SHANTiROSEINNOCENT SIN-95太陽の光が遮られ、地上は夜の闇に包まれた。それは一時的なものだったが、ティシラがエミーの魔法を退けるには十分な時間だった。 ティシラの咆哮で空気が震え、羽の一振りで雲が千切れた。 彼女から生まれた大量の式兵はティシラの一瞥で黒い炎に包まれ、灰も残さずに消え去っていく。 レオンの魔法は成功し、ティシラは最強の力を手に入れた。絶望の中に光が見えたと心強さを感じたヴェルトがティシラを見ると、彼女は意志の疎通ができるかどうか分からないほどの憤怒の表情を浮かべていた。 レオンはまだ魔法を続けており、彼を守るために戦っている魔法使いに囲まれ、周囲にはすでに息絶えた者の死骸が散乱している。 太陽の前を通過する星が止まることはなく、次第に光が戻り始めていた。 レオンは完全に集中している。開いた魔法の扉を、ゆっくりと、丁寧に閉じようとしていた。 その隙をエミーが狙わないわけがなかった。黒い剣を握り、獣のようにレオンに飛び掛かっていく。魔法使いが作った光の壁も簡単に砕き、このままではレオンは無傷では済まない。ヴェルトは命を捨てても盾になるべく飛び出した。 しかし、僅かに間に合わない――と思ったと同時、それより速くエミーの体に黒い塊が衝突した。 エミーは吹き飛ばされ、顔を歪める。あとを追ってきた槐の魔法使いに受け止められたが、地面に落ちても勢いは止まらず下敷きになった魔法使いは内臓を圧迫されて血を吐いた。 エミーを攻撃したのはティシラだった。ティシラは上空で羽ばたいたあと、彼女に向かって怒鳴りつけた。 「クライセンをどこにやったの!」 エミーはもう立ち上がれない魔法使いの肩を叩いて労ったあと、体を起こしティシラと向き合った。 「死んだよ」 「嘘をつくな!」 「なぜ嘘だと思う」 「クライセンが私を置いて死ぬわけがない!」 エミーは腹を抱えて笑い出した。 「こんな状況で、よくそんなつまらないことが言えるもんだ」 「こんな状況?」 「人類が滅亡してんだよ。分からないか? お前の目には何が映っているんだ」 「人類が滅亡しようが私はどうでもいいの。私とクライセンが幸せになれば、他のことなんか知ったことじゃないのよ!」 「呆れたね!」エミーはティシラを見据え。「お前の覚醒は人類の希望だったっていうのに、まさか男のことで頭がいっぱいの色ボケ姫だったなんて。まったく、どこの世も持っちゃいけない奴ばかりが力を持つもんだね」 ティシラの瞳が揺れた。それが動揺なのか、激昂なのかは判断できない。 いずれにしてもこのままではいけないとヴェルトは思う。エミーの言葉に心惑わされた者は、自分を見失い判断を鈍らせていくのだから。 ティシラは目を見開き、瞬きさえせずエミーを見つめた。 「勝手なことばかり言んじゃないわよ。力を持つべきではないのは、あんたでしょ!」 「そうかもしれないな。だが、娘、クライセンが死んだのはお前のせいじゃないのか?」 「はあ?」 「魔族のくせに、叶いもしない恋愛に逆上せあがり、最強魔法軍のトップの自由を奪い混乱を起こした。お前がいなければ、クライセンは志半ばで命を落とすことはなかった!」 「黙れ!」 ティシラが怒鳴ると大きな衝撃波が魔法使いや式兵を吹き飛ばし、頭上に黒い雲が渦巻き始めた。ヴェルトはティシラにエミーの話を聞くなと伝えようとしたが、なかなか彼女に近づくことができなかった。 しかし、その心配は杞憂に終わる。 「愛し合う者同士が一緒にいて何が悪い!」 「愛などただの幻想だ! 周囲の迷惑など省みない幼稚な飯事! 不釣り合いなガキ同士の恋人ごっこで人類が滅ぶのだから目出度いにもほどがあるよ!」 「目出度くて結構! 私たちが幸せになるためなら誰がどれだけ犠牲になろうが、すべて必然なのよ!」 「何だと……!」 「弱い奴は死ぬ! 名もない雑草が私の幸せのために犠牲になれることを光栄に思えばいい!」 「は! 面白いことを言うね。クライセンはお前のその性悪さを知っているのか?」 「性悪はあんたでしょ! 私は魔界の姫! 誰が私に逆らえると言うのよ。文句があるなら殺してみろ!」 「偉そうに! お前を殺したら父親が出てくる。それを分かっていて脅しているつもりか!」 「悪い? パパが怖くて私に手を出せないの?」 「魔王が出てきて困るのはレオンのほうだろうが!」 「あんたは困らないのね。だったら遠慮なく私を殺しにかかってきなさいよ!」 「ああ殺してやるさ! 私に怖いものなどない!」 「なら私があんたの恐怖になってやる!」 二人が言い合っているうちに、太陽の前を星が通過していった。地上は再び太陽の光に満ちる。 魔法を終えたレオンは意識を戻し、途中から二人の話を聞いていた。周囲の式兵は一通り排除されている。急いで駆け寄ってきたヴェルトも困惑の色を隠せないままレオンの状態を心配した。 「レオン様、お体は……」 「大丈夫です。