MurderousWorld
23-TacticsZero




 次の日も先日と同じように早朝の出発だった。
 夢も覚えてないほど深く眠ったルークスは、疲れは取れているものの、やはり体の痛みは残っている。二度寝してサボってしまいたかったが、朝から元気のいいブラッドに叩き起こされて渋々出発の準備に取り掛かった。


 冷たい空気の漂う町を通り抜け、三人はイグレイの眠る森へ向かった。
「後数時間で到着だよ」ブラッドは遅れてついてくるルークスに顔を向けた。「もう少しだから頑張れ」
 まるで子供扱いである。それでも、後数時間という言葉にはほっとできた。黙って先頭を歩くランの背中を見る。まるで昨夜の会話などなかったかのように、ルークスを気にしている様子はなかった。別に仲良くしたいとは思わない。ブラッドの笑顔だけでも鬱陶しいのだ。警戒する必要はないと分かったし、このくらいでちょうどいいとルークスは目を逸らした。


*****



 ルークスは筋肉痛に苦しめられながらも、体勢や呼吸方法を体が覚えていたのもあって昨日よりは辛い思いをせずに済んだ。
 予定通りに目的地に着き、イグレイは現地より少し離れた山岳に着地した。ブラッドが彼に礼を伝え、ランが合図を送るとイグレイは飛び立たず、歩いて元来た軌道へ姿を消していった。その姿はマヌケに見えたが、ルークスはこれでトカゲの背中からは解放されたと息をついた。
 しかし、終わったわけではない。これから始まるのだ。
 三人は切り立った山岳の端まで歩いた。その直下にはデスナイトの陣営が見える。テントやジープがひしめき合い、その隙間には戦闘員の姿があった。
「あれって」ルークスがそれに気づき。「仲間か?」
「そうだよ。五分の一くらいが組織からの派遣で、他はアステリアと支援国の軍人。この岩場の先に敵の陣営がある。でもそこは、こっちの一斉攻撃に向けての臨時集合地点になっていて、現在バリケードを張って準備中。陣営の本部は敵国に置いてある。そこに今回の首謀者がいる」
「アステリアはどこなんだ」
「ここから南西の方角。この山岳の南方が貴重な鉱石の発掘される場所だ。そこは主にアステリアの軍人が守ってる」
「敵国は?」
「ここから五キロほど先」
「近いな」
「隣だからね。貧乏国同志が土地の資源を巡って争ってるんだよ」
「セコい争いだな」
「そうだね。元々アステリアの土地なんだけど、隣の国が無理やり理由をつけて横取りしようとしてきたらしいんだ。一応、複雑な事情があるみたい」
 基本中の基本である会話には興味を示さず、ランが動く。
「行くぞ」
 言うより早く、ランは陣営に向かって飛び降りた。その大きな体をものともせずに、器用に岩を蹴りながら三十メートルはある断崖を下る。ブラッドもすぐ後に続き、戸惑うルークスも同じようにしてついていく。
 ランとブラッドの姿を確認し、陣営中の冒険屋が騒ぎ出した。
「ランだ」
「ほんとに来たんだな」
 真っ先にランに駆け寄ってきたのは、この現場の責任者であり、ランの直属の部下である汚れた武装姿のエンジだった。エンジは長い金髪を一つにまとめた背の高い青年だった。
「ラン。ブラッドも」交互に二人を見ながら。「あんたたちの顔を見たら安心したよ。これで、やっと終わるんだな」
 ランは労いの気持ちを込めて頷いた。あまり大きな声を出さないように、人員たちは顔を見合わせて喜んでいた。ランはにこりともせずに中央のテントに向かった。その後をエンジとブラッドが着いていく。そのとき、呆然と立ち尽くしていたルークスにエンジが気づいた。
「彼は?」
 ランは足を止めて、ルークスに振り向いた。
「例の新人だ。あれには俺が後で指示を出す。とりあえず何か食わせてやれ」
「ああ」
 状況は聞いていたが、本当に、二人にここまで付いてくるなんてと、エンジは少々驚いていた。それにランが直接指示を出すなんて珍しいことである。何か特別な扱いがあるのだろうかと疑問を抱きながら、近くにいた部下にルークスを案内するように伝えた。
「ルークス、また後でね」
 ブラッドに声をかけられるが、ルークスは何がなんだかで返事もしなかった。


 二時間ほどが経った。ルークスはその間に案内された小さなテントの中で与えられた食べ物を口にしながら、痛めた腕や足にテープを巻いていた。周囲は武装した大男や獣人ばかりで、武器や爆弾、不衛生な薬や注射器、そして非常食などが散らかっている。時折、生臭い血の匂いも漂う。今まで迷ってばかりだったルークスも、ここが戦場であることを肌で感じていた。
 人員が彼の横を出入りしていたが、誰もが疲労困憊している様子で、あまりルークスに興味を抱いていなかった。怪我をしている者も少なくなく、酷いときは片腕しかない者、包帯の下から嫌な匂いがする者もいる。しかし、疲れ切った彼らからは静かな闘志のようなものが湧き上がっていた。きっと、ランとブラッドというこの上なく力強い味方が現れたからなのだろう。これで最後だと、残った力を準備しているのだと思う。自分もこのまま見学しているつもりはない。体を解して気合を入れ直そうと立ち上がった。
 そのとき、テントを覗きながら一人の男が声をかけてきた。
「新人。ランが呼んでる」
 なんだろう。後で指示を出すと言っていたが、一体何のことだろう。それも聞けば分かるだろうと、ルークスはテントを出た。


