SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-23





 マルシオはあれからティシラを探そうとしたが、ルミオルの言うとおり、この格好のままではだらしがないと思って着替えに戻った。まだフーシャがいるのかと緊張したが、部屋の前に警備兵がいなかったことから、きっとライザと一緒に彼女の部屋へ連れていかれたのだと察した。室内にはやはり誰もおらず、胸を撫で下ろしながらソファで少し休むことにした。
 身を整えて一息ついているところに、トールが訪れた。マルシオは彼を招き入れて腰を下ろして話をした。
 トールは先にライザに会い、マルシオの取った行動を聞いていた。マルシオは苦い表情で頭を下げた。
「ごめん……」
「ライザが泣きそうな顔をしていたよ」トールの口調は責めてはいなかった。「まあ、いいや。それよりも他にやることができた」
「他に?」マルシオは顔を上げる。「俺も関係あることなのか」
「ある。サンディル様がここに来てる」
「えっ。今? どうして?」
「ティシラの記憶を呼び出す魔法をかけてみるんだって」
「え……」
 マルシオはあまりに突然のことに困惑した。彼もまた、サイネラが心配していたことと同じ不安を抱いたからだ。
「どうして、そんなに急に」
「急なのかどうかは知らない。ただ、その間は僕と君とでフーシャをなんとかしなくちゃいけないんだ。それが僕たちの仕事だ」
「!」マルシオは目を丸くした。「な、なんで……」
「他にいないから仕方ないだろ」
「でも、俺はその場にいちゃいけないのか?」
「ライザとサイネラだけでいいんだって。それと、部外者がいると空気が乱れるから許可が出るまでは立ち入り禁止だそうだ」
「そんな……」
 フーシャの相手をしなければいけないことも問題だが、もしも魔法が成功したときのことを考えると、マルシオは胸が苦しくなった。わざわざサンディルが足を運んできたということは何かしらの手応えを確信しているのだと思える。そうでなくても、事実すぐ近くで大きな魔法が行われ、ティシラに変化が起き、もしかするとクライセンに関する何かが分かるかもしれないのだ。自分がいても何もできないかもしれないが、できることなら、その場に居合わせてすべてを見届けたい。ここにきて、部外者と呼ばれることに心が痛んだのだ。マルシオは悔しさで唇を噛む。
 やりきれない表情を隠そうともしないマルシオを、トールはじっと見つめていた。
「……気持ちは分かるよ」トールは少し声を落とした。「僕も、同じ気持ちだから」
 マルシオはそれを聞いて、数回瞬きをした。トールは呟くように続ける。
「でもさ、魔法っていうのは、属性だとか時間や場所、その他にもいろんなものを掛け合わせないといけないものなんだろう? 自分が無能だとか用無しってわけじゃなくて、その時その場所にいてはいけないもの、いると都合が悪いものってあると思うんだ。それは魔法に関わらず、普段の生活の中でもあるよね。例えば、落ち込んでる人を励ましたくてもさ、声をかけていいときと、一人にしてあげたほうがいいときってあるだろう? そういうことだと思うんだ」
「…………」
「僕がそう思うだけだけどさ」トールは少し笑った。「そうじゃないと、こっちは心配してるのに、邪魔って言われてるみたいで悲しいじゃないか」
 トールは魔法に疎くていつも邪険にされている。みんなそれが当たり前だと思っていたのだが、内心では彼は疎外感を抱いていたようだ。それでも魔法を習おうとしないあたり、結局は興味がなくて開き直っているのだろうが、みんなが何をしているのかは気になるのだと思う。国王としてではなく、一人の人間として、仲間として。
 マルシオは初めてトールの気持ちに気がついた。今の辛い状況をトールはいつも味わっていたのだ。立場が違うためにすべてを共感することは出来なかったが、マルシオは自分だけじゃないと思えるだけで少し気が楽になった。
「それに」トールは笑いを引きつらせる。「ほら、僕たちには重い役目があるんだし」
 マルシオは体が固まった。
「そもそも君が余計に事態を悪くしてるんだ。自業自得だと思わないと。僕がついててあげるからさ」
「……ああ」マルシオはムリに口の端を上げた。「そうだな。それは、悪いと思ってるよ」
 マルシオは覚悟を決めた。ティシラのことは当然気になるが、もしうまくいけばフーシャのこともまとめて解決に向かうかもしれないのだ。一体何が起こり、どうなるか、まったく予想もできないが、何も手段がないまま迷走しているよりはやることがはっきりしている方がやる気も起きる。そう思い、マルシオは現実を受け止めた。
「そうだ。そういえばティシラはどこに行ったんだ」
「ああ、さっき兵に探すように伝えたけど、見つかったのかな」
「見つけて、どこへ?」
「サンディル様のところへ連れていくようにしてあるけど」
「……どうなんだ。あいつはちゃんと言うことを聞くのか?」
「さあ」
「さあ、って……」
「それよりも」トールは思い出して腰を上げた。「フーシャのところへ行かないと。ライザが身動きできなくて困ってる」
 途端に、マルシオは体が重くなった。だがイヤだと言っても仕方がない。今フーシャと顔を合わせて何を話せばいいのだろう。こんなことなら、あのまま気絶していたほうがよかったかもしれないなどと考える。
 マルシオは深呼吸し、トールに続いて腰を上げた。


