SHANTiROSE

INNOCENT SIN-61






 気まずい沈黙が続いた。そのうちに階段を上り、路地裏のような狭い通路に出た。姿は見えないが、人の気配があった。ここがスカルディアの根城。戦争で落ちた城に改造を重ねて拡大していった、不格好な建造物の地下だった。
 カームとミランダは緊張しながらジギルのあとを着いて行く。足場の悪い階段を上がり、右に左に曲がっていくうち、意外にも誰にも会わずに彼の部屋に辿り着いた。ジギルは木製のドアを開け、埃っぽいソファに体を預けた。大人しく着いてくる二人に文句も言わないが、一切構いもせずに自分の世界に閉じこもっている。
 確かにカームの言う通り、今は一人にしておいたほうがいいとミランダも思う。だが他に行くところがない二人は、彼の邪魔にならないように部屋の隅にあるイスにそっと腰を下ろした。
 間が持たない二人は、書類や本で散らかった室内を観察し始めた。
「凄いなあ……」カームは傍にあった本を手に取り。「本当に勉強熱心なんですね。びっしりと書き込んである」
 どの本もボロボロで、インクや手あかで汚れたり破れたりしているものばかりである。学校も試験もないこの世界でここまで夢中になれるなんてと感心するばかりだった。
 ミランダも足元に落ちていたノートを拾って覗いてみる。そこには読めないほど雑な文字と植物の絵が隙間なく書き込まれている。
 カームがちらりとジギルに目線を投げた。声をかけられる状態ではないのは分かる。だが何か力になれないかと、またおせっかいの血が騒いだ。
 カームはそっとメガネに指をかけてずらし、裸眼で彼を見つめた。
「…………!」
 見えたものに驚き、つい声を上げてしまいそうになったが、カームは咄嗟に口を手でふさいだ。すぐにメガネを戻して顔を逸らす。
「なに? どうしたの?」
 目を見開いて汗を流すカームに気づき、ミランダが顔を覗き込む。だがカームはなんでもないと首を横に振った。
 ジギルには大きな秘密があった。
 だがカームにはなぜ彼がそれを隠しているのか、理解ができない。
 ミランダに相談するにも、ここでは彼に聞こえてしまう。それに、見てしまったことを言ったら自分の力の説明も必要になる。そんな力を使って人の秘密を覗き見するなんて最低な人間だと思われるのは怖かった。
 でも、でも、と迷っているうちに、ドアが小さく叩かれた。ジギルはやはり反応しなかった。だが、ドアが開くと同時に聞こえてきた少女の声に体を揺らした。
 イジューだった。
 いまにも泣きそうな、暗い顔でイジューは部屋に入ってきた。
「あ、謝り、たいの」
 睨み付けるような目を向けるジギルの前に膝をつき、イジューは頭を下げた。
「迷惑、なら、出ていく……」
 ジギルのためのつもりだった。しかし傷つけてしまったのなら、もうここにはいられないと思った。
「……モーリスには、言っているのか」
 ジギルが聞くと、イジューは首を横に振った。
「親にも?」
 今度は縦に振る。
「……先生に、絵を見せる、って、言って、出てきたの。それから、帰って、ない」
 ジギルは頭を抱えて苦悩した。
「そんなになって、帰れるわけないだろうが……」
「どうして……? 私、聞こえるし、喋れるよ。きっと、みんな、喜んで、くれる」
「……そんなわけ、ないんだよ」
「どうして? 教えて、先、生」
 悔しい。ジギルはただただ後悔と悔しさでいっぱいになっていた。
 だから人間は嫌いだ。
 勝手に頼ってきて、勝手に感謝する。恩返しだと言って余計なことばかりする。
「家族は、きっと、喜ぶよ……」
 イジューは彼の気も知らず、小さく微笑んだ。言い返そうとして顔を上げたジギルだったが、幸せそうな少女の微笑みに言葉を失ってしまった。
「あのね、昔、私、お母さんに、先生の、お嫁さんに、なりたい、なんて、言ったの……昔だよ。そしたら、お母さん、は、先生が、ずっとそばに、いてくれるなら、安心だね、、って言ってたよ」
「…………」
「だから、喋れるように、なった、私を見て、また、喜んで、くれる。先生に、感謝、するよ」
