21




 永霞たちが灯華仙に着いた頃、空は白み始めていた。
 膨大な竹を使って作られていた門の前には門番だけではなく、従者らしき数人の若い女性の姿もあった。
 永霞の姿を見て、彼女たちはすぐに整列し、丁寧に出迎えた。いかにも、「お待ちしておりました」とでも言わんばかりに。
 永霞は才戯を抱えた那智と、数人の護衛を連れていた。何があったのかはまだ分からないが、いきなり攻撃してくるほど蒼雫もバカではない。あくまで目的は、話し合いである。大袈裟な装いは避け、怯えているなどと挑発されたり、弱みや隙を見せないよう、永霞は身構えていた。


 護衛は門の外に残し、従者に案内されて敷地に入ると、早朝にも関わらず妙に落ち着きのない気配が漂っていた。姿は見せずとも、普段なら寝ている時間に起きている者がいろんな噂を囁き合っているのが分かる。
 庭も玄関もいちいち距離があり、やっと室内に足を踏み入れることができた。さらに中庭にかかる桟橋を渡り、永霞たちは城の奥へと進んでいた。
 那智は薄い布団に包んだ才戯を抱え、初めて見る灯華仙の世界に緊張していた。
 噂は聞いている。ここは美女だらけで、繊細でいい香りのする優雅な城だが、男にとっては人生を狂わす棘と毒が仕込まれているのだと。
 確かに、一見は華やかで、優しい色や甘い香りに包まれている癒しの空間だ。何も知らず迷い込んでしまったら、きっといつまでも居たいという幻想を抱きそうだと思う。だがここは、少年に傷を負わせ、命を囮にして脅しをかけてくるような女性の支配する城なのだ。那智は気を引き締めた。
 しかし、那智はここに漂う香りを知っているような気がしていた。
 それは、いつも才戯が胸元や布団の下に隠していた折鶴から、僅かに漏れていた香りだったことは分からない。
 才戯はいつも泥や汗で汚れており、着替えも洗濯も頻繁だった。破れて捨ててしまうことも多い。そういった生活の匂いに紛れてしまい、灯華仙の香はほとんど認識できない程度のものだが、毎日、無意識のところに記憶されていたものが甦っていたのだった。どこで嗅いだことがあるのか、那智は思い出すことができないまま、永霞のあとを着いていった。