*****



 ティシラはルミオルと別れた後、しばらくテラスで物思いに耽っていた。風景を眺めたままいろんなことを考えたが、そのうちに飽きて城内へ戻った。行くあても、何の目的もなく廊下を歩いているところに警備兵に声をかけられ、ある部屋へ案内された。
 そこにはサンディルがいた。サンディルは客室に案内され、出されたハーブティをのんびりと味わっていた。ティシラも向かいに座り、用件を聞く前にここであったことを話した。マルシオのこと、フーシャのこと。当然、愚痴ばかりだった。
 フーシャについては、彼女が現れたすぐにサイネラから通信が入って聞いていた。今やこの世界に存在しない天使が降り立ったという現実は、奇跡のような出来事である。それでもサンディルは動揺しなかった。冷静に話を聞くと、マルシオを連れ戻すことを目的としていることが分かったからである。
 その人物が天界の上層の者であるのなら、それはただ事ではない。しかし、と思う。マルシオの婚約者だということは、さほど強い権限を持っているとは考えられなかったのだ。その予想は当たっており、となると、マルシオやティシラとの悶着が繰り広げられるに留まるのであろう。サンディルはそれについて関わろうとはしなかった。
 人間は天使を神聖視し過ぎる部分がある。それはランドールと共存していた遥か昔から変わらない。もちろん、天使が聖なる存在であることには間違いはないのだが、そのすべてが巨大な力を持っているとは限らない。美しい姿と正しい心を持ち、人に癒しを与えてくれるということは共通しているが、天使にも幼い時代もあればそれぞれに個性があるのだ。マルシオがいい例である。
 サンディルは直接天使と関わったことが、昔はよくあった。地上の人間ではあまりお目にかかれない大天使とも言葉を交わしたことがある。そのときから天使も人と変わらぬ、ひとつの人種であることを肌で感じ取っていた。だから、フーシャの訪れにはさほど驚かなかった。
 案の定、ティシラはフーシャを歯牙にもかけず、バカだの自分勝手だのと俗な言葉で罵っている。きっとトールやライザも、悪くは言わないだろうが、彼女に手を焼いているのだと思う。
 サンディルは、マルシオやフーシャに対しての怒りを吐き出すティシラの話を、相槌を打ちながら聞いていた。
 ティシラの気がまだ済まないうちに、サイネラとライザが現れた。
「お待たせいたしました」
 二人が恭しく頭を下げ、サンディルも席を立ってそれに応える。
「いやいや。こちらこそ、突然無理を言ってしまって申し訳ない」
「早速ですが、場所は紫水晶の空間をご用意いたしました。おそらくそこがウェンドーラ家のお屋敷にある儀式の間と一番近い環境かと思います」
「ご配慮、感謝いたします」
 三人の堅苦しいやり取りを、ティシラはじっと目で追っていた。そういえば、なぜサンディルがいて、そしてこれから何をするのかなど、何も聞いていなかったことを思い出す。
「あの」
 ティシラが口を挟むと、三人は彼女に注目した。
「な、何かあるの?」
 ライザとサイネラが目を合わせた。サンディルはゆっくりとティシラの隣の席に座り直す。そして彼女に向き合い。
「ティシラ。君にお願いがあるんじゃ」
「……え?」
「今から、君が失った記憶を取り戻す儀式を行いたい。協力してくれないか」
 ティシラの顔が強張る。理由も聞かないうちに「嫌だ」という感情がこみ上げた。
「な、なんで……? そんなことしてどうなるのよ」
 サンディルは冷静に、言い聞かせるように言葉を綴った。
「ティシラ自身も、自分に何が起こっているのか分からないままでは辛かろう? 仲間や友のこと、この世界のこと、そして指輪のこと。記憶さえ取り戻せば、今君の中にあるたくさんの疑問や不可解な出来事から解放されるかもしれないんじゃ」
「……そうかもしれないけど、でも」
「ただ、術が成功するとは限らない。もしかすると苦痛を伴う可能性もある。それを、耐えてくれないか?」
「そんなの、嫌よ。どうして私が苦しんでばかりいなくちゃいけないのよ」
