SHANTiROSE

CRIMSON SAMSARA-04





 室内に残ったティシラはライザに背を向けて不貞腐れていた。ライザはティシラから手を離し、肩を落とす。
「ティシラ」
 優しく声をかけると、ティシラは渋々顔を向けた。
「あんなこと……本気ではないのでしょう?」
 ティシラは唇を噛み、再び、無意識に指輪のついている左手を握った。
「でも、本当のことじゃない」
「ええ」ライザは少し瞼を落とす。「そうね。人種の違いによる感覚の相違は致し方ないこと。でも、友達を傷つけるにはそれなりの理由が必要よ」
「友達? 私に友達なんていないわ。そんなの欲しくないし」
「じゃあ、どうしてあなたはここにいるの?」
 ティシラは答えに詰まり、戸惑った。
「……べ、別に、ただ」
 答えないのではなく、答えられなかったのだ。改めて、なぜここに来てしまったのか、自分で答えを出せずにいた。言葉を失うティシラを見て、ライザも酷な質問をしてしまったと後悔する。彼女は何も覚えていない、何も知らない。それでも戻ってきた。きっと、体のどこかに残っていた思い出がそうさせたのだと、今は思う。もしかすると他にも理由があるのかもしれないが、それを聞き出すのはまだ早い気がしていた。昔も、見えない縁だけに導かれて、仲間たちは自然に出会った。まだ不安な要素は残っているとはいえ、決して悪くない結果が出た。だから、きっとこれからもそうするのが最善だと思う。なぜここにいるのかなど愚問であり、野暮な質問だ。ライザは話を変える。
「あなたが人間を襲おうとしたことを、私は責めるつもりはないわ」
 ティシラはちらりとライザを見上げた。
「私は、あなたを信じています。余計なお世話だと言われても、その気持ちは変わらない。明確な理由などないのだけど、なぜか、どうしてもあなたを憎むことなんかできないの」
「……それは」ティシラはまた目線を落とした。「私が世界を救ったから?」
 ライザが少し驚いた顔をし、すぐに微笑んだ。ティシラは目を合わせずに、子供のように拗ねている。
「ええ。それも否定はしないわ。だって、世界を救うなんて誰にでもできることではないのよ。ティシラは覚えていないかもしれないけど、たくさんの人があなたのお陰で救われたことは事実。だから素直に胸を張っていいことだし、そういうのが好きじゃないなら、それはそれで気にしないで生きていくこともできるでしょう。あなたが嫌がるのに、無理して押し付けようとする人なんて、少なくともあなたの仲間にはいないわ。みんな、あなたのことを分かっているんですもの。今は、あなたは一人ぼっちのような気分なのかもしれないし、怖いことや不安なこともあると思う。だから、もっと素直に甘えたほうがいいと思うわ。そうしてくれたほうが、私も嬉しいもの」
 ティシラの表情が少し緩んだ。まだ納得いかないこともあるが、ライザの優しい言葉と声が自然と安心させてくれていた。
 だが、ここからが本題である。ライザは微笑んだまま、細い声で問いかける。
「それでね、あなたが人間を襲おうとしたことは分かったわ。でも……どうして襲わなかったの?」
「!」
 ティシラは目を見開き、咄嗟に腕に力を入れた。あのときの恐怖と苦痛が甦る。背筋に寒気が走り、額に汗が流れる。ライザはそっと、固まる彼女の手に自分のそれを乗せた。ティシラはびくりと体を揺らす。
「何かに、邪魔をされた」
 見透かすようなライザの瞳に捕らわれ、ティシラは息を飲んだ。
「……違うかしら?」ライザはティシラの左手を掬いあげる。「ごめんなさい。あなたから魔法の尾を感じて、寝ている間に少し調べさせてもらったの。確かなことは何も分からなかった。でも、話し合いの結果、そうとしか考えられない不明確な答えを出したわ」
 ティシラは赤い目を揺らしながら固唾を飲んだ。彼女の中に複雑な気持ちが葛藤していた。ティシラ自身も、何が起きたのが理解できていなかったからだ。怖いと同時、聞きたいという好奇心も捨てることができない。
 今のティシラにとって、魔法は未知の力だった。もし自分の身に起きた不可思議なことの正体が分かれば対応できるかもしれない。それに、ライザが解決できる方法を知っているのかもしれないと、ティシラは期待を抱いた。


