SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-17





「如何なさるつもりでしょうか」
 夜、王室に近い会議室でサイネラが重い口調でトールに尋ねた。
 トールは長いテーブルの上座の椅子に座り、背もたれに寄りかかったまま返事をする。
「ティシラとマルシオのことはしばらく様子を見よう。大変だと思うが、協力して欲しい。二人は私の大事な友人だ。城を自由に使用する許可を与えるが、異存はあるか」
 サイネラは少し頭を痛めた。
 トールはあまりマントを羽織るのが好きではなく、公の場以外では下ろしたがる。今も重いそれを、少し離れたところで起立しているディルマンが預かり、右腕に抱えている。
 会議には他にも数人の有力者が出席していた。魔道軍長サイネラの向かいには、ティオ・メイ城下の魔道大師ギレイ、隣には魔薬機関の責任者である天世(てんせい)導師ハーゼンが急遽呼び出されていた。魔道総帥であるラムウェンドは、これ以上長居はできないと少し前に城を後にし、忙しなくアカデミーに戻って行った。
 普段は、多忙である彼らが直接顔を合わせることは少なく、いつも信頼できる弟子や部下に任せるものなのだが、今回のことは魔法界に大きな影響を与えるほどの出来事である。事を大きくする必要はないが、念のために一部の者には伝えておく必要があるとトール直々に収集をかけたのだった。
 ギレイは少々戸惑いを隠せない表情もあったが、ハーゼンは驚くことなく耳を傾けている。サイネラは未だに落ち着くことができないでいた。
「陛下の友人とは言え、件の客人は普通ではありません。マルシオ殿は私も信頼できますが、他二名は少々……自由にというのは問題があるのではないでしょうか」
 トールはいつもの調子で続ける。
「二人を城から出すことはそれ以上の危険がある。だが、おそらく制限をかけたところで従うとは思えない。神経を遣うことだが、ずっとあのままではない。できるだけ穏便に事が解決するまで君たちの協力が必要なのだ。理解を得たい」
「それはもちろん、尽力いたします。ですが、最悪の状況に陥った場合の責任は持ち兼ねます」
「責任は私が担う」
「はあ……」
「サイネラ、お前の言う最悪の状況とは何か聞かせてくれ」
「それは、彼らの正体が一般人、若しくは悪しき者に暴かれたときです」
「悪しき者とは?」
「いつの時代も心の歪んだ者は存在します。何かしらの力を持つ者であれば、簡単に罪を犯すでしょう。その際に、陛下のご友人が危険に晒される可能性は高く、彼らが秘密を持つ限り守り切れる保障もございません」
 トールは少し瞼を落とす。
「例えば、聖大皇(せいたいおう)と呼ばれる者、か?」
 その名を聞き、サイネラとギレイが微かに肩を揺らした。
「聖大皇、イングレス……」サイネラは声を潜める。「退魔を生業とする退魔組織。彼らの目的は明白だとしても、その正体は謎に包まれております。正義か悪かを判断するには、まだその材料が足りません」
 そこで、ギレイが口を開く。
「イングレスは新たなる魔道、退魔術を持つ者。何度か接触したことはありますが、彼は多くを語りません。その退魔術が完成しているかどうかもはっきりしません」
「組織の規模は?」と、トール。
「確認されていることは、イングレスを頂点にし、下に八つの星の守護を持つ者が従っていると」
「つまり、八人の従者がいるということか。イングレスを入れても九人。だとしたらそう大きくないだろうが……」
「彼らが魔法に長けている者の集まりならば人数は問題ではありません。だからこそ警戒が必要です」
「退魔とは」と、サイネラ。「その名の通り魔を退ける力。魔法にも攻撃・浄化・封印と似たような力はありますが、退魔のみを専門とし、極めようとすることは今までありませんでした。退魔の指す『魔』とはおそらく『魔族・魔界』であると予測されます」
 それを聞き、トールはティシラを思い出す。
「ならば尚更、退魔の組織を無視することはできない。かと言って、彼らが何をしたわけではない。実際に退魔の力を使ったという報告や情報もない。我々は動きようがない状態だ」
「陛下の提案した、魔法軍に取り込むという話は……」
「返事はないね」トールは肩を下げた。「疚しいことがないのなら、新しい機関として共存できるに越したことはないはずだと思ったんだが」
「魔法はそう単純なものではないのです。善悪は法律や道徳ではなく、思想や心理の元にあります。天使や魔族と共存できないわけもそこにあるのです」
「……そうか」
 トールは魔法使いの根底までは理解できていない。サイネラに限らず、こうして諭されることはよくある。トールはそれ以上あまり聞かなかった。魔法使いは誰も、分かりやすく簡潔に説明してくれないからだった。
 ギレイはふとハーゼンに目を向ける。
「ハーゼン殿、あなたは何かご存知ですか」
 ハーゼンは血色の悪い顔に、柄のない黒いマントを羽織っており少々不気味な雰囲気がある。口数も表情も少ない。だが、それは魔薬に携わる者にはよくある傾向だった。魔薬は戦後、新たに軍の支配下の元で研究を重ねられている。長年続けられている今も危険なものであることには変わりなかった。昔のように知識の有無に関わらず誰でも手に入れられることはなく、特別に魔薬の機関を設け、その中だけで取引される封鎖された存在となっていた。安全な処方箋や解毒・中和剤が完成すれば世で重宝されるものになるのかもしれないが、まだその目処は立っていない。
