SHANTiROSE

HOLY MAZE-10





 マルシオとサンディルは魂の部屋から出て、向かいの扉の前にいた。ついでに苗床の説明をしておこうと、サンディルが扉に手をかける。
「こっちも気がついたときで構わんよ。魔力のこもった植物ばかりじゃから、よほどのことでもなければ大事にはならん」
 そのくらいなら手伝えそうだと思いつつ、マルシオはふと奥の暗闇に目をやった。見える範囲には扉も何もなかった。灯りもあるのかないのか分からないが、熱の気配は一切なく、しんと冷え込んでいるように感じた。
「あの」引き込まれそうな闇を見つめて。「奥には、何かあるんでしょうか」
 サンディルの手が止まる。意外な質問ではなかった。動じずに、マルシオと同じように闇に向き合った。
「奥は儂の研究室じゃ」
「研究室?」
「ああ。気になるのは分かるが、行こうとはせんほうがいい」
「なぜですか?」
「……奥の部屋は、目的がなければ辿り着かんようになっておる」
 どういう意味だろうと、マルシオはサンディルに目線を移した。
「そこに何があるか分かっているうえで、目的を持って向かえば部屋に入れるんじゃ」
「じゃあ、何も知らないでこの先に進んだらどうなるんです?」
「何もない」
「行き止まりですか?」
「いや、延々と廊下を歩き続けることになる」
 マルシオはこの暗闇を延々と歩き続けることを想像して、少々身震いを起こした。
 しかし、とマルシオは何かに気づく。
「あ、さっき、俺はあなたから『研究室』だと聞きましたよね。もしかしてそれで俺も行けるようになってるんじゃないですか?」
 左右の扉を簡単に教えてもらえたことで、奥の部屋にも案内してもらえるのかもしれないと思ったマルシオだったが、サンディルは意地悪な答えを返す。
「嘘かもしれんぞ」
「えっ! どうしてそんな……」
「気になるなら行ってみればいい」
 こういうときのサンディルは信用できないことを、マルシオはもう分かっている。奥は遠慮して、話を苗床に戻そうとしたそのとき、サンディルが顔を上げた。
「……鷲が、何か騒いでいるな」
「え?」
 マルシオも顔を上げてみたが、彼には何も感じなかった。


 急ぐ必要はないと、サンディルは苗床は後回しにして階段を上がった。マルシオも後に続き、物置の部屋を抜ける。鷲のいる部屋への戸を開けると、サンディルの感じ取ったとおり、鷲が高い声を上げてもがいていたのだった。
 部屋の中央でバタついている鷲にマルシオが駆け寄ると、彼らの背にティシラが跨っていた。しかも、噛み付いたり羽根をむしったりと酷いことをしているではないか。
「ティシラ、何をしているんだ!」
 二人に気づいたティシラは、鷲の羽根にまみれた姿で大声を出す。
「どこ行ってたの! 探したのよ」
「俺を? 俺を探すのに、どうしてこいつらを虐めているんだよ」
「どこに行ったか聞いても答えないからよ」
「……お前は鷲の言葉が分かるのか?」
 ティシラは答えず、唇を尖らせて鷲の背中から飛び降りてきた。
「そんなことより」髪に引っかかった羽根を落としながら。「調べたいことがあるの。今すぐに」

 マルシオはティシラに腕を引かれるようにしてリビングへ戻った。
「地図よ。地図を見せて」
「地図?」マルシオは怪訝な表情を浮かべ。「どこの?」
「全部よ。世界地図くらいあるでしょ」
 先に理由を聞きたかったが、おそらく「いいから早くしろ」と怒鳴られるのが目に見えていた。まずは彼女の言うとおりにしてから話を聞こうと、マルシオ仕方なさそうに地図を探しに行く。
 二人の後をゆっくり着いてきていたサンディルも、彼と入れ替わるようにリビングへ顔を出した。
「ティシラ、一体どうしたのかね」
「探したい場所があるの。そこが本当にあるのかどうもかも分からないけど」
「そこに何があるんじゃ?」
「それも分からないの。だから探したいの」
 ティシラが何を言っているのか分からない。サンディルもマルシオと同じく、まずはティシラが落ち着いてからではないと話にならないだろうと、それ以上は聞かなかった。