普通なら回復に数日かかりますが、無限の魔力のおかげでまるで何もなかったかのように体が軽いです」 「無理はなさらないでください」 「今は無理してでも戦うとき……なのですが」レオンは額に汗を流した。「……あの不毛な言い争いは何なんでしょうか」 ヴェルトも同じ気持ちだった。緊張を解かず、睨み合い一触即発の二人を見つめた。 「しかし、あのエミーの言葉に惑わされない精神力の強さは見事なものです」 「そうですね。何とかして彼女に本来の目的に協力してもらわないと。ティシラが本気になれば球根の根絶はかなり楽になります」 「ええ。ですが、ティシラが言うとおりに動いてくれるかどうか……」 「先ほど、協力してくれるようなことを言っていたでしょう?」 「ティシラの目的はクライセンの救出です」 レオンはヴェルトに目を向ける。ヴェルトは一瞬怯んだ。 「説得できませんか?」 「どうでしょう……」 話し合っているうちに強い爆発が起きた。ティシラとエミーが衝突したのだった。 ティシラは炎や熱波を手の平から発し、エミーは黒い剣で応戦している。周囲の魔法使いたちは危険な二人から離れ、レオンの指示を待ちながら警戒を続けていた。 レオンはエミーが笑っているのが見えた。 エミーは地面に両足をつけ腰を落とし、素早く呪文を唱え足元から大量の黒い茨を生み出した。茨は生き物のように暴れ、飛行するティシラを翻弄する。 「ああ、鬱陶しい!」 ティシラが怒鳴りながら赤い目を光らせると、茨は業火に包まれ消え去っていく。だがティシラはすべてを避け切れず、茨の棘が首元を掠った。 そのとき、太陽の光を受けて小さく光るものが弾け飛んだ。ヴェルトはそれを視界に捕え、反射的に目を細めていた。 「ヴェルト」レオンが深刻な表情で二人を見つめている。「このままではティシラが危険です」 「え? またですか?」 「無限に湧き出る魔力でティシラは最強の武器のごとく戦えますが、彼女の体は魔力でできています。人間ならどれだけ体力があっても、苦痛や疲労で意識的にも無意識でも傷を庇い、次第に動きが鈍くなります。しかし今のティシラにはそれを認識できません。例えるなら、彼女は鉄の人形です。加減をできず最大出力で魔力を使っていれば、いずれ体が動かなくなるでしょう」 「そんな……ティシラはそのことを自覚しているのでしょうか」 「していたとしても、彼女は頭に血が昇っています」 「ではティシラを止めて話をしなければ」 「話しても余計に逆上するような気がします」 確かに、とヴェルトは息を飲む。 「エミーはそのことに気づいているのでしょうか」 「エミーが気付かないはずがありません」 ならば尚更ティシラに教えなければと、ヴェルトは焦りを抱いた。 「ティシラに冷静になってもらう手段は……」 レオンは思案した。答えは簡単に出る。 「クライセンを探しましょう」 「なるほど……しかし、どうやって」 「それはあなたに任せます」 「えっ」 レオンは片足を引き、二人のいるほうとは逆に歩き出した。 「もう地道に球根を殺している状態ではありませんね」 「何をなさるおつもりでしょうか」 「責任は、私がとります」 「レオン様……?」 ヴェルトの質問に答えず、レオンはその場から立ち去っていった。 取り残されたヴェルトは額に汗を滲ませた。ティシラとエミーは殴り合いながら上空高く飛行しこの場から遠ざかっていく。 ヴェルトは透き通った青空と美しい太陽の光を仰ぎ、茫然とした。 頭の中が空っぽになったとき、視界に小さな光が瞬いた。ヴェルトは我に返り、考えるより早く周囲を見渡した。 (……そうだ、先ほどの光) ティシラから滴のように散った、小さな小さな光の粒。不思議とヴェルトの意識に残っており、それに呼ばれるような錯覚を抱く。 ヴェルトは急いでその光を探した。崩れた地面を這い、目を凝らす。こんな状態の中、あんな小さなものを見つけることは無理だと、普通は思う。だがヴェルトは迷いなく集中した。 あった。 それはティシラが大事に身に着けていた水晶のネックレスだった。 鎖は千切れ、指先で掴めるほどの小さな石が土の間に転がっていた。ヴェルトが手に取ると、再びそれは光を灯した。 「これは……ティシラがクライセンと会話するときに使っていた水晶か……」 語りかけるように水晶がきらりと光る。そのとき、ヴェルトはある言葉を思い出した。 ――『小さな光が見えました。あれは幻ではありません。暗い空間から、身動きの取れないクライセンが助けを求めて足掻いています』 ロアが残した予見だ。「小さな光」とはこれのことに違いないとヴェルトは思う。 「クライセンは、生きている……」 僅かな希望を失わず、必死で足掻いている。 しかし、今までティシラが大事に身に着けており、何度も強く語りかけていたはず。なぜ今、クライセンの魔力が漏れ出しているのか。 (そうか……エミーはレオン様に癒えない傷をつけられた。クライセンはやはりエミーの魔法で閉じ込められていたんだ。