 故に、魔薬に関わる者は常に閉ざされた空間に身を置き、魔法使いよりも重い秘密を抱いていなければいけない。それに携わる者は元々口が固く、偏った知識に興味を抱いている変わり者が多い。その上、一日のほとんどを暗い空間で研究に没頭する時間に費やすのだ。そのうちに誰もがハーゼンのようにどこか陰気な顔色になっていってしまっている。
 それでも、国家や市民に貢献したいという心は、間違いなくあった。だからトールを始めとする有力者は彼らを信頼していた。
「退魔組織の存在をはっきり認知したのは、魔女騒動がきっかけでした」
 ハーゼンの声は低かった。ギレイが頷く。
「ですが、魔女騒動とは直接の関わりはなかったと、あなたが仰いましたね」
「はい。一度だけ、マルス(金星)の守護を持つと自称する者が接触してきました。そのことはご報告いたしましたが、顔を合わせたのは私ではなく、天世薬師の一人イレットでした。マルスは魔女が人間界にいるのか、いるのならばどこにいるのかを尋ねました。天世は魔女については専門外ゆえ、存ぜぬと答えました。それ以来、退魔師とは会っていませんし、彼らの動きも耳にはしていません」
 退魔の者は謎が多すぎる。サイネラは眉を寄せた。
「なぜ魔薬師だったのでしょうか」
「国家機関から情報を得たかったのかもしれませんが、公に顔を出すことができなかった。若しくは、出したくなかったのではないでしょうか。だからあまり表立たない我々に近づいた、そう私は思っています」
「彼らがアジェルと関わっているという可能性は?」
「低いですね。もしアジェルが悪であり、何者かを利用しているとしたら、海賊です」
「ハーゼン」トールは表情を変えずに。「証拠もなく、可能性が低い段階であまり断定的な発言は控えたほうがいい。お前の予想を疑いはしないし、そう思うものも少なくはないのだ。そのことも念頭において調査している。あまり急かさないでくれ」
「そんなつもりは……失言でした」
「いや、お前は間違ってない。いずれは動くときがくる。私も肝に銘じておくよ」
 ハーゼンはトールの言葉を受け取り、再び口を閉ざした。
 少し空気が重くなった室内で、サイネラが呟く。
「魔女……」
 頭を痛めている彼の様子を伺い、ギレイが心中を察しながらも追い討ちをかける。
「問題は他にもあります」
 サイネラは目を閉じて頷いた。ギレイが続ける。
「『影』です。魔法図の端に時々浮かぶ謎の黒い影。あれはいいものではありません。あれが現れるのはごく稀であり気に留めなければ気づかないほど小さな影ですが、正体がまったく分かりません」
 魔法図とは、ティオ・メイの魔法機関にある大きな世界地図だった。戦後に契約を結んだ海賊と共に、様々な専門家の手によって海を含んだ世界地図を完成させたのだ。それは平面から立体へ、そして地図を自由に動かせる映像へと進化した。そこに行き着くために新たなる魔法が開発された。巨大な地図を閲覧できるための室も設けられ、簡単には入室できない上に、地図を開くには特別な呪文が必要だった。厳重に保護されるそれは、肉眼では見えないものも映し出すことがある。それが「影」だった。
「影」は薄く、小さかった。いつから地図に出てきていたのかは分からないが、あるとき、ライザがその不自然な存在に気づいた。影は音も立てずに現れ、雲のように掻き消える。それがいつも同じところにあるのならばすぐに調査できるのだが、そうではなかった。魔法使いたちが影の正体を探ろうと地図に張り付いたが影は思いもよらぬ場所と時間に現れるため、その謎は一層深まった。
 どう考えても物質の足元にある影とは違う。影だけが単独で存在しているのだ。しかもそれは奇妙な動きをする。地上や海底、建物の中や無人の土地と現れる場所は不規則だった。それだけならいい。影はどこまでも自由で、空中や地底にまで姿を現すことがあったのだ。
 少なくとも人間界の法則の中にあるものではなかった。ただの空間の歪みかもしれないが、まだ確信はなく、気を抜けない状態にあった。
 以前にトールがマルシオやサンディルに尋ねたこともあった。サンディルは首を捻るだけで分かるとも分からないとも答えなかった。彼は彼なりに思うことがあったのかもしれないが、サンディルを支配することはできない。今はまだ彼の言葉を聞くときではないと判断し、何も得ようとはしなかった。
 マルシオはその影に興味を示していた。彼は、これは歪みと言うよりも、一つの空間ではないかと言った。見た目は小さくて脆弱だが、別の次元では壮大で強力な存在なのかもしれない。そうだとしたら、問題はなぜそれが人間界に顔を覗かせているのか、もしこれが人間界に具現化したらどういう影響を及ぼすものなのかということだった。だが今は影を捕まえる手段がなかった。
 何もできない以上、影の動きを警戒しながら見守ることに徹することになった。
 じっと姿勢を正しているディルマンを覗く室内にいる一同は、改めて重なる問題を重く受け取った。
 魔女騒動の真相、退魔師の目的と正体、影の存在理由、ティシラとマルシオとフーシャの関係、そして、魔法王クライセンの行方。
 ひとつひとつを正しく解決できるに越したことはないのだが、すべての出来事が人の予想の範囲内で起こるわけではない。準備できることは限られている。それが及ばないこともあるだろう。それでも、戦わなければいけないのだ。一同はそのことを心に置きとめ、それぞれに夜を越した。


   

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