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 シスレ街。ここはアストールの中心にある、大手のショッピングビルや飲食店が立ち並んでいる大都市。いつもいろんな人が溢れ、賑わっている。ヴァレルからも近いこの街には、休日を楽しむ冒険屋の姿も珍しくなかった。  とあるビルの谷間にある女性に人気のキュラス・カフェは、今日も若者のたまり場になっている。その一角で、エスと同業者のセラが向き合ってボックス席のテーブルを散らかしていた。空になったコーヒーカップや使い残したスティックシュガー。こまめに片付ける気はない。彼女らに限らず、この店ではよくある光景だった。
 エスは食べかけのパフェをマドラーでかき混ぜながら眉を寄せている。
「ほんっと、信じられない。女の子を何だと思ってるのかしら」
 向かいで、セラはケーキをつつきながら片肘をついている。セラはエスより少し年上であり、ヘアマニュキアやパーマで痛んだ短い金髪がどこかすれた雰囲気を演出している。二人とも、雑誌に載っていそうな派手で露出度の高い服で、そのスタイルのよさを強調している。特別に目立つわけでもない。周囲も同じような女性がたむろっているからだ。
「デートしてあげてるだけでも有難いと思って欲しいわ。なのに、あたしが隣にいるのに、他の女に気を散らすし、文句言ったらすぐ『やらせろ』だもん。他に考えることないのかしら」
「って言うかさあ」セラは無表情でため息をつく。「めんど臭いからさっさと付き合っちゃえばいいじゃん」
「……そ」エスは慌てて顔を上げる。「そうはいかないわよ」
「なんで? 最近あんた、ブラッドの話ばっかり。惚気でも愚痴でもいいけど、付き合ってもないのに、聞かされるこっちはコメントしようがないのよね」
「だ、だって」エスは顔を赤くして目を逸らす。「あいつが構ってほしそうだから相手してやってるのよ。なのに、すぐ調子に乗って図々しく……」
「嘘ばっかり」セラは素早く遮る。「あんたたち、ほとんど恋人じゃない。なんでちゃんと付き合わないのよ」
「な、なんでって……」
「そう言いながら、ブラッドが他の女と付き合ったらどうするの。焦るでしょ? そうなってから追っかけても遅いのよ」
「あいつが他の女と? そんなの」
「あり得ないって、言い切れる? いくらブラッドがお人好しだからって、今のあんたには彼を束縛する権利はないんだから。他にいったって文句は言えないのよ」
「そうだけど……」
 エスは俯いてしまう。素直に認めるのは悔しかった。セラは再びため息をつく。
「一体何に拘ってるのよ。ま、今まではあのカイル様がぴったりくっついてたから分からないでもなかったけど、もう邪魔者はいなくなったわけだし」
「じゃ、邪魔者なんて言わないでよ」
「なんで?」セラは意地悪そうに口の端を上げる。「もしかして、あんたとカイルができてるって噂は本当だったの?」
 俯いたまま黙ってしまうエスの態度に、セラは目を丸くする。
「マジ? だったら、笑っちゃう」
「なんでよ」エスは顔を上げる。「で、できてたわけじゃないけど……」
「なるほどね。あんたが惚れてたんだ。で、カイルが死んだから寂しさしのぎにブラッドを利用してるってわけね。サイテー」
「違う」エスはつい大声を出す。「だから、そう思われるのが嫌だから……!」
 エスはしまった、と口を閉じる。セラと目が合う。セラはエスの心の中を探るような鋭い眼差しを向けた。エスはそれに捕らわれ、息を飲んだ。
「そっか」セラは目を細めて。「あんた、男を知らないんだ」
 エスの体が固まる。セラは見下したような笑みを浮かべた。
「笑える。いっつもチャラチャラして見栄っ張りのあんたが、未だにバージンだったなんて。もしかしてとは思ってたけど、それでよく男を語れるわね」
