SHANTiROSE

HOLY MAZE-15





 ラストルの初めて出張ということで、ティオ・メイの城と城下町は微妙な騒がしさで包まれていた。
 ラストルのティオ・シール訪問は一般人には極力知らせられなかったのだが、疚しいことがあるわけでもなく、隠す必要はなかった。魔女の事件は情報機関を持つ国のほとんどには認知されていることだった。その事件の鍵を握ったのがシールであり、解決までの状況を把握するため、そして必要があれば協力を惜しまないための出張である。驚くことではなかった。
 意外だったのは、今までほとんど城の外へ出たことがなかったラストルが代表して足を運ぶことだった。
 彼は、一般人にとっては謎に包まれた人物だった。弟のルミオルはちょくちょく城下で悪さをしていたため、それはそれで問題ではあったのだが、民に近い存在だった。そんなルミオルの話題や噂とともに、ラストルには様々なイメージを持たれていた。
 聡明で口数の少ない利口な男、前に出たがらない謙虚で控え目な男、など、いい印象を持つものが多かった。しかし根拠もなく持ち上げられる現状が気に入らず反発する者や、「あの弟の兄なのだから」という先入観で悪く言う者も少なくはなかった。
 そのほとんどが単なる噂に過ぎなかったのだが、何かのきっかけで本物のラストルに近付く機会のあった者だけは真実を垣間見ている。
 冷たくて表情の少ない、人形のような彼を。

 ティオ・シールからの正式な依頼を受けての旅立ちである。
 当日は、朝から多数の警備兵の姿が城下町にあった。今まで何も知らなかった者も何事かと大通りに集まっていた。
 定刻どおり、ラストルを乗せた馬車が城を出発した。
 お顔を拝見したい、応援の声を聞いて欲しいと、道の両端に並ぶ人々は身を乗り出して見送っていた。だが馬車の窓はすべてカーテンで閉じられており、彼は誰の目にも触れることなくメイを後にした。


 そんな町の騒がしい空気を、シオンは一人、自室で感じていた。
 戸も窓も閉じ、胸にニルを抱いてじっと辛い時間をやり過ごした。


*****



 朝、マルシオたち三人は先に起きて、それぞれのベッドに腰掛けてティシラの様子を伺っていた。
 ティシラは朝日が眩しくて布団に潜り込んでいたのだが、しばらくすると動き出し、顔を出して三人の顔をゆっくり見ていった。それから部屋を見回し、上半身を起こして、呟いた。
「……ここどこ?」


 ひとしきりぼんやりしていたティシラは、頭がスッキリしないだけで、とくに具合が悪いわけではないらしい。マルシオに「昨日は遅くなったから近くの宿に泊まった」と説明され、ふーん、とどうでもよさそうな返事をしていた。
 昨日のことをどこまで覚えているのかと緊張していた一同だったが、ティシラが「お腹すいた」と言い出したので、白々しい態度で食堂へ足を運ぶことになった。
 食堂は、一階の木造の廊下を軋ませながら進むと、その突き当たりにあった。元々宿泊客が少ないせいか、他の客の姿は見当たらなかった。四人掛けのテーブルが十ほど並んだ食堂には、宿主である老夫婦の姿があった。二人はティシラたちの姿を見て挨拶をしながら腰を上げ、ゆっくりと厨房へ向かっていった。
 陽の光が嫌いなティシラは無意識に奥の角のテーブルを選ぶ。とりあえず運ばれてきた水を飲みながら、未だ寝ぼけた顔をしていた。
 ぎこちない一同の様子を、老夫婦は気に留めなかった。ここにはいろんな旅人が訪れるため、彼女ら以上に変わった客を何人も見てきた。暴れたり大騒ぎでもしない限りは自由にさせている。
 運ばれてきた食事は、穏やかな朝によく似合う素朴なものだった。見た目も味も地味なものだったが、きっと毎日食べても飽きがこない癖のないものだった。
 ティシラは文句の一つも言わず黙って食べ続け、他の三人も当たり障りのない短い会話を交わしながら味わっていた。
 老夫婦は一通りの料理を出し終えると食堂に戻ってきて、空いている席に腰掛けて新聞を開いて休憩していた。時折会話する夫婦の声は弱いものだったのだが、静かな食堂にははっきりよく通っていた。
「……あら、何か事件かしらね」
 老婆が新聞を覗きながら呟くと、夫も同じ箇所に目を向けた。
「へえ、大きな国の王子さまがどこか遠くへ行きなさるらしい」
 ――ティシラたちの周囲の空気が、途端に凍りついた。
「ああ、魔女のことですよ。見境なしに人を襲うんですって。怖いですねえ」
「怖いねえ。まさかお婆さんは魔女じゃないよね」
「私が魔女だったら、若い頃にお爺さんを騙して逃げてますよ」
 と、夫婦は他人事のように笑っていた。
 隅のテーブルにいる者にとっては、笑い事ではなかった。恐る恐るティシラを見ると、彼女もピタリと手を止めていた。確実に、目の色が変わっている。
「……そうだわ」
 とうとう、ティシラは目を覚ました。
「魔女よ、魔女……私には、やることがあったのよ」
 そう言うなり、ティシラは席を立って老夫婦に駆け寄った。笑顔を消して驚いている夫婦から新聞を横取りし、記事を睨み付ける。
「あいつ、もうメイを出たのね。何考えてるか知らないけど、勝手なことはさせないんだから」
 ティシラは新聞をテーブルに置いて食堂の出入り口へ向かって足を進めた。マルシオたちは慌てて彼女を追いかける。廊下に出たところで追いつき、肩を掴むが、ティシラは足を止めなかった。
「おい、どこにいくつもりだ」
「森よ。シヴァリナの。それと、ラストルの向かったところ」
「闇雲に行ってどうするんだ。少し落ち着け」
「待ってても意味がないって、昨日言ったばかりでしょ。とにかく行くのよ」
 最悪の予想が当たってしまった。やはりティシラは昨日のことを覚えており、そのときの勢いは消えてなかったのだった。酔い潰したのは一時的なその場凌ぎに過ぎなかったようである。
 マルシオは青ざめながらティシラに着いていく。もう止める手段はなさそうだと、マルシオは諦めた。
 歩いていけるような距離ではないのだからせめて計画を立てようとティシラを説得し、いったん部屋に戻って話し合うことにした。