 灯華仙にはいくつもの客間があった。来客によって決まった部屋へ案内される。永霞たちが招かれたのは、あまり歓迎されていないことが分かる造りの間だった。
「お客様をお連れしました」
 大きな扉の前で従者が声をかけると、中から蒼雫の返事が聞こえた。室内から別の従者が扉を開け、永霞たちをいざなった。
 広い室は白い木材でできており、床には扉から真っ赤な絨毯がまっすぐに伸びていた。
 その先に、高い台座の更に上の、派手な椅子にふんぞり返る蒼雫の姿があった。彼女の前には座布団が置いてある。「客」にはそこに座れという意味だ。
 永霞は無礼者に払う礼儀はないと、大股で絨毯の上を早足で進んだ。那智は遠慮がちに着いていく。
「蒼雫。説明してもらおうか」
 永霞は座布団を踏みつけ、上から見下している蒼雫に挨拶もせずに大声を出した。
 蒼雫はふっと鼻で笑い、足を組み換える。
「あらあら、ご用があると聞いたから通してあげたのに、いきなり何を、わけの分からないこと仰っているのかしら」
「白を切るな。才戯に何をした。すぐに術を解け。そして納得のいく理由を説明してもらおうか」
「白を切っているのは、どちらかしら」
「なんだと?」
「何もご存じないの? あなたのご子息が、一体何をしたのか……」
 何の説明もせず、まるで才戯が一方的に悪いかのような蒼雫の態度に、永霞はいい加減、切れそうになる。
 蒼雫の微笑みには、明らかな敵意がこもっていた。永霞は彼女を強く睨み付けていたが、だんだん、自信がなくなっていく。
 何があっても才戯を守ると決めている。今も、これからもそれは揺るがない。
 しかし、かっとなってここまで来たが、「敵」を目の前にして、もしかすると才戯が何か悪さをしたのではと、その可能性を見出していたのだった。
「……永霞様?」
 目を泳がせていた永霞の背後から、心配そうに那智が声をかけた。永霞ははっと顔を上げる。それでも、すぐに言葉が出なかった。
 蒼雫とは何度か言い合い、喧嘩もした。お互いにできるだけ関わらないようにしてきた。今更、蒼雫からこちらにちょっかいをかけてくるとは思えない。それに、不本意に顔を合わせてしまい口汚く罵りあい、多少手が出てしまうことがあっても、大抵はその場限りでさほど後腐れはなかった。
 なのに、蒼雫がここまでする理由は一体何なのだろうと、永霞は改めて考える。
 蒼雫を怒らせるのは簡単だ。そんな彼女の中で、一番許せないこととは? 彼女が一番大事にしているものとは……?
 ――「娘」だ。
 普段は何をしていて、どんな性格でどんな容姿なのかも、何も知らない。確かなのは、才戯と同じ日に生まれたということ。そして、蒼雫がこの世のどんな宝石よりも大事に大事にしているということ。
 もし、その彼女の「宝」に、才戯が関わっているとしたら……。
 永霞に嫌な予感が走った。それは体を二つに割いてしまいそうなほど、強い衝撃だった。
 まさかまさかと、早まる鼓動を抑えながら、永霞はやっと口を開いた。
「……本当に、何も知らない。だからここに来たのではないか」
 明らかに勢いの落ちた永霞に、蒼雫は底意地の悪い笑顔を向けた。
「そう……やっぱり、愚かな息子の親も、同じく愚かなのね」
 永霞は苛立ち、唇を噛む。背後の那智もむっとしていた。
「あなたのご子息はね」蒼雫は背を伸ばし、さらに永霞を見下す。「夜な夜な、人目を忍んで私の大事な娘のところへ通っていたのよ」
 永霞と那智が同時に目を見開いた。
「う、嘘だ!」永霞は咄嗟に叫んだ。「出鱈目を! どうやってこんなところまで通うというのだ。才戯はそんな術も能力も持っていない。確かに問題を起こすことはあるが、子供のすることに過ぎない。なんの証拠があるというのだ!」
「証拠?」蒼雫は口の端を歪め。「そのガキが、子の刻に娘の庭に現れたのよ。それを捕え、罰を与えた。返してあげただけ有難く思いなさい」
「そんな話が信じられるか! 才戯はいつも通り、自分の部屋で眠ったのだ。どうやって短時間でここまで来れるのか、貴様に証明できるのか!」
「まだ分からない? 深夜、そのガキがここにいて、私が直々に罰したの。それがあんたの息子じゃないなら話は違うけど、本物なのでしょう? それが証拠よ」
「……それじゃあ、貴様はどうやって才戯がここに来ていたのか、何も聞いていないのか?」
「聞いてどうするの。招いても、許可もしていない害虫が灯華仙に侵入し、娘と会っていた。それだけで重罪よ。どんな理由があっても、罪が軽くなることはないの」
「む、娘は? 貴様の娘は何と言っているのだ」
「さあ」蒼雫は目を細め。「話してないから知らないわ」
「なんだと? せめて理由くらい聞いたらどうなんだ」
「しつこいわね。聞きたいならあんたの息子に聞けばいいでしょう」
「それすらできなくしたのは貴様だろうが!」
 蒼雫にいつもの気取った態度はなく、本気で怒っていることが伝わってくる。永霞は理不尽さを抱き、拳を握った。
 二人の母の言い合いは迫力があり、那智は怯え震えていた。そのあいだも才戯は静かに眠っていた。安らかな寝顔も、このまま目を覚まさなければ死体も同然。那智は勇気を出し、背後から永霞に声をかけた。
「永霞様……才戯様をお助けする方法を……」
 永霞は我に返り、眠る才戯を見つめた。蒼雫の言うことが本当なら、何かしら罰が下るのは覚悟しなければいけない。だがなぜこんなことになったのか、何も分からないまま死なせるのは残酷すぎる。
「……分かった。才戯は確かに、ここに来ていたのだな。貴様の話を信じる。必要なら頭も下げる。だから、才戯の呪いを解いてくれ。話もできないまま、息子を見捨てるなんて、できるわけがないだろう」
 語気を弱めた永霞に、蒼雫は不適に顎を上げ、笑みを消した。
「そうね。私も同じ年の子を持つ親だもの。気持ちは分かるわ……何があったのか、これから何が起こるのか、すべてを受け入れる覚悟があるなら、考えてあげる」
 永霞は蒼雫の強引なやり口に我慢ならなかったが、今は息子の命がかかっている自分のほうが立場が弱い。そうなったのも、彼女の言うとおり、才戯がここにいたからとしか考えられない。永霞は目を伏せ、頭を下げた。
「頼む……才戯を、助けてくれ」
 那智も言葉はなかったが、一緒に頭を下げる。
 すると蒼雫が再び微笑んだ。
「では、ご子息に、私の足に口付けさせなさい」
 永霞は耳を疑い、顔を上げた。
「……なんだと?」
「聞こえませんでしたの? 私の足の、爪先に、口付けなさいと言ったの」
 蒼雫はまた足を組み換え、伸ばした足の指先を永霞たちに向けた。
「そうすれば呪いを解けるわ。簡単でしょう?」
 永霞はあまりの屈辱に体を震わせる。だが、嘘ではないと思う。そうすれば、才戯は目覚める。
「……那智、才戯を」
 怒りで声がうまく出ない永霞だったが、那智から才戯を受け取り、しっかりと抱えた。
「永霞様。私がやります」
「いいや。私がやる」
 永霞は那智の顔を見ず、蒼雫の座る台座に向かった。蒼雫は足元に歩み寄ってくる彼女たちを、冷たい目で見つめている。永霞は否が応にも蒼雫に跪く形になり、抱えた才戯の頭を支え、無抵抗の少年の顔を他人の足先に近づけた。
 那智は見ていられず、目を逸らす。それでも才戯が助かるならと、永霞の勇気が報われることを祈った。
 僅かに、才戯の唇が蒼雫の爪に触れた。永霞はすぐに永霞から離れて才戯を床の上にそっと寝かせて様子を伺った。那智もすぐに駆け寄り、祈りながら見守る。
 才戯の口から、魂が抜けるかのように薄い煙が抜けていった。呪いが解けた証拠だった。
 才戯は瞼を揺らし、小さな声を漏らした。
「才戯!」
 永霞が呼ぶと、才戯は数回瞬きし、永霞と那智の顔を交互に見つめる。
「才戯様……大丈夫ですか?」
「ああ……なんか、頭が痛い」
 才戯は弱々しく返事をし、怪我をしていた頭部に手を当てたあと、大きなあくびをする。
 那智は安堵し、泣きそうになっていた。永霞もほっと息を吐き、力が抜けたように両手をついて頭を垂れた。
「――安心するのは早いんじゃなくて?」
 そんな一同に、蒼雫が透かさず水を差してくる。
「誤解なさらないでね。私はご子息を許したわけではないのよ。ただ、一時的に生き永らえただけかもしれないってこと、ご理解なさってる?」
 永霞と那智は再び緊張した。
 意識の戻った才戯は蒼雫の顔を見て何があったのかを思い出し、怪我の痛みも忘れて息を飲んだ。




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