 ――ジギルの見開いた瞳から、大粒の涙が零れた。
 それを見たイジューは笑みを失い、釣られるように目を潤ませた。
「どうして、泣いて、いるの……?」
 気配を消して二人のやり取りを見つめていたカームは、あまりの悲しいやり取りに涙が止まらず、顔をぐしゃぐしゃにしていた。ミランダももらい泣きし、目と鼻を赤くしていた。
「……ジギル君!」
 我慢できず、カームが立ち上がった。涙を拭きながら二人の傍に駆け寄る。
「もう黙っていられない! やっぱり君は悪人なんかじゃないよ! 僕は分かってるから!」
「何を言って……」
 ジギルは体を引いて、圧し掛かるように顔を近づけてくるカームから逃げた。しかしカームはジギルの肩を掴んで逃がさない。
「ねえ、ちょっと二人で話をしようよ」
「はあ?」
「男友達同士で! ね、そういうのしたことないでしょう? 結構ストレス解消になるんだよ」
 カームは顔を上げて棚の間にある戸を見つけた。
「あの隣の部屋は空いてる?」強引にジギルの腕を引っ張り。「誰もいないなら借りるよ。少しだけだから、ね!」
 カームは嫌がるジギルをドアの向こうに放り込み、唖然とするミランダとイジューに顔を向けた。
「男同士の秘密の話をするから、ちょっと待っててくださいね」不安そうなイジューに笑顔を見せ。「イジューちゃん、だっけ? 大丈夫だよ。心配しないで。そのお姉さんは怖そうだけど、まあまあ間抜けなところがあって意外と面白いから」
「……なんですって!」
 突然の悪口にミランダは顔を赤らめて眉を吊り上げた。
「しばらく女の子同士でお話しててくださいね!」
 カームが逃げるようにドアを閉めると、棚の上に積んであった本が数冊、埃を上げて床に転がった。
 ミランダは、また男だの女だのと分け隔てするカームの発言と、自分のことをそんなふうに思っていたことを知り腹立たしかった。だが追ってまで怒る気になれない。
 そんなことより、年端もいかない少女が自分を犠牲にして体を傷つけ、尽くした相手に拒絶されて佇んでいる姿は、傍から見ていても物悲しかった。
「あの……」
 ミランダが腫物に触るように声をかけると、イジューは濡れた目を向けた。
「私は、部外者だから、何も言えないけど……過ぎたことは、どうしようもないと思うの。これからどうするかのほうが大事だから、よく考えてね」
 イジューは素直に頷いていたが、お互いに何もかもが建前だった。当然である。二人は生まれて育った世界も違えば、自己紹介もしていないほど相手のことを知らないのだから。
「私はミランダ。こことは違う歴史を辿った、別世界から来た魔法使いよ」
 イジューは彼女の言っている意味がすぐに分からず、表情を変えずにじっとしていた。
「信じられないとは思うけど、本当だから他に説明しようがないのよ」肩を竦めて苦笑いし。「あなたは、イジュー。耳が聞こえない……いいえ、聞こえなかったのね。生まれつきなの?」
 イジューは目を泳がせたあと、頷いた。
「あ……は、はい」慌てて顔を上げ。「今までの癖で、つい、声を出すのを、忘れる、ときが……」
「無理しなくていいわ。耳が聞こえないってことは、言葉も喋れなかったのよね。急に二つのことができるようになるって、体に相当な負担がかかっているはずだもの」
「そんなこと……急に、走ったら、足が、痛くなるでしょ。それと、同じ。今、練習してる、から、きっと、平気に、なる。もっと、上手に、なる」
 あまりに無知で、無邪気――ミランダは心が痛んだ。ジギルが憔悴する理由が分かる。
(でも、この子の体の中で何が起きているのかは、ジギルが説明するべきだわ)
 そう考え、話を変える。
「耳が聞こえないあなたに、ジギルはいろいろと世話を焼いてくれてたのね」
 イジューはまたうんと頷き、嬉しそうにほほ笑んだ。
「そう。文字を、教えてくれたの。紙に、たくさん、書いているうちに、絵が好きになって、みんな、上手って、誉めてくれた」
「そう……それで、ジギルに恋心を……」
「えっ……」
 イジューは途端に顔を赤らめて体を縮めた。ミランダは見てるほうが照れるとでもいうように小さなため息をついた。
