SheepieGirl
2
二日後、ティシラは再びシーピーに会うと言って出かけて行った。
それから数時間後、息を切らせて帰ってくるなり、ちょうどクライセンとサンディル、マルシオの三人が揃っていたリビングに駆けこんできた。
「お願い。今日シーピーをこの家に泊まらせて」
ティシラはまた、原色で品のないスカーフを巻いている。
「私の部屋で一緒に過ごすだけでいいの。食事もいらないから。ただ一晩中、女の子だけで遊びたいだけなの」
ティシラが必死でお願いしている理由は、屋敷に入るには結界の張ってある森を抜ける必要があったからだった。シーピーは魔族だ。身分も貴族にあたり、それなりに高等な悪魔である。この屋敷の主人に許可をもらわなくては、仮に忍び込んだところで長い年月を経て積み重なり複雑に絡み合った魔力にどんな反応を起こすか、誰も想像できない。それを理解しているティシラは正直にお願いに出たのだった。
当然マルシオは気に入らない。
「二人で泊まりたいならクルマリムの宿屋でも借りればいいだろ。どうしてここに連れてくるんだ」
「何よ。あんたは居候なんだから口出ししないで」
「俺が居候ならお前もだろ。図々しい真似は控えろ」
ティシラはむっとするが、ここでマルシオと口げんかしても時間の無駄だ。クライセンとサンディルに向かい合い、お願い、と祈るように目を固く閉じた。
「ねえ、シーピーはほんとにいい子なの。魔界にいたときみたいに、私の部屋に呼びたいの。来たときも帰るときもちゃんと挨拶させるから。お願い」
ふて腐れるマルシオを余所に、サンディルはクライセンに目線を向ける。彼は相変わらずの無表情のまま、短く答えた。
「いいよ」
その一言で、ティシラとマルシオが同時に顔を上げる。
「ほんと? ありがとう! 今から呼んでくる!」
マルシオが止める間もなく、ティシラは玄関を飛び出していった。
「おい、本当にいいのか」
やはりマルシオは不満を隠せなかった。クライセンは何でもないように目を伏せる。
「別にいいんじゃないの。もし悪意があったとしても、この屋敷の中じゃ何もできやしないんだし」
そう言われたらそうだと、マルシオは閉口する。屋敷だけではない。ここには魔法王がいるのだ。妙な真似などできるわけがなかった。
サンディルは黙って、息子の判断に任せることにしていた。
しばらくしてティシラが帰ってきた。シーピーと一緒にたくさんの菓子が詰まった袋を胸に抱えている。
「ただいま。みんな、彼女がシーピーよ」
荷物を抱えたまま、ティシラは子供のような笑顔でシーピーを紹介した。マルシオがキッチンから顔を出し、リビングにいたサンディルは腰を上げ、クライセンはソファに座ったまま顔だけ向けた。
シーピーも屈託のない笑顔でペコリと頭を下げる。抱えた袋の中からいくつかのお菓子が零れ落ちていた。
「初めまして。ティシラちゃんの幼馴染で親友のシーピーです。招待してくれてありがとうございます!」
感じのいい挨拶に、マルシオは拍子抜けした。とくに悪魔らしいところもなく、ほんとにティシラと遊びたいだけなら問題なさそうだと思う。
ただ、一同はシーピーの変わった姿には注目せざるを得なかった。綿菓子のような白い髪に、幼稚なアクセサリーを散りばめた服装は、まるで大道芸人のようである。ティシラがもらっていた悪趣味なリボンも、彼女なら納得がいく。そこはかとなく漂う毒々しさも、これほど堂々とされると尊敬に値する個性だと認めることができた。
シーピーは既にティシラの今の家族について話を聞いており、自分から一人一人に挨拶をしていった。
「あなたがサンディル様ですね。とても頭のいいおじいちゃん」
サンディルはまた頭を下げるシーピーに、自分もゆっくりとお辞儀をして返した。
「こないだ町で会いましたな。ティシラがおしゃれで明るくていい子だと言ってたが、その通り、可愛らしい娘さんじゃな」
「ティシラちゃん、そんなこと言ったんですか?」シーピーは頬を赤くしながら。「ティシラちゃんが可愛いから、私はおしゃれして対抗するしかないんですよ。尊敬してるんですから」