 何も分からないままではティシラが納得するはずがなかった。仕方ない、と、一同はティオ・シールへ足を運ぶ覚悟を決める。
 それぞれのベッドに腰掛け、ルミオルの情報を元に話を進めた。
「シールまで、ここから馬車を使って三日ほどだ。魔女のことがあるなら警戒が強くなっているかもしれない。だがシールもメイに続く大国。戦争でも起きていない限り一般人の通行を完全に封鎖することはないはず」
 シールに入ることは簡単だろうというのがルミオルの見解だった。ただの旅行のふりをすれば滞在も可能である。
「森は?」ティシラは不満そうに。「森の様子を知りたいし、魔族が無事かどうかを確かめたいわ」
「森にいきなり向かうのはやめておいたほうがいい。シールが関わっているなら、そこで先に情報を集めるんだ」
 ティシラはぶすっと唇を尖らせた。分かろうとしている様子は伺えるが、念の為にと、マルシオが釘を刺してくる。
「ティシラ、お前のやりたいことに協力するんだから、こっちの言うことも聞いてくれないと困る。下手に動いて捕まったりしたら俺たちは何もできなくなるんだ。その魔族だけじゃなくて、お前まで危険な状態になる」
「……うん、そうね」
 嫌々呟くティシラは、おそらく素直に人の言うことを聞くことに抵抗を感じているのだと、マルシオは気づいた。困ったものだと思うが、それなら時間が経てば冷静になってくれるはずと、自分も気持ちを落ち着かせることにした。
「それで、ラストルは今日出発したようだが、いつシールに到着するんだ?」
「普通に移動すれば十日ほどかかる」と、ルミオル。「しかし旅行じゃないんだからそんなにのんびりしてるとは思えない。魔法を使えばいくらでも短縮できるからな。シール側の協力次第だ。予測は不可能」
「そうか……とにかく、俺たちがシールに行かない限り何も分からないってことだな」
 そう言って目線を下げるマルシオに、ルミオルは平然と伝えた。
「言っとくけど、俺は行かないからな」
「えっ」
 短い声を上げるマルシオと同時に、ティシラも目を丸くした。
「当たり前だろ。お前たちだけなら一般市民として潜り込めるが、俺はそうはいかないんだ」
「じゃあ、俺たちだけで、何も知らない国に行って事件を探れっていうのか」
「しょうがないじゃないか。お前たちがそうしたいなら、やるしかないだろ。まあ、できる範囲で協力はするよ。で、ロア」
 突然呼ばれ、ロアは先が分かっているかのように嫌そうな表情を浮かべる。
「お前が一緒に行ってやれよ」
 やっぱり、という言葉を飲み込みながら、肩を落とした。
「ある程度はロアに任せて大丈夫だろうし、俺とはいつでも連絡が取れるようにしておけばいい。ロアの魔法はアンミールとは少し違うものだから盗聴される心配も少ない」
 その言葉に、マルシオの意識が違うところへ切り替わった。そういえば、と思う。ロアとは何者なのか、どんな魔法使いなのかをまったく知らない。マルシオは、ロアという魔法使いの名前をどこからも聞いたことがなかったことを思い出す。アンミールとは違う魔法を使うということは、特殊な魔法使いのはずなのに――。
 マルシオの興味津々の眼差しに気づいたロアは、慌てて話をまとめた。
「マ、マルシオには自己紹介がまだでしたね。私はダエグ(実り)の魔法使いです。表立った派手な攻防より、裏方で通信や守護をやってるほうがお似合いの地味な魔法が得意なんです。アカデミーを通らず、独自で身につけた魔法を使えるんです。珍しいかもしれませんが、特に突き抜けてるわけではありませんので、特別扱いする価値はありませんよ」
 そう早口で言われ、マルシオは我に返る。ああ、と、なんとなく頷いたあと、自分はそんなに分かりやすい表情を出していたのかと少し恥ずかしくなって目を逸らした。
 ルミオルもロアのすべてを知っているわけではないのだが、信用はできる。それだけで十分な彼は、マルシオがロアのことをもっと知りたければ二人で話せばいいと思い、話を戻した。
「で、ロア。お前は付き合えるのか」
「え、ああ……」ため息交じりに。「まあ、都合はつきますけど。でも、先に言っておきますが、もし自分に危険が及ぶようなら、その場合は保身を優先させていただきますので。ご了承くださいね」
 冷たいようだが、ルミオルは理解している。ロアの保身とは、守るべきものを自分の能力の守備範囲内から出さないようにコントロールすることだった。ルミオルがそのことに気づいたのは最近だが、思い返してみると、なんだかんだ言いながらロアは最後まで見捨てなかった。
 問題は、今回の守るものの中にティシラがいることだった。ロアが躊躇している理由の一つに、確実にそれがある。とても本人の前では口に出せないのだろうが。
「よし、じゃあ、まずは三人でシールに向かうんだ。ロアは俺とティシラとマルシオ、全員と連絡が取れるようにしておいてくれ。俺もシールの内部のことまでは分からないが、多少のことはアドバイスできるし、メイの方でも何があれば報せる。それと、ティシラ」
「何よ」
「目的を明確にしておいてくれ。それが済んだら、他には関わらずにすぐに戻ること」
 ルミオルに仕切られるのは気に入らなかったが、冷静な彼は意外にも頼りになる。マルシオも同じ思いでティシラを見つめた。
 ティシラは眉を寄せつつ、考えた。
「……私は、魔族を助けて、魔界へ帰したい。そして、ラストルを殴ってやるの」
「あとのはダメだ」ルミオルは素早く。「それはそのうち、機会があったときにしてくれ」
「そうだ」マルシオも強い口調で。「魔族に近付くのも難しいかもしれないのに。しかもラストルは仕事で別の国に招かれているんだ。せめて事件が終わったあと、個人的に顔を合わせられたときでもなければ問題になる」
 うう、とティシラは唸っていたが、みんなの真剣な態度に暴言を吐くことはできなかった。
 断腸の思いで「分かった」と呟く。
 なんとか第一段階の足並みが揃ったところで、一同は宿を発った。