「分かるわ。私も、そうだったから」苦い思い出だった。「幼いころって……いいえ、女の子って、優しくて物知りな異性がとても頼りがいのある素敵な王子様に見えてしまうことがあるのよね。教えて欲しい、助けて欲しいって思いが募って、そのうちに欲張りになって、もっと知りたい、今度は私が助けてあげたいなんて、自分勝手な気持ちが沸くの」
 自分と似ている。イジューはミランダの話に強い興味を持ち、子供ながらに恋の話に花を咲かせる女の子の顔になっていた。
「あ、あなたも、そう、だったの?」
「そういうときもあったわ」
「それで、どう、なったの?」
「私の場合は、ただの幻想だった」ミランダは眉尻を下げて自嘲し。「成長して、周囲が見えるようになったら分かったの。あいつはとんでもない嫌な男だったって。幼い頃、私がどれだけ彼を美化してたか、思い出すだけで恥ずかしいわ」
「嫌な、男って?」
「まあ、いろいろありすぎて話せないけど……」
「い、一度は、恋人に、なったの?」
「なってないわよ。そうなる前に私が現実を知ったのよ。相手は最初から『よくある子供の勘違い』としか思ってなくて軽くあしらわれていたの。そもそも、そうやって懐く子は私だけでもなかったしね。私は彼にとってませた子供のうちの一人でしなかったの」
 イジューは息を飲んで自分の胸に手を当てた。
 そういえば、村人はみんなジギルを慕っているし、スカルディアに入ってからは、周囲に彼と同い年くらいの女性がたくさん増えている。
 もしかして、その中の誰かと恋仲になっているのでは? そうだとしても彼が自分に報告する義務はないのだし、何も知らずに必死で彼のあとを追い回していたとしたら、なんて惨めなのだろう……イジューは今まで考えたこともなかった不安に襲われて目を震わせた。
「ちょっと……」ミランダが気付いて慌てて彼女の頭を撫でた。「そ、そんなに心配しなくても、いいんじゃないかしら」
「でも……ジギル、女の子と、よく、一緒に、いる」
「私は彼のことよく知らないけど……確かに、あの若さで革命軍のトップだものね。それだけでも人を惹きつける魅力があるのは間違いないと思うわ。でもね、表面上だけ見た感じだと……まあ、なんとなく、そんなにモテるタイプでは、ないと思う」
「本、当……?」
 失礼かと思いつつ言ってみたが、イジューは緊張していた表情を緩め、期待を込めたようにそう呟いた。
 それを見て、ミランダは「ああ、これは完全に盲目になっている」と確信した。
 好きな男がモテないと言われて喜ぶのは恋愛音痴な女の特徴だ。イジューはまだ幼いから矯正の余地がある。自分のようにころっと目覚める日がくるかもしれない。こういうのは否定すればするほど道を誤るもの。彼女の純粋な恋心にはあまり触れないようにしようと判断した。
 ――彼女がいつまで恋をしていられるかは分からないが。



 カームがジギルを連れ込んだ部屋は彼の勉強部屋だった。
 先ほどの部屋よりも大量の本や資料が埃を被って積み上げられていた。それらの隙間にペンや小瓶が転がった机がある。隣の部屋にはベッドやソファ、テーブルがあった。あれでもジギルにとってはくつろげる空間だったようだ。
 ジギルはカームに向かって怒鳴った。
「何なんだよ、お前は!」
「まあまあ、落ち着いて。大事な話があるんだ」
「俺はもうお前の話なんか聞きたくねえよ」
 ジギルに向き合ってもらうには、核心を突くしかない。そう思ったカームは笑うのをやめて声を落とした。
「……君は、解毒剤を完成させたんだろう?」
「――――!」
 ジギルは心臓を掴まれたような衝撃を受けた。
「君の体に魔薬を投与した形跡がある」カームは小声で続ける。「なのに、君は普通の人間と何ら変わったところがない。ということは、一度魔薬を投じて化け物になった後、人間に戻ったんだ……違う?」
「ど、どうして……」
「僕は肉眼では見えないものが見える力があるんだ」眼鏡に指をかけ。「だけど何がどう見えるのか、この力にどういう法則があるのかもまだ分からなくて、今は魔法で封印してるんだよ。それが僕の、誰にも言えない秘密なんだ」
