SheepieGirl



3




 夕刻、リビングでティシラはシーピーにもらった手作りの人形をテーブルに並べていた。小さな小人の人形で、木の実やガラス玉をくっつけたものだった。
「シーピーが作ったんだって。どれもポーズや表情が違ってて可愛いでしょ」
 そんな話に、もうすぐ夕食の準備をしなければいけないマルシオがつき合わされていた。
「……まあ、器用だとは思うけど」
「けど、何よ」
「興味ない」
 ティシラはマルシオを睨むが、こんな反応も想定内だった。ふんといじけて人形を自分のほうに引き寄せた。
「それより」マルシオもティシラを睨み。「シーピーはお前といないときはどこで何してるんだよ」
「あちこちの町や村を回ってるらしいわ。せっかく来たから人間の流行とか、芸能とか見て行きたいんだって」
 マルシオはふうんと答えるだけだったが、ティシラに投げる冷たい目線はどう見ても何か言いたそうにしている。ティシラにはもう彼が何を考えているか分かるようになっていた。
「シーピーのこと、疑ってるんでしょ」
 図星だったが、マルシオは隠すつもりもなかった。
「食人鬼なんだろ、お前の友達」
 逆に面食らわされたのはティシラのほうだった。えっと短い声を上げ、戸惑った。
「な、なんで知ってるのよ」
「クライセンに聞いた」
「え? なんでクライセンが?」
「見れば分かるって言ってた」
「そう……でも、そうだとして、どうしてマルシオに言わなくちゃいけないのよ」
「俺が訊いたからだよ。お前こそ、どうしてシーピーが何者なのか隠す必要があるんだ。彼女はただ人間界に遊びに来てるだけなんだろ?」
「そうだけど……」
「俺だってお前と長いこと付き合いがあるんだ。魔族が全部、理性のない化け物だなんて思ってないよ。でも、そうやって隠し事をされると怪しく思って当然だろ。やましいことがないなら普通に話せよ」
 意外に理解を示そうとしているマルシオに、ティシラは気まずさを抱きながらも、素直に「そうね」と呟いた。
 マルシオはため息をつき、ソファに置いてあった新聞をテーブルの上に置いて見せた。ティシラは顔を上げ、背を伸ばしてそれを覗き込む。
 そこには、ある村の森の中で、ここ数日、続けて人間が食い殺されているという記事が掲載されていた。一人目は旅人だった男性。二人目は村の女性。どちらも腹を裂かれ、内臓も目玉も脳も食い荒らされた惨い死体で発見されている。現時点では恐ろしい野獣が出没したのではないかと言われており、地元で魔法使いを含めた調査隊が編成され、周囲を警備しているとのことだった。
「なによ、これ」ティシラは目を見開き、唇を噛んだ。「まさかこれが、シーピーの仕業とでも言いたいの? やっぱり疑ってるんじゃないの!」
 感情的になるティシラに対し、マルシオは冷静だった。今までなら喧嘩になっていた。しかし、今回は二人だけの問題ではなかった。
「この新聞、クライセンが置いてったんだよ」
「え……」
「何も言ってなかったけど、もしクライセンの行動に意味があるとしたら、お前もよく考えたほうがいいんじゃないのか」
 ティシラは冷や汗を抑えきれなかった。マルシオになら何を言われても構わないが、まさかクライセンに疑われているとなると、ティシラにとっては大きな衝撃だった。胸が苦しくなり、いても立ってもいられなくなる。
「約束したの。シーピーは、人間を襲わないって、私と約束したんだから……そんなわけないじゃない!」
 ティシラはテーブルを両手で叩き、屋敷を飛び出して行った。
「ティシラ!」
 マルシオは慌てて追ったが、走り去る彼女の背中から完全な拒絶を感じ取り、足を止めた。
 リビングのテーブルには、木の実の人形が乱雑に転がっていた。



 ティシラはクルマリムの公園に来ていた。
 シーピーと一緒に話した場所だった。噴水の傍のベンチに腰掛け、暗い顔で俯いていた。
 空は夕焼けのオレンジから宵の紫へと変わっていった。
 月の光は魔力を帯びている。目で見なくても街灯との違いを、ティシラは体で感じ取るができた。今日は満月だ。悲しそうな瞳でそれを見上げ、不安と葛藤でぐちゃぐちゃになった頭に月光を当てて気分転換に努めた。