それを聞いてティシラも顔を赤くして照れ笑いを浮かべていた。
次にシーピーはクライセンに向き合った。
「あなたがクライセン様。世界一の魔法使いなんですよね」
クライセンはにこりともせず、会釈さえせず「どうも」とだけ呟いた。そんな彼の態度にも、シーピーはまったく怯まない。
「ティシラちゃんが言ってましたけど、想像以上ですね」
シーピーがそう続けると、ティシラが途端に青ざめ、抱えた袋を持つ手に力を入れた。
「すっごくかっこいい、かっこいいって……」
「シーピー!」
やっぱり、とティシラは慌てふためいて悲鳴に近い声を上げた。
「余計なこと言わないの! もういいから、部屋に行きましょう」
「え?」ティシラに体当たりされ、戸惑い。「でも……待ってよ、もう一人……」
取り残されたように突っ立っていたマルシオを見て、ティシラは早口でまくしたてた。
「あれはマルシオ。天使よ、天使。話したでしょ。どうせ愛想悪いし、挨拶なんかしなくていいわよ」
シーピーはティシラに押されてリビングの奥のドアに追いやられていく。それでもマルシオに微笑み、片手を振った。
「髪の色、お揃いですね。でも、あなたのほうがサラサラで綺麗で羨ましい……」
最後まで言えないまま、シーピーはティシラに部屋を押し出されてしまう。
ドアの向こうでもまだドタバタと音が続き、慌てている様子が伝わった。
やっと静かになったリビングで、マルシオだけがブツブツと愚痴をこぼしていた。
「なんだよ、愛想が悪いのは俺だけじゃないだろ。ティシラの奴、影で何言ってるか分からないな」
それでも、シーピーが魔族と言っても魔族らしい邪悪さはなかった。特に疑う必要もなさそうだと、マルシオは気を悪くしながらも、二人のために甘い香りのする紅茶のセットを用意し始めた。
クライセンは二人の騒がしさには一切反応しなかったが、青い瞳にはあまり好意的ではない光が燻っている。ソファに腰を降ろしたサンディルは、そんな彼の様子を見つめるだけで、何も言わなかった。
*****
ティシラの部屋に入ったシーピーは、可愛らしい装飾の内装に目を輝かせていた。荷物をおろし、窓の外を覗いたり、フリルのカーテンで囲われたベッドに寝転がったりしてはしゃいでいる。
「ティシラちゃんの部屋、可愛い! お城の部屋も広くて豪華だったけど、私はこっちのほうが好きだわ。お人形さんの部屋みたい」
ティシラはヘソを曲げており、お菓子袋を乱暴に置いて頬を膨らませた。
「もう、なんであんなこと言うの」
「え? 何が?」
「クライセンのこと……」
シーピーは体を起こしてベッドに腰掛け、きょとんと首を傾げた。
「かっこいいって言ったこと? どうして? 本当のことだし、それに、ティシラちゃん、彼と恋人なんじゃないの?」
うっ、とティシラは声を詰まらせ、汗を流した。
先日、どうして人間界にいるかと訊かれたとき、つい恋人がいるからと言ってしまっていたのだった。今更、あれは大袈裟だったとは言いづらい。ティシラはシーピ―の隣に座りつつ、顔を背けた。
「それは、その……詳しく言うと、まだ、日が浅いっていうか……」
「恋人になったのは、まだ最近ってこと?」
「そ、そう。だから、まだ、緊張するの」
シーピーはもじもじと恥ずかしがっているティシラを見て、笑いを堪えきれなくなる。
「やだ、ティシラちゃんって、恋したらそんなふうになるんだ」
ティシラの顔がみるみる真っ赤に火照っていく。今まで対等だった親友に弱みを握られたようで、どういう反応をしたらいいか分からなかった。
「でも意外だわ。ティシラちゃんってお姫様で、魔界じゃみんなの憧れだったし、恋人なんて魔界で一番かっこいい人をあなたのものにできるのよ。なのに、人間に恋してそんなに緊張するなんて、信じられない」
「も、もう、やめてよ」
「ティシラちゃんにそんなに愛されるなんて、あの人幸せ者ね。彼のほうはどうなの?」
「は? 何が?」