 ジギルはすぐには彼の話を信じられず、短い時間にたくさんのことを考えた。
 カームは嘘を言っているのかもしれない。
(……だとしたら、こいつらは……)
「お前、もしかして……そうか、お前は、エミーの仕掛けた工作員だったのか」
 あまりに見当外れな見解に、カームは驚いて体を揺らした。
「どうしてそうなるんだよ!」
「うるさい!」ジギルはカームに掴みかかり。「やっと分かった。お前たちは俺を探るために妙な演技をして近づいたんだな!」
「ち、違うよ! どうしたの、急に!」
 ジギルに乱暴に押し迫られ、背後にあった本棚に強く背中をぶつける。大きな物音は隣の部屋まで響き、ミランダとイジューは驚いて体を揺らした。
「話を聞いて。本当なんだよ。どうしたら僕の力を信じてくれるかな……」
「信じるわけないだろ! 俺をバカにするのもいい加減にしろ!」
「そ、そんなに怒るってことは、解毒剤があるのは本当なんだね」
「ない! そんなもんねえよ!」
「嘘だ。どうして? 解毒剤を作ったらエミーさんに怒られるの?」
「……当たり前だろ」ジギルは奥歯を噛みしめ。「人間に戻れるなんてなったら士気が下がる。それに、今まで死んだ奴らはどうなる? 無駄死にだろう。魔士は人間を捨てて魔法使いを超える新人類になったんだ。それを誇りに戦っている。魔薬の力が無効になるなんて知ったら俺たちの革命はすべて台無しだ」
「そっか……だから隠しているんだね」
「隠してねえよ! ないって言ってるだろ!」
 ジギルはかっとなり、カームを殴り飛ばした。カームは散らかった床に倒れ、また大きな音を立てて部屋を揺らした。

 ミランダとイジューは慌ててドアに走り寄った。
「何が、起きてるの?」
 二人が中で暴れていることだけは分かる。ミランダは駆け込みたい衝動を抑え、ドアに手を添えた。
 あの平和主義のカームが体当たりでジギルの心を開こうとしている。彼がそこまでするには理由があるはず。二人きりになったことにも意味があるに違いない。
「ねえ、二人、大丈夫? けが、してない?」
「してるかもしれないけど……待ちましょう」
「どうして? 助けに、行かなくちゃ……」
「ううん。イジュー、あなたも女なら、待つことを覚えなさい」
 イジューには意味が分からなかったが、年上のミランダの言うことは聞いたほうがいいと思い黙った。

 カームは顔に痣を作り、唸りながら体を起こした。ジギルは埃に塗れる彼を罵倒した。
「さっさと出て行け。口先だけの嘘吐き野郎が」
「出て行かないよ。僕は君の友達だから。苦しんでる君を放っておけないんだ」
「まだ言ってんのか。俺はてめえなんか嫌いだよ。顔を見てるだけでムカムカする」
「だったらもっと殴っていいよ」
「はあ?」
「なんなら殺してくれても構わない! それで君が安心できるなら!」
 ジギルはカームの押しつけがましい友情に苛立ちが募っていく。
「じゃあ殺してやるよ。俺ができないとでも思ってんのか? てめえなんか魔薬でヘドロにして意識があるまま焼いて、灰をまたヘドロに戻して何度も繰り返すくらい遊んでやってもいいんだぜ」
 予想もしていなかった残酷な発言にカームは怖気づいた。ジギルはもう一つの世界でいう「魔薬王」だ。彼ならそのくらいできる。だが、「できる」と「やる」は違う。
「殺していいよ! でもそのあと、必ずイジューを助けてやるって約束してくれ!」
「……なんだと?」
「僕がもしスパイだったとしたら、殺せばどこにも秘密が漏れる心配はなくなるだろう? だったらそのあとに、イジューだけでも救ってくれ。彼女だけ、こっそりやればバレないよ。ね、そうしてくれる?」
 ジギルは拳を強く握り、顔を紅潮させた。
「もしやったとしても、バレるに決まってんだろうが」
「どうして!」
「エミーはイジューを利用したんだよ。俺に懐いているからな。おそらくどこかで、何かを感じて俺を疑ったんだよ。だから、イジューを魔士にして俺がどうするか試しているに違いない」
