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 麻倉家が統治していると言っても過言ではないこの町へ、才戯はたまに足を運んでいた。暗簾に用があってではなかった。彼に用があるときは、むしろこんな人の多い場所で顔を合わせることはできない。鬼火を使って呼び出すことがほとんどだった。
 とは言っても、今まで才戯から彼に接触するときは、酒に付き合えだとか、美味いものを持ってこいだとか、そういった些細なことばかりだった。才戯から声をかけてくること自体数は少なく、そういう要求に暗簾が応えてくれるのは半々の確率であり、今回のように二日連続で顔を合わせることはじつに久しいことだった。
 そう、二人がまだ「兄弟」だったとき以来である。
 才戯はあまり町人に顔を覚えられたくないというのもあり、この町へはそれほど近寄ってはいなかった。暗い夜なら顔も見えにくいし、時間によって周囲が酔っ払いだらけになる場所になら、ちょくちょくふらついてみたこともあった。だが、つい機嫌がよくなって大盤振る舞いしてしまったり、絡んだり絡まれたりで大喧嘩してしまうこともあり、最近は自粛気味だった。相手がそれなりに名のある人物だったときが困るからである。今のところ難は逃れてきたが、目をつけられてからでは手遅れなのだ。そのことも、暗簾から痛いほど注意されてから考えるようになっていた。
 そういうこともあり、才戯はそれほどこの町には詳しくなかった。庶民が出入りしやすい店をいくつかと、人の少ない寂れた神社や資材置き場くらいだった。
 平日の午前でも町は人で賑わっていた。二人はまず質素な朝餉を取り、これと言って話も盛り上がらないまま商店街へ向かった。
 地主である麻倉家を筆頭に、商売の栄える町だけあって様々な店が立ち並んでいる。りんは賑やかで活気のある町並みに目移りさせながら才戯の後を着いてきていた。
 必要なもの、と言っても、今まであるもので適当にやり過ごしてきた才戯に欲しいものはとくになかった。今度の屋敷には、ただ雨風を凌げるだけの祠よりもよほど物が揃っている。むしろ使えないゴミの方が多いほどだった。
 越したばかりであり、りんとも昨日出会ったばかりだ。人間らしく生活するために何が必要かなんてすぐに思いつかない。今日のところは彼女が欲しいものを勝手に選ばせようと思う。
 しかし、りんはこの性格である。自分からあれこれ欲しいとは言わないだろう。暗簾から多少の金子はもらったようで、なぜかそれを才戯に渡そうとしてきた。何のために暗簾が渡したのか考えろと突き返し、私物にのみ使えと伝えた。今後も足りなくなったり、手持ちがなくなったらすぐに言うようにも、強く言い聞かせておいた。
 それを彼女が実行するかどうかの不安は残る。欲しいものも言ってこない気がする。歩きながら、それでは困ると才戯は思った。
 新居に何が必要か、自分で考えてみる。
 ――しかし、それでは意味がないと、すぐにやめる。極端な話、男は野宿でも生きていけるのだが、女には宿以外にも身を守るための小道具が必要らしい。それがなんなのかまでは、才戯は知らない。教えてもらおうとも思わない。だから本人に何とかしてもらうしかないのだ。
「おい」才戯は足を止め、りんに向き合う。「もしも、何もない場所で暮らさなければいけなくなったとしたら……何が欲しいと、お前は思う?」
 彼女に物事を要求するのはいちいち骨を折る。だから才戯は別の形で情報を引き出すことにした。
 りんは目を左右に動かしてしばらく考えた。
 その時間は短かったが、すれ違う町人がたまに二人を横目で見ていく。驚くほど目立つわけではないのだろうが、たぶんどこかが常人と違うのだろう。
「……えっと」りんはぽつりぽつりと答え出した。「灯り、寝具……火鉢……」
「よし」
 最後まで聞かず、才戯は再び足を進める。りんは戸惑いながら後を追った。
「今思いついたもの、全部買え」
「え、そんな」
「それが終わったら、後はお前が一人で使うものを買いにいけ。いいな。遠慮してるつもりなら、わざわざ俺をここまで連れ出して、結局何も収穫なしで無駄足にさせるほうがよっぽど酷だからな」
 それ以上は有無を言わせず、才戯は行灯あんどん屋を目指した。