「愛されてるの? 一緒に暮らしてるんだもの。毎日抱きしめられたり、キスされたり……」
「やめてってば!」ティシラの顔は、湯気が出そうなほど真っ赤だった。「そんなことされたら、私、気絶しちゃう!」
つい興奮して本音を漏らしてしまったティシラに、シーピーは呆気にとられ、そのあと腹を抱えて笑い転げた。
ティシラはすっかり立場が弱くなり、口を尖らせる。
「……からかわないでよ。怒るわよ」
「ごめんごめん。でも……楽しそうでいいわね」
シーピーは笑いすぎで出た涙を拭いながら深呼吸をした。
「そうよね。ティシラちゃん、魔界じゃそんな感情持てないもんね。なんでも思い通りになっちゃうのって、面白くないのかもね……だから、この世界にいるんだ」
ティシラはシーピーに言われて、自分がここにいる理由を知ったような気がした。次第に興奮が冷め、頬を緩める。
「うん。すごく楽しい。ずっとここに居たい」
「そっか……」
「もちろん魔界も好きよ。パパとママがいるし、私の故郷だってことには変わりはないし。今はまだパパが反対してるけど、いつかきっと、認めてもらわないといけないの」
ティシラの声は寂しそうだったが、シーピーは思いつめる親友の横顔を見て、微笑んだ。
「ティシラちゃん、幸せそうだね」
「えっ」
「私には分かるわ。辛いことよりも大事なことのほうが大きくて、ティシラちゃんは困難さえも楽しんでる。きっと、本当に欲しいものが、ここにあるんだね」
ティシラは心の中を覗かれてしまったようで、恥ずかしさでまた赤面した。シーピーは親友とはいえ、頻繁に会っていたほどの仲ではない。なのにここまで自分のの気持ちを読まれてしまうのは、同じ女の子同士だからなのだと、ティシラは気づく。人間界に来てから、こんな話をできる相手はいなかった。そう思うと、シーピーと偶然再会できたこと、こうして二人だけで少女特有の会話ができる時間を掛け替えのないものに感じていた。
「どうしてティシラちゃんが両親も何もかもを捨てて人間界に行ってしまったのか、やっと分かった気がするわ。最初は、よほど人間がおいしくて、癖になっちゃったんじゃないかなんて思ったんだけど――」
そう言いながら笑うシーピーに、ティシラははっと目を見開いた。
「シーピー」
ティシラは急に真面目な顔になり、寝転がったままのシーピーに詰め寄った。シーピーも目を丸くして見つめ返すが、ティシラは喉に何かが詰まったかのように言葉を失い、息を飲む。
「なあに?」シーピーは上半身を起こしながら。「言いかけてやめないでよ。気になるじゃない」
「う、うん……」ティシラは我に返ったように。「あの……人間、襲うの、やめてね」
また笑われることを恐れずに、ティシラは意を決して伝えた。
シーピーは食人鬼だった。
人間を主食にしているわけではなく、普段は下等な魔族の肉を食している。同じ種族の魔族がたまに人間界に来て人間を襲うこともあった。人間の文明と魔法が発達してからはそういった魔族にも対抗するようになり、その噂は食人鬼の間に広まっている。それでも人間の肉に興味を持ってしまう者もおり、人間の敵だと認識された魔族は、魔法使いに反撃されて大抵は魔界に逃げ帰っていく。問題はそのあとだった。一度人間の味を覚えてしまった魔族は、どうしても欲が抑えられなくなり再度人間界に戻ってしまうことも多い。そうなった者は人間に退治されるまで、何度も食人を繰り返すようになるのだった。
シーピーは食人鬼の中でも身分が高く理性も強いほうだ。今人間界にいるのも友達に会うためだと言った――だけど、とティシラ思う。自分に会う前、どこで何をしたのかを訊くのが怖いのも本音だった。
シーピーは意外なティシラの言葉に驚いていた。
「な、なに? どうしてそんなこと言うの?」
「……シーピーは、私の友達だから、人間に恨まれるようなことはして欲しくないの」
唖然とするシーピーの反応も当然だと思いながらも、ティシラは真剣に話を続けた。
