SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-22





 その日、サンディルがティオ・メイの城を訪れることになった。
 サンディルは正式に招かれたわけではなく、個人的な目的を持っていたため、北側の裏道を使うことにした。来訪をサイネラに伝え、王室には立ち寄らずに城の敷地内にある魔法軍専用の施設に直接向かった。
 サンディルから連絡があったのは今朝のことだった。サイネラに直接通信が入り、相談事を持ちかけられたのが始まりだった。サイネラは突然の話に戸惑ったが、サンディル自身は「可能かどうかも分からない。少し試してみるだけでいい」と、少々強引に進められてしまっていた。断れる様子も、その理由もなかったサイネラは、サンディルが希望するならわざわざ城にまで来なくとも、必要な人材を集めて自らウェンドーラの屋敷に出向いてもよかったのだが、サンディルが「もう城下にいるから」とその手間を省かせた。
 彼は、それに、と続けた。今回のことはティシラを必要とするものだった。今彼女は城に滞在し、マルシオとフーシャの問題もある。すぐに戻れる状態ではなさそうであるために、場所と力を借りることにはなるがメイで行うのが最善と考えられた。
 サンディルの要望を受け取り、サイネラからトールにそのことは伝えられた。トールにはサンディルが何をしたいのかイマイチ理解できなかったが、ライザにも話を通した上でサイネラがいいと言うのなら機関の使用許可を出すことにした。
「サンディル様がやろうとしていらっしゃることは、彼に、クライセンに関わることなのか」
 王宮の離れの客室でトールは窓際の壁に寄りかかっていた。内心では、フーシャのことで疲れていた二人は、用を作ってその場から離れられたことでひと時の休息を味わっていた。
「はい。ティシラの記憶を呼び起こす魔法を行いたいそうです」
「記憶を? そんなに簡単にできることなのか」
「魔法自体は難しいものではありません。ただ、彼女が魔族であることと、失った記憶というものが本当に意識の中に残っているのかどうかが問題なのです」
「どういうことだ」
「まず、記憶を呼び出すこと以前に、魔族に魔法をかけること自体があまり実践されておらず、あったとしてもその記録も資料も、現時点では存在しません」
「昔、クライセンが彼女に何かの魔法をかけたことはあったみたいだが」
「あの方は特別です。人間、魔族、天使の生態を熟知した上で、正しい魔法を行うことができる方なのですから」
「よく分からないけど、その生態についてもっと調べてからの方がいいんじゃないのか」
「その知識は賢者と言われる方の領域です。私たちアンミールの魔法使いは作られた技術者。指導者がいなければ学ぶことは不可能です」
「そういえば、昔ティシラがクライセンを賢者だと言ってたことがあったような」
「そうです。あの方は力と知識を持ち合わせた魔法使い。なぜなら正当なランドールの純血を持ち、そして父親が生まれついての賢者であるからです。彼の体には、歴史の記憶と、失われかけた知識のすべてが組み込まれた遺伝子があり、その上に類稀なる能力と才能を兼ね備えていらっしゃるのです」
 トールはそこで肩の力を抜いた。そろそろこの手の話は聞きたくないと思い始めていたところだった。
「クライセンが凄いことは分かったから、とにかく、どうするつもりなんだ」
 サイネラも我に返り、話を戻した。
「お話したとおり、我々だけでは決行はできません。しかし、サンディル様の指導があればさほど難しいことではありません」
「それならいいけど。でもさ、だったらサンディル様が直接やればいいことじゃないのか」
「サンディル様は魔法使いではありません。自然界を動かす力はお持ちですが、人が起こす魔法を行うことは出来かねるのです」
「サンディル様は魔力がないということか」
「いえ。魔力は生まれ持っていらっしゃいます。ですが、魔力と魔法は違います。故に魔力があるからと言って魔法が使えるわけではありません。魔法とは、つまりですね……」