 エミーがハーキマーに話した「魔薬で元気になった瀕死の病人」とは感染病で苦しんでいたユグラの村人のことだ。確かに魔薬を使用した直後はよくなったように見えた。だが彼らはそのあとすぐ「失敗作」の暴走で全員死んでしまい、マーベラスによって遺体はすべて焼かれた。薬の効果は経過が重要。魔薬が感染病患者の中でどう動きどんな影響を与えるのかなんて何一つ分からず仕舞だったのだ。
 なのに、エミーはまるで成功していたかのような口ぶりで少女にそれを与えた。エミーが本当にイジューの障害を治療し、仲間として育てる気があるのならジギルに相談くらいはしてくるはず。だがエミ−はそうしなかった。それは、そこに悪意がある証拠なのだ。
 もしこっそりイジューだけ戻したとしても、その事実はすぐにエミーの知るところとなる。
「もう逃げられないんだよ。俺は今までどおりに革命を進めていくだけだ。イジューは……もう化け物になった。あのまま寿命を削りながら、人並みに会話できるだけの、役立たずの化け物として短い人生を送ってもらうしかない」
「……よくそんな、酷いことを言えるね」
「あいつが望んだことだ!」
「違うよ。イジューは君のために……」
「知るか! 俺はここに近づくなって何度も言った! なのに、言うこと聞かねえで勝手なことをしたのはイジューなんだよ。俺にどうしろってんだよ!」
「好きな人のために無理してしまうことを責めたら可哀そうだよ。イジューは君を救いたかったんだ。だから君もイジューを許してあげてよ」
 ジギルは硬く目を閉じ、項垂れた。
 イジューは許そうとした。生態系を壊すほどの罪を犯した自分を。だから自分も彼女を許さなければいけない。だけど、許すとは、どういうことなのだろう。いつも自分だけが悪いと思っていた。他人の罪を裁くなんて考えたことがなかった。
「……何もかもが、元通りにはならないと思う」カームはそっとジギルに近づき。「みんな、こうやって失敗して成長してる。イジューも失敗しただけ。君が許してくれたら、彼女は反省して成長するんだ。あんな小さな子にこのまま罪を背負って生きていけなんて言って見捨てたら、君を許してくれる人はいなくなってしまうよ」
 意気消沈しているジギルの背中を見て、やっと届いたと、カームは感動をかみしめていた。やっぱり友情は偉大だ。貫いてきて正解だった――なんて思っていたとき、ジギルがふらっとカームに顔を向けた。
 虚ろな瞳で、口を曲げて奥歯を噛む。
「……お前、ほんっと、イライラするな」
「え?」
 何が起きたのか分からないまま、カームは再びジギルに顔を殴られて荷物の山に倒れこんだ。その衝撃でメガネが外れて吹っ飛んだ。
 ジギルに殴られたこと、その痛み以上に、ジギルにはメガネがなくなったことのほうが重大だった。バタバタと這いながら、荷物の山をかき分けてメガネを探していると、背後からジギルが襟首をつかんで体を起こし、横腹に蹴りを入れてきた。山から崩れ落ちて仰向けに転がるカームを、ジギルはまだ追ってくる。
 カームは目元を手で覆って後ずさりする。怖い。確かに殺していいとは言ったが、まさか本気なのか、殴り殺しなのかと、カームはさすがに焦りを隠せなかった。
「ジ、ジギル君……メガネだけでも、探させてくれないかな……」
 カームは魔法使いと言えど、多少なりと軍人としての訓練を受けている。同じくらいの体格の少年くらいなら対抗できるのだが、目を覆ったままでは逃げることもできない。
 ジギルは目元を隠すカームの腕を掴み上げ、目をつむったままの彼の隣にしゃがみ込んだ。
「おい……俺の体、どうなってる?」
「……え?」
「見えるって言ったよな。それが本当なら、俺の体に投与した魔薬が、中でどうなってるのか答えろ」
 目を閉じたままのカームにジギルの落ち着いた声が届き、二人の蟠りを解いていった。
「いくら俺でも自分を解剖はできねえからな。今のところは順調だが、実際体内で何が起きているのかまでは分からない。本当に見えるのなら教えてくれ。そしたら、お前を信じてやる」
 カームはゆっくりと瞼を開け、真剣な表情で自分を見つめる「友達」と向き合った。





   

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