 夕食までティシラは帰ってこなかった。
 その時間、クライセンもサンディルも不在で、マルシオは久しぶりに一人で過ごすことになった。しばらくすると部屋の奥からクライセンが出てきた。
「あれ? 出かけてたんじゃないのか?」
 マルシオが驚いていると、クライセンは素知らぬ顔でソファに腰掛ける。
「出かけてた」
 意味が分からない。マルシオが困惑していると、テーブルの隅に寄せられていた人形に気づいて手に取っていた。
「ああ、それ、シーピーからもらったんだって」
 クライセンは特に興味もなく、すぐに戻して新聞に目を移した。
 マルシオは彼の前のソファに座り、目線を落とす。
「……それ、ティシラに見せたんだ。そしたら、怒って家を飛び出して行って、まだ戻ってこないんだ」
「これを見せた? なぜ」
「なぜって、お前が置いていったんだろ」
「ティシラの友達が食人鬼だから見せたのか? 酷いことをするな、君は」
 他人事のように言うクライセンに、マルシオは開いた口が塞がらなくなる。
「お前が意味深なことするからだろ? なんのために置いていったんだよ」
「別に」
 マルシオはがっくりと肩を落とし、ティシラに悪いことをしてしまったと反省した。
「……ティシラを探しに行かないとな」
 はあ、と息を吐いてマルシオは暗くなった窓の外に目を向けた。
「正直、ティシラが可哀想だと思ったんだ」
 すぐには出かけず、独り言のように話すマルシオに、クライセンは耳を傾けた。
「だって、ティシラはシーピーのことを本当に信じてるんだと思う。なのに、まさかお前に疑われているかもしれないなんてことになったら……」
 言いたいことがまとまらず、マルシオは軽く笑って誤魔化した。
「いや、俺なら、いつものことだって気にしないだろうけど、お前は違うじゃないか。ティシラが好きっていうのもあるけど、お前が言うと、ティシラでさえ、つい友達を疑ってしまったんじゃないかと思うんだ」
 そうだとしたら、ティシラの胸中は一瞬にして激しい痛みに襲われたに違いない。
 シーピーを信じたい。でも、クライセンが疑うなんて、ただ事ではない。そうだとしたらシーピーが嘘をついていることになる……そうだとしたら、ティシラはどうすればいいのだろうか。
「親友をどうやって守ろうか……きっと、そんなことでバカみたいに悩んで、またバカみたいな行動に出そうで……ちょっと、心配になってきた」
 ティシラを庇おうとしているなんて、柄でもない。マルシオそう思い、照れを隠せなかった。それに、何を伝えたいのか、自分でもよく分からないままだった。
 クライセンはやはり黙ったままだ。しかし何も言わなくても、彼はちゃんと考えている。返事は必要ない。マルシオはまだ言いたいことがあるようなないような、すっきりしないまま玄関に向かった。
「探してくる」
 そう言って、マルシオは当てもなく満月の下を歩いて行った。
 一人になったクライセンは再度小さな人形を一つ手に取り、じっと見つめ、呟いた。
「……ティシラがどれだけバカか、そんなことは誰よりも、よく知ってるよ」



 夜もすっかり更けた頃、マルシオはティシラを連れて戻ってきた。
 ティシラは一人で公園でじっとしていた。マルシオを見ても顔を逸らして無視していた。どう声をけかたらいいか分からず、傍で棒立ちしていたマルシオだったが、沈黙に耐えきれなくなり、素直に謝った。するとティシラは「分かればいいのよ」と強がりながら、やっと向き合ってくれた。
 帰り道でティシラはマルシオを一方的に責めたり、シーピーがどんなに楽しいかを話したりし、そのうちに機嫌も直っていた。
 音に気付いたクライセンがリビングに顔を出した。
「おかえり。どう? 気分は」
 もしかして待っていてくれたのかと思い、ティシラはすぐにしおらしくなった。
「た、ただいま……もう、平気」
「そうか。新聞のことで不安にさせたみたいで、悪かったね」
「ううん、あれはマルシオが悪いの。もう気にしてないから」
 マルシオは隣で不満そうな顔をするが、何か言いたそうにしているティシラに気づき、口出ししなかった。
 クライセンもティシラの言葉を待っていた。
 少し間を置き、ティシラは意を決して顔を上げた。
「私、シーピーのことを信じてる」
 そう言うティシラの胸の内は、決して穏やかなものではなかった。
「絶対、シーピーは人を殺したりしてない。私と約束したんだもの。だから信じてる……でも、もしも、シーピーが嘘をついていたとしたら――」
 ティシラは言葉を選んでいた。信じているのも本音だし、信じていることを前提に考えていたかった。だからその前提が崩れたときのことを想像するのは、シーピーへの裏切りだ。本当は喩えでもこんなことを口にしたくなかった。だから迷っていた。
 だけど、ここは魔界ではない。人間界だ。人間を知って近づきたいと言ったばかり。だからもしも親友がこの世界で人間にとって「悪」となった場合、どうすべきか、意志を伝える必要がある。
「――私が、制裁する」
 言った途端、ティシラの胸の奥に針が刺さったような痛みが走った。
「友達だから……」
 この「もしも」は既に手遅れの状態を指しているのだ。シーピーがティシラとの約束を破ったということは、人間を殺しているということ。説得して間に合う段階ではない。ではどうすべきなのか、ティシラも分かっている。ただ、まだその「制裁」を具体的な言葉にすることはできなかった。
「きっと、私なら、シーピーも納得してくれると思うし、だから、私が……」
 言葉に詰まりながらも続けるをティシラを、クライセンが止めた。
「いいよ」
 ティシラは脅かされたかのように肩を揺らし、泣きそうな目を彼に向ける。
「信じているんだろう? なら、もうそれ以上考えなくていい」
 途端に、ティシラの目が潤んだが、それを隠すように大口を開けて笑い出した。
「そ、そうよね。シーピーは約束するって言ってくれたんだもの。なのに私がこんなたとえ話したなんて知ったら、シーピーに絶交されちゃう。新聞の事件だって、きっと空腹の熊か狼が山から下りてきただけよ。きっとすぐに犯人は見つかるわ」
 クライセンの言うとおりとティシラは思う。早とちりしていた自分が恥ずかしくなり、笑いが止まらなくなった。
「明日またシーピーと遊ぶことになってるの。このことは忘れないと……なんだか疲れちゃった。もう寝るわね」
 そう言ってティシラは早足で部屋を出ていった。
 マルシオはどうも理不尽な気持ちを抱いたままだったが、やはりティシラに同情していた。
 せっかく居場所を見つけたのに、友達を守りたいためにまた自分を犠牲にしようとしている。だが今はクライセンがいる。最悪の状況にはならないはず。
 今はただ、シーピーがティシラを裏切らないでくれることを祈るばかりだった。