「分かっている。ティシラが帰ってきてくれた。それだけで喜ぶべきなのだろうと思う。しかし、まだ終わってはいないのだよ。まだ、君は完全に救われたわけではない。そう思わないか?」
 ティシラは眉を寄せた。
「な、なによ」どうしても、素直には聞き入れられない。「そんなこと言って、どうせ、みんなはクライセンを助けたいだけなんでしょ」
 サンディルは僅かに目線を落とした。
「それもある……じゃが、そうすることで救われる者は少なくはないのだ。ティシラだって、きっといい方向に向かう」
「嘘。私を利用したいだけなんでしょ」
「それはない。断じて違う。信じて欲しい」
「じゃあ、もしその魔法が成功して、それでも、何も解決しなかったらどうするのよ」
「それは……?」
「私が本当に何も知らなくて、結局クライセンを助ける手段を持ってなかったとしたら……私は用済みになってしまうんでしょ。そしたら、私はどうなってしまうのよ。どこに行けばいいのよ」
 ティシラの言葉を聞き、サンディルは胸が痛んだ。隣で見守っていた二人も呼吸を潜めた。
「ティシラ……」サンディルは苦しくて、嘆きに似た声を出した。「そんなこと、本気で心配しているのか」
 ティシラは俯き、顔を背けた。
「確かに、誰もがクライセンの身を案じ、救いたいと思っている。しかし、それとティシラに対する思いはまったく別物なのじゃよ。わしは、君を友として、家族として心から愛しく思い、慕っている。クライセンが戻ったからと言って君を追い出すなんて、想像するだけで涙が出るほど意味のないことじゃ。わしとしては、むしろ奴が戻ったときこそ君にいて欲しいと思っているのじゃから」
 サンディルが微かに笑う。それに気づき、ティシラは目線を上げた。
「もしかすると……君は、あのクライセンの伴侶になるかもしれない、稀少で、貴重な娘なのだから」
 途端に、ティシラの顔が真っ赤になり、大声を上げる。
「は、はあ? な、何を言って……!」
「それは二人の問題じゃから、わしが強要するつもりないはないよ。じゃが、初めてだったんじゃよ。わしの知る限りではあるが……奴のすべてを知っても、あの性格で冷たくあしらわれても、それでもめげずについていく女性は。ティシラ、君ならもしかしてと、期待を抱いているのは本当じゃ。そうなれば、君はわしの義理の娘になるのだから、可愛くないわけがないではないか」
 ティシラは怒りなのか照れなのか、全身を震わせて言葉を失っている。ライザとサイネラも、彼女の分かりやすい態度に密かに頬を緩ませた。
「こんな年寄りの世迷い言など、言うべきではないのは分かっているのじゃが、君がどれだけ大切で掛け替えのない存在であるかを分かって欲しいんじゃ。だからどうか、不要な心配などせずに、力を貸してくれないかな」
 ティシラはまだ体が固まったまま、顔を赤くしている。三人は黙って彼女の答えを待った。ティシラは動揺していることを体全身で表現し、それを隠し切れないことに気づく。しかもそれをじっくり観察されていることで余計に恥と焦りが増した。
「ちょ、ちょっと。何よ」席を立ち、虫でも払うかのように両手を振り回す。「ジロジロ見ないでよ」
 そう言われても、三人は彼女を見るしか今はできることがなかった。目を離さない。ティシラは顔を隠すように背を向ける。
「わ、分かった。分かったから。ああもう、やればいいんでしょ!」
サンディルは咄嗟に腰を上げた。
「本当か」
「やるわよ。それで気が済むんでしょ。だからもうその話はしないで!」
「そうか。ありがとう、ありがとう……」
 サンディルはティシラの背中に深く頭を下げた。ライザとサイネラも一安心した。しかしすぐに気を引き締め、失敗の許されない儀式への心の準備を始めていた。
 ティシラはなかなか冷めてくれない火照った顔を両手で覆い、恥ずかしくて一人で唸り続けていた。


   

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