 連れられた場所は陣営の中心にあるテントだった。中にはランとブラッドが中央の散らかったテーブルを囲んでいた。ルークスは空いた席に腰を下ろし、言葉を待った。
「これから敵陣に攻撃を始める」ランが話し出す。「エンジが出撃の指示を出し始めている。お前もそれに参加しろ」
 そのつもりだと、ルークスは小さく頷いた。
「指令は『T-3(タクティクス・スリー)』。意味は分かるか?」
「分かる」ルークスは冷静に答えた。「戦術は五種類。一から『依頼主を守れ』、『味方を守れ』、『敵を罠にかけろ』、『頭を狙え』、そして『皆殺し』」
 ブラッドが頬杖をついて笑った。
「へえ。正解。ちゃんと勉強してるんだ。意外」
 茶化すブラッドにむっとするが、言い返す前にランが続ける。
「説明の手間が省けて助かるな。つまり、今回の最後の指令は『敵を罠にかけろ』だ」
 ルークスは首を傾げた。
「最後? どういうことだ。罠ってなんのことなんだ。何か仕掛けてあるのか?」
「罠ってほどじゃないよ」ブラッドが答える。「ただ、できるだけ多くの敵を陣営からおびき寄せて欲しいんだ。君たちの仕事はそれだけ」
「敵も警戒しているだろうから全部を引っ張り出すことは難しいだろう。できるだけで構わない」
 ルークスはまだ理解できない。そういえばと、ランに向き合う。
「俺に指示を出すって言ってなかったか?」
「ああ。そうだな。指示ってほどじゃない。ちょっと試しにやってみてもらいたいことがあるだけだ」
「やってみてもらいたいこと?」
 疑問符だらけのルークスの隣で、ブラッドは意味深な笑いを浮かべた。


 外では出撃の準備が進んでいた。武器を装備した男たちが岩場の先の平地に集合し、整列し始めている。それぞれ武器を手に目つきが変わっていた。
 頃合いを見計らってランとブラッドが大きな岩の上に姿を現した。その後ろにはルークスもいる。なぜか俯き、顔色が悪かった。
 列の前線にいたエンジが振り向き、二人を見上げた。並んでいる戦闘員たちも片足を引いて二人に注目する。ランは一人ひとりの顔を見ていった。その時間は短かったが、彼と目が合うたびに戦闘員たちは緊張を高めていく。
「これで最後だ」
 ランの言葉に全員が息を飲んだ。
「思いっきり暴れてこい」
 エンジが剣を掲げると、男たちは一斉に雄叫びを上げた。その声は風に乗り、地平線の先にある敵陣にまで届いた。
 敵もデスナイトの不穏な動きに警戒し、交戦の準備を進めていた。おそらく、なぜここで一斉攻撃をかける理由までは知られていないだろうが、相手も全力でかかってくるつもりでいる。時は来たと、動き始めた。
 ブラッドは引きずってきたバズーカを肩に抱え、上空高く打ち上げた。
「行け」
 その爆音とランのゴーサインが戦闘開始の合図となり、戦闘員は敵陣に向かって走り出した。
 ブラッドはバズーカを肩から降ろして岩場の下に放り投げ、戦場となった平地を眺めた。ランも様子を伺いながら、二人の背後で呆気に取られているルークスに振り向く。
「始まったぞ」
 ルークスは体を揺らした。戦う準備はできている。しかし、と思う。ランから与えられた指示が、彼の中では恐怖さえ湧き上がらせていたのだ。
「どうした?」
 ルークスはじっと戦場を見つめた。
 敵陣からも戦闘員が流れ込んできた。二つの戦力がぶつかり、混ざり合っていく。
 こうして遠くから見ていると、デスナイト側が妙な動きをしていることが分かる。誰もが勇ましいのだが、できる限り動き回って敵を混乱させようとしている。理由は、ルークスも知っている。敵を倒すことが目的ではないからだ。それでも、敵味方が入り乱れ、そこに血は流された。
「早くしないと出番がなくなるよ?」
 立ち竦んでいるルークスをブラッドも煽ってくる。ルークスは眉間に皺を寄せた。
「どういうことなんだよ」噛み締めた歯がきしむ。「ここは戦場だ。戦争なんだ。誰も殺すなだと? そんなことに意味があるのか!」
 感情的に大声を上げるルークスに反して、ランとブラッドは涼しい顔でちらりと顔を見合わせた。
「意味なんかない」ランは冷ややかに。「ただ、やってみろと言っただけだ」
「なんだと」
「殺したいなら殺せばいい。ただの命令無視だ。お前はただのオマケだから別に罰なんか与えない。好きにしろ」
「戦争で人を殺さないで何をしろと言うんだ」
「誰も殺さず、敵の頭を捕まえればいいだろう」
「そんなことが……」
「できるよ」ブラッドが遮って口を挟む。「僕たちはできる」
「……な」
 言葉を失うルークスに、ランは挑発するような笑みを見せた。
「誰も殺すな。利も害もなく一つの戦を終わらせること。それが、タクティクス・ゼロだ」
 聞き覚えのない言葉にルークスは耳を疑った。
「……ゼロ?」



   




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