SHANTiROSEINNOCENT SIN-86金剛石のクラスターに閉じ込められたクライセンを眺めていたエミーに、一人の魔士が近づいてきた。 「殺さないのですか?」 「殺すなら魔法を解除しなきゃいけない。不意打ちとはいえ、これが今の限界だ」 「どういうことでしょう」 「マーベラスの魔法使いを舐めるんじゃないよ。隙を見せて逆に本物のアカシック・レイでも使われたら私もろとも、永遠に解けない魔法に閉じ込められる」 魔法にはあまり詳しくない魔士たちは顔を見合わせていた。彼らにとっては危険ならとどめを刺すべきなのではとしか思えなかった。 「実際のところ、この魔法がどのくらい持つか分からない。本物みたいに永遠とはいかないだろうけど、まあ、革命が終わるまでくらいは続くと思う。外部からの干渉がない限りね」 未だ腑に落ちない様子の魔士が尋ねる。 「これは、敵討ちになるんでしょうか」 ジンガロの死は彼らにとってあまりに衝撃的で、屈辱と無念の極みだった。エミーとて同じ気持ちのはず。だから閉じこめるだけで生かしておく彼女の意図が理解できない。 「確かにね、殺したほうが確実だとは思うよ」エミーは再度クライセンを見つめ。「ただ、こいつらにとって死は最大の屈辱じゃないんだよ。大切なものを守れないことが最上の苦痛なんだ。こいつがいつか魔法から解放されたとき、変わり果てたこの世界を見て何を感じるか……それは持たざる者である私たちには計り知れないほどの絶望に苛まれることだろうよ」 魔士たちは再度顔を見合わせていた。やはりすべてを理解はできなかったが、エミーに逆らう意志は持ち合わせていなかった。 「……では、この魔法使いはどうしますか」 「この辺に埋めとくか。レオンたちも多忙で、あまり構ってる暇はないだろう」 そう言いながら、エミーはクライセンに手をかざした。しばらくすると彼の足元の地面が沼のように溶け出し、音も立てずに石を飲み込み始めた。 目を見開いて今にも動き出しそうなクライセンは静かに闇に飲まれ、何も言い残すことなく地上から姿を消した。 ***** その頃、ジギルの部屋では二人の若者が書類の束を睨みつけていた。 ジギルとミランダだった。 あれからミランダは、すぐにレオンからもらった魔法の解読に取り掛かった。ベリルに頼んでペンと大量のノートや巨大な用紙をもらい、分かるところから書き起こしていった。それにしても分からない部分も多く、それなりに形になっているような術式や魔法陣は、彼女が思っていた以上に穴だらけだった。 時間も忘れて集中し、難しい顔で時折唸る彼女を見て、ベリルやハーキマー、メノウたちは「ジギルみたい」と笑っていた。 カームは何か手伝えないかとミランダの近くをうろうろしていたが、声をかけると邪魔だと一喝され、遠巻きに見守るしかできなかった。 ミランダの周りには大小さまざまな紙が乱雑に積み重なっていく。紙が足りずに別の紙を付け足してさらに図を広げていき、借りた一室はミランダの書き散らかしたメモで敷き詰められていた。 せめて飲み物でもとカームが呼んでも、とうとう足の踏み場のなくなった室内にさえ入ってくるなと怒られる始末だった。 最初は茶化すように応援していたベリルたちも、そのうちに紙の上でうつ伏せになったミランダを心配し始めた。 「ミランダ……どうしたの?」 ベリルが入口から恐る恐る声をかけると、ミランダは伏せたまま頭を抱えた。 「……これ以上は無理」 「え?」 「できるところまでは解読したの」ミランダは大きく息を吐き。「でもこれ以上は無理だわ」 ベリルの背後から部屋を覗いていたカームが身を乗り出した。 「ミランダさん、大丈夫ですか? 無理ってどういうことですか?」 「知らない言葉があるの。読めないの。意味が分からないのよ」 「ないとダメなんですか?」 「ダメに決まってるじゃない。星を見るのに、その星がどこにあるのかも、名前さえも分からないのよ」 何が分からないのかも分からないカームは狼狽するだけだった。そんな二人を横目に、ベリルがぽんと手を叩いた。 「ねえ、ジギルに聞いてみたら?」 カームが隣で目を丸くした。 「でも、ジギルは魔法のことは知らないんじゃ……」 「ええ。魔法のことは分からないけど、星のことなら知ってるかもよ」 「そ、そうか。そうですね。ねえ、ミランダさん、ジギルに頼んでみたら……」 言い終わるより早く、ミランダは顔を上げて足元の紙をかき集め始めた。手に持てるだけの紙を抱きかかえ、二人を押しのけて部屋を出ていく。カームとベリルは驚く暇もなく、慌てて彼女を追った。 ミランダは二人の言う通りに、ジギルの部屋に向かった。両手が塞がっているため足でドアを蹴り開け、驚いて振り返るジギルの足元に紙を広げた。 