SheepieGirl



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「ティシラちゃん!」
 ある日、クルマリムの町でのんびり買い物をしていたティシラは突然甲高い声で呼び止められて振り返った。
 そこには、ティシラと同じくらいの少女が大きな金の瞳を見開いて手を振っていた。
 ティシラも同じように赤い目を見開き、彼女を指さして大きな声を上げた。
「シーピー!」



 彼女の名はシーピー。
「私の幼馴染なの」
 ティシラは一緒に買い物に来ていたサンディルに少女を紹介した。
 シーピーは魔女の母親を持つ悪魔で、羊のようなふわふわの白い巻き髪が特徴だった。それ以外に変わったところはないが、ボリュームのある髪の下には鋭い角がとぐろを巻いている。普段は隠しているため、一見は人間と変わりなかった。
 サンディルが驚いたのは、魔族がこんな昼間に人間に紛れて存在していることより、ティシラにこんな親しそうな幼馴染がいたことだった。
「どうしてこんなところに?」
 ティシラが目を輝かせて尋ねると、シーピーも割れるような笑顔になる。
「ティシラちゃんを探してたのよ!」
「ほんとに? 会いに来てくれたの?」
「そうよ! 元気そうでよかったわ」
 ティシラは感極まってシーピーに抱き着き、浮足立ちながらサンディルに向き直った。
「ねえ、シーピーと話がしたいわ。先に帰ってて」
 サンディルは買い物袋を受け取り、ゆっくりと帰って行った。


 二人は近くの公園のベンチに腰掛け、再会を喜んだ。
「ほんとに久しぶり」シーピーは優しくティシラの頭に触れる。「相変わらず可愛いわね」
「シーピーも相変わらずおしゃれだわ」ティシラも彼女の特徴的な髪に触れ。「私、あなたの個性的なファッションに憧れていたのよ。パパとママに怒られるから真似はできなかったけど、ほんとよ」
「魔界のお姫様だものね。でも今は自由なんじゃないの?」
 そう言われ、ティシラは気まずそうに目を逸らした。
「まあ、自由といえば、自由だけど……」
 ティシラがそうする理由は分かっている。シーピーは少々いたずらっぽく目を細めた。
「駆け落ちしたんだって? しかも二度目の家出」
 ティシラはぎくりと肩を揺らす。
「ち、違うの……それに、二度目って言われても、私は……」
「分かってるわよ」シーピーは再び無垢な笑顔を浮かべた。「あなたが魔界に帰ってきて、元気になってから……私のことまで分からなくなってたときはショックだったわ」


 ティシラが幼少のときから、シーピーとは親しかった。広い城には親子三人しかいない。両親が留守のとき、ティシラの相手をしてくれるのは言葉の通じない子鬼ばかり。いくら数が多くても、ティシラの好奇心を満たしてはくれなかった。
 そんなとき、アリエラの紹介で、ティシラと同じくらい幼い少女、シーピーと出会ったのだった。城の決まった場所で、両親の許可を得ているときは二人だけで遊ぶことができた。
 シーピーの母親はアリエラと同じ魔女であり、友人でもあった。たまたま同じ時期に生まれた女の子同士ということで、二人を引き合わせたのだった。
 二人はすぐに仲良くなった。自由なシーピーはティシラの知らない知識や経験を持っており、いつも先鋭的なファッションで驚かせていた。シーピーにとってティシラは「魔界の姫」という、欲しくても手に入らないものを持って生まれた女の子の憧れそのものだった。そんな彼女が自分の話に素直に懐き、作り話さえ大喜びしてくれる。シーピーはそんな姫を妹のように可愛く思っていた。
 しかしティシラは突然魔界からいなくなってしまった。しばらくして、死んだという噂が流れた。シーピーは何度も魔界の城を遠くから見つめていた。そうしているうちに、ティシラは帰ってきたが、昔のことを忘れてしまっていた。
 シーピーは「たった一人の親友だから」といって、もう一度ティシラと仲良くなろうとした。何も知らないティシラは最初は怯えていた。両親も刺激を与えないで欲しいという態度であまり会わせてくれなかった。それでもシーピーは諦めず、ティシラにプレゼントを渡した。中は自分が一生懸命考えて見繕ったドレスだった。いつもの上品な高級ドレスではなく、シーピーが好むような、カラフルでピエロのようなそれだった。それを見て、暗かったティシラが吹き出していた。人前で着ることは禁止されたが、ティシラはシーピーと二人でおかしな格好をして笑い合った。それで少しでもティシラの冷めた心が温まるならと、両親は二人を見守った。
 そんな時間も長くは続かなかった。ティシラは再び姿を消してしまった。だからシーピーは探しに来たのだと言った。
「私たちは親友だもの。昔のことはもういいの。ねえ、また一緒に遊びましょう」
 シーピーはじっとしていられないように体を寄せ、目を何度も瞬かせた。
 ティシラも子供のように笑い、頷いた。



 ウェンドーラの屋敷に一人でのんびりと帰ってきたサンディルを見て、マルシオが駆け寄ってきた。荷物を受け取りながら首を傾げる。
「ティシラは?」
「友達と再会して、二人で話したいと言っていたから置いてきた」
「友達?」



 屋敷の中に入ると、リビングでクライセンが本を読んでいた。
「なあ、ティシラが友達と会ったんだって」
「へえ」
「誰だろう」
「さあ」
「……魔族かな」
「そりゃそうだろ」
 クライセンは本から目を離さないまま、短い返事で話を終わらせた。
 マルシオはこれ以上彼に聞いても仕方ないと思いつつ、クルマリムの方向に目線を投げた。マルシオは人間の世界に魔族がいることを不安に思わずにはいられなかった。もうティシラのことは信頼している。だからといって魔族のすべてを理解したわけではない。何も起こらなければいいけど、と彼女の帰りを待った。