 まずは行灯を二つ入手し、一旦人のいない路地に入った。これだけでも抱えて帰るのは面倒だと思った才戯は、買ったものの数だけ鬼火を出し、それらに運ばせることにする。
 鬼火に手足はないが、体の端々をうまく変形させながら物を掴むことができる。しかしそれでは、空中を行灯が浮遊している状態になり、人目につけば騒ぎになる。だから才戯は鬼火に物を飲み込むように命令をした。緑のそれが、人の頭くらいの大きさの行灯を包み込むように体内に納めると、その分だけ膨らんだ。鬼火が飲み込める大きさに限りはあるが、人の目に映らない鬼火の体の中に行灯を隠して運ばせることができるのだった。
 本音では、こんなことで鬼火を出すのは抵抗があった。容易い妖術ではあるのだが、それなりに妖力を削られる。最近続けて使っているのもあったし、人間の体に宿せる妖力は決して膨大ではない。昔と同じつもりでいると痛い目を見るのだ。休めば力も回復するのだが、その場で伴う疲労感は決して気持ちのいいものではない。
 しかし、それをりんに見せてしまえば、また変な気を遣わせてしまうことになる。だからと言って、重い荷物を抱えて帰路を辿るのも、彼女は平気ではいられないだろう。今日の買い物が終われば、後は少しずつ揃えていくことになるはず。だから今だけは少し無理をしようと、才戯は気合を入れた。
 その隣で、何もかもを彼頼みしかできない自分を、やはりりんは申し訳なく思っていた。才戯の体のことも、妖力のことも分からないが、自分さえいなければこんな手間を取らせることはないのだから。
 だが、「もういい」と口に出す勇気は出なかった。言ってしまえば、彼への罪悪感はなくなるのだろう。同時に、彼とも別れることになる。だから、言えなかった。どうして才戯はここまでしてくれるのか、納得のいく理由は聞いていない。それもまた、聞く勇気がなかった。昨日まではただ何も分からず、こんな自分に優しくしてくれる彼らへの感謝の気持ちだけで一杯だった。しかし、罪悪感が募れば募るほど、りんの中で「離れたくない」という気持ちが生じ始めていた。正確には、「捨てられたくない」なのかもしれない。なんにせよ、そんな我侭な感情を誰にも知られたくなく、りんの少ない感情は奥へと押し込まれつつあった。




 二人は一刻ほど買い物を続け、町の端にある河川敷で腰を下ろした。あまり物を欲しがらないりんだったが、遠慮しすぎると逆に怒らせてしまうことを学習しており、「何もない場所で欲しいと思う物」を一通り揃えることができた。
「今日はこんなものでいいんだな」
 疲れた才戯は、草の上に横になった。紐でぐるぐる巻きにされた布団を頭の下に敷き、一息つく。寝具はさすがに鬼火の腹の中には入らなかったため、才戯が抱えていくことにしたものだった。
 隣でりんが「はい」と返事をする。
「じゃ、ここで待ってるから、お前は一人で欲しいものを買ってこい」
「はい」
「時間がかかるようだったら一回戻ってこい。ああ、金が足りないとかでも、すぐに言いにこいよ。わけの分からないことでグズグズしたら置いていくからな」
 言いながら、才戯は瞼を落とす。内容は有難いことなのだが、言い方がきついのは彼の癖である。りんはしっかりしなければと自分に言い聞かせながら、足音を潜めて大通りへ一人で歩いていった。
 戻ってくるまで少し眠るつもりだった才戯は、ふと目を開けた。視界には晴れ渡った空が、高い位置に広がっている。商店街ほどではないが、河川沿いの道にも人通りはある。耳に届く人々の雑音を聞きながら、しばらく澄んだ空気を味わった。




 りんは購入した最低限の私物が入った包みを胸に抱え、女性ものの着物や小物の集まる店をうろついていた。最初は一人で不安だったが、周囲に女性が多かったのと、必需品以外の雑貨などを眺めているうちに緊張はほぐれていっていた。
 あまり才戯を待たせてはいけないと、華やかな店に後ろ髪を引かれながら彼のところへ戻ろうと道へ出た。
 思っていたよりも手持ちが少なくなってしまったことが気になり、再び笑顔を消した。やはりこのままではいけないと思う。消耗品はいずれまた必要になるし、生きている限り食べなければいけないのだ。まったく収入源がない状態では、何もかもを才戯の世話になるしかない。いつまでもそうしていられるわけではない。だけど、いつ自分の記憶が戻るのか、いつ帰る場所が見つかるのか、何も見えない。まだ一日も経ってないのだが、恐怖に似た不安が途端にりんを包み込んだ。