「ねえ、お願いがあるの」ミランダは血走った目でジギルを睨み。「あなた、星のこと分かるかしら?」 ジギルはあまりの唐突さと彼女の勢いに圧されてすぐに返事ができなかった。 「この世界の星についてよ」ミランダは一枚の紙を広げて見せ。「この位置にある星の名前は? そういうの分かる? 分からないならそういうのが書いてある本はない? あったら貸してくださらない?」 ジギルが怯えるように青ざめていると、追ってきたカームが急いで二人の間に入った。 「ジギル、急にごめんね」必死で笑顔を作り。「ミランダさんがあの水晶の魔法を解読してるんだ。占星術が関係あるみたいなんだけど、この世界の星の位置が分からない……みたいで、よかったら、教えてくれないかな」 カームは二人の顔を交互に見つめた後、ミランダに「ってことでいいのかな?」と確認した。ミランダはやっと肩の力を抜いて頷いた。 ジギルもやっと状況を把握し、上下する胸を片手で押さえて声を出した。 「何事かと思ったら……」ジギルは呆れて。「星や天体に関する本ならいくつかあるから勝手に持っていけ」 「その前に」ミランダはジギルの顔の前に紙を突き出し。「とりあえずこれを見てくださらない? 書き起こしたものが合っているのかどうか、確認して欲しいの」 「はあ?」 「魔法陣はともかく、天体図は分かるでしょう? そもそもの部分が間違ってたらこれ以上調べても意味がないの。協力して。お願い」 「それがお願いしてる奴の態度か」 「時間がないの。あなたもでしょう? だったら今できることをさっさとやったほうが建設的だと思うの」 「今できることを俺はやってるんだ。それをお前が邪魔しているんだよ」 「お願いしてるの。じゃあせめて一回でいいから見て。それで、協力できるのかできないのかを答えてくださらない?」 「なんだって?」 「あなたに私の分からないことに答えられるのかどうか、まずはそこから答えて欲しいの」 ジギルは明らかに不愉快そうな顔をしていた。カームもミランダの積極的な態度に驚きを隠せなかった。ジギルに答えられるのかどうかなんて失礼な発言は、今まで誰もしてこなかった。ジギルができないことは誰にもできないからだ。彼自身、挑発と分かっていても負けを認めることができなかった。 ジギルは乱暴にミランダから紙をひったくりしばらく眺めていた。次第に真剣な目つきになっていく。これは分からない者の表情ではない。 ミランダは「よし」と強く思ったが声には出さず、彼の返事を待った。 ジギルは顔を上げ、ミランダの予想どおりの返事をした。 「分かる。が、協力はしないからな」 「あらそう、残念」ミランダは背筋をの伸ばし、顎を上げ。「そこまで仰るなら諦めましょう」 意外な反応に、ジギルだけではなく、見守っていたカームと、あとから追ってきたベリルも驚いた。 「私も鬼ではないので、これ以上あなたを追い詰めるのは、さすがに心が痛みますもの」 「……なんだと?」とジギルは目尻を揺らした。 「あなたはこの世界の、この小さな村では先生と呼ばれるほどの天才ですものね。今まで何でも知っていて、ランドール最強の魔法軍を脅かし、革命を起こすほどの、まさに神童。なのに、今更、知らない、分からない、無理、お手上げ、なんて、口が裂けても言えないわよねえ?」 ジギルのこめかみに青筋が浮く。 「てめえ、俺が嘘ついているとでも言いたいのか」 「ああ、いいのよ。私これでも育ちがいいのでね、人様に恥をかかせることは致したくなくの。分かるけど忙しくて手伝えない、そういうことにしておいてあげますから、もうこれ以上何も仰らないでいただけます? 案外、他人の失態をフォローするのって大変なのよ」 「ふざけんな! 人を嘘つき呼ばわりして何が育ちがいいだ。下手な挑発してるんじゃねえよ。俺は乗らねえぞ!」 「挑発だなんて失礼ね。気遣いよ。あなたは革命軍のトップで村人にも厚い信頼を得ている。そんな才能ある人の本性を、こんな他所から転がり込んできた迷子の私なんかが暴くなんて、気の毒で気の毒で耐えられないもの」 「いい加減にしろ!」 「ねえベリル」ミランダは急に振り返り。「あなたは彼にできないことって、何かご存知?」 突然話を振られたベリルはえっと短い声を上げたあと、考えながら答えた。 「うーん……知らないかなあ」 首を捻って言うベリルに、ミランダはほほ笑んだ。 「やっぱりね。ジギルは何でもできる。みんながそう思ってる……でも、今までに時間がない、忙しいと言って断られたことは?」 「ああ、それはたくさんあるけど」 ほらね、とでも言わんばかりの表情でジギルに向き直ると、ジギルは奥歯を噛みながら机を叩いた。 「何だよ! 