その魔法に歪みができたということか) 最早彼はただの戦力ではない。人類存亡の鍵を握るティシラの舵も同然。 「クライセン、どこにいるんだ!」 ヴェルトは水晶に魔力を込めた。 強く念じる。すると、水晶がまた光った。 ヴェルトは水晶から発せられる僅かな魔力を辿り、一縷の望みにかけて飛び立った。 レオンが向かった先はシルオーラの城だった。 世界の中心だったそこはこの数時間で変わり果てていた。 広大で美しかった城は瓦礫の山と化し、地面はまともに歩けないほど壊滅していた。破壊された風景の中に、大きな黒い獣や羽の生えた化け物、そして人間の死骸が累々と散乱している。 レオンの心を静めたのは、それらの上にうっすらと芽を出す植物だった。まだ血肉は赤いままで、生物は体温を残したまま倒れているものもあるというのに、まるで長い時間、誰も近づかなかった未開の地のように緑の絨毯で覆われていたのだった。 その奇跡のような風景は、頭上で太陽より力強く魔力を注ぐリヴィオラが作り出したものだった。 とても静かで、神聖な空気だと思った。 レオンは生と死の混同する大地に足を下ろした。 すべてを壊し、そのうえには新しい命が芽吹いている。今、ここから「世界」が産声を上げようとしていた。 レオンはリヴィオラの下に立ち、原始の石を見つめた。 (……このままでも、いいのかもしれない) 自然と口角が上がっていた。 (とても美しい。これこそが、原始の石の望む世界。欲も悪意もない、ただ命が生まれて死ぬだけの、神秘の螺旋が描く透明の世界) レオンはここにきて立ち止まった。 つい先ほどまでは早急にエミーの革命を止め、ティシラを救わなければいけないと決意していたというのに。 自分もこの世界の一部。それでいい。逆らうことの意味を見出すことができない。 リヴィオラの放つ淡い光を浴び、このまま眠ってしまいたい誘惑に身を任せようとした、そのとき、城の方から石の転がる音がした。 レオンははっと目を見開き、音のしたほうを見た。じっと見つめてみたが、何もなかった。しかし、再度小さな石が転がった。次に、瓦礫の隙間から細く小さな蔦が這い出てきた。 レオンが駆け出そうとする直前に、蔦は大量の束になって瓦礫を避けて飛び出してきた。レオンは足が竦んで動けなかったが、蔦は彼を襲うことはしなかった。レオンの前で上昇し、リヴィオラに絡みついたのだった。 蔦はあっという間にリヴィオラを包み込み、抱きしめるような形で動きを止めた。リヴィオラは変わらず魔力を発し続けており、蔦はそれ以上変化を見せない。 レオンはすぐに理解できず、しばらくそれに目を奪われていた。 数秒、瞬きを忘れていた。 何も考えられずにいたレオンは、無意識にそれの名を口に出していた。 「……ザイン」 自分の声に起こされたように体を揺らしたレオンはそれに語りかけた。 「父上。あなたなのですか」 それはもう王でもなければ父でもなく、人間ですらなかった。生きているとも言い難い状態であるにもかかわらず、ザインは本能のままに原始の石に呼び寄せられていた。 何が起きているのかレオンにも、誰にも分からなかった。 死ねなかった高貴な魔法使いは人間の姿を失い、一度は死の壁に閉じ込められ息を引き取ったはずだった。ザインの意志が残っているとは思えない。 「だけど、あなたは……まだ、王としての心を残していらっしゃるのでしょうか」 レオンの脈拍が早まっていく。 「いえ……あなたは、私を戒めようと……」 目を閉じ、気を静める。 やはり、いくら時間を遡ってもレオンが父から教えられたことは何もなかった。 「今更……どうして。そんな姿になってまで……」 怒りでも恨みでもなかった。ザインの本心を知りたかった。だがもう会話することはできない。ならば――。 「あなたの心、私の都合のいいように、解釈させていただきます」 ――この世界を、私の思い通りに変えてみせる。 エミーより強い力で、彼女の革命を潰すほどの破壊を。どの道も茨なら、新しい道を作ればいい。 レオンが胸の前で両手を組み祈りを捧げるとリヴィオラの光が揺れ、絡みつく蔦の隙間から青い光線が漏れる。ザインはピクリとも動かなかった。 自分が生まれてこなかった世界の話を聞いて、いずれこうなることは決まっていたのだと思う。出来上がったルールに則る必要はない。無理に英雄の理想像を継いで、あるべき世界を維持していく理由はない。 ――私は私のしたいようにする。 そして新しい世界を創り、統べ、繁栄させれば人は私を「王」と呼び新しい幸福の基準が生まれる。 人はそれでも生きていくために「死」を司る魔法使いを神として崇めるのだ。だから壊していい。新しいものを創るために。 光を放つ青い石の内側に、ほんの小さな亀裂が走った。 Copyright RoicoeuR. 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