 足取りが重くなりとぼとぼと歩いていると、いつの間にか裏路地に入りこんでしまっていた。
 りんは顔を上げ、辺りを見回す。道を間違えたことに気づいて大通りに戻ろうとする。周囲に人はいなかったが、賑わう商店街の気配はそう遠くなかった。足を早めていると、思いがけず横道から声をかけられ、りんは立ち止まった。
「姉さん、姉さん」
 髷を結った中年の露天商がりんに手招きをしていた。人を疑うことを知らないりんは首を傾げながら男に近寄っていく。
 男の隣には、唐草模様の布がかけられた簡素な台があり、その上には色取り取りのかんざしが並べてあった。りんは男よりもかんざしに興味がいき、少し腰を折って目を奪われていた。
「ここらではあまり見かけないね」
 男は馴れ馴れしく話しかけてくる。商売人なのだから人当たりがいいのはおかしくないのだが、こんな裏道で店を開いていること自体が怪しい。しかしりんにはいい悪いの判断が、一人ではできない。
「最近越してきたのかい? それとも旅の途中かね」
 男の問いに、りんはきょとんとした顔をするだけで答えなかった。その態度に、男はかすかに目を光らせた。りんが「普通」ではないと勘付いたのだ。
 身につけている着物はそれなりのもののようだが、髪は結わず、化粧も飾りもない。事情までは分からないが、彼女の表情や雰囲気で、「頭がいかれている」か、少なくとも「まともではない」ことは読み取れたのだ。りんが子供ならこの反応も違和感はないだが、見た目は大人の女性である。しかも、類稀なる美女――これは、金になる。
 男は表向きは露天商の振りをして女性を誘拐し、人身売買に一躍買う悪人だった。りんほどの女性が挙動不審かつ無防備にうろついていれば、嫌でも目につく。かんざしには興味を示すが、話しかけても返事はしない。連れらしき人物も見当たらないとなれば、逃す手はなかった。
「綺麗だろう」男はかんざしを指し。「どれか気に入ったものはあるかい?」
 りんはただ商品を見るだけ見て、すぐに戻ろうと考えているだけだった。欲しくないといえばウソになるが、無駄遣いをするわけにはいかない。
 そう思いつつ、右端にある大きな白い牡丹をあしらったかんざしに目がいってじっと見つめてしまう。それに気づいた男がさっと牡丹のかんざしを取り上げ、りんに差し出した。
「これ? いいね。あんたに似合うと思うよ。つけてみるといい」
 男は言いながら、強引気味にりんの頭に近づけてきた。
「……あ、あの」りんは慌てて。「いえ、いいです」
 彼女が口が利けないわけではないこと、遠慮することは知っているようだと分かったが、男はまったく動じない。肩を縮めて足を引くりんの左耳にかけるようにして、慣れた手つきでかんざしを差し込んだ。
「ほら。やっぱりよく似合う。花が大きめだからつける人を選ぶものだけど、あんたみたいな美人に出会えて牡丹も喜んでいるようだ」
 心にもない言葉を並べておだててくるが、りんは素直に喜べなかった。欲しくても手に入らないものなのだ。これ以上長居するとまた迷惑をかけてしまうだけ。りんはそっとかんざしを取って俯いた。
「……ごめんなさい。私、こんなものを買える身分ではないのです」
「は?」
 まるで分かっていたかのように、男は途端に口を歪めた。りんはビクリと体を揺らす。
「……ごめんなさい。これは、お返ししますので」
 頭を下げてかんざしを男に渡そうとするが、男は態度を一変させてため息を吐いた。
「何言ってんの? そうはいかないよ」
「……え?」
「一度差したかんざしには髪の油がつくんだ。もうそれは売り物にならないからね、買い取ってもらわないと」
「そ、そんな……」
 男が無理やり差したことに文句も言えず、りんはおろおろと懐を探った。今まで回った店では、商品を見るだけで指一本触れてこなかった。そんなものだったのか、知らなかったと、りんは仕方なく残り少ない手持ちで支払うことにする。
「払うの? あ、そう。じゃあ」男は台の下から算盤を取り出して、弾いて見せる。「これだけね」
 その数字を見て、りんは真っ青になった。平民の持つかんざしとはかけ離れた金額だったのだ。
「そ、そんなにするんですか?」
