SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-16





 陽は落ち、ティオ・メイ城下は町の灯りで彩られていた。
 城下町で一番大きな土地と建物を所有する居酒屋「グレン・ターナー」は今日も賑わっている。三階建てのそこは、一階が酒場、二階が宴会場、三階は宿泊ができるという、地元人にも旅人にもよく利用される店だった。
 人気の理由はそれだけではない。グレン・ターナーには三年ほど前から定期更新で契約している芸人集団「エルゼロスタ」が常勤していたからだ。毎夜ショーが披露され、その評判が各地で話題になっていたのだ。


 エルゼロスタは本来、根無し草の旅芸人だった。それがティオ・メイの城下で働くようになったのは、メイがエルゼロスタの噂を聞き、城に呼んだのがきっかけとなっていた。エルゼロスタ一座の芸は誰もが魅了されるものだった。もちろんそれは王族や貴族も同じことが言えた。エルゼロスタを気に入った一部の王族の口添えにより、一座は城下に籍を置いて、稼ぎの他に毎月安定した給料が与えられることになったのだ。
 舞踊から歌唱、演劇や曲芸のすべてが修練を重ねた見事な技ばかりで、日々精進するそれは、いつまでも客を飽きさせることはなかった。団員は子供から大人まで個性的な者ばかりが顔を並べている。
 その中で、もっとも目を惹き、一座の看板的な役目を持っている人物がいた。その者は若い踊り子で、まずその美しい容姿に誰もが心を奪われる。露出の高い衣装と、派手ではあるが品のある宝石で着飾ったその姿に隙はなかった。彼女の見せ場はそれだけではない。姿に負けない華麗な舞踊を身につけていたのだ。軟らかく細い体はまるで柳の枝のようにしなやかで、浮かべる表情や、切なく、そして力強い表現力に誰もが引き込まれた。だが、彼女にはそれ以上に踏み込ませない凶暴さもあった。彼女の一番の得意技は武芸だったのだ。剣術、武術に踊りや音楽を特異に交差させたそれは芸術と言っても過言ではなかった。届きそうで届かないその踊り子の名は、シオン。彼女に想いを寄せる者は決して少なくはなかった。
 今夜も彼女を目当てとした男たちがグレン・ターナーに押しかけている。女性にとってもシオンの踊りは称える価値はある。だが、彼女のあまりの人気に嫉妬心が生まれ、素直には認められない女性も当然いるものだ。シオンが原因で喧嘩する夫婦の姿もまた、グレン・ターナーではあよくある見世物のひとつでもあった。