「あ、あんたには関係ないじゃない」
「恵まれた女よね。ある意味、羨ましいわ」
「どういう意味?」
 セラは椅子に深く座りなおし、改めてエスを見据える。
「処女ってことは、まだ『そういう』仕事はしたことないのよね?」
「そういう、って?」
「あんた、マザーを何だと思ってるの? 『女』の組織よ。『女』を使った仕事に決まってるじゃない」
「女の……」
「ただし、処女にはそういうの、回ってこないようになってるのよ。それはマザーの恩恵。それでも大抵の者は、義理でも適当に『初めて』なんて捨てて、女の仕事を取ってるわ。生きていくためにね」
「あんたも、そうなの?」
「当たり前でしょ」
 セラの目が厳しくなる。
「大体、そんなもの、大事に取ってるやつの方が珍しいわよ。どうせいずれはあんたも『こっち側』に来なきゃいけないんだから、さっさと片付けたら? もうあんたの体を守ってくれる『白馬の王子様』もいなくなったのよ。いつまでも自分ひとりだけ綺麗でいようなんて、夢を見るのも大概にしなさいよ」
 エスはむっとする。セラは口が悪く、いいことも悪いこともはっきり言うタイプだった。敵も多かったが、人に媚を売らない堂々とした彼女が好きだった。今まではそれが気持ちいいと思っていた。だが、今回はエスの神経を逆撫でする。わざとそうしてるとしか思えない。なんで、と疑問を抱く前に、エスは「何も知らないくせに」とセラに敵意を向けた。
「な……なんで、あんたにそんなこと言われなくちゃいけないのよ」
「忠告してやってるのよ」
「…………?」
「あたしね、今、内部管理の昇格会議にかけられてるの」
「……え」
「それが決まったら」セラは体を少し前に倒し。「一番最初に、あんたに『そういう』仕事を回してあげるわ」
 エスは背中に寒気が走った。額に汗が伝う。セラは続ける。
「あんたが処女だろうが関係ない。断る権利も与えないわ。だから、今のうちに、夢のようなロストバージンを経験しとくのね」
「……セラ!」
 エスは身を乗り出し、セラの髪の毛を掴み上げる。
 店内が騒然とし、二人に注目した。頭に血の上ったエスはセラを睨みつける。
「そんなこと……許さない」
 セラの顔からも笑みは消えている。負けじとエスの胸倉に掴みかかる。
「あたしにたタメ口きけるのも今日までよ。これからは嫌われないように、せいぜい気を遣うことね。ま、土下座して足を舐めたくなかったら、だけど」
「できるものならやってみなさいよ。何様のつもりよ。あんたが本当にふざけたマネするっていうなら、こっちだって黙っちゃいないからね」
「ハ! 処女に何ができるってのよ」
「殺してやる!」
 エスはセラの髪を離し、拳を握る。目を吊り上げ、殴りかかるが、セラはそれを躱し、テーブルに乗り上がりエスを椅子ごと倒す。セラは彼女の上に馬乗りになり、顔を寄せて、呟く。
「あんたを一人前の『女』にしてあげる」
 セラは冷たい笑顔をエスに突きつける。
「それも上司の仕事」
 エスの顔が青ざめる。セラは勝ち誇ったように頬を緩め、仰け反って声を上げて笑った。
 そこに、おびえた店員が上擦った声をかける。
「お、お客さま……他の方の迷惑になりますので……」
 我に返ったように、セラが店員に目を移す。改めて周囲を眺めると、取り巻かれ、珍しいものを見る目に囲まれていた。セラは何もなかったように立ち上がり、自分のバッグを片付け始めた。
「ごめんなさい」店員に笑顔を向け。「はい、迷惑料」
 そう言って、財布から札束を出し、店員に投げつける。未だに床に倒れたままのエスに見向きもせずに、セラは鼻歌を歌いながら店内を後にした。
 残されたエスはゆっくり体を起こしながら、恐怖に体を震わせていた。


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