SeparateMoon



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「ご遺体が、見つからないの」
「は? まだ生きてるとでも思ってるのか」
「ないの。ご遺体があれば手厚く葬るわ。でもないのよ。みんな真っ先に探したわ。無残なお姿になられていたとしても、レオン様がご無事であることを伝えて安らかに眠っていただきたかった。だけど、ご遺体の一部すら見つからなかったの」
「誰かが運び出して移動させたとか」
「そうなら痕跡があるはず。ザイン様は一人では行動できないのだから、運んだ誰かが、生き残った者に何かメッセージを残すはずなの」
「寝室はどのくらい破壊されていたんだ?」
「完全に潰れていたわ」
「だからそのメッセージも見つからないんだろ」
「そうじゃない。そもそもザイン様は運び出されていないと思う。ザイン様の寝室には限られた者しか近づけなかった。マーベラスの魔法使いも、ラムウェンド様さえも。長い時間それが当たり前になっていて、一体誰がザイン様を診ているのかも分からなかった。彼らが部屋から出て城内の者と交流があれば、彼らの表情や態度でザイン様の状態を伺い知ることもできたかもしれない。だけど彼らが寝室から出てきたという話を聞くことはなかった。それがいつからか分からない。まるで幻だった。私たちはこれ以上ザイン様に何かを求めるつもりはなかった。ただ余生を静かに過ごしていただければそれでよかった。ザイン様のご容態に異変があればすぐに報せが来ると思っていた。だけどなかった。そして逃げ場のない終末が訪れ、寝室は破戒という形で開かれた。だけど、そこにご遺体はなかった」
「……とっくの昔に死んでたんじゃねえの」
「そんなわけがない」
「なんでだよ」
「革命の前に、レオン様が謁見なさっているの」
「え?」とジギルは驚き、目を見開いた。
「レオン様が変わられたのは、そのあとからなの。だから寝室に何もなかったということはあり得ない」
「レオンはそのとき何を言ってたんだ」
「ザイン様は眠っていらっしゃると。だけど何かを知って何かを得たのは間違いない。皇帝を辞めると言って行動を起こされたのはその直後だったし。そのときからよ。ずっと堰き止められていた水があふれ出したように、事が動き始めたのは」
「そのあと誰か寝室を確認しに行かなかったのか」
「ザイン様は眠っていらっしゃる。その事実は変わらなかった。もしザイン様が御崩御なされていたり寝室が粗悪な状態であれば、レオン様はああはならなかったと思う。最早そういう現実的な空間ではなかったのかもしれないわね」
「どういう意味だよ」
「私たちはずっと見て見ぬふりをしてきた。怖かったのよ。魔力を失い寿命を超えているはずの高等魔法使いがどんな最期を迎えるのか。寝たきりの彼と会話ができるのも、看取る権利があるのもレオン様だけ。そのレオン様が会えずにいたのに、私たちが踏み込めるわけがなかった」
「どうしてレオンは会わなかったんだよ」
「レオン様にはザイン様の英雄としての姿だけを知っていて欲しかったからよ」
「周りがそうさせてたのか」
「そうよ。レオン様は優秀な魔法使いのいいなりだった」
「歪んでるな」
「ええ。私たちは気づかなかったの。美しいものだけを集めていれば世界が美しくなると信じていた。だけど間違っていた。大人が溜め込んだ醜い歪みのすべてをレオン様に背負わせてしまっていたのよ」
 ジギルはレオンの精神疾患の理由が分かった。しかし誰も止められなかったのかという疑問はなかった。魔法大国は決して美しくなかった。溜め込んで隠していた醜いものは消えることなく増え続けて限界を迎え、溢れ出した。その醜いものの中にはアンミール人も含まれている。そしてエミーが現れ世界を壊した。レオンに世界を救う権利も義務ないと思う。もとには戻らないほど捩じれた醜い世界など滅んでもいいと、いっそ滅べばいいと嘲笑してもおかしくないと思う。それでも彼は戦った。未知の感情である「愛」を知るために。そのために自分を呼んだ。何の役に立つかは分からないが、レオンは意見を求め、納得がいかずとも言うとおりに行動している。ジギルはレオンが哀れに感じてきた。もう少し丁寧に話をしてみようか、と夜空を舞う小さな光の粒を見つめて息を吐いた。
「ねえ、ジギル」
「なんだよ」
 アシュリーにふいに声をかけられて返事をしたあと、短いが、重い沈黙が流れた。
 ジギルの顔の血の気が引いていく。「ジノ」の聞き間違いだと思いたかった。だがアシュリーも話を続けず、彼の反応を待っている。
「……やっぱりね」アシュリーは夜空を仰ぎ、苦笑いを浮かべた。「バレバレよ。他の人は、あまりにあり得ないことで想像もしてないみたいだけど、一度もしかしてと思ったら全部繋がる」
「……なんで」