 クルマリムの町へ戻り、馬車の手配をしながら、マルシオはウェンドーラの屋敷にある通信用の水晶に連絡できないかとロアに尋ねた。サンディルが心配するだろうと、しばらく出かけることを伝えたかったのだ。本当のことを話せば余計に心配するだろうが、何も言わずに遠出するわけにもいかない。
 しかし、サンディルは屋敷にいなかった。いたのかもしれないが、連絡はつかなかった。
「……サンディル様、どこに行ったんだろう。一人で大丈夫かな」
「また別の時間に試してみましょう。水晶から不穏な気配は感じられません。どこかにお出かけなのですよ」
「うん……」

 必要な金はルミオルが出してくれることになっていた。あとで十分な礼をしてもらいたいと、いつものふざけた調子でティシラに言い寄っていたが、いつもの調子であしらわれていた。
 そんな彼に、ロアが笑顔を見せる。
「ルミオル、遊び相手がいなくなってしばらくお暇でしょうから、今のうちに宿替えをしておいてくださいね」
 そういえばそんな話もあったなと、ルミオルは軽い返事で背を向けた。
 馬車が手配され、出発の寸前、突然ティシラは何かを思い出してルミオルに駆け寄った。腕を掴んで顔を寄せ、厳しい顔で囁いた。
「……ルミオル、一つ聞いておきたいんだけど……何か、私たちに嘘をついてるってこと、ない?」
 ルミオルは何のことだか分からなかった。目線を外して少し考え、すぐにティシラを見つめ返した。
「……君を好きだと言ったこと?」
 ティシラは一瞬唖然としたが、意味を理解し、眉間に深い皺を刻んで睨み付けた。
「……はあ? それ、嘘だったの?」
「あれ、傷ついた?」口の端を上げて、ニヤつき。「ショックを受けたってことは、君はやっぱり俺のことが……」
「ふざけんじゃないわよ!」
 ルミオルはみぞおちにティシラの拳を食らい、目を剥いて咳き込んだ。
「あんたって、やっぱりそういう奴なのね。ちょこっと見直してやったのに、取り消しよ。ああ、もうそんなことはいいから、さっさと私の質問に答えなさい!」
 一体彼女が何を聞きたいのか未だに分からなかったが、今はこれといってティシラたちを騙そうなどという気持ちは一切ない。これ以上殴られてはたまらないと、距離を置きながら答えた。
「ない、ないよ、別に。君たちに嘘ついたってなんの得にもならないのに。疑わしいことがあるならはっきり言ってくれよ」
 嘘は言っていない。それを聞きたかったティシラは満足して、涙目の彼を置いて早足で馬車に戻った。
「分かった。信じるからね」
 そう言い残し、目線を遠いシールへ向けた。


   

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