俺が都合が悪くなったら嘘ついて誤魔化してたとでも言いたいのか! 侮辱するのも大概にしろよ」 「そんなことは言ってないわよ」ミランダは激昂するジギルの肩を叩き。「だから落ち込まないで。大丈夫。あなたの威厳は私が守ってあげるから」 怒鳴ろうとするジギルの視界の端で、ベリルがカームに近づいて小声で尋ねていた。 「……もしかして、私たち、騙されてたの?」 カームは苦笑いして首を傾げるだけだったが、ベリルの純粋な疑問にジギルの苛立ちは頂点に達する。 「ああっ、もう、めんどくせえな、お前は!」 頭を掻きむしったあと、ジギルは再びミランダのメモ紙を広げた。 「ああ、いいってば」ミランダはわざとらしく紙を取り上げる。「無理しないで。忙しいのでしょう? アンミール人の希望の星、天才ジギル様にご迷惑はかけられないわ」 「うるさい! もう黙れ!」 ジギルは彼女が持ち込んだ資料の束をかき集め、背を向けて机の上に並べ始めた。 「お前ほど捻くれた奴は見たことがねえよ」ミランダを一瞥し。「お前の世界は碌なもんじゃなさそうだな」 ミランダはふんと鼻を鳴らして、すぐに彼の隣に立って一緒に紙を並べ始めた。 「私はね、あなたよりも底意地の悪い人に何度も虐められてきたの。私が捻くれてるんじゃなくて、捻くれ者には慣れてるだけよ」 「あっそ。言っとくが最低限必要な部分だけだぞ。余計な仕事を増やしたら即刻中止するからな」 「分かってる」 言いながら、二人はすぐに集中していった。 カームとベリルはついていけずに部屋の隅でしばらく呆然としていた。そのうちにジギルが物差しを取り出して線を引いていく。紙が足りずに付け足していき、机上では狭すぎると二人は床に這いつくばった。 「おい、カーム」ジギルは顔を上げてカームを呼びつける。「そこの本棚に天体の本がある。持ってこい」 「え、あ、はい」 ジギルは急ぎながらも、床に広がる紙を踏まないように本棚に向かった。 「ど、どれだろう」 「そこの、でかいヤツだ」 モタモタしていると怒られる。カームは言われるままに二人を手伝った。手が空いたときそっと背後から覗いてみると、ミランダが書いたメモや天体図の空いた部分が少しずつ埋まっていっていた。それを見ながら、ミランダは眉間に皺を寄せていく。 「……何よこれ」 「どうしたんですか?」 「こんな星、本当にあるの?」 ミランダが呟くと、ジギルは顔を上げずに口を開いた。 「それはこっちの台詞だ。お前の描いた天体図とメモのほうが意味分からねえよ」 「え?」 「お前のメモの穴の部分には、本にない星が当てはまる」 「すごく遠いってこと?」 「それもあるし、星を構成する成分や大きさが人間の脳では認識できないものかもしれないし」 「……それを、あなたはどうやって書き込んでるの?」 「既存の情報を照らし合わせて、計算してるだけだ。ほんとにそこにそれがあるのかどうかまでは確かめようがない」 ミランダは息を飲んだ。難解なパズルが解けそうな感触に喜んでいたのも束の間。再び非現実的な魔法の高度さに自信をなくしていく。 「とりあえず、完成しそう?」 「できる。お前の解読が合っていればな」 「合ってないの?」 「天体図は大体合ってる。ずれてる部分は修正してるよ。そこから先は計算と勘だ」 「そう……ありがとう」 まったく話についていけないベリルは、誰にともなく「私はキッチンに戻るわね」と言ってその場を後にした。 ***** クライセンが密かに城を飛び出してしばらく経った頃、天鏡室にいたレオンにヴェルトが声をかけてきた。室内に他に人はいなかった。 ヴェルトは大きな黒い布を彼の前に差し出し、ゆっくりとそれを開いた。中には、きれいに束ねられたレオンの髪が入っていた。 「レオン様の御髪、処分せよとのことでしたが、魔法使いの髪には魔力が宿っております。どうか、この御髪で剣を鍛える許可をいただけませんでしょうか」 レオンは、そんなつもりはなく不本意ではあったが、断る理由もなかった。 「それは結構ですが……どのような剣を作るのでしょう」 「ありがとうございます。レオン様の御髪であれば、エヴァーツの魔力を帯びた強力なものができます」 「エヴァーツの魔力?」 「生命を断ち切る剣です。敵がどのような形で攻撃を仕掛け、何を勝利条件とするのかまだ不明ですが、決して無駄にはいたしません」 「そうですか。しかし、間に合うのでしょうか」 ヴェルトは髪を仕舞い、姿勢を正したあと頭を下げた。 「私はティル(戦)の魔法使い――朝までには完成させてみせます」 Copyright RoicoeuR. 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