの軽い態度にティシラも驚いて顔を上げた。彼のことはよく知っているつもりだったが、ここにいるクライセンはどうにも掴みどころがないように感じる。
(……生まれた世界が違っても、本質は同じ)
 そう思うと、いつもの安心感が体の中に流れ込んできた。
 きっと、彼は何も分かっていないふりをして、ティシラの内に秘めた苦悩を察知したのだろう。誰にも言えずに一人で悩んでいたことがある。それは、この世界で愛を誓い合った二人のあいだにある、正解のない問題なのだと思う。
(確かに、長くなりそうな話だものね)
 外の世界から来たクライセンに話したい気持ちはあるが、今ではない。ティシラは気持ちを切り替えた。
「なんだっけ」内に抱えた悩みはいったん忘れて。「ジギルだっけ?」
 クライセンは変わらない口調で「そう」と答える。
「ジギルは、不思議な少年よ。ただの人間で、魔法を使うわけでもなんでもないって話よ。前線には出てこないから詳しいことは分からない。ただ、落陽線を監視してたマーベラスの魔法使いによると、学ぶことに熱心でいつも本を読んで勉強していたそうなの。落陽線が他のアンミール人の集落より豊かで穏やかになったのは彼の知識のおかげ。野望なんかなかった彼が魔薬と出会ったのは偶然なのでしょうけど、それが世界を不幸にするきっかけとなったのなら早く目を摘むべきだったという人もいるわ」
 クライセンは少し考え、ずっと気になっていたことを訪ねた。
「その少年、ノーラっていう人と何か関係がある?」
 その名に反応して顔を上げたのはカームとミランダだった。魔薬王として魔薬に精通し、戦争を起こした極悪人だ。そういえば、と思う。この世界に彼の名が出てこない。
「ノーラ? さあ、知らないわ」
 ティシラだけは二人の緊張の意味を分からず、冷静に答えた。
「そうか」クライセンは再び思案し。「……エミーだけじゃここまで早く正確に魔薬の扱い方を知ることはできなかっただろう。彼女は優秀だが、ただの魔法使いだからね。となると、ジギルは、この改竄された世界に不自然に現れた、ノーラの代理人ってところか」
「どういうこと? ノーラって誰?」
「私の世界で魔薬の存在を突き止め、研究し、魔薬の王と言われた大罪人だよ。こっちと同じように、魔薬で人間を化け物に変えていいように操っていた」
「ノーラは魔薬で何をしようとしていたの?」
「未知の力を作り出して世界の形そのものを変えようとした」
「形そのもの?」
「無を有に変える魔術を開発し、虚無の空間である修羅界を支配して、そこを新しい世界に形成しようとしていたんだ」
 そこで、カームが短い声を上げた。
「な、なんですかそれ」
 あのとき、扉の向こうで何が起こったのかを知る者は、かなり限られている。カームとミランダに聞かれても困る話ではないが、説明する義理はないとクライセンは思う。
「終わったことだし、知る必要のない情報だ。忘れろ」
 ええっとカームは更に大きな声を上げたが、クライセンとティシラは無視して続けた。
「それって、エミーと同じなの?」
「いや、同じとは思えないな。ノーラは自分と麻薬の能力の限界を知りたくて暴走してただけ。エミーは革命を起こし、リヴィオラを母なる大地に返すと言っているんだろう? そこに邪悪な野望は感じないな」
「エミーが邪悪じゃない? 本当にそう思うの?」
「思うよ。君たちが彼女を邪悪と言うのは、ランドール人の思う平和にエミーが邪魔だからだろう? エミーの目的もまた、人間の言う『平和』を目指しているのだと思う。ただ、エミーは平和なんて言葉は使わない。だから邪悪に見える」
「でも……」ティシラは理解が追いつかず、戸惑いながら。「もし、エミーの本当の目的が、さっきあなたが話したノーラって人と同じという可能性はないの?」
「ない」
「どうして?」
「エミーは、本物の魔法使いだからね」
「…………」
 ティシラは眉間に皺を寄せて口を結んだ。
 気まずい沈黙が流れる。耐えられなくなったカームがあっと声を上げた。
「やっぱり、こっちとあっちの世界は違うんですね。ティシラさんがクライセン様の言葉に疑問を持つなんて、まだ知り合ったばかりの僕でも違和感がありますもの」
 彼の場違いな発言に一同は呆れたような目線を向ける。ティシラはカームを睨みつけ、テーブルを叩いた。
「違うわよ。エミーが本物の魔法使いだなんて、こっちの世界では考えられないことなのよ。国を滅ぼしかねない大悪党なんだから」
「別にエミーを褒めてるわけじゃないが」とクライセン。
「分かってる」ティシラは神妙な顔になり。「私たちはエミーのこと、何も知らない。ルールを破り正義に歯向かう邪悪な存在だと思ってた。でも今の話で彼女が何者なのか、分かるような気がしたの」
 エミーは権利を要求するわけでもなく、話し合いや講和も応じない。落としどころも着地点も見えない状態が長く続いていた。目的は「原始の石を大地に還すこと」。そのためにはまずランドール人からリヴィオラを奪う必要がある。そこまでは理解できるとして、そのあとの彼女の行動が想像できずにいた。
「エミーが言ったわ。これは戦争ではないと。もし、そのとおりなら……」
 ティシラは考えてみるがこれ以上は想像の域を超えることができない。ただただ、嫌な予感だけが募り、寒気が走る。