「魔族にとって人間なんて餌にしか見えないのは、私も魔族だからもちろん分かるわ。でも、今は違うの。私の知らないところで、私の知らない魔族が人間を襲うことまで止めることはできないけど、シーピーは私の友達だから、人間の敵になって欲しくないのよ」
さすがのシーピーも、いつものように笑うことができない。
「何言ってるの……? ティシラちゃん、魔界のお姫様なのよ。吸血鬼と魔女の血を持ってる、誇り高い魔族じゃない。それなのに、魔族の習性を否定して人間の味方するの?」
「……そんなふうに言わないで。私は誰の味方とかじゃなくて、人間が好きなの。弱くて、醜い部分もあるけど、みんな、優しく、正しくあろうと努力してる。人間には人間の秩序がある。私は魔族で、人間と同じにはなれない。でもこの世界が好き。だからこの世界にいられるように、人間に近づきたいと思ってるの」
「…………」
シーピーは口を結んで黙ってしまった。こんな彼女は初めてで、ティシラは気持ちが沈んでしまう。嫌われただろうか。みっともないと呆れられてしまったのだろうか。
自分がなぜ人間界にいるのか分からなかったときは周囲に反発し、魔族としての矜持や力を誇示しようとしていたときがあった。そして、人間を襲ったこともある。だけど自分の気持ちを素直に受け入れた今、あの、いつしか消えてしまった謎の指輪のことをたまに思いだし、感謝するようになっていた。あれは魔族としての欲求と本能にだけ従った野蛮な行為を制御するためのものだったのだ。メディスが言った「お守り」の意味も分かった。それでも謎は残ったままだが、あれがなければティシラはトールやマルシオの手によって排除されていたに違いない。きっと、何が悪いのか分からないまま……。
物言わぬ運命にここまで導かれた。もちろん、クライセンという分かりやすい理由ができたからこその心の変化とはいえ、今のティシラにそれを否定することはできなかった。
思いつめた様子のティシラを見つめていたシーピーはふっと肩を竦めて、口の端を上げる。
「変わったわね……ティシラちゃんはいつかブランケル様みたいな高潔な魔族と結婚して、魔界の頂点に立つ女王様になるんだと思ってたのに……」
やはり理解してもらえないのだろうかとティシラが落ち込みそうになったとき、シーピーは優しく友達の頭を撫でた。
「でも、今のティシラちゃんも好きよ」
ティシラははっと顔を上げた。
「ちょっと信じられなかったけど、親友の幸せを壊すことはできないわ」
「……それじゃあ」
「人間の味よりティシラちゃんとの友情のほうが大事だもの。我慢するわ」
「本当?」
大きく頷くシーピーを、ティシラは飛びつくように抱きしめた。
「ありがとう。約束よ」
「ええ。約束するわ」
「ありがとう……大好きよ、シーピー」
そうして二人の少女は友情を深め、一晩中語り明かした。
二人は昼前に部屋から出て、シーピーはティシラとサンディルに見送られてウェンドーラの屋敷を後にした。
*****
その日の夜、人里離れた森の中で若い女の悲鳴が響き渡った。
女は大きな角をもった「獣」に追われ、森の中に逃げ込み、とうとう捕まって腹を食い破られていた。鮮血に染まった臓物は獣に引き出され、避けた腹から覗く心臓はまだ脈を打っている。
獲物を捕らえた獣は口の周りを真っ赤に染め、おいしそうな咀嚼音を鳴らしていた。
「ごめんね……」
獣が呟くその言葉は、目の前で苦しむ獲物へではなく、大事な親友への、心からの謝罪だった。
「ごめん、ティシラちゃん……もう私、人間の味を知ってしまったの」
そういうシーピーの姿は、可愛らしい少女とはかけ離れたものだった。
白い巻き毛から鋭い角を伸ばし、太く尖った爪も牙も、恐ろしい獣そのもの。生きたままの人間の肉を口いっぱいに頬張るシーピーは、血まみれで至福の笑みを浮かべている。
「これで最後にするから。我慢するから。だから、許してね……」
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