 ティシラが帰ってきたのは夕方だった。
 頭には見慣れない水玉模様の大きなリボンを付けている。お土産のケーキをテーブルに置いたあと、まだ遊び足りない子供のようにスカートのすそを持ってくるりと回って見せた。
「なんだよそれは」
 マルシオは心配して損したと思いながらため息を吐いた。
「可愛いでしょ? 私の友達が選んでくれたの」
 そう言うが、いつも黒を基調とした服装の彼女のイメージではない。何よりも、女のファッションなんて分からないマルシオでも思う。柄が微妙にグロテスクだと。
「可愛くない」
「なんですって!」
 ティシラは途端に目を吊り上げ、そんなわけがないと玄関先にある鏡に向き合った。いろんな角度から見たあと、眉間に皺を寄せた。
「……あんたもそう思う?」
 どうやらティシラも変だと思っていたようだ。目を伏せてリボンを外し、テーブルの前に腰かけてケーキの箱を開けだした。ケーキは普通だった。しかし夕食前に食べさせるわけにはいかない。マルシオは箱を取り上げて蓋を閉じた。
「友達って誰だよ」
「シーピーっていう悪魔よ。幼馴染なの」
 そこにサンディルがやってきてティシラの向かいに座った。
「友達との再会はどうじゃった」
「楽しかったわ。女の子同士で盛り上がったのなんて久しぶりだもの」
「そうか、それはよかったな」
「それより」マルシオが強い口調で。「悪魔だって? 悪い奴じゃないだろうな」
 ティシラは再度かっとマルシオを睨みつけた。
「私の友達なのよ。どうして魔族ってだけで疑うの」
「どういう奴なのか聞いてるんだよ」
「おしゃれで明るくて素直ないい子よ」
「何しに人間界に来た?」
「私に会いに来てくれたの!」
 ティシラが怒鳴ったところに、クライセンがやってきた。ティシラはいつものとおり、さっと口を閉じて姿勢を正す。
「おかえり、ティシラ」優しく声をかけ、彼女の前にあったリボンを見つける。「それは?」
「と、友達にもらったの」
 ティシラはリボンを手に取り、頭に乗せて見せた。クライセンが微笑むと、やっぱりこのリボンは可愛いかもしれないと、ティシラも笑顔を浮かべる。だが、現実は厳しかった。
「君の友達、趣味が悪いね」
 ティシラはがっくりと落ち込み、マルシオは必死で笑いを堪えた。
 それだけ言うとクライセンは庭の様子を見に外へ出ていった。
「そうじゃ、今日は月下美人が咲く日じゃった」
 サンディルもそう言いながら彼のあとを追うように庭へ足を運んだ。
 テーブルに額を付けていたティシラはさっと顔を上げ、そろそろ夕食の準備をと思っていたマルシオの袖を掴んだ。
「ねえ、このリボン、私に似合ってないわよね」
「はあ?」
 クライセンが絡むとティシラは一層面倒臭くなる。マルシオは嫌な顔をして手を振り払った。
「答えて」
「似合ってないよ」
「ということは」ティシラはもう立ち直った。「趣味の悪いリボンが似合わない私は可愛いってことなんだわ」
 どうでもいいマルシオはさっさと彼女の傍を離れた。



 夕食ができるころ、煌々と輝く満月が屋敷の庭に銀の光を注いでいた。
 こんなとき、サンディルは呼んでもなかなか来ない。ティシラとマルシオも庭に出て、一年の一度だけ、月夜に花開く月下美人を鑑賞することにした。
 夕食が冷める心配を吹き飛ばすほどの美しさだった。
 さすがサンディルが目いっぱいの愛情をこめて育てた花だ。庭を囲む森全体が嬉しそうにそよいでいる。漂う月光を浴びているだけで空腹さえ忘れてしまいそうだった。
 強い魔力を持つこの花は朝焼けすら待つことなく眠りについてしまう。サンディルは我が子の一生を見届けるかのように、いつまでも頭を垂れた花の前から動こうとしなかった。
「そういえば、クライセンは?」
 ティシラが周囲を見回すが、彼の姿はなかった。マルシオは夕食のことを気にしながら玄関を開けて覗いてみたが、気配さえない。
「なんだよ、どこかに出掛けるなら言っていけばいいのに」
 いつものこととはいえ、夕食と重なるとどうしても愚痴が出てしまう。
 やっと顔を上げたサンディルが、今になって二人の存在を思い出したかのように「ああ」と声をかけた。
「先に戻っていてくれ。儂はもう少し……」
「どうしたんですか?」
「いや、月下美人放ったの芳香に誘われて精霊たちが寄ってきているんじゃ。少し話をしようかと思ってな」
 マルシオも精霊との会話に加わりたかったが、空腹のティシラが許さなかった。仕方なく二人で屋敷に戻った。



 時を同じくして、ティシラたちとは違う場所で、精霊と話をしている者がいた。
 クライセンだった。裏庭の、大きな木の下で目を閉じている。
(……聞こえるか)
 精霊のそよぎに混じって、サンディルの声が流れてきた。
(どこか、遠い場所から逃げてきた精霊がいる。恐怖と悲しみで泣いている)
 遠い、人里離れた辺鄙な田舎で誰かが死んだ。
 毎日どこかで人は死に、生まれている。それが自然の摂理なら、ベルカナの魔法使いはすべて受け入れる。
 その法則を乱す輩がいたとしても、それもまた運命。
 そして何かの悪戯で、なかった縁を結ぶ糸が絡まるとしても――それもまた運命。
 クライセンは俯いたまま目を開き、呟いた。
「羊の皮を被った、悪魔……か」




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