 クライセンはなんとなく読めていたが、何も言わなかった。真実を伝えることはできても、自分の持つ知識から導き出せる予測には責任が生じる。そうやって下手に関わったらあとに引けなくなる可能性を感じていたからだ。
「ねえ」ティシラは顔を上げ。「あなたの話、クライセンに聞かせてもいい?」
 真っ先に目を丸くしたのはカームだった。クライセンが返事をするより早く、ティシラが続けた。
「できれば直接会って話して欲しいけど、それができないのは分かってる。だから私が聞いたことを、彼に伝えるっていうのはダメかしら」
「それはいいんじゃないかな」
 クライセンがあっさり答えると、カームが身を乗り出した。
「いいんですか?」
「私の話したことはあくまで『もしも』の世界の話だ。証明できないのだからあくまで『もしも』に過ぎない」
「でも、どこで誰からそんな話を聞いたのかってことになりますよ」
「ドッペルゲンガーがいるって言えばいい」
「いいんですか?」
「会わなければ、私はただの『クライセンにそっくりな人物』だからね」
「そんなものなんですか?」
「そんなものだよ」
「じゃあ、共存も可能なんですか?」
「可能だが、時間が経つほどオリジナルのほうにストレスがたまり、いずれ衝突が起きるだろうね」
「オリジナル? ストレス?」
「元々その世界にいるほうの人物がオリジナルっていう意味だ。互いに関わらないようにしていたとしても、同じ世界に自分がもう一人いるってのは不快なものなんだよ」
 自分の知らないところでもう一人の自分が誰かと接触し、その噂を耳にする。言ってないことを言った、してもないことをしたと言われる。そのうちに自分が乗っ取られてしまうような錯覚に陥り、自分の偽物を消さなければという脅迫概念にとらわれる。
 名を騙るだけの偽物なら、その言動から明らかな他人だと分かる。だがドッペルゲンガーは「もう一人の自分」。騙る目的も理由もないため、同じ外見、性格、思考の人物がごく普通の日常を過ごしている。身に覚えのない記憶を聞かされ続けられて平気いられる者は少ない。
「想像すれば分かることだ」
「そ、そうなんでしょうか」
 やっと質問をやめたカームに、クライセンは肩を竦めた。
「まあ、時空の歪みってのはそう楽しいものじゃないんだよ」
「ドッペルゲンガーのことは分かったわ」そう言うティシラの声には少々焦りが感じられる。「二人は会わせないようにする。彼にも事情を話して、あなたが取るべき最善策に協力するよう伝えるわ。それでいい?」
「ああ。私もまだ先が見えない状態なんだ。ここで雑談しているだけでは何も変わらない」
「じゃあ、あなたはどうしたいの?」
「そうだな。とりあえずもっとこの世界の情報が必要だ。私の存在を知った魔法使いがどう受け取るか。元の世界に戻れるよう協力してくれるならいいが、もしかすると不吉なものとして命を狙ってくる可能性もある」
「え? 何言ってるのよ」
「だって、ドッペルゲンガーなんてただの化け物だろ。同じ人間は同じ世界に二人はいらないんだ。だから摩擦が起きる。こっちの人たちにとったら、私は突然現れた、正体不明の厄介な……」
「そんなことない!」
 ティシラは彼の言葉を遮って大声を上げた。
「そんなの、私が許さないわ」クライセンの手を握り。「大丈夫。その心配はしないで。私がいるから。私はティシラよ。あなたを幸せにするために生まれたの。あなたの命を狙うものがいれば、私がそいつから守ってあげるから」
 熱烈な愛情表現に、クライセンは戸惑って目を泳がせた。二人だけなら適当に躱しているところだが、やはり見物人がいるといつもの余裕がなくなる。現にカームとミランダの二人は遠慮せずに目を見開き、何かを期待しているかのように二人を凝視している。
「あー……」クライセンはそっと手を抜き取り。「そう言ってもらえると、私も心強いよ。でも、ほら、君が守るべき相手は私じゃないだろう」
 ティシラも我に返り、手を引いた。妙な空気の漂う中、またカームが口を挟んでくる。
「あの、ティシラさん、でも、もしもこっちのクライセン様がここにいるクライセン様を狙ってきたら、どうするんですか?」
 ティシラは野暮な質問に苛立ち、カームを横目で一瞥する。
「止めるわよ」
「でも、こっちのクライセン様は皇帝陛下直属の軍人です。国の命令となったら……」
「止めるわよ!」喉を唸らせながら。「国の命令なんて下らない理由ならなおさらよ。自分を殺すなんて、絶対に間違っているもの」
 でも、とまだ何か言いたそうにするカームに苛立ったように、ティシラは両手でテーブルを叩いて立ち上がった。
「……クライセンと連絡とってみるから、ちょっと待ってて」
 そう言って室内に姿を消した。
 ティシラの背中を見送って一息ついた三人だったが、カームだけは腑に落ちない顔をしている。
「ティシラさんはああ言ってるけど、軍人にとって上からの命令は絶対なんですよね」
「まだ言ってるの」ミランダが呆れて言い捨てた。「あなたを見ていると軍人がバカに思えてくるわ。国を背負ってるつもりなら、もう少し思慮深くなりなさい」
 ミランダの厳しい言葉はカームの胸を深く傷つけた。それでも何がいけないのか分からないカームだったが、反論する元気さえ奪われ、強いショックで項垂れた。





   

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