「あれだけ生活を制限されていたアンミール人が高等魔法使いと同等に会話できるなんて普通じゃない。アンミール人に賢い人がいないとは言わないけど、未熟な教育じゃ君みたいにはなれない」
「だから俺をここに連れてきたのか?」
「そうよ。でも怖がらないで。私はヴェルトとは違う。君をどうこうしようなんて思ってないから」
「だったら何のために連れてきたんだ。俺が誰なのか確かめたかったんだろ」
「それが本題じゃないから。『ジギルという少年』に聞きたかっただけ。私たちの完璧だった帝国を、外側から見た感想をね」
「ふん……」ジギルは彼女に敵意がないことを確かめ。「前もいたな。似たようなことを言ってた奴が」
「そうなんだ。その人は、君と話をしたあと何か変わった?」
「そういつは、変わることはできないと言ってた」
「……その人の気持ち、私には分かる。私も変われなかったから。変わるわけにはいかなかったの。自分の役目を考え直すにはもう時間がなかった」
「今なら、あるんじゃないのか」
「……なにが?」
「時間だよ」
 アシュリーは返事をしなかった。おそらく、ジギルに言われなくても気づいていたのだろうと思う。
 静寂の中、死者の魂と見つめ合うアシュリーは夜の闇に溶けてしまいそうなほど儚かった。いくつかの光の玉が、何かを話しかけているかのように彼女の周りを回る。その光の動きに合わせてアシュリーの髪が揺れた。触れることができないのに互いに干渉し合っている。ジギルはその不思議な現象に疑問を抱かず自然に受け入れていた。
「ねえ、ジギル。憶測でいい。聞かせて」アシュリーは遠くを見つめたまま。「ザイン様は、今どこにいらっしゃると思う?」
 なぜ彼女がザインにこだわるのか、ジギルにはまだ分からなかった。そういえば、と思う。ジギルはアシュリーのことを何も知らない。しかし彼女は「マーベラスの魔法使い」だ。個性はあれど思想は同じ。そう教育されているのだから。今はそう思い、深追いしなかった。
「レオンはここを墓場だと言ったんだろう? そういうことなんじゃないのか」
「ザイン様の、お墓ということ? ご遺体がないのに?」
「……あるんじゃねえの」
 アシュリーは一瞬、息を止めた。ゆっくりと目線を地面に移すと、ジギルも同じものを見ていた。
 地に倒れ沈黙している枯れた蔦――二人にはどうしても人間には見えなかった。
「これは、あくまで憶測だ」とジギルは前置きし。「ザインはリヴィオラを破壊しようとするレオンを止めようとしたんじゃないのか」
「……それしか方法がなかった。世界最高位の魔法使いであるレオン様がそう判断されたのに?」
「ザインは生きてもいないし、死んでもいない状態で、ただこの世に魂が留まっていただけだった。既に人間じゃなかったのかもしれない。きっとレオンはその事実を知って、この世界に理想はないと悟ったんだ」
 アシュリーの瞳が揺れた。人間ではなくなっていたとしたら、一体何なのかという答えは出ない。だがリヴィオラはアカシック・レイでも止めることができなかった。ザインが魔法使いとは別の存在に昇華していたのなら、リヴィオラと同じように影響を受けなかったとしてもおかしくはない。
「だからレオンは皇帝を辞め、大人が作った高価な分厚い壁を乗り越えて一人で現実に飛び出した。だがそこに自分の守りたいものはなかった。それでもレオンは戦った。最後に、父親とも、戦った」
「それじゃあ……レオン様が……」
 そう呟くアシュリーの声が僅かに震えていた。
 ジギルは嫌な予感がした。ヴェルトから何度も味合わせられた恐怖を思い出して我に返る。
「お、憶測だぞ。それにな、レオンが父親をどうこうしたなんてそんなに悪く取るなよ。あれだよ。父親を超えて成長したってやつ。そういう感じなんじゃないのか」
「……ええ」アシュリーは落ち着いている、ように見えた。「レオン様は間違っていない。仮にザイン様が止めたかったとしてもあの方に止める力はなかった。そのくらいは、私にも分かる」
「何度も言うが、憶測だからな。というか、直接レオンに聞けばいいだろ。お前が聞きにくいなら俺が聞いてもいいぞ。あいつならバカ正直に何でも喋るだろうし。あいつデリカシー全然ないからな」
 バカ正直でデリカシーがないのはジギルも同じだろうと、アシュリーは心の中で笑った。
「ありがとう」目を伏せ、踵を返し。「でも結構よ。考える時間はたくさんあるしね。――そろそろ帰りましょうか」
 ジギルは怒られないことに逆に拍子抜けしながらも、彼女に続いて城跡に背を向けた。
 アシュリーは「私はヴェルトとは違う」と言った。ただの性格の違いだろうと、今はその言葉を気に留めなかった。