 二人は同時に沈黙した。トールはだんだん意味が分からなくなり、サイネラももう説明するのが億劫になり始めていたのだ。
「まあ、つまり、サンディル様と魔法使いの両方がいなければ今回のことは成立しないってことだな」
「さようでございます」
「僕は事の大きさは分からないけど、場所も人材も使いたければ使っていいよ」
「感謝いたします」
「でも、それだけでいいのか」
「と、仰いますと?」
「ティシラには話してあるのか」
 サイネラは「えっ」と声が漏れそうになった。
「ティシラはあの通り一筋縄ではいかない上に、今は機嫌が悪い。それに彼女はクライセンに関することに触れると癇癪を起こすほど神経質になっている。果たして協力してくれるのだろうか」
 そういえば、とサイネラは息を飲んだ。サンディルがティシラに話を通してくれているものとすっかり思い込んでいたからだ。ティシラが人の言うことを聞かないのは見ていて分かるが、サンディルは親代わりのような存在だと認識している。彼ならばティシラは素直になるものではないのだろうか。もし、そうでないとしたら……。
 サイネラは途端に不安になった。もしサンディルが、ティシラの都合も考えずにただ「そのつもりでいる」だけだとしたら、尚更彼女が暴れ出す要因にもなる可能性がある。一番大事なことを確認し損ねていたと、自分の間抜けさを悔やんだ。
 トールはサイネラの反応を見て彼の心理を読んだ。また面倒が増えるかもしれない、何もこんなときに、などと思うと心が重くなる。だが、行うからには僅かでも期待を捨ててはいけなかった。ティシラが素直に協力してくれて、魔法が成功すればいろんなことが解決するのだ。ティシラの記憶が戻り、クライセンを救えるかもしれない。そうなればティシラとマルシオのこと、フーシャのこと、そして他の潜む謎も解明できることになるかもしれない。
 きっとサンディルは、クライセンの力を必要とする以前に、親として一秒でも早く彼を助けたく、機を伺う余裕が欠如しているのだと思う。
 もしかすると今、それを行うことは危険を孕んでいるかもしれない。それでも、同時に希望があることも否定はできない。結果が良くも悪くも、何かしら動きがあることには間違いはないのだ。このまま何もしない、できないで、ただ不安に振り回されているよりは道が開ける可能性がある。
「人はどれくらい必要だ?」
「そうですね……状況を理解し、サンディル様の知識に対応できるに達している者を最小限の人数で行えればと思うのですが」
「そんなに少なくていいのか」
「特殊な魔法ではありますが、作業は地味なものなのです。そのぶん力を凝縮する必要がありますし、サンディル様やティシラのことを知る者であった方が説明や口止めの手間が省けます」
「目星はついてるのか」
「私が出ます。そして、できればライザ様にもご協力いただきたいのですが……」
「他は?」
「ライザ様が可能であれば、他は不要です」
「ライザなら大丈夫だろう」
「さようですか。では……」サイネラはトールに向き合った。「その間、マルシオとフーシャ様を、お願いできますでしょうか」
 トールの顔が引きつった。そういえばそうだったと目を逸らす。
「……時間は、どのくらいかかる?」
「魔法は集中力と精神力に寄ります。私とライザ様であれば短時間で完成するかとは思いますが、ティシラがどれだけ耐えられるか、そして魔法が発動した際の後のことは未知でございます」
「そうか……」
 なんだかんだで時間はかかりそうだと、トールはため息を漏らした。
「よろしいでしょうか」
「仕方ないだろ」
「よろしくお願いいたします」
 サイネラは頭を下げ、すぐにでもライザに話をしなければいけないと室を出ようと片足を引いた。そのとき、扉を叩く音が二回聞こえた。二人が同時に注目すると、その向こうからディルマンの声が聞こえた。
「陛下、サイネラ様。お客様がいらっしゃいました」
 サンディルだと、二人は思った。一度目を合わせた後、それぞれに自分の行くべきところへ気持ちを向けた。


   

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