 しばらくしてマルシオが埃をかぶった地図をいくつか抱えて戻ってきた。そして窓を開けて埃を払い、ティシラに急かされながらテーブルに広げていく。
「世界地図はどれ?」
「世界って……お前は何が見たいんだ」
「シヴァリナっていうところよ。近くに大きな町があるはずなの」
 マルシオもサンディルも聞いたことのない名前だった。二人が顔を見合わせて首を傾げたが、ティシラはそのまま続ける。
「近いと言っても、隣じゃないの。二つの間には何もない大地が広がってて……それと、シヴァリナっていうところには森があるはず」
 疑問は解消されないまま、偶然でも彼女の言うシヴァリナという文字を見つければいいのかと、マルシオはとりあえず地図を眺めた。
「で、その場所には何があるんだ?」
「そこに魔族がいるかもしれないのよ」
「魔族?」
 マルシオは眉を寄せて顔を上げる。
「そう。声が聞こえたの。女の声だった」
「……魔女か?」
「違うって言ってた。ああ、確か、ここから西の方角だと思う」
 情報はまとめて、分かりやすく言ってくれと心の中で愚痴りながら、マルシオは再度地図を見直した。まず現在地を指差し、西の方角へ進める。ティシラはそれを目で追った。
 歩いていくには遠い位置まで移動したところで、ティシラの言う「何もない大地」と「森」があった。マルシオもそれに気づいて右へ指を動かしていくと、大きな国に当たる。
「これは町じゃなくて国だ。ティオ・シール。ティオの名を持つ九つの国家の一つ。どんな国なのかまでは知らないが。大地は国境になってるんだろう」
「森は? 何か書いてない?」
 二人で同時に森のほうを見つめたが、そこには何も書かれていなかった。
「村や町があるようには書いてないな」
「人は住んでないってこと?」
「地図上ではそうなってる」
「そこへ行って確かめましょう」
 何もかもが唐突で強引なティシラの言動に、マルシオはもう呆れ果ててしまった。
「……いい加減に落ち着けよ」ため息を漏らし。「先に説明しろ。一体何があったんだ」
 肩を落としたマルシオを見て、ティシラも我に返る。あまりゆっくりもしていられないような気がしつつも、よく考えたら一番最初に声が聞こえたのはまだ城にいるころだった。あれから何日も経っているのだ。平静を欠くほど慌てる必要はないと考え直す。

 ティシラはソファに腰を下ろした。
「声が聞こえたの。魔族の声だった。だから私にだけ聞こえたんだと思う」
 しかし、聞こえたことをすべて、今明かしてしまうことに抵抗を感じた。危険に晒されている魔族がいるなら助けたい、それがティシラの目的だったからである。
「時間が足りなくて詳しくは聞けなかったけど、魔族が人間に捕まって閉じ込められているみたいなの」
「その村の人間が魔族を捕まえたってことか?」
「……それは」
 違うと思う。彼女は村の人も危ないと言っていた。外部の者なのだろうが、それが「魔法使い」であることは、まだ言いたくなかった。
「分からないわ」
 この世界で魔法使いは神聖視されている。その魔法使いが、魔族だけではなく村の人まで危害を加えている可能性があるとなったら大事件なのだ。きっとここにいる二人は、危険だからと情報を軍や警察に預けてしまうだろう。
 それが最善なのかもしれないが、ティシラの不安は人間の魔族に対する扱いにあった。
 もし捕まっている魔族が、人間の言う「悪事」を働いていて罰を受けているとしたら、人間の言う「正義」の元、処分される可能性だってある。
 それ以外の問題のことは人間の法で解決するべきだと思うが、魔族だけは、どんな理由があろうと助けたかった。
「もしも魔族が人間界に迷い込んでて、人間と揉め事を起こしているのなら、私がなんとかしたい。その魔族は私に助けを求めているの。私ならそいつを魔界に返して、二度とここへは来ないようにさせることができる。だから他の人には言わないで」
 マルシオにはティシラの気持ちが分かった。どんな理由があろうと、この異世界へ迷い込んだ仲間を助けたい。自分もきっとそう考える。
 もしも人間に被害が出ていたとしたら、それだけでは解決しないだろう。しかしそれはまだ分からない。ティシラの気持ちも汲み、地図にない村のことを調べるくらいは協力したいと思う。
 何も言わずに空気のようにそこに座っていたサンディルに目線を移すと、彼もマルシオに目線を返した。そして低い声で。
「……小さな村の中だけでの出来事ならよいが、そうでなかったときはすぐに手を引き、然るべきところへ知らせなさい」
 サンディルも慎重ではあったが、マルシオと同じくティシラの気持ちも無碍にすることはできなかった。
 ティシラは理解を得られてほっとすると同時、二人を騙しているような罪悪感も抱いていた。
 魔族を助けさえできれば、それ以外のことは首を突っ込むつもりはない。このまま何もせずに情報だけを他人に譲って終わりにはしたくなかった。
「ねえ、ルミオルにシヴァリナのこと聞いてみたらどうかしら」
「ルミオルに?」
「あいつなら少しは世界のことに詳しいんじゃない? 隣に大きな国があるなら周辺のことも知ってるかもしれないじゃない。今はただの宿無しだし、正義感なんかないんだから魔族の話しても大丈夫でしょう」
「そうだな。聞いてみるくらいなら……」
 ティシラはすぐにテーブルの上の地図を丸めて脇に抱えた。
「暇そうだったんでしょ? 行きましょう」
 少々心配そうなサンディルに声をかけて、二人はクルマリムへ足を運んだ。