 セピア色の照明の下、騒然とする店内の片隅で雑談をしている男がいた。六人掛けのテーブルの端で、酒を片手に言葉を交わす二人は知り合いではなかった。この店に一人の男性客というのは、例によって珍しくはない。大抵混み合うここでは、一つのテーブル席に他人同士が相席し、寄り集まるのはよくあることだった。
 一人はこの近所に住む常連の中年男性。その相手をしている青年は、あまりこういう場所が似合わない風貌の持ち主だった。長身だが華奢で物腰は穏やかである。たおやかな長い金髪に違和感のない端麗な容姿。決して剣士や軍人には見えない。ゆとりのある服装の下、武器の代わりに神秘的な水晶のネックレスをかけたその姿は、魔法使いの以外の何者でもなかった。
 中年男性は酔いもあって、彼が何者であるかには興味なかった。たまたま隣になり、きっと二人がどれだけ語り合っても今夜限りの酒飲み相手であることは間違いないだろう。青年もそのつもりでいる。だが彼の目的は、ここで楽しい酒を嗜むことではなかった。
「……では、あの踊り子には恋人はないのですね」
 酒は入っているものの、ほとんど素面の青年とは逆に、中年男性は熱い口調で語っていた。
「そうだよ。当たり前じゃないか。彼女に男がいるなんてあり得ねえ」
「なぜですか。あれだけ美しい女性なのですから、恋人がいないほうが不自然ではありませんか」
「バカ。彼女は特別なんだよ。大体、シオンに男なんかいたらここの客がどれだけ減ると思ってるんだ」
「彼女は芸一筋というわけですね」
「そうだ。それにな、俺は知ってるんだ。シオンに求愛した男は数知れず。その中には偉い身分のお方もいたんだよ」
「それは、通りすがりの私でさえ知っていそうな身分の方でしょうか」
「そんなことまでは知らねえよ。とにかくだ、シオンはその全部を断ってきてるんだ。完璧だよ、彼女は」
「……そうですか」
「そうだよ。だから俺はこうして、適わないと分かっていても、女房の目を盗んでも通い続けているんだ。シオンを見れるだけで、そこにいるだけでいい。むしろ、俺みたいななんの取り柄もない男なんかに毒されないで欲しいね」
「彼女は、あなたにとって天使のような存在なんですね」
「そうだよ、シオンは天使だ。女神だ。あんなに完璧な人間なんかいねえよ」
「そうですね」青年はスポットライトを浴びるシオンに目を移した。「確かに、彼女からは特別な何かを感じます」
「……おい」
 青年は話を合わせたつもりだったのだが。突然男は声を低くした。
「はい」
「てめえ、少しばかり若くていい男だからって、シオンに近づこうなんて考えるんじゃないぞ」
「えっ」青年は笑みを引きつらせた。「そ、そんなつもりはありませんよ。あれほどの女性が私なんかを相手にしてくれるわけがないではないですか」
「当たり前だ。シオンは誰のものにもならない。だからこそ美しいんだ」
 自棄のように酒を飲み干す男を横目に、青年は冷や汗を流す。そこで、何かに気づいて目線を落とした。前髪を掻き上げながら席を立つ。
「ちょっと失礼します」
 言いながら、混み合った席の間を潜って行った。残された男は、今度は逆の隣に座っていた男性客に絡み始めていた。


 魔法使いの青年は一度店を出て裏口に回り、人通りの少ない路地の片隅に向かった。建物の壁に背をつけ、胸元から水晶のネックレスを取り出す。それを右手に握り、目を閉じる。
(お呼びですか)
 青年は心の中で語りかけた。水晶を通じて、青年に応える声が頭の中に流れてくる。
(ロア、どこにいる?)
 声の主は、青年をロアと呼んだ。
(グレン・ターナーです)
(ああ、早速動いたのか。お前も暇な奴だな)
(暇ではないですよ。他にやることがないんです)
 それを暇というのではないかと思うが、彼らの皮肉なやり取りは挨拶のようなものである。慣れた様子で話は進んだ。
(で、見たのか?)
(まだ確証はありません。ですが、あなたのおっしゃっていた人物は間違いなくここにいます。いかがしましょう。調べますか)
 声は、少し考えた。
(……いや、今はまだいい。俺の予感が当たっているなら急ぐ必要はない。お前のことが相手にバレると面倒だ。慎重に動いてくれ。それよりも城で面白いことがありそうなんだ)
(城で?)
(しばらくここにいることにする。もしかするとお前も関わることになるかもしれないからそのつもりにしておいてくれ)
(私が? 魔法関連で何か?)
(まだ分からない。必要になったら呼ぶ)
(了解しました)
(それと、あっちの方はどうだ)
(特に問題はありません)ロアは薄く笑った。(まったく、お忙しい人ですね)
(忙しいんじゃない)声も笑いを含んだ。(退屈なんだよ)
(……そうでしたね)
(また連絡する)
(はい)
 そこで声は途切れた。ロアは瞼を上げる。水晶を握ったままゆっくりと顔を上げ、夜空を仰いだ。ゆっくりと流れる薄い雲を無意識に目で追いながら、しばらく物思いに耽る。
 ロアは人形のように気配さえも消して黙していたかと思うと、上着の裾を翻しながら再び店内へ戻っていった。


   

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