*****




 次の日、ティシラはいつものように元気に出掛けて行った。
 公園でシーピーを待っていると、何も変わらない彼女が笑顔で駆け寄ってきた。それを見てティシラは内心ほっとし、もう悪いことは考えないと決めて楽しくことにした。
 今日は馬車に乗って、少し遠い町まで行くことになった。
「ねえ、シーピーはいつまでここにいるの?」
「はっきりは決めてないけど、もう少し遊んで行くつもり」
「人間界、楽しい?」
「楽しいわよ。美術館やおしゃれなお店もたくさんあるし、歌やお芝居も好き。それに、ティシラちゃんも一緒なんだもの。ずっとこうしていられたらなあって思ってるわ」
「そう……食事は、どうしてるの?」
 ティシラは気になっていることを口にし、つい声のトーンを落としてしまったが、シーピーにその変化は伝わらなかった。
「そうそう、おいしいお店も多いわよね。人間の作る料理もいけるじゃない。私はお肉が好きだけど、野菜も工夫して味付けしてあって、何度感動したことか。カップや器、フォークも可愛かったりして、目移りしちゃっていくら時間があっても足りそうにないわ」
 明るい笑顔に一瞬の陰りも見せなかったシーピーにティシラは安堵し、やはり考えすぎだということを再確認していた。
「そうよね」ティシラも心からの笑みを浮かべ。「私もこっちの料理やお菓子、大好き。シーピーも同じように気に入ってくれると、なんだか嬉しいわ」
 天気のいい日、二人の少女は屋根付きの馬車に揺られ、見晴らしのいい風景を眺めながらいつまでも笑い合っていた。



 日付が変わる遅い時間に、ぬいぐるみやお菓子を抱えてティシラは帰ってきた。
 上機嫌でクライセンとサンディル、マルシオと、興味なさそうな面子に二人でどこに行って何を見てきたかをいつまでも話していた。
 シーピーはいつか魔界に帰ってしまう。そうしたら次に会えるのは、おそらくティシラが正式に魔界に戻れるようになってからではないかと思う。だから、きっと短いであろうこの時間を大事にしなければいけない。ティシラは興奮冷めやらぬまま、シーピーが選んでくれた四足歩行の動物らしき形をした珍妙なぬいぐるみを抱いて眠った。



*****




 二日後の朝、ティシラはリビングで暗い顔をして新聞を見つめていた。
 そこにはまた、ある村で数人が惨殺されたという記事があった。
 最初は夫婦二人が襲われ、そのあとに「犯人」を追った三人の魔法使いも殺されてしまっていたという。おそらく魔法使いたちは「犯人」を見たのだろう。だが全員が殺されてしまい、手がかりもないままだった。夫婦は最初の被害者と同じように喰い荒らされていたが、「犯人」はもう満腹だったのか、魔法使いたちはただ大きな牙と爪で惨たらしく切り裂かれていただけとのことだった。
 もしも「犯人」が知性のない獣なら、魔法使いに何かしら攻撃を受けたはずだ。でなければもう腹は満たされているはずなのに、ここまで徹底的に叩きのめす必要はない。だとしたら、「犯人」は手負いではないか、捕まるのも時間の問題だと、記者は推測していた。
 しかし記事の最後には、もしも「犯人」がなんの傷も受けていないのに魔法使いを敵と認識し、自分の正体を隠すために全員を殺したのだとしたら、それは人の形をした「悪魔」なのではないだろうかと、締め括られていた。
 ティシラは身震いを起こした。
 違うと、自分に言い聞かせる。
 この世界に迷い込んで悪さをする、自分の知らない魔族だっていないとは限らない。もしかしたら魔薬に侵されて化け物となった人間かもしれない。可能性はいくらでもある。
 まだ犯人が分からないうちは考えてはいけない。
 ティシラは数回頭を横に振り、新聞をゴミ箱に捨てた。




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