 アシュリーの周りを浮遊していた光が、風に流されるように離れていった。もっと話をしたいのにここから離れたくないという感情が伝わってくる。ジギルは釣られるようにそれらを目で追った。振り返り、足を止めると広大な夜空に浮かぶ月に照らされた墓場が、今にも消え入りそうなほど淡い光に包み込まれていた。揺れる使者の魂は月が流す涙のようで、悲しみと安らぎが入り混じっている。
 この魂たちの中には高等魔法使いも魔士も、何の罪もない弱者もすべてが入り交ざっている。死んでしまえばみんな同じだ。生まれてからどんな人生を歩んで来たとしても、死ねば同じ、触れることのできない無言の光の粒に成り果てるのだ。
 いずれは自分も、ここに――ジギルは死者に背を向け、その場を後にした。



 神秘的な月の光に誘われて空を見上げていたのはジギルとアシュリーだけではなかった。
 レオンもまた、積み上げられた瓦礫の上で静寂に溶け込んでいた。
 ジギルたちの住む建物から子供の泣く声が聞こえてきた。夜の闇に怯えているのか、声を殺しているのが分かるが、風のない深夜、じっと佇んでいたレオンの耳にも届いた。
 レオンは声のするほうに向かった。ただ、なぜ泣いているのかを知りたかったからだった。
 しばらくすると子供の声とは違う足音が近づいてきていた。
 レオンは足を止め、傍にあった瓦礫の陰に隠れた。
 足音はジギルとアシュリーのものだった。二人はぽつぽつと言葉を交わしていたが、子供の声に気づいてジギルが走り出し、アシュリーはその場に留まった。
 レオンも静かに場所を移動し、ジギルの動向を見守った。

 泣いていたのは生き残りの中で一番小さな女の子、シアだった。
 もう一人の子供はシアより大きなセロンという少年で、二人は泥だらけでより添っていたところを保護されてここに来た。シアは大きなショックで記憶をなくしており、どこから来たのかも家族のことも、自分の名前も答えられない状態だった。セロンは兄妹ではなく、彷徨っているうちに出会って助けを待っていたのだと言う。
 シアという名前は少女が手に持っていた汚れたうさぎのぬいぐるみに手縫いで書かれていた名前だった。そのぬいぐるみは途中で拾ったもので少女のものではなかった。おそらくシアという名前はぬいぐるみの持ち主で、刺繍は母親が縫ったものなのだろう。少女はぬいぐるみと共に、シアという名前ももらうことになった。
 シアはよく不安になり泣き出すことがある。普通なら家族や友達を頼るのだろうが、彼女にはその記憶すらなかった。シアは今日も眠れず、当てもなく泣きながら徘徊していた。気づいた者が宥めるようにしているが、他は怪我人か昼間は体を動かして働いているためほとんどが眠っている。泣き声で起きた者も、灯りすらない夜に、取り留めのない少女の不安に付き合うことを億劫に思い見て見ぬふりをすることも増えてきていた。
 セロンはシアを妹のように思っていると言うが、彼もまだ子供。親のように身を挺して守ることはできなかった。
 ジギルが駆け寄ると、シアは涙でぐしゃぐしゃになった顔を両手で覆った。
「……ごめんなさい」
 ジギルはため息をつきながらシアの頭に手を置いた。
「なんで謝るんだよ」
「だって……」
 シアは何度か大人に冷たくされ、迷惑をかけていることに気づいていた。ここに無償の愛を与えてくれる家族はいないことを理解しており、だけど一人でできることはほとんどなく、深い不安と孤独に苛まれて日に日に精神を弱らせていっていた。
 ジギルはシアを無視することができなかった。
 彼女を見ているとイジューを思い出すからだ。
 今もあの死に様は脳裏に焼き付いて離れない。悲しいというより、自責の念と後悔が押し寄せ、潰されてしまいそうなほど気が遠くなる。
 ――いつか、シアを救える薬を作りたい。
 今はまだ魔薬を研究する設備も材料も揃っていない。残っているのはポケットに入っていた小さな瓶の中身と、ジギルの頭の中にある情報だけだった。いずれは魔薬の生息地を探して設備を整え、魔薬を魔法と同等の能力として定着させたい、させなければいけない。そこからずっと、自分が死んだあともずっとずっと残っていけば、いつか自分のせいで死んだ者以上の数を救えるに違いない。それがジギルにできる罪滅ぼしだと信じていた。
 その日まではと、ジギルはシアが早まったことをしないよう、できるだけ気遣うようにしていた。
「もうしばらく起きてるから、俺の部屋にいろよ」
 ジギルがそう言って背を向けると、シアはぐずりながら着いていった。
 ジギルの部屋の窓から小さな灯りが漏れた。
 それを見つめていたレオンは無表情だった。アシュリーも離れた場所からジギルとシアを見届けたあと、レオンの存在には気づかず自室に戻っていた。
 月明かりに照らされたレオンは夜と同じほど黒い影を落としている。ほんの僅か、奥歯を噛みしめ唇を歪めた。




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