「当たり前だよ。ここに並んでいるものは全部高級品なんだ。そんなことも知らないで物色してたのかい?」
 りんに物を見る目はあった。確かに牡丹のかんざしは目を引かれたが、素材も造りも並のものにしか見えない。納得はいかないが、凄みを利かせてくる男相手に口答えなどできるわけがなかった。
 どうしよう。りんは汗を流した。残りを全部出しても、とても届かない。謝って許してもらえるだろうか。最悪は、この場は才戯に頼んで凌ぐしか方法はないのかもしれない。しかし必要なものならばともかく、こんなことで彼に更なる負担をかけてしまうなんて許されないことだと思う。
 だけど他に方法を何も思いつかない。震え出すりんの腕を、男は強く掴んできた。
「払えないのか? だったら、金を貸してくれるところを紹介してやるよ。来い」
 りんは悲鳴も出ないほど縮み上がった。
「金がないならないなりの身の振りってもんがあるだろ? あんたも大人だ。ごめんなさいじゃ済まされないことがあるってことくらい知ってるだろう」
 りんは少しだけ抵抗したが、それ以上の強い力で腕を引かれ、倒れそうになった。「助けて」と大きな声を上げたかったが、できなかった。
 そうだ、これが一文無しである自分の、正当の扱いなのだと、そんなことを思ってしまったのだ。才戯と出会えたことは偶然だっただけで、いつまでも甘えていられるわけではない。家族も宿もない自分にできることは限られているが、できることがあるならそれに従事しなければいけない。そうしている者は、きっと少なくない。
 これで、温和な時間は終わった。
 りんは覚悟を決めて、強く目を閉じた。
「おい、おやじ」
「――――!」
 りんは閉じた目を見開く。
 そこに、不機嫌丸出しの才戯が歩み寄ってきていた。あまりの大きな安堵感に、りんの頭の中は真っ白になっていた。男は瞬時にして嫌な予感を抱き、すぐにりんの手を離した。
「なんだ、お前は」
「それ、俺の連れなんだけど、どうかしたのか」
 淡々とした口調だったが、明らかに苛立っている。男は気まずそうに眉を寄せた。
「この女が、商品を盗もうとしたんだ」
 りんは再び青ざめる。違うと言いたかったが、声が出なかった。
「あんたの女か。こんな貧しい思いさせて、みっともないねぇ」
 男はりんの誘拐を諦めたらしく、途端に悪態をつき始めた。
「とにかく、責任は取ってもらうぜ。払えないんなら、この女に払ってもらうからな」
 隣でりんは何度も首を横に振っていた。彼女が盗みを働いたなんて真に受けるわけがない才戯は、無表情のまま懐を探った。そこから小判を二枚取り出し、男の足元に投げ捨てる。
 男は目を丸くして、恥もなく膝をついてそれを拾い上げた。
「足りるか?」
 見下ろして才戯が言い捨てると、男は笑顔になった。
「へえ。足りるどころか釣りが来ますよ」
「一つじゃなくて、そこにあるの、全部だ」
「へ? へえ。十分です。お代さえ払っていただければいくらでもお渡ししますよ」
 男は逃げるように腰を上げる。
 ヘコヘコとへりくだる男の目の前で、才戯は突然拳を振り上げた。
 そして、堪忍袋の緒が切れたかのように、商品の並んだ台を粉々に打ち砕いてしまった。
「な、なにを……!」
「俺が買い取ったものだ。文句あるか」
「いえ……」
「釣りが出るだろ?」
「へ、へえ。今……」
 怯える男は才戯の不可解な言動に付いていけず、混乱していた。才戯はそんな男の襟首を掴みあげる。
「は……!」
 男は逃げる間もなく、商売道具と同じように才戯の容赦ない鉄拳を食らい、口と鼻から血を流しながら、大きな音を立てて叩き壊されたものの上に倒れてしまった。
「……残りは、治療費にでも使え」
 才戯の言葉は、既に気を失っている男には聞こえなかった。何とか憂さ晴らしができた才戯は呼吸を整えたあと、りんに目を移した。りんはただ呆然と突っ立っており、彼と目が合ってはっと我に返った。
 騒ぎを聞きつけ、いつの間にか遠巻きに人が寄ってきていた。この男はたまに道端に現れて人をさらうヤクザ者だったため、批難してくる者はいなかったが、これ以上目立ちたくなかった。
「行くぞ」
 才戯はりんに言いながら、腕を引く。その手には、牡丹のかんざしがしっかりと握られていた。



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