 ルミオルは大人しく宿におり、すぐに会えた。
 彼が仮の住まいとしている宿はクルマリムでも一番大きな宿の、一番高級な部屋だった。五人は軽く生活できそうな広さに、部屋数も多くて十分に贅沢な空間だった。なのにルミオルは城のほうが豪華だと、当たり前の愚痴を零す始末だった。しかしマルシオに怒られ、こんなところに長居したらどこの金持ちだと疑われて身元がバレるから、もっと地味なところに移動するように注意をしておいた。宿屋ではなく、借家を借りて自分で生活しろ、とも付け加え。
 ルミオルもそのくらいのことは分かっていながら、そのうちねと流し、素直には動かなかった。

 彼はティシラの顔を見るといつもの調子で絡んできたが、大事な話があるんだと強く突き放され、機嫌を損ねながらも耳を貸した。
「シヴァリナ? そんな村、聞いたことないな」
 冷たい返事にティシラはむっとし、テーブルに広げた地図に指先を突きつけた。
「ここ。この森よ。よく見なさい」
 ルミオルは嫌そうに背を丸めて地図を眺めた。ティシラの指先の周辺を見つめ、すぐに何かに気づく。
「シールの隣じゃないか。ああ、あの森ね」
「何か知ってるの?」
「人が住んでる噂はある。でもどこかの異民族が勝手に住み付いただけで、人数も少なく、さほど発展もしてない閉鎖的な村だとか何とか」
 ティシラは目を見開き、マルシオも身を乗り出した。
「他所に関わらず勝手にいるだけなら管理する必要もないと、国は昔調査しただけで、あとは放置してるらしい。いついなくなるかも分からないから地図には載ってないんだよ。その代わり、何かあっても国や軍は関与しないし、できない。統治して欲しければ自ら申請しろと伝えてあるはずだ。そういう民族は世界のあちこちにいる。その一つじゃないのか」
 ティシラとマルシオは顔を見合わせた。ルミオルは周辺の地形を指差し、続ける。
「森の向こうは山が連なっている。その境界には深い崖がある。人が落ちれば助からないほどの深さだ。ゆえにこの森は交通不可能とされ、いつからか不吉な場所とも言われている」
「不吉?」
「この崖は地獄へ繋がっている、と。もちろん、ただの喩えだ。だが調査不可能なのは確か。軍隊も商人も例外なく、この山と森だけは迂回し避けて通るのが当たり前。つまり厄介もの扱いされているってことだ」
「そんなところに、本当に人が住んでるのか?」
 ルミオルの話だと、妙に曰くのある場所に思える。だがルミオルは大したことないように、投げやりに答えた。
「そう言われてるだけのことだよ。実際はほとんどの人がこんな未開地、興味なんか持ってない。で、この森がどうしたって?」
「ここに、魔族がいる可能性ってある?」
「さあ……地獄に繋がっているなんて言われてる場所だから噂くらいはあるかもしれないが、本当に異界と繋がっていて、魔族が行き来してようものなら魔法使いたちが黙ってないんじゃないのか」
 確かに、人間界に魔界と繋がる場所があるのなら、今まで公にならなかったわけがない。人間界だけではなく、魔界でも話題になるはずだ。捕らえられている魔族は一人で迷い込んだだけなのだろう。
 ルミオルの話は十分に役に立った。やはり仮にも大国の王子である。身につけている知識を始めとする教養はバカにできない。
「その村で何が起きているのか、調べたいの」
 ティシラが結論を伝えた途端、ルミオルはなぜか眉を寄せた。その理由を、マルシオが気づく。
「近くにティオの国があるから、ルミオルはあまり動けない。そうだろう」
 ルミオルは更に面白くなさそうな表情を浮かべ、顔を逸らした。
「それもあるけど……」
 けど、なんだろう。続きを待っていたが、ルミオルは今は言わなかった。
「そうだ。今日の夜、ロアを呼んでるんだ。飲みに行く約束をしてるから、君たちも一緒に来ればいい。それであいつにも協力を求めてみたらどうだ?」
「ロア?」
 マルシオが反射的に口に出すと、ティシラとルミオルは微かに気まずさを抱いた。確か、「本当のマルシオ」はロアと会ったことがなかったことを思い出す。
「ル、ルミオルの友達の魔法使いよ」ティシラが慌てて。「無所属で、自由なの。だから協力してくれると思うわ」
 マルシオはとくに疑わず、そうかと呟いてその話は終わった。


 三人はロアの訪れまで待つことになった。ルミオルが水晶を使ってロアと連絡を取り、今日はメンバーが増えたから、できるだけ早く来るようにと伝えた。
『そうですか。では、個室を借りれる店をご用意できますか?』
「個室?」
『大事な話があります』少し、間を置き。『ティシラとマルシオのお二人にもお話していいことか、あなたが判断してください』
 どうもロアの様子がおかしい。ルミオルは声を落とした。
「何があった?」
『状況が変わったようなので、先にお話します……メイとシールが接触するようです』
 またシールの名前が出た。一日に二回も耳にするなど、ルミオルにとっては凶兆としか思えないことだった。緊張の糸を張るルミオルに、ロアは更なる不安を伝えた。
『ラストル様が、動きました』


   

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