*****



 マルシオは、トールとラムウェンドに連れられて大人しく別室のソファに深く腰掛けていた。その客間のカーテンは全開されており、日が差し込んでいる。
「まったく」トールは彼の隣に腰を下ろしながら。「相変わらずだな、君たちは」
 ラムウェンドも静かに向かいのソファに座る。マルシオは窓の外を眺めながら眉間に皺を寄せていた。
「確かにさ」マルシオは篭った声を出す。「ティシラの挑発に乗って、俺もかっとなってしまったけど……でも、あいつの言うことは間違ってなかった。だから、何ていうか、裏切られたような気分になったんだ」
「裏切られたとは?」
 ラムウェンドに問われ、マルシオは顔を向けた。
「だって、俺も、何度かそうかもしれないって気になったことがあったんです。ティシラが、前と違うことは確かです。それに……クライセンもいないし。クライセンがいたから、あいつは猫を被っていい子ぶってただけなんです。今は歯止めになるものが何もないんです。せめて、ティシラがクライセンに興味くらい持ってくれればいいのに、理由も言わないで知らない関係ないとしか言わないし。いくらなんでも、あれはおかしいですよ」
「何がおかしいと思うのだね」
「はっきりとは分かりませんが……ティシラは、何かを隠してます。それがクライセンに関わることなのは確かなんです」
「どうして?」
「知らないなら知らないで構わない。だけど、知らない人をあそこまで拒絶しますか? 何か知ってるからこそだと思うんです」
「でもさ」トールが口を出す。「マルシオが自分で言ったじゃないか。記憶を失くした彼女にみんなして『あれだけ好きだったくせに』ってからかうものだから、意地になってしまったんだって」
「そ、そうだけど」
 マルシオは俯く。それも確かにある。だが、決してそれだけではないはずだ。そのことを言いたいのだが、うまく言葉が出ない。それを察し、とにかく今は目の前にある問題に的を絞ろうと、ラムウェンドが話を進めた
「……さて、ティシラの指輪のことですが」
 マルシオはそうだったと顔を上げる。
「あれは、決して彼女の父親がつけたものではないようですね」
 トールも神妙な顔になる。
「魔法のことは詳しくはないんだけど、僕もそう思う」
「実際、ティシラの身に何が起こったのかは、彼女に聞かないと分かりませんが……」
 そこでラムウェンドは言葉を飲む。あまり憶測でものを言いたがらないのは彼の癖だ。だが今はどんな小さな情報でも欲しい。それに、ラムウェンドの予想や考えは当たっていようがいまいが、参考にできる重みがある。だからこそラムウェンドは時と場所、そして言葉を慎重に選ぶのだが、マルシオはこれ以上待っていられなかった。
「やはり、あれはティシラの魔力を封じるものなのでしょうか」
 ラムウェンドはすぐには答えなかった。
 ティシラが気を失っている間に、ライザとサイネラを交えて、彼女に漂う魔力の検証が行われた。十分な施設も準備もなかったのだが、そこには魔法界の頂点に立つ有力者が集まっていたのだ。それぞれの思想や考え方でいろんな意見が交わされた。それでも、はっきりとした答えは出なかった。
 そこから導かれる確かなことは、現在は人間界にない、そして太刀打ちできないほど強力な魔力と魔法が指輪に宿っているということだった。そこにいた全員が同じことを考えた。誰もが「彼」の名前と顔を思い浮かべたが、そうだという証拠があるわけではなかった。そのつもりで検証を進めようが、逆にそうではない予想を弾き出そうが、一同はすぐに限界に突き当たるしかなく、結局、「分からない」としか言えることはなかった。まるで、目に見えない何かに意図して翻弄されている気分になった。そう思えば思うほど、尚更「彼」の存在を頭の中から消し去ることができなくなった。
 そんな中、正体を探ることは一旦諦め、まずは魔法の威力に着目することにした。なぜティシラが気を失ってしまったのか。一体、この魔法は彼女に何をしたのか。残念なことに、それもまた答えは出なかった。あくまで予測として、サイネラが言葉にして纏めた。
「おそらく、ティシラの魔力を封じるもの。もしくは、それに似た効果があるものではないでしょうか」
 ライザが付け加える。
「ティシラの魔力そのものが失われているわけではありません。こう考えてはいかがでしょう。ティシラが人間を襲おうとしたときに、それを禁じ、制するために発動するものと」
「その線が有力ですね」
「それじゃあ」マルシオも指輪に見入っていた。「まさか、これはティシラが人間界で罪を犯さないように、戒めるためにつけられたということなのか」
 そこでトールが、誰もが口にしようとしなかった疑問を、普通に尋ねた。
「誰がそんなことを?」
 室内がしんとなった。一同は、それが分からないから頭を悩ませているんじゃないかという言葉を胸にしまいこんだ。トールは首を傾げたが、それ以上は聞いてこなかった。気を取り直し、ライザが話を戻す。
「ティシラが気を失った理由ですが、その前に悲鳴を上げていたことを思い出してください」
「そうか」サイネラが顔を上げ。「悲鳴を上げ、気を失うほどの『苦痛』または『激痛』を伴った。そう考えれば自然ですね」
「ええ。でも外傷は見当たりません。可能性が高いとすれば、魔力に体を、もしくは体の一部を締め付けられたのではないでしょうか」
 またトールが口を挟んでくる。
「体の一部って、例えば?」
 今度は不自然な質問ではなかった。ライザが続ける。
「指です。指輪である必要はなかったのかもしれませんが、彼女が常に身に付けていられるものであり、尚且つ密着し、あまり目立たたせないものといえば、指輪を媒体に選ぶと考えても無理はありません。そして指輪だからこそ、指を的にして彼女の行動を封じた。いかがでしょうか」
 その答えはトールの質問に対するものであったが、ライザは彼に顔も向けないまま、サイネラに確認を促した。
「その可能性は高いでしょう。それを前提として考えれば、ティシラは警備兵を襲おうとし、その途端に指輪に指を締め付けられるか何かの攻撃を受け、悲鳴を上げた。そして、その苦痛は気を失うほどに強烈であった……おそらく、無理を強いれば指を失うか、最悪は死に至るほどのもの……」
 そう考えると、逆にティシラが気の毒にさえ感じた。その中で、マルシオだけは違う気持ちだった。彼にとっては、ティシラが人間を襲おうとしたという予想のほうが恐ろしかったのだ。きっと、ここで交わされた意見は間違っていないのだと思う。ティシラが人間を襲おうとする原因も十分に思い当たる。彼だけはどうしても、単純に「仕方ないこと」と割り切ることができなかった。戒め以前に、ティシラの「魔」の部分に問題がある。マルシオは黙って思い詰めた。


   

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